新刊紹介:「歴史評論」9月号

特集『債務史研究の可能性をさぐる』
 詳しくは歴史科学協議会のホームページ(http://www.maroon.dti.ne.jp/rekikakyo/)をご覧ください。

■『総論:債務史研究*1の課題と展望』(井原今朝男*2
(内容要約)
・日本中世債務史を研究することによって、中世と近世以降の債務認識の違いがわかる。従来こうした債務認識の違いについては中世史研究において十分な理解が払われてこなかったのではないかと井原(以下、「井原以外」も全て敬称略)は考えている。
 つまり近世以降の債務認識は歴史的産物に過ぎず歴史的に一貫したものではない。なお、こうした井原指摘を「中世万歳」と曲解し、井原著書を読む価値がないとまで言った大屋某という者がいるがそれは大きな誤解であろう。
 井原は別に中世を万歳しているわけではない(ただし仮に万歳しているとしてもそれと「井原の中世認識」は全く別であり、中世万歳だから読む価値がないというのは暴論であろう)
・中世と近世以降の債務に関する違いとしては次の物があげられる。
1)律令法では公田の売買が禁止されていたため、中世では土地の移動は売買という形ではなく質流れという形で現れる。
2)なお、質流れが起こっても中世においては債務者の所有権は残存しており、質流れ後も弁済すれば質物を取り戻すことが出来た。
3)中世においては利子制限は「利子金額制限(利息は元本の半額を超えてはならない)」と言う形であり、一方近世以降においては「利子率制限」なので、利子総額が元本の半額を超えることは当然にあり得る。
4)中世においては百姓の負債は領主が弁済義務を負う


■『日本中世の契約社会における債権・債務文書』(村石正行*3
■『日本近世農村における債務と証文類』(荒木仁朗)
(内容要約)
 井原の問題提起を受ける形で、それぞれ中世(村井論文)、近世(荒木論文)における債務文書について論じている(内容についてはうまくまとまらなかったので省略、なお、荒木論文は近世は井原の指摘する「中世的な債務認識」はかなり姿を消しているが「質流れの取り戻し」などの中世的側面が完全に消滅したわけではなく過渡的な時期であったとしている)。


■『前近代社会における質屋と質業:比較史の試み』(マウロ・カルボーニ
(内容要約)
・今年二月に来日したカルボーニ氏(ボローニャ大学教授)が大阪市立大学で行った講演(http://www.ur-plaza.osaka-cu.ac.jp/2014/01/20140201.html参照)の抄録(翻訳は大黒俊二氏*4)。
・イタリアにおける公営質屋(モンテ・ディ・ピエタ、以下、ピエタと呼ぶ)は貧困者への低利貸付を行ったが、低利であるため、貸付資金の不足という問題点を抱えていた。
 この問題点をピエタは「富裕者への高利貸し付け」を行う事で解決した。高利貸し付けについては「(富裕者による貧困者への)施し」ということで正当化が図られた。


■『中世イタリア社会における債務の重み』(徳橋曜)
(内容要約)
 「フィレンツェ史」で知られるジョヴァンニ・カヴァルカンティが「税の滞納」で投獄されたことなどに触れ「中世イタリア社会」においては「債務不履行(カヴァルカンティの場合は税の滞納だがそれに限らず金銭債務の不履行)」が犯罪扱いされ、投獄などの厳しい措置が執られたことが指摘されている。


■「イベリア・インパクト論再考:イエズス会の軍事的性格をめぐって」(清水有子*5
(内容要約)
深谷克己*6の「イベリア・インパクト論」(深谷『東アジア法文明圏*7の中の日本史』(2012年、岩波書店))について筆者の意見が述べられている。 
 なお、深谷の「イベリア・インパクト論」については以下のエントリを参考に紹介しておく。

■保立道久*8の研究雑記『深谷さんの『東アジア法文明圏の中の日本史』と「史論史学」』
 http://hotatelog.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/post-112e.html

