珍右翼・高世仁に悪口する(2023年7/22日分)

「人生の目的はしあわせ」でいいのか3 - 高世仁のジャーナルな日々
 珍右翼・高世仁に悪口する(2023年7/21日分) - bogus-simotukareのブログで批判した「人生の目的はしあわせ」でいいのか2 - 高世仁のジャーナルな日々の続きです。

 発信内容が「事実」だと訴えられないと誤解している人もいるが、例えば、「Aさんはハゲ、デブ、チビ三拍子そろった希少種です」などという投稿の場合、指摘されたAさんが髪が薄い、太っている、背が低いとすべて「事実」であるとしても、誹謗中傷*1であることは明らかで訴えることができる

 これはその通りで「事実」であっても「公益目的」が認められないと名誉毀損が成立します。
 その意味では「政治家の不倫報道」ならともかく「芸能人の不倫報道」は果たしてマスコミについて「公益目的が認められ、名誉毀損が成立しないと言えるか」疑問に思います。

 ビクトール・フランクル*2は、「しあわせは、けっして目標ではないし、目標であってもならないし、さらに目標であることもできません」とし、しあわせは「結果にすぎないのです」と続ける。
 また、「私たちが『生きる意味があるか』と問うのは、はじめから誤っているのです。つまり、生きる意味を問うてはならないのです」に続けて、「人生こそが問いを出し私たちに問いを提起しているからです。私たちは問われている存在なのです。私たちは、人生がたえずそのときそのときに出す問い、『人生の問い』に答えなければならない、答えを出さなければならない存在なのです」と主張している。

 高世はこの種の「哲学ごっこ」が好きなようですが、俺は逆に「無意味な言葉遊び」的で嫌なのですが私見を書いておきます。
 まず「人生の目的」が「幸せ追求」で何が悪いのか全く分かりません。
 勿論「幸せ=生きがい、生きる意味」は人ぞれぞれでしょう。「幸せ追求=生きる意味」は「個人個人で違う」と言う意味では高世が紹介するフランクルが言うように「幸せ追求=生きる意味を探すこと=人生の問いに日々、答えを出すこと」でしょう。
 勿論「生きる意味」は人生経験によって変わりうる。例えば就職すれば「生きる意味の一つ」は「仕事」になるかもしれない。結婚してこどもができれば「生きる意味の一つ」は「妻子の幸せ」になるかもしれない。
 仕事も「Aという職に就いたが、様々な理由からBと言う仕事に変更すれば(例えばプロ野球選手引退後、うどん屋を始めた元巨人の條辺)」、「生きる意味としての仕事」は変化する。
 いずれにせよ、それは1)「人生の目的」が「幸せ追求」ではいけないということではないし、2)「幸せ追求」が「人生の問いに答えること」と矛盾したり対立したりするわけでもない。
 勿論「幸せ(例:仕事の成功)を追求したが何らかの理由で成果を全く上げず、あるいは中途半端な形でしか上げずに挫折した(場合によってはその挫折は自殺、他殺*3、事故死、病死*4といった死のこともある)」から無意味だった、そもそも「幸せを追求すべきではなかった」ということでもない。
 「幸せ追求=人生の問いに答えること」で何が悪いのか。そもそも「幸せは結果にすぎない」というのも「はあ?」です。
 幸せが「仕事の成功」であれ「趣味の実現」であれ何であれ、それは通常、「幸せを目的としてそう動くから」実現するわけです。
 「わらしべ長者」のように「特に意図してなかったが結果として幸せになった」なんてことはまずない。
 まあ、「幸せ追求」が目的だと「重病で余命幾ばくもない」「(フランクルのように)ナチ強制収容所に収容されて生きて出られるか分からない(フランクルは生きて出られたが多くの人間は虐殺されたり劣悪な環境で病死したりした)」「(徳田球一*5宮本顕治*6、南アのマンデラ*7ら)政治犯として刑務所にぶちこまれいつ解放されるか分からない」等の場合「幸せ追求など今更できるのか」ということでフランクルなどは「生きることそれ自体に意味があるかのような問題設定」をするのかもしれませんが、やはりそれでも「最後まで可能な範囲での幸せ追求をすべきだろう」と思います。
 そもそも「幸せ追求などできそうにない悲惨な状況」で「幸せ追求などしなくていい、生きるだけで意味がある」で本当に人は救われるのか?。多くの人は救われない気がしますが。
 強制収容所について言えば「可能な限りの努力をして生還を目指す(レアケースとはいえフランクルのような生還者もいる)」「たとえ死が確実でも、最後まで(自分の美意識的な意味で)美しい生き方をしたい」というのは「ある種の幸せ追求」ではないのか。

