「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2019年4/23分:高世仁の巻)

かつて日本は子どもの楽園だった(4) - 高世仁の「諸悪莫作」日記
 小生が以前「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2019年4/1分:高世仁の巻) - bogus-simotukareのブログで批判した高世の与太かつて日本は子どもの楽園だった(3) - 高世仁の「諸悪莫作」日記の続きです。以前も批判したところですが「間引きなんぞあった江戸時代日本」が「子どもの天国」のわけもない。高世の与太には改めて呆れます。大体、高世主張の根拠が渡辺京二*1『逝きし世の面影』*2オンリーってのが滑稽です。他に根拠が出せないのか。出せないんでしょうね。そもそも与太だし、高世はバカだし。

 江戸末期から明治初期に滞日した外国人が、日本は子どもの楽園だと感嘆した話を書いてきた。日本人の子どもを可愛がることは外国人にも向けられた。
 1859(安政6)年、英国領事として長崎に着任したホジソンは妻と二人の娘を伴っていた。長崎の街に出かけたホジソン夫人は、自分の小さな娘がいかに可愛がられたかを驚きをもって書いている。
 「老婆という老婆、また数多くの老人たちも、この娘を愛でるために店から飛び出してきました。そして半ばいざるような恰好で、あとからあとから彼女にお菓子やら、茶碗やら、その他沢山の贈物をくれました。」
(中略)
 ホジソンはその年のうちに長崎を去り、箱館領事に就任したが、ある日奉行所の役人をディナーに招待した。
 「二人の奉行および奉行格と三人の支配組頭、それに彼らの随員」は、十分に料理を平らげ、シャンパンをたしなんだが、そのうち「家族を大勢もっている奉行格」がホジソンの子どもが列席していないのをいぶかって、いつまでも子どものことを尋ねた。
 「彼があまり娘のことを聞くので、ついに迎えにやることになった。彼女が現われ、二人の奉行と奉行格に頭を下げると、奉行格はテーブルの端にいたが、手一杯にケーキやお菓子をもって、わざわざ彼女のところにやって来て渡した。」
 渡辺京二さんは、これを「文明」に関係づける。
《奉行格はある文明の習慣に従っただけであった。(略)はるばる海を越えて来たこの異人の少女がいとしくてならないだけのことであった。

 イヤーよほどの「排外主義者」でもなければ「外国人の親の居る前で子どもを痛めつける」様な馬鹿なまねしないでしょうよ(苦笑)。ましてや相手は「長崎駐在(後に箱館駐在)・英国領事一家」というエリートです。というかこれ、単純に「子ども好き」つう話じゃなくて、「将を射んとする者はまず馬を射よ」じゃないですかね。少なくとも領事と仕事上の付き合いがある「奉行云々」の話はそうでしょう。
 「仕事上の付き合いがある領事閣下(エリート)に好感を持って仕事を円滑にするために子どもにへいこらする」つう話じゃないのか。古今東西そんな話は珍しくないでしょう。
 この高世の文章は、高世と「高世が持ち上げる渡辺某」の「頭の悪さ」を露呈してるだけでしょう。

 現在の日本では、外国にルーツを持つ子ども*3たちがいじめにあうケースがよくあるという。
 19日のNHK News Upの「日本に戻らなければよかった」は読むのがつらくなる悲惨な話だ。
News Up “日本に戻らなければよかった” | NHKニュース
 カナダ人の父親と日本人の母親の間に1989年、カナダで生まれた高橋美桜子さんは、4歳半から、母親の典子さんとともに日本で暮らした。中学に入ってから強烈ないじめにあう。
 精神に異常をきたし、美桜子さんは自宅マンションの8階から身を投げて(ボーガス注:2005年に)16歳の短い人生をみずから閉じた。
 母親の典子さんは、みんな違って当たり前という考え方のカナダに残っていたら・・と日本に戻ってきたことを悔いているという。
 150年前にあった日本の文明が消え去ったという渡辺京二さんの言葉が迫ってくる。