 保立は

イエズス会の動きに象徴されるようなイベリア・インパクトの危険性を強調し、それを秀吉の朝鮮侵略の(主観的な)国際的背景条件と結びつけるのは、平川新氏*9*10の議論に依拠したものである。
(中略)
 江戸時代の研究者には、イベリア・インパクトをここまで評価するのは異論があるらしい。スペイン、ポルトガルの世界征服計画、そのイエズス会との関係などを固定的にとらえることはできないというのであろう。この段階でイベリア諸国が東アジアに対する侵略と植民地化の道に具体的に進もうとしていたということはできない。彼らに、そこまでの実力はなかったのは事実であろう。

としているが、清水論文の内容も大筋ではそうした深谷批判、つまり保立の言う「異論」である。
 清水は「日本におけるイエズス会の中心人物」宣教師ヴァリニャーノが「日本征服論」について「現実性がない」として否定的であることをヴァリニャーノの書状などを元に指摘。イエズス会(スペイン勢力)に日本征服の意図や能力はなかったし、また日本側(秀吉政権)も「イエズス会に日本征服の意図や能力があった」とは認識していなかったと見る。
 深谷や平川が「イベリア・インパクト論」の前提とする高瀬弘一郎*11キリシタン時代の研究』(1977年、岩波書店)が「イエズス会の侵略性」として評価するものについても清水は以下の通り「イエズス会の武力性の過大評価」として高瀬を批判している。
1)ヴァリニャーノによるキリシタン大名有馬晴信*12の支援
 ヴァリニャーノは龍造寺隆信*13と対立する晴信の求めに応じ、1579年に「食料、金銭、鉛、硝石」を支援している。しかし、清水はこうした支援はあくまでも例外的措置でありヴァリニャーノにおいては
A)政治的対立に巻き込まれ被害を受けることを避けるために特定の戦国大名に荷担することはできるだけせず、なるべく中立を保つ
B)しかし中立を保つことによってかえって支援を要請した大名との関係が悪化しキリシタン弾圧などの恐れがある場合は、例外的に支援しても構わない
との考えだったとする。晴信支援においても硝石は「鉄砲に使う火薬の原料」ではあるが、それ以外(食料、金銭、鉛)は一般的物資であるし、「刀や弓矢、鉄砲などの武器支援」を露骨に実施していない点に注意すべきだと、清水は指摘する。
2)大友宗麟有馬晴信高山右近*14ら、キリシタン大名領内における神社仏閣の破壊
 清水は神社仏閣の破壊はあくまでも「キリシタン大名領内でしか見られないこと」を指摘、イエズス会の方針と言うよりは個々のキリシタン大名の個性によるものと評価する。
3)ヴァリニャーノによる長崎要塞化
 堺衆や一向衆門徒が領主から「軍事的に自立化していた」*15時代にあっては「長崎要塞化」は何ら不自然なものではないと清水は見る。
4)イエズス会宣教師ガスパール・コエリョの武力路線
 清水はコエリョが「フィリピンのスペイン総督に日本への軍隊派遣を要請したこと」は確かに事実だがそれがヴァリニャーノの路線から逸脱したものでありイエズス会の方針ではないとする。
・秀吉の明(中国)征服論*16と「日本の西洋との接触」に関係があると考えるにしてもそれは「スペインに日本征服の意図や能力があったこと」や「スペインにそのような意図や能力がなくても、少なくともそのように日本側(秀吉政権)が認識し警戒したこと」を前提とする「深谷流のイベリア・インパクト論」とは別の理論を持ち出すべきである。
 現時点では詳しく詰めた論ではないが、清水は「イベリア・インパクト(西洋との出会い)」が「明征服論」とつながりがあるというならば、「西欧との接触」により「中国を日本の上位と見る中世日本の伝統的価値観が相対化され」、そのことによって「明征服論が生み出された」と見るべきではないかとしている。

