今日の産経ニュースほか(2019年6月26日分)

11歳の娘に殺害手伝わせ…モルタル遺体事件で供述 - 産経ニュース
 いわゆる刑事責任年齢は「14歳以上」なのでこの場合、刑事罰の対象にはなりませんが、まあ少年院に行くことにはなるんでしょうか。
 この少女にとっては実に不幸な話だと思います。


IOC、複数国での五輪共催容認 札幌招致の30年大会以降 - 産経ニュース
 つまりはあまりにも金がかかりすぎるので「単独開催、単独誘致では立候補する国なんか出てこなくなった」つうことでしょう。もはや五輪は「やめた方がいい」のかもしれません。
 スポーツ大会それ自体は五輪がなくても「世界陸上」「世界水泳」「サッカーワールドカップ」などいろいろ存在するわけです。五輪とは「4年に1回の国別大運動会(水泳、陸上、サッカーなど特定のジャンルではなく、ほぼオールジャンル)」でしかありません。必要不可欠なもんではない。
 「平和の祭典」つう建前も「ナチドイツでのベルリン五輪」 「モスクワ五輪ボイコット」「軍事独裁政権韓国でのソウル五輪」などを考えれば「うさんくさい、ただの政治スローガン」でしかありません。そして「複数開催、複数誘致」なんて厄介なことが現実問題どれほど可能なのか、つうことです。


慰安婦報道訴訟、植村氏の請求棄却 東京地裁 - 産経ニュース
 安倍が首相である限りこうしたふざけた判決が出るんでしょうか。怒りを禁じ得ません。


首相「平和条約に道筋」日露首脳会談へ意欲 - 産経ニュース
 よくもまあこんな心にもないデマカセが放言できるもんです。


自民・石破氏 長島氏の自民入りを歓迎 - 産経ニュース
 批判しろとは言いませんがせめて黙っていたらどうなんですかね。石破*1も本当に政治センスのない男です。


葦津珍彦の思想について:中外日報
 葦津とは「神社本庁最大のイデオローグ」です。野原燐がこの記事にツイートしていたので気づいたのですが「神道素人の俺なり」に思いつき的ですが、コメントします。

 国民の側も天皇に関しては過半が好意的な見方をしている。
 一方で、ここ数年ジャーナリズムを中心に、保守系団体「日本会議」およびその有力な関係団体と見なされている神社本庁神道政治連盟が「安倍政権の黒幕」としてクローズアップされてきている。中には荒唐無稽な陰謀論も少なくないが、戦前の軍国主義神道を親和的なものと見なすという点ではおおむね一致している。天皇に対しての広範な支持に対して、神道の元締めたる神社本庁に対してのこのような反応との乖離は一体どこから来るのだろうか。

日本会議を取り上げた最近の著作として

【著者名のあいうえお順】
青木理*2日本会議の正体』(2016年、平凡社新書)
上杉聡*3日本会議とは何か:「憲法改正」に突き進むカルト集団』(2016年、合同ブックレット)
・菅野完『日本会議の研究』(2016年、扶桑社新書)
・俵義文*4日本会議の全貌』(2016年、花伝社)、『日本会議の野望』(2018年、花伝社)
・藤生明*5『ドキュメント 日本会議』(2017年、ちくま新書)
・山崎雅弘*6日本会議:戦前回帰への情念』(2016年、集英社新書)

を紹介しておきます。
・そりゃ天皇一家の側が「時代の変化に彼らなりに対応しようとしてる」のに神社本庁が未だに戦前万歳だからでしょう。そうした中、神社本庁の希望に反し「靖国参拝をしない」など、天皇一家は神社本庁から距離を置いています。
 なお、その戦前万歳を戦後に推進した一人が葦津の訳です。この記事の言葉を引用すれば

 神社本庁の組織づくりの事実上の中心人物として活動した。その存在感の大きさは「戦後の神社史に葦津珍彦がゐなかったならば、神社界のその後の歩みは今とは全く違ったものになってゐたかもしれない*7」と(ボーガス注:神社本庁関係者に)言われるほどのものであった。

