■産経『ロシア、北に「核放棄すれば原発提供」の秘密提案 米紙』
1)事実なのか
2)事実だとしてロシアはどんな思惑*1であり、また北朝鮮はどう応対したのか
3)こうした事実を6カ国協議参加国(米国、中国、日本、韓国)はロシアないし北朝鮮から知らされていたのか
4)ワシントンポストのネタ元は誰なのか、どんな思惑でワシントンポストにネタ提供したのか
などなど頭の中に「?」が沢山出てくるニュースですね。いずれこうした疑問のいくつかが明らかになることを望みたい。
■ラグタイムララバイ(三浦小太郎)のアマゾン書評
生明(あざみ)俊雄*2『タンゴと日本人』(2018年、集英社新書)
私には、日本にタンゴを伝えたのが勝海舟の孫にあたる目賀田種太郎という人だったというだけでびっくり。この方は男爵で、本書によれば鹿鳴館文化の継承者としての思いから日本に社交ダンスを広めようとし、タンゴのレコードをたくさん日本に持ち込んだとのこと。天国の祖父も驚いただろうなあ。
三浦のこの書評には重大な間違いがあります。
https://www.sankei.com/life/news/181021/lif1810210019-n1.html
日本にやってきたのは大正末期。根をおろしたのはヨーロッパ遊学から帰国した男爵、目賀田綱美(めがた・つなよし)の存在が大きく、日本の音楽文化向上とタンゴ普及にかけた男爵の生涯も興味深い。
ということでタンゴを日本に伝えた「勝海舟*3の孫」は目賀田綱美です。
三浦が名前を挙げてる目賀田種太郎は「綱美の父」、つまり「海舟の義理の息子」です。
「おいおい、お前、本読んだんじゃねえのかよ?」ですね。「名前を間違える」てどういうことでしょうか?
なお、目賀田種太郎はウィキペディアによれば
「大蔵省主税局長、枢密顧問官、東京弁護士会会長などを歴任」
「1904年の第一次日韓協約では日本政府から派遣されて韓国の財政顧問を務めた」
「1920年にジュネーヴで開かれた国際連盟第1回総会で、石井菊次郎*4、林権助*5とともに国連大使の一人を務めた」
「専修大学創立者の一人(他の創立者は駒井重格*6、相馬永胤*7、田尻稲次郎*8)」
「東京音楽学校(現:東京藝術大学)初代校長の伊沢修二*9を支援し、日本近代音楽教育の開祖とも言われる」だそうです。
*1:アンチロシアの常岡や黒井のツイートを見たら「ロシアの悪巧み」であるかのようにツイートしてましたが、ワシントンポストはそのようには報じてないようですし、現時点では評価は難しいでしょう。現時点では常岡らの様にロシア叩きすべき話ではないでしょう。正直「それで本当に非核化が実現するなら」、「クリミア問題など他の問題には関係なく」非核化実現という限りにおいてはロシアの思惑が何であれ「ロシアの好プレー」でしょう。
*2:1940年生まれ。ビクターエンタテインメント洋楽部長、映像制作部長、メディアネットワーク本部長などを経て広島経済大学経済学部メディアビジネス学科(2011年退任)。教授著書『ポピュラー音楽は誰が作るのか』(2004年、勁草書房)、『二〇世紀日本レコード産業史』(2016年、勁草書房)
*3:江戸幕府で軍艦奉行、陸軍総裁を歴任。明治新政府で外務大丞、兵部大丞、参議、海軍卿、枢密顧問官などを歴任し、伯爵に叙せられた。
*4:第2次大隈内閣外相、駐米大使、駐仏大使など歴任
*5:駐韓公使として第一次日韓協約、第二次日韓協約を実現。その後も駐清公使、駐伊大使、駐英大使、枢密顧問官など歴任
*7:専修学校(後の専修大学)初代校長、横浜正金銀行(後の東京銀行(現在の三菱UFJ銀行))頭取など歴任。
*8:大蔵省銀行局長、主税局長、大蔵次官、会計検査院長、東京市長など歴任
*9:文部官僚。東京音楽学校(現在の東京芸術大学音楽学部)、東京盲唖学校(現在の筑波大学附属視覚特別支援学校)初代校長など歴任。