 「現在」じゃなくて昔だってそうだと思いますけどねえ。いやむしろ昔の方が酷いんじゃないか。映画「キクとイサム」、小説「人間の証明松田優作主演で映画化されています)」で描かれる「父親が外国人の子ども」への差別なんかそうでしょう。
 だからこそ映画「人間の証明」において「犯人(岡田茉莉子演じるファッションデザイナー八杉恭子)は保身のため、実の息子(ジョー山中演じるジョニー・ヘイワード)を殺害する」わけです。
 「有名ファッションデザイナーで与党大物政治家の妻」という名士の彼女にとって「父親が外国人の子どもがいる」ということは隠さなければならない汚点でした。
 あるいは衣笠祥雄(父親が黒人)が子ども時代に受けたという差別もそうでしょう。
 一方で「活躍してるから」という要素がもちろん大きいわけですが、例えば「大坂なおみ*4」に差別的暴言を公然と吐く人間はあまり居ないでしょう。
 「キクとイサム」「人間の証明」については拙記事新刊紹介:「歴史評論」3月号(その2:今井正『キクとイサム』、森村誠一『人間の証明』について、ほか:ネタバレあり) - bogus-simotukareのブログを、衣笠についてはid:Bill_McCrearyさん記事アフリカ系日本人のプロスポーツ選手の先駆け(の1人)だった - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)をご覧頂ければと思います。
 つうかそういう話をするときに「江戸時代は良かった」て「高世、おーまーえーはアホか(横山ホットブラザーズ風に)」ですね。
 大体高世が例に紹介してるのは「長崎駐在(後に箱館駐在)・英国領事の娘」というエリートです。今だってそんな人間は外国人でも差別されないでしょう。一方、このあたり小生も詳しくないのですが江戸時代において「長崎遊郭での外国人客(要するに出島に住むオランダ商館員ですが)と遊女との間の子」は一般に差別されたと言われます。まあ「シーボルトと遊女の間の子」である楠本イネなどはそのあたり幸いにも「恵まれた人生」を送ったといえるでしょうが。高世が言うほど江戸時代は「外国人の子ども」にとってバラ色じゃない。まあ、俺は「巣くう会の飼い犬」高世が反吐が出るほど大嫌いなのでこのように「突っ込みどころ満載」の場合は容赦なく「アホか、高世」「馬鹿は黙れ」と遠慮なく罵倒します。
 大体「朝鮮学校無償化除外」という「外国にルーツを持つ子ども(在日朝鮮・韓国人)」への差別を「差別ではない」と強弁して、積極支持する「在日差別者のクズ」のくせに高世は何をほざいてるのか(呆&怒)。