というほどの大物が葦津です。

 小学館日本大百科全書には次のように記されている。
神道の一形態で、近代天皇制国家が政策的につくりだした事実上の国家宗教。神社神道を一元的に再編成し、皇室神道と結び付けた祭祀中心の宗教である。王政復古を実現した新政府は、1868年(明治1)祭政一致神祇官再興を布告して神道の国教化を進め、神仏判然令で神社から仏教的要素を除去して、全神社を政府の直接の支配下に置いた。71年、政府は全神社を国家の宗祀とし、社格を制定して、神社の公的地位を確立した。皇室の祖先神天照大神を祀る神宮(伊勢神宮)は、全神社の本宗と定められた。82年、祭祀と宗教の分離が行われ、国家神道は、非宗教、超宗教の国家祭祀とされた。明治中期には、教派神道、仏教、キリスト教の3教が、国家神道に従属する事実上の公認宗教となり、国家神道体制が成立した。1889年大日本帝国憲法が制定され、その第28条は「信教ノ自由」を定めたが、それは、国家神道の枠内での宗教活動の容認にすぎなかった。天皇は神聖不可侵の現人神とされ、国家神道の最高祭司として祭祀大権を保持する存在となった。翌年出された「教育勅語」は、国民に天皇制国家への忠誠を命じるとともに祖先崇拝を強調し、国家神道の事実上の教典となった。また各学校へ配布された天皇・皇后の「御真影」は、国家神道の事実上の聖像として礼拝の対象となった。1900年(明治33)内務省に神社局が設置され、神社行政と宗教行政が分離された。明治後期には、皇室祭祀を基準として神社祭式が定められ、神官神職は待遇官吏として公的身分を与えられた。神社の経営には、国および道府県市町村から供進金が支出された。国家神道のもとで、国内をはじめ植民地、占領地などに靖国神社橿原神宮明治神宮、朝鮮神宮、建国神廟などの神社が相次いで創建された。国民は天皇崇拝と神社信仰を義務として課せられ地元の神社の氏子に組織された。1940年(昭和15)「紀元二千六百年」を機に神社局は神祇院に昇格し、戦争の激化とともに、国体の教義が鼓吹された。日本は万世一系天皇が統治する万邦無比の神国とされ、世界征服を意味する八紘一宇が「聖戦」のスローガンとなった。敗戦直後の1945年(昭和20)12月、GHQ(連合国最高司令部)は神道指令を発して、国家神道の廃止と政治と宗教の分離を命じた。神社神道は国家的公的性格を失って、民間の宗教として再出発することとなり、47年神社本庁が設立された。』
 長々と引用したが、現在、世間での一般的な「国家神道」のイメージはおおよそこのようなものだろう。つまり戦前の日本を凄惨な戦争に引きずりこんだ悪しきイデオロギーというものである。
 この項目を執筆したのは宗教学者の村上重良である。そしてこの村上が1970年に岩波書店から刊行した『国家神道』こそが「国家神道」研究の初発であった。現在でも「国家神道」研究はこの書を抜きにしては考えられない。そして葦津の代表的著作のひとつと言える『国家神道とは何だったのか』は村上流の「国家神道」論を突き崩そうとして執筆されたものである。

 村上*8とは「戦後における国家神道研究」の第一人者です。
 つまりは村上のような「戦前において国家神道は戦争推進、『国家神道以外の宗教弾圧』などの弊害を生んだ。だからこそ戦後、神社は民間宗教として再出発せざるを得なかった」という批判に「そんなことはない、神社は悪くない」と居直りで応じたのが葦津ら神社本庁側だったわけです。
 そして「靖国国営化」などを目指そうというのだから「葦津ら神社本庁」のような無反省な連中には呆れて二の句が継げませんね。「人間はどうすれば、ここまでクズでバカになれるのか」と「葦津ら神社本庁」に聞きたくなるくらいです。まあそういうことをいうと「神社愛好家の野原」などは「神社を馬鹿にするな」とマジギレしそうですが。

 村上は著書『国家神道』において、まず近代以前の神道と以後の神道とを比較し、「国家神道が目指したような、神仏分離による神道からの習俗的要素の完全な排除は、実現不可能であったのみでなく、歴史的に形成された神道そのものの自己否定にほかなかなかった」と近代以降の「国家神道」はそれ以前の「神道」とはまったく違う存在、というよりもその否定によって生まれたとしている。

 まあ実際そうでしょうね。「神仏分離」を「好意的に理解する」にせよ「否定的に理解する」にせよ、それは「神仏習合」を推進してきた過去の神社の歴史を「間違った物」として否定する代物だったわけです。
 しかもそれは「国学者」「平田神道支持者」など特定のイデオローグが明治新政府の権力をバックに上から押しつけでやるもんですから、あえて言えば「文革紅衛兵まがい」といっても過言ではないでしょう。
 当然ながらそこで「神社の歴史」には大きな断絶が生じたとみるべきでしょう。そういう意味では「明治以降の国家神道」や「国家神道を是とする現在の神社本庁」は伝統宗教では全くありません。

 寺田善朗*9は戦前の宗教行政・宗教統制の研究が積み重ねられた今、村上の「国家神道」説はそのままでは通用しないと述べている。村上の「国家神道」論は現代においてはそのまま通用するというわけではないことは明らかである。

 そりゃ時代が進めば研究も進むからそういう面はあるでしょう。ただし、「国家神道によって戦前の日本が災厄を受けた」という面について言えばそれを必死に否定しようとする葦津ら神社本庁一派より村上が正しいことは言うまでもないでしょう。村上批判者にしても「葦津のような神社本庁右翼を除けば」まともな人間は国家神道神社本庁を正当化したりしない。

 1987年に神社新報社より出版された『国家神道とは何だったのか』(2006年に新版が刊行される)は葦津*10神道論のひとつの到達点と言いえる書である。まず葦津は論のはじめにGHQの神道政策に触れた後に、「かれらは神道について、奇怪なまぼろしのイメージを作り上げて、それを前提にして、神道的日本国民に重圧をかけた。しかもこの占領軍権力の御用をつとめる御用日本文化人が神道の歴史を知らないで、日本人の精神史をゆがめることに、「背後の虎の威」を借りて横行した」と痛烈な文言を記している。この「御用文化人」なるものが村上重良を指している事は言うまでもない。

