野原燐に突っ込む(2019年4月23日分)

辻田真佐憲*1
 (ボーガス注:天皇の先祖が日本神話では)天照大神(ボーガス注:という)問題。一部で「リベラル」といわれる現天皇も、神の子孫云々は絶対に譲れないはず。この設定がなくなり、ただの人間だとなれば、「なんでただの人間が天皇?」となり、皇室廃止につながりかねないですから。

イシカワ(頑張らないし頑張れない)
 天皇制における天皇は、神話的に神を祖とし、非実在のキャラクターである神武天皇から始まる現人神の子孫です。リベラルまでぼやかしてますが実態でしょう?。でなければ、なぜ神社や神武天皇を拝むの?。榊を捧げるの?。(ボーガス注:天皇制が)神道だからですよ。神武天皇に退位の挨拶をしたり、三種の神器の儀式をしたり、結局辞めるにあたっては、神や非実在神武天皇に報告する仕組みなんです。これはやはり宗教ですよ。

 さてこの辻田氏、イシカワ氏の主張はただの「事実の指摘」にすぎないでしょう。「天皇がただの人間に過ぎない」のなら「なんでただの人間が天皇?」ですよね。そして天皇神道と関係ないならなぜ、彼は大嘗祭などの神道行事をやるのか。
 でこれに対する野原先生ツイート。

野原燐
 理解できない。天皇の存在は現憲法だけに基盤を置いている。

 どうも先生は「辻田氏やイシカワ氏は神道天皇制を支持してる」と誤解してるようですがそれは違います。
 むしろ「憲法が根拠だ」という野原先生の方がバカです。ならば「ボーガスは国の象徴」「野原燐は国の象徴」と憲法に定めれば小生や野原先生は国の象徴になるのか。もちろん違います。そもそも天皇と違い、誰も「ボーガスや野原を国の象徴にしよう」とは思いませんし。
 憲法に「天皇を国の象徴にしよう」と書き込む価値観の背後には「神の子孫云々」という神道イデオロギーがあるはず、だからこそ天皇大嘗祭などの神道行事をやるのだという「事実の指摘」を辻田氏、イシカワ氏はしているに過ぎません。
 むしろ辻田氏、イシカワ氏の主張は野原先生の勘違いとは異なり「天皇制廃止論」に親和的な主張と言えるでしょう(なお、辻田氏やイシカワ氏が天皇制廃止論者だと言ってるわけではありません。もしかしたらそうかもしれません。そうでもおかしくないですが、ここでの彼らの指摘は「事実の指摘」にすぎず「天皇制廃止」という価値観と直結するもんではありません)。
 辻田氏、イシカワ氏の主張は「どんなに詭弁を弄しても天皇制の根拠は非科学的、非合理で前近代的な神話だ、つまり神道なのだ→天皇制はその存在自体が非科学的、非合理で前近代的で、かつ『神道と密接不可分』なので政教分離に違反するから廃止するしかない」つう流れにつながる(彼ら自身がそういう価値観ではないかもしれませんが)。
 いやもしかしたら野原先生のツイートは「勘違い」ではなく「天皇制支持・右翼」として野原先生は「辻田氏、イシカワ氏の主張の危険性(天皇制廃止論に親和的)」に気づき、辻田氏、イシカワ氏が「神道天皇制支持者である」と故意に曲解し、必死に「辻田やイシカワは間違ってる」といってるのかもしれません。なお、「つくる会理事・三浦小太郎と交遊して恥じない」という時点で「どんなにリベラルを必死に偽装したところで」野原先生の本性が在特会や国基研、日本会議神社本庁などと同レベルのゲス右翼であることは隠しようがないでしょう。
 だからこそ、俺は「リベラルに親近感を感じる人間」として野原先生のようなエセリベラル、インチキリベラル(要するにごろつき右翼)には憎悪や怒りといったネガティブな感情を覚えざるを得ません。

*1:著書『日本の軍歌』(2014年、幻冬舎新書)、『ふしぎな君が代』(2015年、幻冬舎新書)、『大本営発表:改竄・隠蔽・捏造の太平洋戦争』(2016年、幻冬舎新書)、『文部省の研究』(2017年、文春新書)、『空気の検閲:大日本帝国表現規制』(2018年、光文社新書)、『天皇のお言葉:明治・大正・昭和・平成』(2019年、幻冬舎新書)など