【参考:高世が紹介するNHK記事の引用】

News Up “日本に戻らなければよかった” | NHKニュース
 高橋美桜子さん。カナダ人の父親と日本人の母親の間に1989年、カナダで生まれました。
 その後、両親は離婚。美桜子さんは4歳半から、母親の典子さんとともに日本で暮らしました。
 しかし典子さんは、日本に帰国したことを今も悔やんでいます。
「カナダでは一人ひとりに自分の考えがあるということを幼い時から教えていました。自分の考えがあるということは、相手にも違う考えがある。みんな違って当たり前ということが自然と身についたんだと思います。だから、カナダに残っていれば…。今でもそう思っています」
 美桜子さんは、愛知県の私立中学校に進学するといじめを受けるようになりました。
 教科書やノートには殴り書きされた「ウザい」「キモイ」「死ね」といった文字。自分のいすに座って下を見ると机の下にゴミが集められ、教室に戻ると美桜子さんの机が教室の外に出されていました。
 同級生は、黒板に美桜子さんの似顔絵を描いて、スリッパを投げつけていることもありました。
 美桜子さんは、体調不良を訴え学校に行くのを嫌がり、下校のたびに泣いて帰ってくるようになりました。
 中学1年の3月。げた箱に行くと、美桜子さんの目に飛び込んできたのは、自分の靴の中にびっしり貼り付けられた画びょう。美桜子さんは、画びょうが入ったままの靴を持って担任にいじめを訴えました。担任は画びょうを受け取っただけで、こう言ったといいます。
 「俺のクラスにいじめなんかするやつはおらん。お前の思い過ごしだ」
 それから10日ほどあとの終了式の日。登校すると、同級生の1人が「汗が臭いから空気の入れ換えをしよ」と言うなり、教室の窓を開けました。
 「もう無理。この中学校だけは絶対に嫌だ」
 帰宅途中の美桜子さんは、典子さんに電話で伝えました。
 限界でした。
 中学2年、美桜子さんはいじめから逃れるため、別の中学に転校。その学校でいじめはありませんでした。
 しかし、美桜子さんに異変が起きました。
 「またいじめにあうかもしれないと思うと、怖くて教室にいられない」
 受診していた医師の診断は、いじめられたことによるPTSD。いじめの体験、記憶。美桜子さんは、これらから逃れることができなかったのです。
 中学2年の2月深夜。美桜子さんは突然起きだし、典子さんに言いました。
 「私は美桜子じゃありません。私は美桜子さんに、美桜子さんのことを教える人です」
 美桜子さんの中の「誰か」が話し続けました。
 美桜子さんがいくつかの人格にわかれていること、美桜子さんが自分自身のことを嫌いになったこと。
 その後も、「ランちゃん」「あやちゃん」と名乗る別の人格が表れては典子さんに美桜子さんの心の内を明かしていきました。
 そして、中学1年の時にいじめられた話になると、決まってしゃくり上げるように泣いてしまうのでした。どうしても逃れられない、いじめの記憶。「普通の女の子」に戻りたい。そんな当たり前のことすらかなわない現実がありました。
 過呼吸を起こしたり、カッターナイフを取り出してリストカットをしようとしたり。不安定な状態が続いたものの、一時期フリースクールに通いながら治療を進めていた美桜子さんは、中学2年のとき、外国人と帰国子女の生徒が数多く通う中高一貫の私立の学校に転校。高校にも進学できました。
 そうした中、美桜子さんは高校1年の1学期、スピーチコンテストのために、いじめの経験をテーマに作文を書いています。
 「自分との戦い」とタイトルを付けられた原稿はこう始まります。
 「今、私は自分自身と戦っています。その理由は今から三年前、中学一年生の時に受けた「いじめ」にあります」
 そして、美桜子さんが前を向いて歩み出していると感じられることばもありました。
 「今まで自分のいじめについて言葉に書き表したことはありません。でも、勇気を出して今、ここに書き表そうと思います」
 美桜子さんはいじめの経験について、いじめた同級生のストレスの『ゴミ箱』にされたと表現し、何も考えられなくなり、心が麻痺し、自分の生きている意味を見失い、他人からみればたとえ短い期間であったとしてもいじめを受けている本人にはすごく長く感じた1年間だったと振り返っています。
 そのうえで、高校生活ではいじめの経験を理解してくれようとする大切な友だちも見つかり、そうした友だちと本気で笑い合える日が来ることを楽しみにできるようになったことを明かしています。その心境をこう表現しています。
 「私の長い長いトンネルは小さい小さい光の出口が見つかったのかもしれません」
 しかし、高校2年の8月。母親が持病で検査入院をしていた日、一人きりになった美桜子さんは、知人にメールを送りました。
 「みんなが死ねって言ってる。苦しいから薬を飲んだ」
 異変を感じた知人は、すぐに美桜子さんの友人に彼女の自宅に急いで向かうよう連絡しました。友人たちは美桜子さんに電話をかけ、美桜子さんは電話に出ました。
 しかし、すでに意識がもうろうとした様子で、途中から美桜子さんの声は途切れました。
 8月18日未明。美桜子さんは16歳の短い人生をみずから閉じました。
 自宅マンションの8階から身を投げて。
 家のテーブルには赤いペンで書かれた遺書が残されていました。
 美桜子さんの死後、典子さんは娘がなぜ死ななければならなかったのかを考えてきました。
 その理由を知りたくて学校側を相手に裁判を起こしました。
 1審では、いじめが自殺の原因だと認められました。
 しかし、2審では高校での友人とのあつれきなどによるストレスが自殺の原因だとして、いじめとの関係は認められませんでした。
 典子さんは「私の中では、美桜子のことはまだ終わってないんです」と話し、今でも美桜子さんの短い人生について考え続けています。
 典子さんは、美桜子さんがいじめられた原因のひとつに、彼女のルーツが関係していたのではないかと考えています。
「美桜子はハーフで目立ち、はっきりものを言ううざいヤツ。だからいじめてもいいということになったと思っています。日本は、波風を立てない、何かあっても何もなかったようにやり過ごす、異なる意見は和を乱すから悪。そういうものに美桜子は苦しめられ続けた」
※私たちは、外国にルーツを持つ子どもたちをめぐる「いじめ」を継続的に取材をしています。
 実際の体験談やご意見を以下の特設サイトで募集しています。
外国人“依存” ご意見募集|NHKオンライン