【追記1:平川新とイベリア・インパクト論】
「平川新、イベリア・インパクト」でググったらヒットした海津一朗氏*17のエントリを参考(?)に紹介しておく。

http://wakayamau.blog116.fc2.com/blog-entry-545.html
■『帝国の技法』 近世史サマーフォーラム2009
 昨年来、いわゆる「イベリア・インパクト」の研究動向が気になって仕方がなかった。倭寇研はじめ、その手がかりになりそうな学会に顔出し情報を集めていた。
(中略)
 そんな噂が届いたのか、奈良大に出講させてもらえることになった。「元寇でも倭寇でも(注:秀吉の)朝鮮出兵でも中世帝国日本を好きに話せ」とのご依頼。それで、木下光生氏*18から(注:イベリア・インパクト論について論じた平川論文「前近代の国家と外交」が掲載されている)近世史サマーフォーラム2009号を送ってもらった。
 和歌山周辺の近世史研究者は持っておらず、実物を見るのは初めてで、平川新氏「前近代の国家と外交」ようやく読めた(これも読まずにイベリアインパクトもあるかよ、と突っ込みましたか?深谷克己の紹介論文で読んだ気になっていた)。
(中略)
 私がなぜ平川説に魅かれるのか、ようやく理解できた。

【追記2:高橋裕史イエズス会研究】
 清水が「イベリア・インパクト論」批判の根拠として利用*19している高橋裕史イエズス会の世界戦略』(2006年、講談社選書メチエ)、『武器・十字架と戦国日本』(2012年、洋泉社)の書評エントリを参考に紹介しておく。

http://kousyou.cc/archives/6526
■『イエズス会の世界戦略』(2006年、講談社選書メチエ)
 イエズス会が海外布教を行う上で採った戦略が「適応主義政策accomodatio」と呼ばれる、異文化の尊重、現地の流儀に沿った対応であったという。東インド管区長で1579年に来日した宣教師アレッサンドロ・ヴァリニャーノは1580年に『日本人とヨーロッパ人との一致と隣人への教化のためには、我々が日本人の習慣を習得して遵守し、日本人の習慣を奇異に思ったり悪く言ったりしない』(121-122)と書いており、従来『ヴァリニャーノ一人のオリジナリティにもとづいた発案』(P120)とする定説があったが、ヴァリニャーノ来日以前の宣教師たちも『現地の「習慣」に適応した行動を実践していたことが確認』(P120)されており、むしろイエズス会全体の方針であったとされる。
 肉食を悪徳視する習慣に対応して肉を断ったり、日本人が形式美を非常に尊重する傾向があることを踏まえて、『教会と典礼が持つ意義を日本人に理解させることよりも、教会を清潔に保ち、美麗に飾り立て、キリスト教の諸典礼を抜かりなく執行すること、つまり、教会と典礼の「形式美」を優先』(P124)させたり、その他細かく会話や服の着方、食生活、礼儀作法などについて宣教師たちに学ばせていた。この適応主義政策は日本に限らずインドや中国など様々な布教地で実施されていたという。
(中略)
 (注:イベリア・インパクト論が主張する)「キリスト教勢力による日本の軍事征服」という脅威は現実のものであったのか、というと当時のイエズス会やその後ろ盾のポルトガルにそのような力は無かったと言える。まず本国ポルトガルは1580年にスペインに併合され、そのスペインもネーデルラント独立戦争*20(1568〜1648)の真っただ中で、さらにイングランドとも戦端を開き、アルマダの海戦(1588)で虎の子の無敵艦隊が壊滅、その後もアイルランドを巡る英西戦争*21(1585〜1604)とネーデルラント独立戦争の二正面作戦を強いられ、斜陽が明らかであった。欧州と南米の保護だけで手一杯なのだ。
 しかし、本国のことを出す必要は実は全くない。というのも当時の軍船は欧州から日本まで航海するような遠洋航海能力は持っていないからだ。

