今日のMSN産経ニュース(9/5分)

■【昭和の首相】平沼赳夫*1が「平沼騏一郎*2」を語る 大切にしたのは「国体*3」、「右翼の総帥」は右翼や軍部*4ににらまれた
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140905/plc14090505000002-n1.htm
 まあ、やれやれですね。要するに義父・騏一郎を美化してるわけですが、普通の人間なら「A級戦犯として裁かれた極右」をいくら肉親(義父ですが)だからってただただ美化したりしないでしょう。しかし産経もまたすさまじい記事を載せましたね。以前から極右新聞ではありましたが、A級戦犯をただただ賛美するとはね。まあでもこういう記事が載って平沼の極右性が「家族からの教育のたまもの」と分かることは悪いことではないかもしれない。「安倍がA級戦犯容疑者岸信介*5の孫」ということは知ってる人が多くてもこういう記事でもないと「平沼が騏一郎の義理の息子」て知ってる人はそう多くはないでしょう。
 騏一郎自体、「同じ戦前の右派政治家」「同じA級戦犯東条英機*6なんかに比べると知名度が多少落ちるかも知れない。

マスコミ関係からは『右翼の総帥』『ファッショ*7の首魁』と言われていたし、元老だった西園寺公望*8からは『迷信家』『神がかり』と言われた。

実際そうでしょうよ。
ウィキペ「平沼騏一郎」からそうしたものを伺わせる事実を紹介してみましょう。

・右翼結社・国本社の創設者の一人で皇典講究所*9國學院大學の設立母体)副総裁をつとめたことがある。
■逸話・語録
「日本人は西洋かぶれをしたがる。殊に地位に在る人、政治家と云はれる人、学者と云はれるやうな人がさうである。一時は民主説とか国際説とかにかぶれた。近頃は米英崇拝をやめて独逸崇拝となり、ナチスにかぶれている。そしてあんなもの*10を作らねばならぬと言つて居るが、それは国体に反する」
「これは国家社会主義で、ソ聯の赤とそんなに距たりがあるものでない。日本の国体に反する点は殆ど同様で、共々に害を流すものと思ふ」(1942年5月19日)
「日本は君主国であると云ふ。君主国なら西洋にもあるでないかと反問される。すると日本は万世一系であると云ふ。さう云ふことならエチオピヤが日本より古いではないかと反駁される。君主は統治権をもつとか、万世一系とか、そんな形式的なことでは国体は明らかにされない。どこに万世一系があるか、皇室と国民との関係を明らかにせねばならぬ。日本で親子の関係は自然であるから誰でも判る。日本の国体もその方面から論じなければならぬ」(1942年5月19日)
「危機であつたのは欧洲大戦*11である。知識階級はデモクラシーにインターナショナルである。国家主義などは古い、国際主義でいかねばならぬ、皇室は存してもデモクラシー*12でいかねばならぬと立派な人でも言つてゐた。真向から之に反対したのは私だらう。その故に頭が古い奴だと言はれた。迷信家だとか、頑迷だとか西園寺から言はれた」(1943年2月23日)

昔の政治家の考え方というのは、今のような国民主権の時代じゃないから、天皇から政治をお預かりしていたという価値観*13なんだね。まさかドイツとソ連が不可侵条約を結ぶとは思わなかった、政治家として見通しを自分は誤った、これは自分の責任だから政権を返上します、ということだったんだ。こういうのを、欧州で教育を受けた新しい物好きの西園寺に言わせると『迷信家』となったんでしょうね。

いやいやそういうことで西園寺は『迷信家』って言ったんじゃないでしょう。まあ、本当は平沼もそんなことは分かってると思いますけどね。さすがに平沼も「確かに神がかりで迷信家といわれても仕方がない部分もあるけど何が悪い」とは言えないんでしょう。

退陣後の騏一郎は、日独伊の三国同盟に反対し、英米寄りのスタンスをとっていた*14

 平沼の発言や、ウィキペ「平沼騏一郎」も触れてますが、そもそも騏一郎はナチスドイツを「共産主義の亜流、ソ連と同じ」と見て評価していません。その低評価は「日本に相談もなしに勝手に独ソ不可侵条約を結んだこと」でさらに強まったんじゃないか。
 あるいは平沼発言やウィキペ「平沼騏一郎」は触れてませんが「英米と戦争して勝てるわけがない」というそれなりの現実主義が騏一郎にはあったのかもしれない。まあ、だからといって右翼的活動で日本を戦争の方向に持っていった騏一郎の罪が消えるとも思えませんが。
 で親ドイツ派右翼が騏一郎を敵視したことを理由に「義父は右翼じゃない」と平沼は強弁するんですが詭弁にも程があります。つうかそんなに平沼にとって「右翼」って「言われたくない言葉」なんですかね。

*1:村山内閣運輸相、森内閣通産相小泉内閣経産相たちあがれ日本代表、維新の会代表代行・国会議員団長などを経て現在、次世代の党代表

*2:司法官僚出身の政治家。司法次官、検事総長、山本内閣司法相、枢密院議長などを経て首相。首相退任後も近衛内閣内務相。東京裁判終身刑判決を受け入獄中に病死。

*3:国家体制という意味で「国民体育大会」ではありません。日本だと天皇制と同義でしょう。

*4:正確には「親ドイツ派の右翼、軍人」です。「騏一郎は右翼じゃない」と強弁するなと言いたい

*5:戦前、満州国総務庁次長、商工次官、東条内閣商工相を歴任。戦後、自民党幹事長、石橋内閣外相を経て首相

*6:関東憲兵隊司令官、関東軍参謀長、陸軍次官(陸軍航空本部長兼任)、近衛内閣陸軍大臣などを経て首相(一時は陸軍大臣参謀総長も兼任)。A級戦犯として死刑判決

*7:平沼がナチ嫌いでおそらくムッソリーニも評価してないことを考えると「ファッショ」が適切かどうかは微妙な気がします。

*8:第2次伊藤内閣外相、第3次伊藤内閣文相などを経て首相

*9:戦後、教育部門は今の國學院大學に、新党部門は今の神社本庁に受け継がれた。

*10:ナチスのこと。日本では大政翼賛会になった。

*11:第一次世界大戦のこと

*12:いわゆる民本主義のこと

*13:当時は天皇が主権者ですから西園寺も含め、皆そう言う価値観です。だから天皇から叱責された田中義一は首相を辞任せざるを得なかった。別にそういうことで平沼騏一郎は西園寺その他に右翼と呼ばれたり、毛嫌いされたりしてるのではない。

*14:こういうことをいうのなら、じゃあ露骨にドイツ寄り、イタリアよりだったといわれる人間、例えば松岡洋右外相や大島浩駐ドイツ大使、白鳥敏夫駐イタリア大使(いずれもA級戦犯)を産経が批判するかといったらそうではないから訳がわかりません。