【参考:NHKが紹介する話についての別記事】
 「高橋美桜子」でググってヒットした記事を紹介しておきます。

高2女子飛び降り自殺から10年「悲しみは少しも薄れない」 | 週刊女性PRIME [シュージョプライム] | YOUのココロ刺激する
 亡くなったのは高橋美桜子さん(享年16)。名古屋経済大学市邨中学校(名古屋市千種区)の在学中にいじめを受け、ショックから立ち直れなかった。2006年8月18日、高校2年生のときに投身自殺した。母親の典子さん(57)から話を聞いた。
 美桜子さんの誕生日は12月30日。生きていれば(ボーガス注:2016年現在)26歳だ。典子さんは「いまだに心が晴れることはない。悲しみは少しも薄れない」と涙ぐむ。
 美桜子さんとは「ママはマブダチだよ」と言うほど何でも話せる親子関係だった。典子さんは「美桜子は“ママにだって言っていないいじめもある”と言っていた。何があったのか知りたい」と話す。

高2女子いじめ自殺から10年 枯れることのない母の涙「知りたいのは隠蔽の仕組み」 | 週刊女性PRIME [シュージョプライム] | YOUのココロ刺激する
 2006年8月18日、高校2年生のときに投身自殺した高橋美桜子さん(享年16)。名古屋経済大学市邨中学校(名古屋市千種区)の在学中にいじめを受け、ショックから立ち直れなかった。
'09年8月、いじめの対応が不十分として市邨学園や理事長、校長、担任、加害生徒、保護者を相手に損害賠償請求訴訟を起こした。'11年5月、次の内容がいじめと認定された。
 仲間はずれにされた。「毛が濃い」「ニキビ」「反吐がでる」などと言われた。教科書やノートに「ウザい」「キモい」「死ね」と書かれた。靴の中に画びょうを貼りつけられた。ある生徒は「臭いから空気の入れ替えをする」などと言い、教室の窓を開けた。
 いじめの後遺症としてのDID(解離性同一性障害)や自殺との因果関係、さらに、自殺の予見可能性まで認めた画期的な判決だった。
 しかし学園側は控訴。名古屋高裁はDIDといじめの因果関係は認めたものの、自殺との因果関係や予見可能性は認めなかった。
「いじめから自殺まで年月があったので、いじめだけが原因とは言い切れないとの判決だった。遺族は学校でのいじめをすべて見ていないが、裁判は証拠で決まる。それでもこの判決は重い」
 典子さんは加害生徒8人も訴えた。
「反省し、お墓参りを約束した生徒がいた。いじめを証言すると言った生徒もいた」
 だから和解した。しかし、加害生徒は学園側の証人として出廷した。いじめを否定する証言をした。典子さんは、学校側の事後対応が誠実ではないことを含め、県私学振興室や県知事に対して調査委員会の設置を要望したが、実現していない。
 判決確定後も、県に働きかけてきたが、「私学の自主性」を理由に動かない。文部科学省の担当課や政務官に訪問を繰り返し、問題解決の道を探ってきた。学園側にも経緯の説明や謝罪を求めたが、満足な回答は返ってこない。
「公立なら記者会見をするが、私立ならやらなくてもすんでしまう。私立の問題点をリストアップして、文科省に提出することになっているが、今はつらくて作れない」
 市邨中学校は『週刊女性』の電話取材に「当時の職員がいないので、詳細はわからない」との回答にとどまった。
 典子さんは、美桜子さんと同じ子を出したくないとの思いで奮闘している。
「娘の尊厳が回復されていない。知りたいのはいじめ隠蔽の仕組み」と涙ながらに話した。