 適応主義の立場から考えても日本征服と言う事は考えがたいわけである。またイベリア勢力の国力的にもそれは無理であった。
ただしこの書評エントリに寄れば

 当時はこのような彼我の戦力差を冷静に判断できた者はおらず、一方で「キリスト教勢力による日本の軍事征服」という妄想が豊臣・徳川政権における脅威論となり、他方で軍事力行使による教勢の回復という空想的な軍事計画がイエズス会側で練られ、さらにそれが露見してより日本に警戒心を抱かせる。

ということで「深谷のイベリア・インパクト論を高橋が支持するかどうか」はともかく、高橋は「秀吉、家康のキリスト教禁止政策」を「イベリア・インパクト論」的な形(イベリア勢力の脅威への対応)で理解しているらしい。

http://blogs.yahoo.co.jp/nisuke999/14029477.html
■『武器・十字架と戦国日本』(2012年、洋泉社
 本能寺の変における「イエズス会黒幕説」*22について否の立場をとる著者*23が、当時のイエズス会や、ポルトガル、スペインなどを含むヨーロッパの大航海時代の各国の動向などを踏まえ、ヨーロッパ側からの視点でどうだったのかを読み解く内容です。
(中略)
 宣教師は、日本人が好戦的であり武器を大切に扱う*24のを看破して、布教許可を得るために領主へ武器を贈り物とするようになる。そこからイエズス会が仲介する形で武器貿易もはじまり、精神的、物理的迫害から身を守るため、借金の質として入手した長崎を武装・要塞化する。
 そこへ秀吉がやってきて・・・という流れだったと思います。
 結局ポルトガルは広大な領国を守るための軍事費がかさみ経済破綻し、また、軍人不足からくる軍人の質の劣化などから新興のイギリス、オランダに取って代わられます。江戸時代初期のころで、特に大阪の陣に家康が用いた大砲は、イギリス、オランダから輸入したものだそうです。
 秀吉の宣教師追放令は、南蛮人そのものを危険視したというよりは、自分の配下のキリシタン大名への宣教師の影響力の強さを改めて認識し、場合によっては宣教師の一存で全国のキリシタン大名が一致団結して反乱を起こすことを懸念したものだったとしています。
 で、本書の目的である本能寺の変の黒幕説ですが、そういう力はポルトガルイエズス会にはないのでありえない、という結びになっていたと思います。
 最後に、信長存命中に秀吉が南蛮人が攻めてくる(注:のではないかという)話を信長にしたところ、遠方からそんな大軍団が来るわけがないと一蹴したとの話がありました。
 流石現実主義者です。

 つまり「イエズス会に日本侵略と意図も能力もなく」、それは日本側も理解していたと言う事だろう(信長発言については清水も紹介している)。「日本がイベリア勢力を脅威と認識していた」と見なすhttp://kousyou.cc/archives/6526と大分、内容が違うように思うが、同じ高橋本とは言え、違う本だし、書評者も別人なので何とも評価に困る。なお、「イベリア・インパクト論」の厄介なところは「イベリア勢力の侵略の意図、能力だけ論じても駄目なところ」、つまり日本側の認識がどうだったかという所だろう。


【追記3:大屋某について】
井原先生の著書名『中世の借金事情』でググったらあの「悪名高い*25おおやにき」がトンデモ呼ばわりしてるらしい。いやちょっと待てよ!(キムタク風に)。
 大屋は「法哲学専攻」であって「日本中世史専攻」 じゃねえだろ。
 でアマゾンレビューを見たらやはり大屋の言いがかりらしい。大屋のバカは本当に一回痛い目にあった方がいいんじゃないの?