 日本共産党員だった(後に除名ないし離党したようですが)村上からすれば「GHQの御用文化人呼ばわりとはふざけるな」「いつまで国家神道なんぞ正当化してれば気が済むんだ」でしょう。

 葦津は明治国家が成立してすぐに、玉松操などの神道家が政府から疎まれ、中枢から排除されていく過程を記す。神道勢力はごく初期から、明治新政府の傍流に位置づけられていたという事実を丹念に立証していく。

 それは単に「神社政策を決定するにおいて最終決定権を持つのが伊藤博文*11明治新政府官僚だった(伊藤らから使えないと評価された玉松らは重用されない)」つう事に過ぎません。神道が日本において「国家イデオロギーでなかった」という意味では全くない。
 「あまりにも極右過ぎるので、櫻井よしこ中教審委員を結局首になったこと」をもって「安倍首相は日本会議と親和的ではない」というレベルの詭弁でしょう。「玉松がよしこレベルにやばいと判断されて使われなかった」だけの話です。

 明治新政府の宗教政策が形作られる過程の中で、最大のキーマンとして真宗僧の島地黙雷の存在をクローズアップしていく。島地は長州出身であり、木戸孝允*12ら大物とも親しくしていた。さらに西本願寺は幕末期に新撰組らから長州の志士をかくまうなど、親密な協力体制を築いていた事や、もともと戦国期から毛利家は真宗の勢力が強かった事等を指摘。

 廃仏毀釈などに危機感を深めた島地ら「非神道の宗教家(主として仏教僧)」の巻き返しで明治新政府も「イヤー、国家神道は国の宗教だけど、今まで通り、君ら仏教信者は仏教を信じていいから」「仏教ぶっ潰すとか考えてないから」「昔から日本人は仏教を信仰してるのに仏教禁止などできるわけないやないか、そんなん」と「神道最優先」で好き勝手はさすがに出来なかったというだけの話です。
 「自民党内にも護憲派がいるので、安倍が現時点では改憲案を国会提出できない」「いくら共産主義(あるいは主体主義)が国家イデオロギーとは言え中国共産党(あるいは朝鮮労働党)も、中国共産党(あるいは朝鮮労働党)に敵対しない限り、宗教撲滅とかしない(文革時代はあくまでも異常事態です)。党に敵対しない限り信仰の自由を認める」のと大して話は変わりません。むやみやたらに敵を増やす馬鹿は普通いない。
 「葦津、お前、延々この詭弁で国家神道を免罪する気か。お前と神社本庁ってホームラン級のクズやな」と言わずにはいられません。
 安倍が「日中友好を完全にぶち壊しにして中国ビジネスを犠牲に出来ない」のと同じように明治新政府も「神道を国家イデオロギーとした」とはいえ、「もうお前ら、明日から仏教信じちゃダメだから。神道だけ信じろ。反発するなら軍隊と警察で叩き潰すから」なんて無茶苦茶は出来なかっただけの話です(そもそも明治新政府メンバーもそこまで神道崇拝で、仏教に敵対的な人間も少ないでしょう。「話が脱線しますが」眞宗大谷派東本願寺派)の大谷家は皇室と縁戚関係にあります*13しね。ただし島地は「西本願寺派」ですが。ちなみに眞宗僧侶では「清沢満之」が有名ですが彼は大谷派です)。
 しかしそれでも「神道は仏教など他の宗教の上に位置する国家イデオロギー(事実上の国教)だった」わけです。
 「信仰の自由があるとは言え、共産圏において、共産主義は国家イデオロギー」つうようなもんです。
 そして当時としては「神道国教化は不可避」と判断した島地らは渋々それを受け入れました。そして右傾化が進む昭和戦前末期になると、この「神道国教化」が「創価学会PL教団の弾圧」などとしてわかりやすい形で害悪をもたらすわけです。
 なお、島地については、山口輝臣*14島地黙雷:「政教分離」をもたらした僧侶』(2013年、山川出版社日本史リブレット人)という著書があるようですね。現在の我々日本人から見れば、「イヤー君ら仏教信じていいから(ただし神道は国教だから)」レベルでは政教分離とはとてもいえませんが「廃仏毀釈エスカレートしたら江戸時代のクリスチャンみたいに迫害されるかも」という危機感を深める島地にとってはかぎ括弧付きとは言え「政教分離だった」わけです。従って戦前日本の体制を俗に「日本型政教分離」といいます。
 まあ「統帥権独立」など立憲主義とは言いがたい代物を包含していた戦前日本を「日本型立憲主義」というようなもんで、「日本型」というのがポイントです。
 つまりは「日本型=エセ(似て非なるもん)」ですね。