子供たちの「遺書」名古屋市高2女子飛び降り自殺「もうつかれたの。最後のわがままきいてね」(フライデー) | 現代ビジネス | 講談社(1/4)
「いじめを受けていた時に死んだわけじゃないんです。いじめられた時の記憶が、美桜子を自殺に追い込んだんです」
 こう涙ながらに話すのは、'06年8月18日に亡くなった、高橋美桜子さん(当時16)の母、典子(54)さんだ。美桜子さんは当時、愛知県豊田市の私立南山国際高校に通う2年生。過去のいじめの影響で突然パニック症状が現れるなどの障害が出て、治療中に自宅マンションの8階から飛び降りて自ら命を絶った。
 '02年、典子さんが英語科教員として勤務する市邨学園短期大学(現・名古屋経済大学短期大学部)の系列の、市邨中学に美桜子さんは入学する。ところが、1年の夏休み頃からいじめが始まり、同級生8人から「うざい」「きもい」「死ね」などの言葉を日常的に投げつけられるようになる。3学期にはスカートを切られる、靴の中に画鋲を貼り付けられるなど、いじめはさらにエスカレートしていった。
 '03年4月に岩倉市立岩倉中学に転校するが、授業を受けている最中に突然パニック状態に陥り「みんなが死ねって言ってる!」と叫ぶなど、異変が現れた。市邨中学時代のいじめの光景がフラッシュバックし、身体が動かなくなるなどの症状が美桜子さんを襲い始めたのだ。心療内科に通いPTSD(心的外傷後ストレス障害)と診断されて薬を常用するようになったが、症状は安定せず2学期からは不登校になった。'04年2月には、外国籍や帰国子女だけを受け入れている中高一貫校である南山国際中学校へ転校。しかし、その後も多重人格が現れる解離性同一性障害を発症し、自殺未遂を繰り返す。そしてついに美桜子さんは、辛い過去の記憶に耐えかねて、'06年8月に、16年という短い生涯を終えてしまったのである。
 学校側の対応について、典子さんが怒りを露にして語る。
「いじめの実態を調査してほしいと市邨中学にお願いしたのですが、聞き入れてくれませんでした。学校はいじめを認めるどころか、『線香を上げに行けば学校がいじめを認めたことになる』と謝罪すらしないんです。話し合いは、平行線を辿ってしまいました」
 自殺の民事訴訟の時効が迫り切羽詰った典子さんは、時効直前の '09年8月11日、市邨学園、理事長、校長、担任、そして加害生徒8名と保護者15名に対し、損害賠償を請求する民事訴訟名古屋地裁に起こした。
 典子さんが起こした裁判は、いじめが4年も前に遡るため、事実認定が困難と思われた。だが裁判では、加害者の実名が記されたノートがあり、専門医による美桜子さんの診断書や証言、また、生前に典子さんが何度も担任や学校に相談している事実など、母が集めた数多くの証拠が功を奏した。
「'11年5月20日に裁判の結果が出て、名古屋地裁はいじめの事実と自殺の因果関係、さらには自殺予見可能性を認め、学校側の被告全員に責任があるという判決が下されました。いじめから4年も経った自殺に因果関係を認めるのは、『画期的な判決』だったと担当の弁護士の方も喜んでいました。判決を聞いた時は、本当に嬉しくて涙がこぼれました」(典子さん)
 母の執念が勝ち取った勝訴だった。
 しかし、安心したのも束の間。判決はこれで確定とはならなかった。校長、担任を含む学校側は一審の判決を不服として即日、名古屋高等裁判所に控訴したのだ。加害生徒と保護者とは裁判の終盤で金銭による和解が成立していた。つまり、和解により加害生徒たちは実質いじめを認めたということにほかならないが、学校はその事実を正面から受け止めようとしなかったのだ。
 市邨中学校を始め名古屋経済大学など幼稚園から大学院までを経営する、市邨学園グループの責任者・末岡熙章理事長は、本誌の取材に対し辟易したような顔でこう言い放った。
「(美桜子さんは)うちの生徒ではなくなっているし、(加害)生徒たちはいじめではないと証言していますから、謝罪と言われてもね。いじめというよりいたずらです。(一審)判決が(いじめを)認め敗訴しても私たちとしては(いじめは)なかったとしか言えない」
 あくまでも理事長は、いじめがあった事実を認めず、頑なに学校に非はないと繰り返した。
 控訴審の判決はまもなくだと思われるが、娘の書き残した『自分との戦い』を引き継ぎ、典子さんの〝母の戦い〟はまだまだ終わらない。