「読む価値も買う価値」もある 2010/1/8
By OH
 大屋氏が自身のブログで本書を痛烈に批判されているという事なので覗いてみました。
 (注:日本中世史の専門家ではない)法制度、法哲学の専門家である彼が中世法制度についてのこの著作をどのように「徹底的に論破」したのか興味があるところでしたが、まぁ「徹底的に論破」とは程遠い内容ですね。
 ブログの中で本書について6回にわたり評されております。(1)〜(4)までの中では井原氏の近現代の法制度及諸権利に対する認識の誤り、その浅さに対して批判されております。(注:素人なので何とも言えないがこの部分はおそらく)専門家の大屋氏の指摘の通りであろうが、これでは(注:現代法制度研究書ではなく中世法制度研究書である)この著作に対する根本的な批判になりえないんでないの?と思いつつ、いよいよ中世賃借関係の分析についての(5)へ。
 ここでは、井原氏が本書の中で「近代的な貸借関係と根本的に異なる中世的な貸借関係のあり方」を例をあげて説明された件について、大屋氏はこの中世的賃借関係は「使用収益権の移転だと理解した方が妥当なのではないか」と述べておられる。
 また中世におけるそれを「必ずしも常に借主保護として機能するとは言えない。むしろ封建制の基礎である土地所有の流動化・崩壊を防ぐための規制と考えた方が筋が通るだろうと思うのである」と述べておられる。
 そういった見方は(注:私見では)なかなか面白いし、充分アリであろう。
 しかし、あくまでこれは一つの「見方」「意見」「説」である。大屋氏も(注:自分の)専門分野についてである(4)までの威勢の良さはなりを潜め、上記のごとく「妥当なのではないか」「考えた方が筋が通るだろうと思うのである」と弱気である。
 ちなみに私は(注:中世的貸借関係に肯定的(井原氏)か否定的(大屋氏)かという結論に関係なく)近現代の価値観・概念を用いて過去の歴史的事象を評するのは謹むべきであると考える。
 ついに最終章(6)であるがここで大屋氏の正体が明らかとなる。
 この中で中世土地制度を「個々人の成功失敗や能力の有無をすべて無視し、かつて存在したような社会秩序を固定化するためのシステムだったのではないかということだ」と断じ(断じてはいないかw)、「近代以降の社会のどちらがより正義にかなっているか」「借金によって所有秩序の変動しない社会の方が望ましいと考えるのか」と問い、「リベラルである私としては「否、断じて否」と主張したいところなのである 」と信仰告白してしまう。
 これで「徹底的に論破」とは恐れ入る。
 結局はこれ*26は神学論争なのである。思想信条に由来する形而上の問題で結論などでる訳ないではないか。批判・論争は大いにケッコウであるが、この程度の批評能力で本書を「買ったり読んだりする価値のまったくない本」と断じるのはイタすぎでしょう。

 まあねえ、問題はこのアマゾンレビューが言うように「井原氏の中世借金事情についての価値評価よりもむしろ」、井原氏の中世借金事情についての事実認識ですからね。事実認識に問題がないのなら*27「仮に価値評価に何らかの問題があるとしても」読む価値がない呼ばわりするのは暴論だろうし、そもそも価値評価にしたってそうそう簡単に「俺が正しい」って言えるもんじゃないわけです。


【広告】
■平山優*28『検証・長篠合戦』(吉川弘文館歴史文化ライブラリー)
・既に「三段撃ちは後世の創作」というのは素人の俺すら知ってるほど、有名なので「検証がそれ止まり」だとちょっと買う気や読む気をそそられない。「長篠合戦が織田氏や武田氏に与えた影響」「三段撃ち虚構を前提にした場合、敗戦理由をどう見るべきか」とか別のネタがないとなあ。その当たりがどうなってるか。


■手嶋泰信*29『海軍将校たちの太平洋戦争』(吉川弘文館歴史文化ライブラリー)
 アマゾンの宣伝文句曰く『国家のエリートだった海軍将校たちはなぜ無謀な戦争を実行したのか。』
 まあ、太平洋戦争開戦決定は「陸軍、外務省など政府機関一丸となって」のわけですが、「海軍が戦争に賛成した論理」に特にスポットを当ててるんでしょう。読まないと何とも言えないが「いわゆる日独伊三国同盟、対英米戦反対派(米内光政*30、井上成美*31山本五十六*32」をネタにした「通俗的な海軍美化論」への批判なのかな?