神道は宗教ではなく、皇室の治教である」。
 島地のこの論

 というのは客観的に見て無理がありすぎでしょうが、島地なりに自分たちの置かれた事態を分析していたとは言えます。
 仏教僧・島地的には大事なことは
1)仏教を信じる自由を認めてもらうこと
です。
ただし
2)「神道を国家イデオロギーにするな」「ワシら神道なんぞ信じたくない」といっても明治新政府が受け入れないこと
も彼は分かっていました。
 そこで詭弁ではありますが「神道は宗教ではなく皇室の治教(天皇家の家訓)」という話をでっち上げるわけです。
 「神道は宗教ではなく天皇家の家訓」なら「天皇家の家訓なら天皇の赤子であるから日本国民皆が従うのは仕方がない」つう話になります。つまり2)という明治新政府の方針を渋々だが認める。
 一方で「神道は宗教でないなら仏教やキリスト教を信じても何ら問題ない」つうことで1)がクリアできる。
 結局、島地の主張は
2)「神道を国家イデオロギーにするな」「ワシら神道なんぞ信じたくない」といっても明治新政府が受け入れない
という事実認識を元に
1)仏教を信じる自由を認めてもらうことを保持するための「言葉のトリック」でしかありません(まあそういう意味では明治以降の国家神道は神社界の要望が全て通ったわけではなく、島地らの巻き返しの中で「神社業界と非神社業界のお互いの妥協の産物」として誕生したわけです。ただしそれは「非神社業界が巻き返したから国家神道に問題がない」つう話ではありませんが)。
 島地が本気でそう考えていたわけでもなければ、ましてや「神道は宗教ではない」「神道天皇家の家訓だ」「だから天皇制が続く限り、国民は皆神道を信じるべきだ(当然ながら葦津ら神社本庁のような理解をすれば神社批判はどんな内容でアレ天皇批判になりますし、神道支持なら天皇制支持が当然の話になります。ただしこんな『神社本庁の右翼活動のせいで天皇制が道連れで滅びかねない』リスキーな方針を天皇一家は支持しないでしょう)」「国家神道の何が悪い」「仏教僧の島地だってそう言ってる」などと葦津ら神社本庁が言うのは詭弁も甚だしい。
 当時の島地の立場で「そもそも神社を国民皆に押しつけるのがおかしい」といって何か意味があるのか、弾圧されるだけだろ、て話です。
 そういう意味では「明治新政府神道を国家イデオロギーにしようとしてるのは阻止できない。その前提の上でどうやって仏教信仰を守るか」つう島地のスタンスは私見では「プンツォク・ワンギャル(プンワン)」にとても近いかと思います。
 プンワン*15も「チベットは中国から独立なんか出来ない、その上でどうやってチベット人の権利を拡張していくか」という思いで生き続けたわけです。島地の主張を元に「島地だって神道は宗教じゃないと言ってる」などと国家神道を正当化しようというのは、プンワンの存在を元に「なんだかんだいって、プンワンは死ぬまで中国共産党幹部じゃん。だから中国のチベット統治は大筋では何の問題もないんだ」というくらいの暴論です。常人には到底まねできないですね。「彼らの置かれた立場を考えろ」「言ってることが全部本心だと強弁する気か」つう話です。
 もちろん逆に島地やプンワンの言動を批判的、否定的に評価する場合でも「国家神道体制の共犯者」「中国によるチベット統治の共犯者」として全面否定し、切り捨てるのも適切ではないでしょう。
 この本で沖縄戦を勉強したい - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)コメント欄で小生もコメントしましたが「与えられた条件を無視すること」はできません。島田県知事を批判する場合も当時の時代状況を無視してはいけない。
 繰り返しますが極端な話「島地による、全面的な政教分離主張」「プンワンのチベット独立主張」は当時の時代情勢を考えれば無茶な要求です。そんなこと主張しても無視されたり弾圧されたりして終わるだけです。
 国家神道について言えば明治時代の島地が「国家神道を容認したこと」よりも「1945年の敗戦でGHQからの改革要求(国家神道廃止要求)があるまで」後世の人間が何も出来なかったことの方が問題です。
 いすれにせよ、「神道天皇家の家訓」「神社は宗教じゃない」なんて男・葦津を死後も「神社本庁最高のイデオローグ」「戦後神社業界最高のイデオローグ」として評価し続ける限り、神社本庁は「天皇靖国参拝」を求め続けるでしょう。何せ「神道天皇家の家訓」ですから。

 島薗がこのような論を発表した意図は少しわかりかねるが、少なくとも「皇室祭祀」が「国家神道」に不可欠な存在であるという認識は持っているようである。

 「明治時代以降の国家神道」について言えばそうでしょう。ただし「それ以前の神道(江戸時代以前の神道)」はまた話が別です。また「過去(明治維新以降、1945年の敗戦まで)において国家神道という形で神道天皇に結びつきがあったこと」は「そうした過去が正しかったこと」を意味しません。ましてや「今後もそうあるべきだ(神社本庁の方針)」ということを当然ながら意味しません。