【参考:松本清張『「或る「小倉日記」伝」』】

松本清張「或る「小倉日記」伝」社会的弱者と生きることの意味|文芸スノッブ
 『或る「小倉日記」伝』は、『三田文学』1952年(昭和27年)9月号に発表された短編小説である。
 この年、著者は43歳だった。
 1953年(昭和28年)、第28回芥川賞受賞*8(同じく直木賞候補作)。
 短編小説だが、非常に読み応えのある物語だった。
 ストーリーの骨格としては、北九州の小倉に住む若者が、森鷗外の『小倉日記』で空白となっている三年間の謎を追うという至ってシンプルなものだが、そこに肉付けされた物語が凄い。
 主人公<田上耕作>の母親<ふじ>は、若い頃、皇族が嫁に欲しいと言ったくらいの美女だったが、家庭の事情から父親の甥と結婚する。
 ところが、二人の間に生まれた子どもは、言葉と片足の不自由な障害者だった。
 耕作の父親は、彼が十歳のときに病死したから、以来、母親のふじは、シングルマザーとして障害のある息子を献身的に支え続ける。
 しかし、戦後の食糧不足の中、耕作の障害はますますひどくなり、困窮する生活の末に耕作は母親を残し、41歳で亡くなった。
 障害者、シングルマザー、貧困家庭という社会的弱者が、必死に生きる姿がそこに描かれているのは、果たして偶然だったのだろうか。
 主人公の耕作が生涯をかけて探し続けていたのが、『小倉日記』の空白の三年間だった。
 作中、耕作は、自分のやっている調査に、何度も疑問を持つ。

 こんなことを調べまわって何になるのか。一体意味があるのだろうか。空疎な、他愛もないことを自分だけが物々しく考えて、愚劣な努力を繰り返しているのではないか。(松本清張「或る「小倉日記」伝」)

 それは、この世に生きる者の誰もが、生涯に何度も出会う虚無感ではなかっただろうか。
 この小説のテーマは、単刀直入に言って「生きることの意味」である。
 人は何のために生きるのかということの謎が、『小倉日記』の空白を探し続ける障害者の姿によって描かれているのだ。

*1:刑法上の用語は名誉毀損

*2:1905~1997年。精神科医。著書『生きがい喪失の悩み』(講談社学術文庫)、『時代精神の病理学』、『死と愛:ロゴセラピー入門』、『夜と霧:ドイツ強制収容所の体験記録』(以上、みすず書房)等

*3:中村氏も「生前一定の成果を上げた」「後継者を残した」とはいえ「殺害されること」で挫折しました。

*4:例えば、小説ではありますが、松本清張芥川賞受賞作『『或る「小倉日記」伝』』の場合、主人公は生前「鴎外の小倉日記」復元を成功させないまま病死した上、彼の死後「所在不明だった鴎外の日記そのもの」が発見されるという皮肉なことになりますが、それは「彼の人生が無意味だった」と言う話とは違うでしょう。

*5:1894~1953年。戦後、日本共産党書記長

*6:1908~2007年。戦後、日本共産党書記長、委員長、議長

*7:1918~2013年。ANC議長、南ア大統領を歴任。1993年にデクラーク南ア大統領と共にノーベル平和賞を受賞。

*8:芥川賞-受賞作候補作一覧21-40回|芥川賞のすべて・のようなものによれば五味康祐(1921~1980年。代表作として『柳生武芸帳』)の『喪神』との同時受賞