昨日の大河ドラマ「おんな城主直虎」のテイストが完全に「樅の木は残った」最終回と同じだった

 なんかデジャブ感があるなあと思って見ていたんですが少し考えて「ああそういうことか」と。
 「主家*1を守るために自ら*2が悪臣の汚名を着る(その結果、非業の死)」つうのは完全に過去の大河ドラマ樅の木は残った」最終回の設定*3をぱくってると思います。
 まあ、直虎は「家老・小野但馬守政次は主人公ではない」ので「樅の木」と違って昨日は最終回ではないですが。
 まあ、昨日の大河を見てない方や、「昨日の大河を見ていても『樅の木は残った』を知らない方」には、これだけでは何が何やら分からないでしょうが。
 まあ興味がある方は見比べればいいし、興味のない方はどうでもいい話です。
 しかし「樅の木」同様、昨日の大河もそこそこ高視聴率だったようですが、本当、日本人ってバカみたいに「樅の木的設定(自己犠牲精神?)」好きよね。いや小生もわりとそういうのが好きなので人のこと言えませんが。

*1:樅の木は伊達家、直虎は井伊家

*2:樅の木は奉行・原田甲斐宗輔、直虎は家老・小野但馬守政次

*3:もちろん実際の原田甲斐は別に忠臣ではないし、忠臣設定にするために「原田が抜刀して対立陣営に対し刃傷に及んだ」という事実を「原田はそんなコトしてない、伊達家取りつぶしを画策する大老・酒井雅楽頭忠清の謀略ではめられた」に無理矢理設定して話を展開してる、ある意味とんでもない歴史捏造話(まあエンタメだから別にいいですが)が山本周五郎原作の「樅の木は残った」です。たぶん昨日の「直虎」も話は同じでしょう。過去の大河は「信長暗殺の黒幕が家康(『秀吉』)」とか「面白くするために」事実無視の作品は結構あると思います。