 村上、葦津、島薗*16のそれぞれの「国家神道」観をそれぞれ著作から分析すると、今更ながらに驚かされるのが、凄まじいまでの「国家神道」観のすれ違いである。

 「村上と島薗」はともかく「葦津(戦前国家神道に無反省)と他の二人(戦前国家神道に批判的)」が違うのはある意味当然です。

 冨永望*17は主に宮内庁のデータを駆使し、明仁天皇がどのような人物とどれくらいの頻度で内奏・進講を受けているかを割りだし、昭和天皇のそれとの比較検討を試みている。冨永によると、明仁天皇昭和天皇同様、自身が関心を持つ内容に関しては、閣僚や関係者に説明を求めるという行動様式は一致している。しかしその興味関心の中身には違いがあり、昭和天皇が安全保障問題に関心を示していたのに対して、明仁天皇は特に災害に対して強い関心を持っているという。

 内奏自体「違憲の疑いがある問題行為」ですがそれにしても「戦後も大元帥気取りだったらしい」昭和天皇との違いが際立ちますね。
 明仁氏は彼なりに「時代の変化に対応しようとした」わけです。そこから「安保のような政治性の強い問題には手を出さない」というある種の自制が働いてるのでしょう。
 

 山口輝臣は「平成流」天皇のあり方を考察した上で、「反天皇と護憲はいかにして両立するのか?むしろ親天皇こそ護憲との整合性が高いのではあるまいか?」と問題提起をしている。

 「安倍に比べたら元天皇はリベラルだ」程度でこんなことを言うのは認識のゆがみにもほどがあるでしょう。むしろ「護憲の立場なら天皇制廃止」でしょう。「今すぐ廃止すべきだ」とか「天皇制支持者は護憲派とは認めない」とかそんな狭量なことは小生も言いませんが。

 この現在の「平成流」象徴天皇制のあり方は、葦津が秘かにつくりあげようとしたものなのではないか。内奏や進講を頻繁に活用し、有為な知見と知識を確保しようと努める明仁天皇は論文「国民統合の象徴」で葦津が示した君主のあり方とほぼ重なる。

 いやいや神社本庁イデオローグ葦津の目指した物が「元天皇明仁氏の目指した物」なら神社本庁も元天皇に対してもっと好意的でしょう。
 葦津の主張は単に「天皇が国民からの支持を取り付けるために、震災地訪問などして国民へ積極的に働きかける」という話ではなくもっと「戦前賛美、極右的なもん」でしょう。元天皇明仁氏を否定的に評価するとしてもさすがに彼は極右・葦津とは違うでしょう。
 筆者が「葦津をたたえる神社本庁は葦津の後継者として元天皇、そしてその子である現天皇を支持しろ」といいたいのか、あるいは逆に「葦津の目指したものを目指す元天皇、そしてその子である現天皇に、国民は警戒せよ」といいたいのかしりませんが(コメント欄でも指摘があるように多分神社本庁に好意的らしい筆者の立場は前者でしょうが)。

 先日、興味深い事件が発生した。靖国神社宮司を務める小堀邦夫が会議にて「はっきり言えば、今上天皇靖国神社を潰そうとしている」「陛下が一生懸命、慰霊の旅をすればするほど、靖国神社は遠ざかっていく」といった発言を行い、天皇批判を行ったというのである。結局小堀宮司は退任したが、ここからは「皇室」と「神社界」の深刻なディスコミュニケーションが見て取れる。島園は「皇室」と「神社界」を「国家神道」の構成要素としていたが、両者はむしろ*18深刻な対立状態にあるとすら言えるのではないか。

 この記事については「はあ?」ですね。
 戦前においては

「皇室」と「神社界」は「国家神道」の構成要素(皇室自体が国家神道を支持)

です。これは島薗氏がどうこうではなく日本社会の共通認識でありそれが正しいでしょう。戦後は話が違います。昭和天皇はともかく、元天皇は「戦後と戦前は違う」「もう国家神道なんか許される時代じゃない」と考えその方向で動きました。しかし葦津率いる神社本庁はあくまでも国家神道存続に固執した。その結果「深刻なディスコミュニケーション、対立」が生じたわけです。
 しかし日本国民は極右でもない限り、天皇制支持者ですら国家神道なんか支持しない。その結果、「神社から距離を置く今の路線」を天皇家がやめるわけがない。やめたらかえって国民の反発を買うからです。しかし今の「国家神道の何が悪い」路線を神社本庁も当面は変えそうにない。となれば当面は「対立は深まるばかり」でしょう。

・戦後、神社本庁を作る際に、葦津が柳田国男折口信夫神道論を排斥した
・葦津はその理由として「日本を占領し制圧した敵軍権力は、日本の、国民意識の根底にある皇室神道を抑圧して、国民の精神的統合を抹殺しようとした。その目的を達するためには、かれらの民俗学的な地方分散的な古神道知識を利用し、日本人の皇室神道による国民意識を解体することをもっとも有利とした(中略)これらの民俗的神道研究者は、明らかに「その政府への協力を辞せぬ」との態度を表明した。私は、かれらの神道的主張は「日本国民感情に反する」として、その思想影響を妨げるにつとめた」と柳田・折口ら民俗学者がGHQの神道政策に協力的であったことを第一にあげている。いわば「政治的理由」であるが、一方で葦津は「かれらが博学知識をもって説くように、古神道が必ずしも皇室神道一本ではなくして、多様多彩な、あらゆる要素をもつ原始宗教であって、地方分散的な宗教であったということが事実だとしても、二十世紀の日本の神道が、原始のままの情況に戻ること*19に、なんの今日的意義があるのか*20」と柳田・折口らが説く民俗学神道論には根本的な違和感を表明している。葦津にとっての神道は、あくまでも天皇の存在を前提としたものでなければならなかった。

