林外相退任&上川外相就任(2023年9/18日分)

【第1072回】上川外相と木原防衛相を歓迎する « 今週の直言 « 公益財団法人 国家基本問題研究所
 木原評価については触れません。
 呆れるのは上川評価ですね。
 「法相時代、死刑執行でオウムに毅然とした態度を取ったから、外国相手にも毅然とした態度(産経の期待していることは反中国、ロシア、北朝鮮嫌韓国でしょうが)を期待する」。
 論理展開が無茶苦茶すぎて「はあ?」です。


知られざる内閣改造 “最大のサプライズ”林外務大臣交代の真相 | TBS NEWS DIG

 ある自民党幹部は「完全に岸田さんがライバルを潰した」との見方を示した。

 林氏(岸田派)って「ライバル」だったんでしょうか?。てっきり「大平正芳(池田派所属:池田内閣で官房長官、外相)を育てた池田勇人」等のように「子分の林氏」を「岸田内閣外相」にして岸田派幹部として育成してるのかと思ってました。
 一方で

内閣改造最大のミステリーは林芳正氏の外相退任「岸田派の後継者として育成へ」角谷浩一氏が分析 - 社会 : 日刊スポーツ
 現在岸田派は総裁派閥にもかかわらず「ポスト岸田」が見当たらない。岸田政権もいつまで続くか分からず、今後も「宏池会時代」を続けるには(ボーガス注:「福田内閣防衛相」「麻生内閣経済財政担当相」「第二次、第三次安倍内閣農水相」「第四次安倍内閣文科相」「岸田内閣外相」と大臣経験は豊富だが、派閥業務の経験に乏しい林氏を政府、党の役職からあえて外して無役にして、岸田派の業務を専らやらせ)林氏を育てるしかないと、首相は考えたのではないか。「林派」に向けた第1歩だろう。後継者がおらず、混乱している安倍派を目の当たりにした影響も大きいはずだ。首相は、急ごしらえでも派閥の「顔」を育てる必要性に、駆られたのではないかと思う。

とまるで逆の見方もあるようです。


「オノ・ヨーコと同じヨーコです」上川陽子外相、ブリンケン氏と電話会談…来週外交デビュー : 読売新聞

 林芳正・前外相から引き継ぎを受けた際、「外交は言葉の世界だ。最初は外務省が用意した紙を読んだほうがいい」と助言を受けていた。

 「素人外相」感漂う話です。多分、読売も「上川氏への嫌み、皮肉」でこう書いてるのでしょう(そもそも林発言自体が、林氏による「そうした嫌み、皮肉」の疑いがありますが)。
 そういえば

久保田円次 - Wikipedia
 1979年11月9日、第2次大平内閣で防衛庁長官に就任したが防衛政策通ではなかったことから度々「重大な問題でございますので、防衛局長(政府委員)から答弁させます」といった答弁をして問題となった(衆議院予算委員会昭和55年2月1日など)。2月4日に宮永スパイ事件の責任を取る形で陸上幕僚長永野茂門*1とともに引責辞任

なんて「似たような話」もありますね。

 上川氏は14日夜のアントニー・ブリンケン米国務長官との電話会談では、ビートルズファンのブリンケン氏に「オノ・ヨーコと同じヨーコです*2」と自己紹介。互いを「トニー」「ヨーコ」と呼び合うことを確認した。

 どうでもいい話ですが、ポール・マッカートニーとかけてるのか?(まあマッカートニーはポールと呼んでトニーとは呼びませんが)


訪米で本格デビューへ “上川外交”の行方は…問われる「対中国」姿勢と好んで使う3つの四字熟語(FNNプライムオンライン) - goo ニュース(フジテレビ政治部・髙田圭太)

 上川氏の外相起用は、政界ではやや驚きを持って受け止められた。林外相の続投を予想する向きが多かったこともあるが、上川氏がこれまで外務省の副大臣政務官など、政府や党、国会の外交関連のポストに就いてこなかったことも一因だ。

 まあそういうことですね。

 ただ、上川氏はかつて、アメリカのハーバード大学大学院に留学したり、米民主党上院議員の政策立案スタッフを務めた経験をもつ国際派でもある。今年は茂木幹事長とともに訪米する機会もあった。
 また、これまで3度にわたり務めた法相在任時には「司法外交」を掲げて(中略)きた。

