今日のMSN産経ニュース(5/16分その2)(追記・訂正あり)

■【産経抄】元祖あっぱれな会社 5月16日
http://sankei.jp.msn.com/economy/news/140516/biz14051603320030-n1.htm

 昭和34年、養護学校の教師が2人の女学生を働かせてほしいと依頼してきたことがきっかけだった。「2週間だけなら」と、当時の専務は引き受ける。2人は任されたラベル貼りの仕事に、一心不乱に取り組んだ。
 ▼明日で職場体験が終わるという日、数人の社員が専務の部屋に来て訴えた。「あの子たちを正社員として雇ってください。私たち全員がカバーします」。以来、知的障害者を採用するようになり、現在では社員の約7割を占める。
 ▼川崎市にある「日本理化学工業」は、鳩山由紀夫元首相が所信表明演説で「友愛社会」の例として紹介し、すっかり有名になった。この会社のもう一つの自慢は、黒字経営を続けていることだ。月刊誌「望星」*16月号が、日本の「あっぱれな会社」を紹介する特集記事で知った。

・この場合の「あっぱれ」とは「障害者雇用」とか何らかの理念がある場合であって単に儲かってるだけでは、つまり「ワタミみたいなブラック企業」では対象外でしょう。
鳩山首相を取り上げるときは「ルーピーだ何だ」とバカにすることが習い性になってる産経が珍しくまともです。
まあこの文脈で「何が友愛だ」とか抜かしたら単にキチガイですが。
ちなみに小生はこの企業のことを「所信表明演説で取り上げてた」とは愚かにも知らなかった。世間的には有名なんですかね、どうなんでしょうか?。
せっかくなのでここで紹介しましょう(ただし残念ながら所信表明演説には会社名は出てきません)。

http://www.kantei.go.jp/jp/hatoyama/statement/200910/26syosin.html
 先日、訪問させていただいたあるチョーク工場のお話を申し上げます。
 創業者である社長は、昭和三十四年の秋に、近所の養護学校の先生から頼まれて二人の卒業生を仮採用しました。毎日昼食のベルが鳴っても仕事をやめない二人に、女性工員たちは「彼女たちは私たちの娘みたいなもの。私たちが面倒みるから就職させてやってください」と懇願したそうです。そして、次の年も、また次の年も、養護学校からの採用が続きました。
 ある年、とある会でお寺のご住職が、その社長の隣に座られました。
 社長はご住職に質問しました。
「文字も数も読めない子どもたちです。施設にいた方がきっと幸せなのに、なぜ満員電車に揺られながら毎日遅れもせずに来て、一生懸命働くのでしょう?」
 ご住職はこうおっしゃったそうです。
「ものやお金があれば幸せだと思いますか。」続いて、
「人間の究極の幸せは四つです。
愛されること、ほめられること、役に立つこと、必要とされること。
働くことによって愛以外の三つの幸せが得られるのです。」
「その愛も一生懸命働くことによって得られるものだと思う」、これは社長の実体験を踏まえた感想です。
 このチョーク工場は、従業員のうち七割が「障がい」という「試練」を与えられた、いわば「チャレンジド」の方々によって構成されていますが、粉の飛びにくい、いわゆるダストレスチョークでは、全国的に有名なリーディングカンパニーになっているそうです。障がいを持った方たちも、あるいは高齢者も、難病の患者さんも、人間は、人に評価され、感謝され、必要とされてこそ幸せを感じるということを、この逸話は物語っているのではないでしょうか。

まあ、いい話だと思います。でふと思ったんですが鳩山氏が「友愛社会」。菅氏が「最小不幸社会」とそれなりにまともな事言ってたけど安倍ってそういうのあったかなと。

ソニーの決算が、2年続けて500億円の赤字となる見込みだと、昨日の小紙の1面が伝えていた。ライバルの電機大手はいずれも黒字を確保しているだけに、余計にソニーの低迷が目立つ。

ソニーも本当どうなるんですかね。そういえばシャープってどうなったんでしたか?

根っからの技術者だった井深さんは一方で、幼児教育や障害者支援に情熱を傾けた。ソニーが早くから障害者を積極的に採用してきたのは、その理念によるものだ。

それは知りませんでした。
ウィキペ「井深大」から関連記述を引用しておきます。

ウィキペ「井深大
■社会貢献活動
・教育活動
 教育活動に熱心にとりくみ、1969年(昭和44年)に幼児開発協会、1972年(昭和47年)にソニー教育振興財団を設立し理事長に就任。また、1985年(昭和60年)にはボーイスカウト日本連盟理事長にも就任している。教育の持論は「この人の能力はこれだけだと決め付けていたらその人の能力は引き出せません。」だった。
社会福祉
 一方で、井深の次女に知的障害があったことはあまり知られていない。しかし次女との関係を通じて、障害者が自立出来る社会を経営者の立場から考えていた。それがきっかけとなり、1978年に大分県身体障害者が働ける工場『ソニー太陽』が建設された。また、生産施設を備えた社会福祉法人「希望の家」(栃木県鹿沼市)への支援も行った。

*1:東海大学出版部が発行。公式サイトhttp://www.tokaiedu.co.jp/bosei/index.html