 太字強調は俺がしました。
 つまりは「国家神道をやめ、神社と天皇のつながりを断ち、そこに神社の生きる道を見いだそうとした柳田や折口とは違い」、戦後も「天皇崇拝と神社は切り離せない、切り離すべきでない」「天皇崇拝こそが神社のレゾンデートル(存在意義)だ」「国家神道の何が悪い」「柳田や折口はGHQの手先だ、神道の敵だ」とする葦津らによって戦後も神社本庁は「国家神道存続の道」を選んだわけです。
 神社本庁が「日本最大の神社団体」だったため、そうした戦前美化、肯定の右翼路線は「日本中の神社に影響していく」わけです。
 つまり、今の神社本庁は決して「自然にああなった」わけではない。「葦津路線が採用され、柳田、折口路線が否定されたこと」でああなったわけです。
 葦津が敵視し、公然と「排除を主張した柳田*21や折口*22」が排除されず、神社本庁に一定の影響を与えれば「神社本庁も今とは違う、よりまともな宗教」になっていたかもしれません。


【主張】米イラン緊張 自国の船守る覚悟あるか - 産経ニュース

 米イラン対立が深まる中、トランプ米大統領が24日、ホルムズ海峡を通過するタンカーに石油輸送の大半を依存する日本や中国を挙げ、「なぜわれわれは他国のために海上輸送路を無償で守っているのか」とツイッターに投稿した。

 で、これ幸いとばかりに

 政府は護衛艦の派遣を含めて真剣に検討すべきときである。

と言い出し

 岩屋毅防衛相は「現時点では自衛隊へのニーズは確認されていない」と艦船派遣の可能性を早々否定し、日本向けの石油輸送を自ら守る覚悟も備えもないこと*23をさらけ出した。

と岩屋防衛相(ただし、いつも通り安倍は批判しない)を非難するいつもの産経です。しかしトランプも無茶苦茶ですね。
 「中東の石油」は米国も買ってるでしょう。また「米国より日本や中国の方が買ってる」にしても「だから中東のタンカーがどうなっても知ったことではない、米国は関係ない」で済まないことくらい言うまでもないでしょう。日本や中国の経済にダメージがあればそれは米国も直撃しますので。


【中東見聞録】ハメネイ師、安倍首相への「伝言なき」メッセージ(2/2ページ) - 産経ニュース

 イランは2015年、経済制裁の解除のため、核開発を大幅に制限することで米欧など6カ国と合意した。交渉を主導したのは穏健保守派のロウハニ大統領だったが、国内の反米強硬派から根強い反対論があったにもかかわらず、最終承認を与えたのは最高指導者だ。ハメネイ師もまた、大きな政治的リスクを背負っているのだ。
 ところが、イラン側からみれば、米国で政権が代わった途端に合意を一方的にほごにされた上、核開発の完全放棄やミサイル開発の停止など主権や防衛に関わる要求まで突きつけられ、面目を潰された。
 体制の頂点として無謬に近い存在であらねばならず、安易に米国との新たな交渉になど乗り出すわけにはいかない

 である以上、ハメネイからすれば「米国と対話しても、まただまされるだけだ」「そもそも安倍は米国の閣僚じゃない。首相とは言え第三国の政治家など、信用できるのか。『安倍のやってることなど俺は知らん』とトランプが言わない保証があるのか」「対話するにしても米国の方が頭を下げてくるべきだ。国務長官当たりがイラン訪問してしかるべきだ」つう「対話反対派」を納得させる「何か」を安倍に持ってきてほしかったでしょう。ところが抽象的に「対話すべきだ」としか言わないのでは「そんなんで対話反対派が納得するか!」とハメネイも心底呆れたでしょう。


【外交安保取材】イラン訪問「ミッション・インポッシブル」に挑んだ安倍首相(1/4ページ) - 産経ニュース
 タイトルだけで呆れますね。安倍のどこが「ミッションインポッシブル」なのか。イラン訪問して「米国と対話してほしいと、最高指導者ハメネイやロウハニ大統領に言っただけ」じゃないですか。
 でハメネイやロウハニは「安倍の主張が単に抽象的に対話を求めるだけで、具体的に米国との対話を仲介する物ではなかった」がために「お話は承りました。で米国からはどんな対話の話がきているんですか?」と聞き、安倍がろくに回答も出来ず、「一寸抽象的すぎて評価しようがないですね。具体的なお話は何もないんですか?」「単に『対話してほしい』だけで対話しようがない」と冷たくあしらわれる、事実上拒否される、という無様さです。
 「ガキの使いか!」と説教したくなります。