村瀬信一*33『首相になれなかった男たち:井上馨、床次竹二郎、河野一郎*34』(吉川弘文館
 まあ、「首相になれなかった有力政治家」というのは他にも小生が知ってる人間としては宇垣一成*35とか大野伴睦*36とか、いろいろいるわけで、「読めば分かる」のでしょうが、村瀬氏のセレクト理由は何なのだろうなあとは思います。

井上と床次について以下の通り紹介しておきましょう。

井上馨(ウィキペ参照):
・第1次伊藤*37内閣外相、黒田*38内閣農商務相、第2次伊藤内閣内務相、第3次伊藤内閣蔵相などの要職を歴任。元老の一人。
・第4次伊藤内閣崩壊後、大命降下を受けて組閣作業に入ったが、大蔵大臣に渋沢栄一を推したところ断られ、渋沢抜きでは政権運営に自信が持てないと判断した井上は大命を拝辞。第1次桂*39内閣が成立した。(なお第2次伊藤内閣内務相時代、伊藤が交通事故で重傷を負ったため井上が2か月余り総理臨時代理を務めている)。

床次竹二郎(ウィキペ参照):
・原*40、高橋*41内閣内務相、犬養*42内閣鉄道相、岡田*43内閣逓信相を歴任。岡田内閣逓信相在任中に病死。
・清浦*44内閣支持*45を巡って立憲政友会総裁・高橋是清と対立、1924年立憲政友会を離党し、政友本党を結成、床次が党首に就任した。
政友本党は伸び悩み、床次は「1927年、憲政党と合同し、立憲民政党結成、床次が顧問に就任」→「1928年に立憲民政党を離党し新党倶楽部を結成、床次が党首に就任」→「1929年、立憲政友会に復帰」→「1934年、岡田内閣逓信相就任を理由に政友会除名」という動きを見せたが、ついに首相にはなれなかった。

なお、村瀬氏と言えば過去にこんな記事が出ています。学者としての能力はともかく、政治的には相当怪しい人間なのでしょう(太字強調は小生による)。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-10-14/2007101402_04_0.html
赤旗文科省の教科書調査官、採用ルート“闇の中”』
 高校日本史の教科書検定で、沖縄戦での「集団自決」に日本軍の強制があったとする記述が削除されたのは、文科省の教科書調査官が作成した調査意見書が発端だった。
 日本共産党赤嶺政賢衆院議員の質問で判明したこの事実は、改めて制度そのものへの疑問を投げかけています。中立・公正とは到底言えない人物が、なぜ教科書調査官を務めているのか―。
 教科書調査官は文科省の常勤職員で、初等中等教育局に五十八人置かれることになっています。一般の国家公務員のような採用試験はなく、大学の助手や助教授などから文科相が任命します。
 任免・採用ルートは“闇の中”です。文科省教科書課によると、「定年退職者が出たら、その分野の調査官OBや学会の関係者、教科書検定調査審議会の委員などから推薦をいただくような形になっている」とのこと。文科省とつながりのある個人の口利きだというわけです。
 子どもと教科書全国ネット21の俵義文*46事務局長は「関係学会の推薦を義務付けるなど、最低限その程度の公開性、公平性を持たせるべきだ」と指摘します。
 今回問題となった沖縄戦についての検定意見原案を作った調査官は、日本史担当の村瀬信一氏です。主任調査官は照沼康孝氏。いずれも伊藤隆*47東大名誉教授の教え子です。
 伊藤氏は扶桑社版『新しい歴史教科書』の執筆・監修者です。現在は「新しい歴史教科書をつくる会」理事を降り、安倍晋三前首相のブレーンだった八木秀次*48らの「改正教育基本法に基づく教科書改善を進める有志の会」に参加しています。
 伊藤門下生が歴史認識の問題で物議を醸した例は過去にもありました。一九九八年に高知大教授から主任教科書調査官に転身した福地惇*49(現「つくる会」副会長)です。福地氏は現職の調査官でありながら検定最中に雑誌に登場し、「教科書検定のときに近隣諸国条項というのがあって、日本は侵略戦争をして悪かったと書いていないとまずい。そういうがんじがらめの体制になっている」などと攻撃しました。マスコミが大きく報じ、批判の世論が高まる中、文部省は同氏を解任せざるを得ませんでした。