解決までに10年掛かった名古屋「市邨学園」いじめ事件の内容 | いじめーラボ
 この記事で紹介する内容は2002年に起きた名古屋市の「市邨(いちむら)学園」のいじめ自殺事件で、この事件の被害者は高橋美桜子さん(享年16歳)です。
 美桜子さんは中学校入学時からいじめを受けて転校を繰り返し(その内フリースクールにも転入している)、高校2年生の時に住んでいたマンションから飛び降りて自殺してしまいます。
 裁判では嘘の証言(?)や遺族側への侮辱などやりたい放題だった事など、自殺に対する責任を感じている様子は少しも感じられない様子である事が明らかになりました。
 「学校でいじめはなかった」というスタンスを最後まで崩す事はありませんでした。
 この裁判で遺族側は相手側(加害者と学校に)に
・加害者は原告(遺族側)に対し約4300万の損害賠償金を支払う
・被告学園と理事、校長、担任に対しそれぞれ原告に対し100万の損害賠償金を支払う
事を求めました。
 そして最終的に、
・加害者は原告に対し約1500万の損害賠償金を支払う
・原告のその他の請求を棄却
と判決が下されます。
 一応の終結が成されましたが裁判に「10年」もかかったのは「学校側の対応の遅さ」が原因になっている事は明らかで、最早悪意があると言われても仕方が無い内容となっています。

【参考:江戸時代の「外国人の子ども」関係について】

■楠本イネ(文政10年(1827年)~明治36年1903年)、ウィキペディア参照)
1827年(文政10年)、ドイツ人医師であるフィリップ・フランツ・フォン・シーボルト(1796~1866年)と、丸山町遊女であった瀧(1807~69)の間に生まれる。
 母の瀧は商家の娘であったが、実家が没落し、出島でシーボルトお抱えの遊女となり、彼との間に私生児としてイネを出産した。
・イネは日本人女性で初めて産科医として西洋医学を学んだことで知られる。“オランダおいね”の異名で呼ばれた。

じゃがたらお春(1625年?~1697年、ウィキペディア参照)
 江戸時代初期に長崎に在住し、後にバタヴィアジャカルタ)へと追放されたイタリア人と日本人の混血女性。
 寛永16年(1639年)6月に発布された第五次鎖国令により、同年10月、長崎に在住していた紅毛人とその家族がバタヴィアへ追放された際、母・マリア、姉・お万と共に14歳で離日した。
 追放後、21歳のときオランダ人との混血男性で、平戸を追放されていたシモン・シモンセンと結婚。夫はオランダ東インド会社へ入り活躍したといわれる。三男四女を儲け、1697年4月に72歳で死去したという記録が残されている。
じゃがたら
 追放後にジャカルタから故郷の人々に宛てたとされる「じゃがたら文」によって知られる。正徳4年(1714年)に西川如見が著した『長崎夜話草』第一巻によって初めて紹介された。以来、募る望郷の念を少女とは思えぬ流麗な調子でしたためた名文として高く評価され、お春は江戸幕府により故郷と引き離された悲劇の少女として知られることとなった。昭和14年(1939年)にはじゃがたら文を下敷きとして歌謡曲「長崎物語」も作られた。
 しかし発表直後から「西川の偽作ではないか」との疑いが出ている。古詩を交えて書かれるなど、少女が書いたとしては文章が美麗過ぎ、また「じゃがたら文」と後年お春によって書かれたとされる手紙との差異も著しく、近年では偽作とほぼ結論づけられている。
 ジャカルタ古文書館にお春の遺言書が保存されており、遺産の分配法などが示されているほか、富裕層の証である奴隷も所有していたことが明らかとなっており、「じゃがたら文」から想起された悲劇的な印象とは異なる生涯を送った記録が残されている。

■羅紗緬(ウィキペディア参照)
・綿羊のことで、日本においては、外国人を相手に取っていた遊女、あるいは外国人の妾となった女性のことを指す蔑称。
■由来
 幕末開国後の1860年頃から使われだした言葉で、西洋の船乗りが食用と性欲の解消の為に船にヒツジを載せていたとする俗説が信じられていたためといわれる。
 安政6年(1859年)の開国・横浜開港と同時に、江戸幕府公認で、主に外国人の相手を目的とした港崎遊郭が関内に開業、幕府は外国人専用の公娼(羅紗緬)を鑑札制にし、管理を遊女屋に託した。
 また、幕府は日本人の娘が外国人男性と結婚するのを禁じていたが、外国人からは遊郭の遊女以外の女性の要望も強く、せめて妾は許して欲しいと主張されて遊女であれば外国人の自由にさせても攘夷の浪人を憤慨させることはあるまいと、万延元年(1860年)、港崎遊郭の羅紗緬に外国人の妾になることも許した。

