国家基本問題研究所のバカさに呆れる(2023年8月9日記載)(追記あり)

【追記】
 いったいどれだけ頭が時代錯誤なのか(そんなん日本の安全保障と何の関係もないじゃん。また秦郁彦と田村秀男の堕落ぶりもすさまじい) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)でこの記事を紹介頂きました。いつもありがとうございます。
【追記終わり】
核抑止論は破綻せずウクライナで立証された 太田文雄(元防衛庁情報本部長) « 国基研ろんだん 国基研ろんだん « 公益財団法人 国家基本問題研究所
 「日本核武装」を主張する「国基研」的には「そういうことにしたい」のでしょうが、仮にロシアが核保有しなくても米国がウクライナ戦争に米軍を投入したかどうか?
 「核を保有しないタリバン」相手に米軍はアフガンから撤退したわけですからね。勿論タリバンは核保有国(中国、ロシア等)と同盟関係にあるわけでもない。
 また、この国基研の理屈だと「米国の侵攻を防ぐには通常兵器が劣る北朝鮮は核を持つしかない」として「北朝鮮の核保有」を正当化できることを国基研はどう理解してるのか(実際、北朝鮮はそう公式に主張していますし)。


「皇室を支える仕組みの再建を」江崎道朗 評論家・麗澤大学客員教授 « ニュース « 公益財団法人 国家基本問題研究所

【講話の概要】
 明治新政府は近代国家建設に際して、皇室を支え、お守りする仕組みを整備したが、その仕組みは戦後、占領軍によって解体されてしまった。
◆皇室を支える仕組みを構築した明治新政府
 明治新政府は(中略)華族令を定め皇室を支える藩塀として華族を置いた。そして華族を監督する役目を与えられたのが宮内省*1である。加えて、(中略)天皇の常時補佐役として内大臣*2が新設された。
(中略)
 ところが、こうした皇室に関する仕組みは日本敗戦後、占領軍によって解体された。
(中略)
 宮内省は(ボーガス注:天皇直結の特殊な官庁ではなく)他省庁と同様の一行政機関となり「(ボーガス注:天皇ではなく)政府の指示に従う」宮内庁へと変質、格下げされ、その規模も(ボーガス注:職員数や予算が?)4分の1に縮小された。
 皇室を支える藩塀たる華族制度も解体され、十一*3あった宮家*4臣籍降下を余儀なくされた。同様に「皇室と国民の絆」を支える仕組みも解体された。例えば、神道指令により学校及び公的機関から皇室と神道が排除*5された。
 紀元節明治節など*6皇室祭祀と関連する祝祭日は名称を変更、年中行事で皇室を意識する機会が失われること*7になった。
(中略)
 以上のように、明治の先達が苦労を重ねて築いてきた、皇室を支え、お守りする仕組みが、戦後の占領政策により解体*8され、再構築されずに現在に至っている。
 われわれは戦後の宿題、つまり126代にわたって続く皇室を支えお守りする仕組みを再構築する議論を始めたい。

 「再構築」が何を意味するかは全く不明ですが、前後の文脈から見て
1)「環境庁環境省」「防衛庁防衛省*9のように宮内庁(現在は内閣府の所管)を省へ格上げし、トップ(宮内相)も国務大臣とする
2)華族制度の復活
3)旧宮家の皇室復帰
4)国家神道の復活
5)奉安殿と御真影の復活*10
6)紀元節*11明治節*12の復活
なんですかね。4)なんか憲法政教分離にもろに抵触しますが。
 いずれにせよコメント欄に指摘があるように「アナクロ」でしかないでしょう。「アナクロ極右を除く日本国民多数派(自民支持層を含む)」は勿論、昭和天皇ならまだしも現在の皇室がそんなことを希望するとも思えない。

*1:揚げ足取りすれば「宮内省設置=1869年」「華族令制定=1884年」であり宮内省は「華族の監督」だけをやっていたわけではない。

*2:その職務や権限は、憲法学者ですら明確に定義することができないほど、非常に曖昧かつ抽象的で、全ては天皇と「内大臣に就任した人物」との人間的な信頼関係のみで成立するという特殊な官職であった。これは創設当初、太政大臣を退く三条実美を処遇する名誉職としての意味合いが強かったことによる。当初の内大臣三条実美(元太政大臣、元首相)、桂太郎(元首相)、大山巌(元陸軍大臣、元老)、松方正義(元蔵相、元首相、元老)といった「元首相」「元老」といった大物政治家が就任したが、途中から天皇との信頼関係が重視され「牧野伸顕(文相、農商務相、外相、宮内大臣等を歴任)」「湯浅倉平(警視総監、内務次官、会計検査院長宮内大臣等を歴任)」「木戸幸一(文相、厚生相、内務相等を歴任)」といった「元老、元首相ほどの大物ではない人物」も任命されている(内大臣府 - Wikipedia参照)。

*3:伏見宮家、閑院宮家、山階宮家、北白川宮家、梨本宮家、久邇宮家、賀陽宮家、東伏見宮家、竹田宮家、朝香宮家、東久邇宮

*4:これでは「終戦当時、宮家は11あり全て臣籍降下した」かのように読めますが、「宮家の内、高松宮家(跡継ぎがおらず、2004年、高松宮妃喜久子の死去により断絶)、秩父宮家(跡継ぎがおらず、1995年、秩父宮妃勢津子の死去により断絶)、三笠宮家(現在の三笠宮家は男子が不在であり、女性宮家を認めない現行皇室典範においては女子の結婚による臣籍降下で断絶する)を除く11家が臣籍降下した」が正しい。なお、その後、常陸宮家(跡継ぎがいないため常陸宮夫妻が死去した時点で断絶)、高円宮家(現在の高円宮家は男子が不在であり、女性宮家を認めない現行皇室典範においては女子の結婚による臣籍降下で断絶する)、秋篠宮家が創設されている。

*5:「学校から皇室排除」とは学校から奉安殿と御真影がなくなったことか?

*6:「など」としては「四方拝(現在の元日)」「新嘗祭(現在の「勤労感謝の日」(11/23))」

*7:天皇誕生日が祝日としてありますし、新年の一般参賀を考えれば「意識する機会が少なくなった」ならともかく「失われた」とは言えないでしょう。

*8:ということで天皇制は戦後も継続した物の、さすがに「戦前そのままの形」では残りませんでした。

*9:但し宮内庁長官国務大臣でないのに対し、環境庁防衛庁の長官は国務大臣でしたが

*10:こんなことを主張しながら「朝鮮学校金日成肖像画掲揚(既に今は掲揚を辞めたとも言われていますが)」を非難するのだからウヨのデタラメさには呆れます。「戦前日本の天皇個人崇拝はきれいな個人崇拝」で「外国の個人崇拝は醜い個人崇拝」とでも言う気なのか?

*11:現在の「建国記念の日(2/11)」

*12:現在の「文化の日(11/3)」