・詳しくは歴史科学協議会のホームページ(http://www.maroon.dti.ne.jp/rekikakyo/)をご覧ください。うまく紹介できないので多くにおいて、論文タイトルのみ紹介しておきます。
特集『教育・教育改革の危機と歴史教育の課題』
■新自由主義改革と歴史教育の課題(近藤孝弘*1)
■「特別の教科・道徳」の危険性と向き合う(神代健彦*2)
■社会科歴史教育論から見た新学習指導要領(鈴木哲雄*3)
(内容紹介)
新学習指導要領が「主体的・対話的で深い学び(アクティブ・ラーニング)」や「アイヌ文化の学習」を掲げていることに一定の評価をしている。
なお、最近の研究成果として梅野正信*4『社会科歴史教科書成立史』(2004年、日本図書センター)、加藤章『戦後歴史教育史論』(2013年、東京書籍)が紹介されている。
参考
http://narui.blog.so-net.ne.jp/2014-08-19
■戦後歴史教育史論
加藤章『戦後歴史教育史論』(東京書籍)読了。
元上越教育大学学長、元盛岡大学学長で、社会科歴史教育の研究者である加藤章の、論文と講演会記録をまとめた本。
(中略)
この本を読めば、日本の学校教育における、日本史の授業の変遷がよくわかる。
今回初めて知ったのだが、終戦直後、アメリカGHQは、学校で日本史を教えることを禁じた。
それまでの日本史は、皇国史観に基づいていて、記紀神話までも史実として教えていたのだ。
日本の歴史教育学者たちは、皇国史観を払拭した、新たな日本史教科書を作るため、奮闘する。
その様子はまるでプロジェクトXのよう。
一般書と専門書の間ぐらいの本で、少々難しい部分もあったが、とても勉強になった。
■高校世界史のゆくえ(日高智彦)
(内容紹介)
最近の研究成果として米山宏史『未来を切り拓く世界史教育の探求』(2016年、花伝社)、田尻信壹『探究的世界史学習の創造』(2013年、梓出版社)、『探究的世界史学習論研究』(2017年、風間書房)が紹介されている。
参考
http://zep.blog.so-net.ne.jp/2014-01-07
■田尻信壹『探究的世界史学習の創造』(梓出版社)
本書の「おわりに」の記述では、高校における世界史授業の現状が的確に指摘されています。曰く「知識獲得型の講義授業と探究的学習とは二者択一の問題ではなく、両者のバランスを図りながら相互補完的に実施されるべきである」「探究的な学習単元は知識獲得型の授業とのバランスの上に実施されるべきであり、その頻度も学校や生徒の実態に応じて検討されなければならない」、と。知識獲得型の講義授業は、「現状ではやむなし」ではなく、「探究的学習を行う上で必要」であるという考え、私も同意見です。私がモンゴル帝国に関する授業で構想したことは、まさに田尻先生が述べておられる「探究による知識の成長」でした(全国社会科教育学会編著『中学校・高校の優れた社会科授業の条件』明治図書に収録)。この点で、講義ベースの授業記録である小川幸司先生の『世界史との対話』*5と、探究型の学習を提案する本書は、世界史授業における車の両輪なのではないでしょうか。
■「もやい直し」の経験を考える(坂本敦)
(内容紹介)
吉井水俣市長(当時)の主張した「もやい直し」を歴史学上、どう理解するかという話ですが、まあ難しい話ですね。水俣病は未だ「過去の歴史になってない」からです。手放しで「もやい直し」論を評価することも難しいでしょう。
参考
■もやい直し(コトバンク参照)
「もやう」とは船と船をつなぎ合わせること。「ばらばらになってしまった心のきずなをもう一度つなぎあわせる」という意味の造語で、水俣病被害者が提唱し始めたとされる。吉井正澄*6・水俣市長が使うようになって広まり、水俣地域再生の合言葉のように使われている。
https://www.nishinippon.co.jp/wordbox/article/464/
■西日本新聞「もやい直し」
「患者とチッソの対立」のほか、「患者と市民のあつれき」「患者団体間の分裂」、またチッソの組合分裂がもたらした市民、地域間の亀裂など、水俣では長く対立の図式が重層を成していた。 水俣湾の埋め立て地が完成し、水俣病訴訟で和解勧告が出始めた1990年ごろから患者、市民双方に水俣病の解決と地域の再生を望む声が高まり、両者が共同で集会などを開くようになった。1994年に市長に就任した吉井正澄氏は、同年の慰霊式で市長として初めて「十分な対策がとれなかった」と謝罪。船同士をつなぎ合わせる「もやう」の言葉から「もやい直し」を掲げ、患者団体との融和や地域再生を積極的に進めた。
https://mainichi.jp/articles/20160306/ddl/k43/040/166000c
■毎日新聞・「もやい直し」の今:水俣病公式確認60年 連続インタビュー3(JNC*7労組水俣支部長・松村英司さん(41))
県外からチッソに入社して水俣市で20年近く生活してきた一人の市民として見た時、「もやい直し」が何を目的にどうやって進められ、どうなった時が「もやい直し」と言えるのか、よく分からないという印象だ。
このキーワードが広く使われ始めた時の考え方は否定されるものではないと思うが、いろいろな人がそれぞれの解釈で動いてきたのが実態だと思う。だからバラバラに見える。行政の関係者には「もやい直し」の定義は何なのか、それをちゃんと市民に伝えているのかを聞いてみたい。
https://mainichi.jp/articles/20160307/ddl/k43/040/166000c
■毎日新聞・「もやい直し」の今:水俣病公式確認60年 連続インタビュー4(フクダライズファーム代表取締役・福田浩樹さん(35))