 後付けの理屈でしかないでしょう。

 3つの四字熟語「鵬程万里」「為政清明」「不易流行」を好んで使っていた。

 ググったところ「鵬程万里」とは「鵬が北海から南海へと飛んでいく道程は万里あるという『荘子』の寓話から、転じて、前途が遠大であることをたとえていう」だそうです。
 「不易流行」については以下を紹介しておきます。

不易流行 | スピーチに役立つ四字熟語辞典 | 情報・知識&オピニオン imidas - イミダス
 松尾芭蕉俳諧理念の一つ。俳諧には不易(永遠に人を感動させるもの)と流行(その時代における新しさの先端を行くもの)があるが、不易は流行の中で永遠性の強いものが残ったに過ぎず、不易と流行は別のものではなく、根元は一つであるという考え方をいう

不易流行とは?・俳句の作り方/日本俳句研究会
 不易流行とは俳聖・松尾芭蕉が「奥の細道」の旅の中で見出した蕉風俳諧の理念の一つです。
 芭蕉の俳論をまとめた書物『去来抄』では、不易流行について、以下のように書かれています。
「不易を知らざれば基立ちがたく、流行を知らざれば風新たならず」
 噛み砕いて言うと、
「良い俳句が作りたかったら、まずは普遍的な俳句の基礎をちゃんと学ぼう。でも、時代の変化に沿った新しさも追い求めないと、陳腐でツマラナイ句しか作れなくなるので、気を付けよう」
ということです。
 例えば、明治時代に正岡子規は、江戸時代以来の陳腐な俳句を月並み句として批判し、俳句の革新を成し遂げましたが、彼はいきなり新しい句を作ったのではありません。正岡子規の初期の作品は、彼が否定した月並み句そのまんまです。
 子規はこれに満足せず、(中略)歴史に埋もれていた与謝蕪村の句に出会って、その主観的な描写表現に魅了され、試行錯誤の末、写生による現実密着型の俳句を確立させました。
 正岡子規は、俳句の本質を学んでから、新しい俳句を目指すという、不易流行を体現したような人だったのです。
 不易流行の『不易』とは、時を越えて不変の真理をさし、『流行』とは時代や環境の変化によって革新されていく法則のことです。
 不易と流行とは、一見、矛盾しているように感じますが、これらは根本において結びついているものであると言います。

 蕉門に、千歳不易(せんざいふえき)の句、一時流行の句といふあり。是を二つに分けて教え給へる、其の元は一つなり。

 去来抄の中にある向井去来の言葉です。
「千年変らない句と、一時流行の句というのがある。師匠である芭蕉はこれを二つに分けて教えたが、その根本は一つである」という意味です。
 服部土芳は「三冊子」の中で、その根本とは、「風雅の誠」であり、風雅の誠を追究する精神が、不易と流行の底に無ければならないと語っています。

 師の風雅に万代不易あり。一時の変化あり。この二つ究(きはま)り、其の本は一つなり。その一つといふは、風雅の誠なり

 俳句が時代に沿って変化していくのは自然の理だけれども、その根本に風雅の誠が無ければ、それは軽薄な表面的な変化になるだけで、良い俳句とはならない、ということです(風雅とは蕉門俳諧で、美の本質をさします)

 さてフジ記事に戻ります。

 「為政清明」は、明治維新の三傑として知られる大久保利通が好んだ言葉で、「政治に携わる者は、心が明るく澄んでいなければならない」という意味だ。

 正論ではありますが、今の自民党で「良くもそんなことが言えた(呆)」とは思います。

 上川氏の外相就任について、中国外務省の毛寧副報道局長は会見で、上川氏が過去に訪中したことなどに言及した上で、「両国の外交部門が共に努力し、対話と協力を強化し、意見の食い違いをコントロールするよう希望している。新時代の要求に合致した、建設的かつ安定的な関係の構築を共に進めたい」と関係改善への期待を示した。

 まあ社交辞令ですね。「ゴリゴリの反中国右翼」で外相就任記者会見でも「反中国発言を連発」でもない限り、就任直後はこう言うでしょう。

*1:役職は当時。後に政界入りし、羽田内閣法相になるが南京事件否定発言で引責辞任

*2:但し、上川氏は「陽子」、オノは「洋子」