 首脳会談は、河野太郎外相や谷内正太郎*24国家安全保障局長、野上浩太郎官房副長官が同席した少人数会合が約1時間20分、斉藤貢・駐イラン大使が加わった拡大会合が約1時間行われ

てこんなもんに付き合わされた齋藤イラン大使などには心から同情します。

 「安倍首相の訪問は成功だったと考えている。今後も引き続き、首相の中東地域の平和と安定のためのイニシアチブ(主導的役割)を支持する」
 イランのラフマーニ駐日大使は24日、東京・内幸町の日本記者クラブで記者会見し、首相のイラン訪問をこう評価した。

 イランも「経済大国・日本(決して安倍ではない)」には気を遣ってるつう事でしょうか?
 実際には「対話してほしい」と抽象論しか言ってこなかった安倍に「アホか、あいつ」「反韓国、反北朝鮮の手前は抽象的に韓国や北朝鮮と対話を求める要請が第三国からあったら応じるのか?(応じねえだろ?)」「具体性のまるでない抽象論しかないのにわざわざ部下引き連れてイランに来るとか何考えてるんだ?。こんなのなら電話会談で十分用が足りるわ。参院選挙前のパフォーマンスか?。物見遊山か?。イランを馬鹿にするな!」「こんな馬鹿が首相で5年を超える長期政権ってどういうことだ?。日本政治はどんだけレベルが低いんだ」と心底呆れてるでしょう。
 もちろん「米国との和解」という意味ではもはや安倍になど何一つ期待してないでしょう。もしかしたら訪問前は「多少期待していた」かもしれませんが、訪問後は「何だ、あいつ?」と呆れてるだけでしょう。まあ安倍ももはや「訪朝後、救う会や家族会に『たった5人か』と罵倒されて、拉致問題についてやる気を失った小泉氏」以上にやる気を失ってるのでしょうが。

 首脳会談は、米国とイラン双方と友好関係を築いている日本が、中東地域の軍事衝突回避に貢献できるかが焦点だった。日本にとっては石油資源の8割を中東に依存しており、この地域の安定は死活的に重要だ。

 というならイランが対話したくなるような「何か」を持って行くのが当然です。「ただ抽象的に対話を訴える」なんて全く論外です。そんなんなら電話会談で用が足りる。

 首相はハメネイ師に、記念の品として鳳凰(ほうおう)が描かれた九谷焼の皿を贈った。「日本の高い伝統技術を感じてもらえるように」との思いからだ。

 ハメネイも内心では「九谷焼なんかどうでもいいから。米国から何か具体的な話はないの?。あんだけトランプとの友好を自画自賛してるのに何もないの?」といらだっていたことでしょう。

 政府関係者は「1回行っただけではどうなるものでもない。米国とイランの対立は長く根深く、仲介は極めて難しい」と語ったうえで、こう分析する。
 「トランプ氏は振り上げた拳を降ろせず、イラン側も『経済戦争を仕掛けられた』とかたくなだ。これから何度もかかわることになる。今回はとりあえず、ハメネイ師と会えただけで成果といえるのではないか」
 「ミッション・インポッシブル」の幕は上がったばかりといえる。

 「お前本当に何度も関わる覚悟あるんだろうな?」「イラン訪問失敗を認められずに強弁してるだけじゃねえのか?」と問いただしたくなります。

*1:小泉内閣防衛庁長官福田内閣防衛相、麻生内閣農水相自民党政調会長(谷垣総裁時代)、幹事長(第二次安倍総裁時代)など歴任

*2:著書『日本の公安警察』(2000年、講談社現代新書)、『北朝鮮に潜入せよ』(2006年、講談社現代新書)、『ルポ 拉致と人々:救う会公安警察朝鮮総連』(2011年、岩波書店)、『トラオ:徳田虎雄・不随の病院王』(2013年、小学館文庫)、『抵抗の拠点から:朝日新聞慰安婦報道」の核心』(2014年、講談社)、『安倍三代』(2017年、朝日新聞出版)など

*3:著書『明治維新と賤民廃止令』(1990年、解放出版社)、『天皇制と部落差別』(2008年、解放出版社)など

*4:著書『ドキュメント 「慰安婦」問題と教科書攻撃』(1997年、高文研)、『徹底検証あぶない教科書』(2001年、学習の友社)、『「つくる会」分裂と歴史偽造の深層』(2008年、花伝社)

*5:著書『徹底検証 神社本庁』(2018年、ちくま新書

*6:著書『「天皇機関説」事件』(2017年、集英社新書)、『〔増補版〕戦前回帰:「大日本病」の再発』(2018年、朝日文庫)、『歴史戦と思想戦:歴史問題の読み解き方』(2019年、集英社新書)など