自分の親たちの世代では、対立というかナイーブな問題があったと思うが、僕たちの世代はそうした時代のことを自分の目で見ておらず、リアリティーが薄れてきていると思う。若い人たちで集まって話をする中で「もやい直し」という言葉が出てくることはほとんどない。「もやい直しをしなければいけない」という意識より、地域の過疎や子育て、教育、経済の方が目の前の課題になっている。
被害者の方と接する場面でも、強く意識することはしない。
■歴史の眼「憲法と政治の相克:首相大権化した衆議院解散権の課題」(加藤一彦*8)
(内容紹介)
安倍の「加計森友隠し解散」を批判し、解散権に対する制約の必要性を主張している(また、解散権制約に触れるにおいて、いわゆる「69条限定解散説」とその結果、生じたいわゆる「なれ合い解散」や「苫米地事件(苫米地訴訟)」についても簡単に触れている)。ただし、「解散権に対する制約」を法的制約(憲法改正)とすべきか、「政治的制約にとどまるのか」など詳細については筆者は明確に意見を述べていない。
現状において、九条改憲論に悪用される事への危惧、警戒があるとみられる。
参考
■なれ合い解散(ウィキペディア参照)
1948年10月15日に第2次吉田内閣が成立した時、与党が少数派であり政権基盤が脆弱であった。そのため、吉田は解散総選挙をして政権基盤の強化をはかろうとした。しかし、日本国憲法第69条で内閣不信任可決による解散が明記されており、不信任案可決なしで解散ができるのかという問題が発生していた。
吉田内閣は日本国憲法第7条第3号に衆議院解散の旨が記載されているため、69条所定に限定されず、不信任可決決議なしで衆議院解散ができると立場を取っていた(いわゆる7条解散説)。一方、野党は衆議院解散は69条所定に限定されるとし、不信任可決なしで衆議院解散はできないとの立場(いわゆる69条限定解散説)を取り、対立していた。
当時の日本はGHQ施政下にあったが、GHQは69条所定の場合に限定する解釈を取った。そのため妥協案として与野党がともに内閣不信任決議に賛成して可決させた上で、衆議院を解散するという方法を取った。この時の解散詔書には、「衆議院において内閣不信任の決議案を可決した。よって内閣の助言と承認により、日本国憲法第六十九条及び第七条により、衆議院を解散する。」と記載された。
このように、与野党のシナリオどおりに解散されたという経緯から、世間はこの解散を馴れ合い解散と呼ぶようになった。
ただし「なれ合い解散」の次の解散である、1952年のいわゆる「抜き打ち解散」では吉田首相は7条解散説によって不信任案可決なしでの解散を強行した。この解散は「自由党内反吉田派」で、吉田の政権運営にことあるごとに抵抗する自由党・鳩山一郎派に打撃を与えようとする目的であったとされる。
なお、「抜き打ち解散」について野党・国民民主党*9(当時)の議員であった苫米地義三*10が違憲無効を理由に、衆議院議員資格の確認と歳費請求を求めて裁判を提起した(いわゆる苫米地事件)が、最高裁大法廷は、高度の政治性があり裁判所の審査権外であること(いわゆる統治行為論)を理由に憲法判断をしなかった(いわゆる苫米地事件判決)。
その後は7条解散説に基づく解散が特段の争いなく争いなく行われるようになる。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2018020701374&g=pol
■時事通信『解散権制約は不要=共産・小池氏』
共産党の小池晃書記局長は7日夜のBSフジの番組で、憲法改正によって首相の衆院解散権を制約する案について「(ボーガス注:加計森友隠し解散のような)党利党略の解散は問題だが、有権者がその解散に正当性があるかどうかを選挙で判断すればいい。改憲の必要はない」と指摘した。解散権の制約は立憲民主党が提唱している。
*1:著書『ドイツ現代史と国際教科書改善』(1993年、名古屋大学出版会)、『国際歴史教科書対話:ヨーロッパにおける「過去」の再編』(1998年、中公新書)、『自国史の行方:オーストリアの歴史政策』(2001年、名古屋大学出版会)、『歴史教育と教科書:ドイツ、オーストリア、そして日本』(2001年、岩波ブックレット)、『ドイツの政治教育:成熟した民主社会への課題』(2005年、岩波書店)、『政治教育の模索:オーストリアの経験から』(2018年、名古屋大学出版会)など
*2:著書『道徳教育のキソ・キホン:道徳科の授業をはじめる人へ』(編著、2018年、ナカニシヤ出版)
*3:著書『社会史と歴史教育』(1998年、岩田書院)、『中世日本の開発と百姓』(2001年、岩田書院)、『中世関東の内海世界』(2005年、岩田書院)、『香取文書と中世の東国』(2009年、同成社)、『平将門と東国武士団』(2012年、吉川弘文館)、『社会科歴史教育論』(2017年、岩田書院)
*4:著書『和歌森太郎の戦後史:歴史教育と歴史学の狭間で』(2001年、教育資料出版会)など
*5:2011年、地歴社
*6:水俣市議(1975〜1994年)、水俣市長(1994〜2002年)を歴任。著書『「じゃなかしゃば」 新しい水俣』(2016年、藤原書店)など
*8:著書『政党の憲法理論』(2003年、有信堂高文社)、『議会政治の憲法学』(2009年、日本評論社)
*9:委員長が苫米地、幹事長が三木武夫(後に首相)という保守政党。
*10:日本進歩党(幣原喜重郎が総裁)、民主党(芦田均が総裁)、国民民主党(苫米地が委員長)、改進党(重光葵(鳩山内閣で外相)が総裁)、日本民主党(鳩山一郎が総裁)、自由民主党に所属。片山内閣運輸相、芦田内閣官房長官など歴任