*1:債務史研究とはなっていますが、井原氏が日本中世史家と言うこともあって論文の内容は日本中世史をベースにしたものとなっています。

*2:著書『中世の借金事情』(2008年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、『ニッポン借金事情』(2009年、NHK出版・知る楽シリーズ)、『日本中世債務史の研究』(2011年、東京大学出版会

*3:著書『中世の契約社会と文書』(2013年、思文閣出版

*4:著書『嘘と貪欲:西欧中世の商業・商人観』(2006年、名古屋大学出版会)

*5:著書『近世日本とルソン:「鎖国」形成史再考』(2012年、東京堂出版

*6:著書『江戸時代』(2000年、岩波ジュニア新書)、『江戸時代の身分願望:身上りと上下無し』(2006年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、『田沼意次:「商業革命」と江戸城政治家』(2010年、山川出版社日本史リブレット人)、『死者のはたらきと江戸時代:遺訓・家訓・辞世』(2013年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)など

*7:「東アジア法文明圏」とは深谷による造語でありそれ自体議論の余地がある概念であることに注意が必要。

*8:著書『平安時代』(1999年、岩波ジュニア新書)、『義経の登場:王権論の視座から』(2004年、NHKブックス)、『かぐや姫と王権神話:「竹取物語」・天皇・火山神話』(2010年、洋泉社新書y)、『歴史のなかの大地動乱:奈良・平安の地震天皇』(2012年、岩波新書)、『物語の中世:神話・説話・民話の歴史学』(2013年、講談社学術文庫)など

*9:著書『紛争と世論:近世民衆の政治参加』(1996年、東京大学出版会)、『近世日本の交通と地域経済』(1997年、清文堂出版)、『開国への道』(2008年、小学館)など

*10:清水論文も深谷説が平川に依拠しているとしている。

*11:著書『キリシタンの世紀:ザビエル渡日から「鎖国」まで』(2013年、岩波人文書セレクション)など

*12:キリシタン大名大友宗麟大村純忠と共に天正遣欧少年使節を派遣した事で知られる。後に岡本大八事件により死罪。なお、晴信の後は息子の直純が継ぎ、有馬氏の改易は免れた。

*13:島津・有馬連合軍との沖田畷の戦いで戦死。これにより九州の覇者は島津氏となった。また龍造寺家は衰退し、鍋島氏が実権を握ることとなる。

*14:徳川家康によるキリシタン国外追放令によりマニラへ移住。その地で死去。

*15:最終的には大名に屈服させられるが

*16:結果的には明征服など出来ず朝鮮侵略にとどまったが

*17:著書『神風と悪党の世紀:南北朝時代を読み直す』(1995年、講談社現代新書)、『蒙古襲来:対外戦争の社会史』(1998年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、『楠木正成と悪党:南北朝時代を読みなおす』(1999年、ちくま新書)など

*18:著書『近世三昧聖と葬送文化』(2010年、塙書房

*19:高橋がイベリア・インパクト論を批判しているわけではない。

*20:ネーデルラントとはオランダのこと。オランダがスペインに勝利し独立を達成した。

*21:ウィキペディアに寄れば引き分け(あえて言えばスペイン優位だが)の形で終了。

*22:立花京子『信長と十字架:「天下布武」の真実を追う』(2004年、集英社新書)がこの説のようだが支持者が多いとは到底言えない。黒幕説自体、支持者は少ないと思うがその中でもかなり支持者の少ないトンデモ説の部類だろう。