*7:今時、旧仮名遣いとはさすが神社本庁です。

*8:1928~1991年。著書『国家神道』(1970年、岩波新書)、『慰霊と招魂:靖国の思想』(1974年、岩波新書)、『天皇の祭祀』(1977年、岩波新書)、『現代日本の宗教問題』(1979年、朝日選書)、『近代日本の宗教』(1980年、講談社現代新書)、『日本の宗教』(1981年、岩波ジュニア新書)、『靖国神社』(1986年、岩波ブックレット)、『日本史の中の天皇:宗教学から見た天皇制』(2003年、講談社学術文庫)、『新宗教:その行動と思想』(2007年、岩波現代文庫)、『天皇制国家と宗教』(2007年、講談社学術文庫)など

*9:著書『旧植民地における日系新宗教の受容:台湾生長の家のモノグラフ』(2009年、ハーベスト社)

*10:1909~1992年。著書『明治憲法の制定史話』(神社新報社)など

*11:首相、貴族院議長、枢密院議長、韓国統監など歴任。元老の一人。

*12:参議、内務卿、文部卿など歴任

*13:第22代法主大谷光瑞の妻が「大正天皇の皇后(結婚前は九条節子)の姉」だった(ウィキペディア大谷光瑞」参照)。

*14:著書『明治国家と宗教』(1999年、東京大学出版会)、『明治神宮の出現』(2005年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)

*15:1922~2014年。全国人民代表大会常務委員、中央民族委員会副主任など歴任。

*16:著書『新新宗教と宗教ブーム』(1992年、岩波ブックレット)、『オウム真理教の軌跡 』(1995年、岩波ブックレット)、『国家神道と日本人』(2010年、岩波新書)、『日本人の死生観を読む』(2012年、朝日選書)、『日本仏教の社会倫理』(2013年、岩波現代全書)、『国家神道と戦前・戦後の日本人』(2014年、河合ブックレット)、『神聖天皇のゆくえ』(2019年、筑摩書房)、『明治大帝の誕生:帝都の国家神道化』(2019年、春秋社)、『ともに悲嘆を生きる:グリーフケアの歴史と文化』(2019年、朝日選書)など

*17:著書『象徴天皇制の形成と定着』(2010年、思文閣出版)、『昭和天皇退位論のゆくえ』(2014年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)

*18:後述しますが、島薗氏が言ってるのは戦前の話でしょう。あるいは戦後も含むとしても「皇室が構成要素」というのは「神社本庁にとってそうだ」という意味であって「戦後の皇室が国家神道を支持してる」という話はしてないでしょう。

*19:柳田や折口は「国家神道は明治に誕生した新興宗教みたいなもん、必ずしも神道の伝統とは言えない」とは主張していたでしょうがそれは「とにかく明治以前に戻せばそれでいい」なんて現実無視ではないでしょう。まあ、葦津も故意に曲解して因縁つけてるのでしょうが。

*20:いやー、もちろん意義があると思うから柳田や折口はそう主張したわけです。彼らの主張「神道は歴史的には皇室の宗教に限定されるもんではない」「国家神道は明治に生まれた新興宗教みたいなもん」は「単なる事実の指摘」ではありません。「皇室と神道は縁切りし、国家神道をやめることが皇室と神道の生きる道」という政治的考えがバックにはありました。そして柳田や折口は一方では「皇室と神道にはつながりはないがどちらも日本の伝統文化で将来も守るべきという価値観」であり、別に彼らは「天皇制や神道に敵対しているわけでは勿論ない(そもそも枢密顧問官で、戦後は一時、國學院大学教授(神道学)を務めた保守派文化人・柳田が天皇制廃止、神道廃止のわけもないですが)」。柳田らに好意的だったというGHQももちろん天皇制や神道を潰す意思などない(それどころかGHQ昭和天皇を戦犯として訴追もせず、退位もさせず在位させ政治利用しました)。単に「皇室と神道の縁切りなど許せない」という立場の葦津率いる神社本庁にとっては「柳田、折口や彼らの考えに沿った形で神社政策を進めるGHQは敵だった」にすぎません。客観的には「柳田のような路線(国家神道の廃止)」以外では「天皇制も神道も生き残ることは不可能」だったでしょう。この点は「客観的には女帝以外に天皇制維持の道がないのにそれを敵視する連中」に「葦津の柳田、折口敵視」は似ています。

*21:1875~1962年。著書『海上の道』、『婚姻の話』、『木綿以前の事』(以上、岩波文庫)、『妹の力』、『神隠し・隠れ里』、『先祖の話』、『日本の伝説』、『昔話と文学』、『桃太郎の誕生』、『山の人生』、『雪国の春』、『妖怪談義』(以上、角川ソフィア文庫)、『国語の将来』(講談社学術文庫)、『遠野物語』、『日本の昔話』(以上、新潮文庫)、『地名の研究』(中公クラシックス)など

*22:1887~1953年。柳田の弟子の一人。著書『死者の書』、『日本文学の発生 序説』(以上、角川ソフィア文庫)、『日本藝能史六講』(講談社学術文庫)など

*23:トランプ発言はいつもの放言ですからね。今の時点で「自衛隊を送る」なんて言うわけがないでしょう。

*24:元外務事務次官