【参考:近現代日本の「外国人の子ども」差別について】

GIベビー案内板、市が削除し書き換え 横浜・根岸外国人墓地 | 社会 | カナロコ
 戦後の占領下、進駐軍と日本人女性の間に生まれた「GIベビー」が埋葬されているとされる横浜市中区の根岸外国人墓地。その存在を記した案内板の文言を市が削除し、書き換えていた。墓地を管理する市は「(GIベビーを)埋葬したと証明する記録がない」と主張。地域住民らは「後ろ暗い過去であっても、しっかりと向き合うべきだ」と反発している。
 書き換えの理由について横浜市環境施設課は「担当者が変わっており、はっきり分からない」としつつ、外国軍人軍属と日本人女性との間に生まれた子どもたちが埋葬されたとの記録はないとして「事実かどうか確認が取れないとすると、断定的な文言をそのまま記載するのは難しい」と説明する。
 根岸外国人墓地に眠るGIベビーを追ったノンフィクション「天使はブルースを歌う」(毎日新聞社)を著した作家山崎洋子さん(68)は「国際都市や文化観光都市をアピールしたいからか、横浜市は負の歴史を隠そうとする傾向がある。例えば、横浜公園にあった有名な遊郭、岩亀楼を『国際社交場』と言い換えている。暗い歴史であっても受け止め、そこから未来を考えていくことが必要ではないか」と話している。

女性、児童福祉の先覚者に光 福岡・遠賀町出身の官僚 高崎節子さん 終戦後の混乱期に奔走 小説で社会問題告発も|【西日本新聞】
 戦後の混乱期に外国人との間に生まれ「混血児」と呼ばれた子どもの苦境を告発するなど、子どもや女性の人権尊重と福祉の充実を訴えて奔走した労働省(現・厚生労働省)官僚がいる。福岡県遠賀町出身の高崎節子さん(1910~73)。公務の枠を超えて文筆活動や講演、慈善活動を行い、新しい時代の女性の生き方を体現した。これまで存在はあまり知られていなかったが、同町の郷土史家、水口一志さん(56)が掘り起こし「生きざまから学ぶことは多い」と情報発信を続けている。
 公務の傍ら、火野葦平ら文化人と交流。自らも小説や随筆、新聞寄稿などで社会問題を告発した。神奈川時代の隣家の女性が、占領軍兵士との間にできた子どもと2人で厳しい生活を送っていたことから、そうした子どもたちの支援を始めた。小説「混血児」(52年)は日本人からさげすまれ、さらに黒人の子か白人の子かで差別されながら施設で育つ子どもたちの姿を描写。翌年、奈良岡朋子さん*5らの主演で映画化された。戦災孤児や貧しい子どもの労働は「人身売買」(54年)に著した。
 ただ、こうした業績はおろか、高崎節子の名さえ地元でもほとんど知られていなかった。

*1:著書『神風連とその時代』(2006年、洋泉社MC新書)、『なぜいま人類史か』(2007年、洋泉社MC新書)、『北一輝』(2007年、ちくま学芸文庫)、『日本近世の起源』(2008年、洋泉社MC新書)、『私のロシア文学』(2011年、文春学藝ライブラリー)、『維新の夢』(2011年、ちくま学芸文庫)、『神風連とその時代』(2011年、洋泉社新書y)、『ドストエフスキイの政治思想』(2012年、洋泉社新書y)、『私の世界文学案内』(2012年、ちくま学芸文庫)、『近代の呪い』(2013年、平凡社新書)、『無名の人生』(2014年、文春新書)、『幻影の明治:名もなき人びとの肖像』(2018年、平凡社ライブラリー)など

*2:2005年、平凡社ライブラリー

*3:最近はこういう場合「混血児」とは余りいわないこと(混血児という言葉が差別的と評価されてること)については拙記事新刊紹介:「歴史評論」3月号(その1) - bogus-simotukareのブログ参照

*4:プロテニス選手。2018年全米オープン女子シングルス優勝、2019年全豪オープン女子シングルス優勝。

*5:1929年生まれ。女優。現在、劇団民藝代表。