*23:高橋のこと

*24:当時は戦国時代ですからね

*25:最近の大屋批判としてはたとえば、法華狼の日記『百田尚樹NHK経営委員の問題について、報道がほとんどなかっただけで判断を誤り、それを批判されたらアナクロニズムと言い返した大学教授』(http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20140307/1394202399)、『従軍慰安婦問題についての朝日検証を読んでなお、朝日新聞の影響力を大きく見積もる人々』(http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20140816/1408234246)、『きちんと明記したことを気づいていないと反応されて困惑した』(http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20140818

*26:大屋の論争態度のこと

*27:少なくとも「明らかに間違いとまでは言えない」のなら

*28:著書『武田信玄』(2006年、 吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、『山本勘助』(2006年、講談社現代新書)、『真田三代』(2011年、PHP新書)、『長篠合戦と武田勝頼』(2014年、吉川弘文館)など

*29:著書『昭和戦時期の海軍と政治』(2013年、吉川弘文館

*30:林、近衛、平沼、小磯、鈴木、東久邇、幣原内閣で海軍大臣

*31:米内海軍大臣(林内閣)時代に海軍軍務局長。その後、海軍航空本部長、第四艦隊司令長官、海軍兵学校長などを経て米内海軍大臣(小磯内閣)時代に海軍次官

*32:米内海軍大臣(林内閣)時代に海軍次官、その後、連合艦隊司令長官

*33:著書『帝国議会改革論』(1997年、吉川弘文館)、『明治立憲制と内閣』(2011年、吉川弘文館

*34:鳩山内閣農林相、岸内閣経済企画庁長官、自民党総務会長(岸総裁時代)、池田内閣建設相などを歴任

*35:清浦、加藤、浜口内閣陸軍大臣朝鮮総督、近衛内閣外相を歴任

*36:吉田内閣北海道開発庁長官、自民党副総裁(鳩山総裁時代、池田総裁時代)など歴任

*37:首相、枢密院議長、貴族院議長、韓国統監の要職を歴任。元老の一人。韓国の独立活動家・安重根によって暗殺される。

*38:第1次伊藤内閣農商務相、第2次伊藤内閣逓信相、首相、枢密院議長などの要職を歴任。元老の一人。

*39:台湾総督、第3次伊藤、第1次大隈、第2次山県、第4次伊藤内閣陸軍大臣を経て首相

*40:伊藤内閣逓信相、西園寺、山本内閣内務相を経て首相。首相在任中に暗殺される

*41:山本、原内閣蔵相を経て首相。首相退任後も、田中、犬養、斎藤、岡田内閣で蔵相。蔵相在任中に226事件で暗殺される

*42:大隈内閣文相、加藤内閣逓信相などを経て首相。515事件で暗殺される。

*43:田中、斎藤内閣海軍相を経て首相

*44:松方、山県、桂内閣司法相、枢密院議長などを経て首相

*45:床次は清浦支持派、高橋は不支持派

*46:著書『ドキュメント 「慰安婦」問題と教科書攻撃』(1997年、高文研)、『「つくる会」分裂と歴史偽造の深層:正念場の歴史教科書問題』(2008年、花伝社)など

*47:著書『近衛新体制:大政翼賛会への道』(1983年、中公新書)、『評伝笹川良一』(2011年、中央公論新社)など

*48:つくる会会長、現在、日本教育再生機構理事長、第二次安倍内閣教育再生実行会議委員。著書『明治憲法の思想:日本の国柄とは何か』(2002年、PHP新書)、『本当に女帝を認めてもいいのか』(2005年、洋泉社新書y) など

*49:著書『明治新政権の権力構造』(1996年、吉川弘文館