テレ朝・おはよう時代劇『暴れん坊将軍9』第27話「宿命の絆 わが子に一目逢いたい!」(1999年放送の再放送)(2023年11月21日記載)

◆第27話「宿命の絆 わが子に一目逢いたい!」(2023年11月21日再放送)
 蕎麦屋夫婦伍助(山本學*1)、おひさ(赤座美代子)と知り合いになる吉宗。
 彼らは静岡・掛川で旅籠屋を経営していたが息子「平太」の失踪を契機に店をたたみ、蕎麦屋をしながら息子を探し続けていた。
 一方、吉宗は北川右近(中村久光)とも知り合いになる。
 彼は父・北川多門(西園寺章雄)を暗殺した人間を探していた。
 実は多聞は作事奉行*2「千々岩兵部」(川合伸旺)の悪事(千々岩に贈賄した商人に工事を優先発注)を、目付「須藤軍十郎」(大場順*3)に告発するが、大場は「作事奉行など旗本の不正を追及する役職」の目付でありながら既に千々岩と通じており、多門を暗殺していた。
 「多門殺し」の犯人を追う右近を疎ましく思う千々岩らは彼も暗殺しようとするが、吉宗に救われる右近。
 右近は吉宗に、自分は「盗賊の一味に育てるため」にさらわれたようだが、詳しい事情を捕縛された盗賊一味が語らなかったため、身元が分からず当時、捕り方の一人であった多門に引き取られ、息子として育てられた上に、跡継ぎにまでしてくれたと感謝の念を語る。
 「右近の話」と「伍助の話」から「右近=平太」と当然気づく吉宗。そのことを伍助夫婦に告げるが彼らは「立派な武士となった右近」の出世の妨げになることを恐れ、「親子としての再会」を躊躇します(但し、これ以前に伍助夫婦と右近は知り合いになっており「親子とは知らない形」では再会している)。
 右近と伍助夫婦が「親子」として再会するかどうか、がメインとなる人情話です。
 勿論「親子として再会」するかどうかとは1)悪人達に右近が暗殺されずに済むか、というだけではなく、2)あえて親の名乗りを伍助らがあげるかどうかという意味です。
 落ちを言えば、1)無事に済む、2)親の名乗りを上げ、「実の親である二人」を右近が引き取るのですが。

参考

https://www.tv-asahi.co.jp/pr/sphone/20231120_13578.html
 ひょんなことから伍助という屋台のそば屋と知り合った吉宗は、彼の人情味あふれた子供好きの性格に好感を持つ。そんな中、吉宗のもとに目安箱の訴状が届けられる。それは、作事奉行方の役人・北川多門が書いたもので、(ボーガス注:上司の)作事奉行・千々岩兵部が不正を働いていること、そしてそれを役人に訴えようとした普請請負の美濃屋が不審な死*4を遂げたことが記されてあった。だが、吉宗が真偽を調べようとした矢先、多門が殺されたとの報せが…

暴れん坊将軍9
第27話「宿命の絆 わが子に一目逢いたい!」
 妙なほど子供に親切な蕎麦屋の親爺、神隠しに遭った息子を探して旅の果て江戸へ流れ着いていた。その子が今回の紛争の当事者というご都合主義的展開なるも、蕎麦屋夫婦に(ボーガス注:ベテラン)山本学赤座美代子を配してあって充分に感動的。ワルの作事奉行が(ボーガス注:時代劇の常連悪役)川合伸旺なのもよい

川合伸旺 - Wikipedia
 1932~2006年。
 数々の時代劇や刑事ドラマで悪役として活躍する一方、映画『激突! 殺人拳』(1974年、東映)では温厚・沈着冷静な空手家「土田鉄之助」を、TBS『翔んでる!平賀源内』(1989年)ではドジな町奉行「能勢甚四郎」をコミカルに演じ、幅広い役をこなしている。
【悪代官として】
 『水戸黄門』や『暴れん坊将軍』の悪代官役で定評があり、ファンの間では「ミスター悪代官」の愛称で親しまれた。
 悪代官役を始めた当時、新劇(劇団青俳*5→劇団NLT*6→浪曼劇場)出身だったために苦労していた。そんな時、子分役で出演するベテランの時代劇俳優から「僕らは主役に斬られるための悪役をやってるんじゃない。川合さんが演じる代官の子分をやってるんだ。代官を信用して守っているから、斬られて死んでいくんだ。だから、川合さんももっと勉強して欲しい」と言われたことで必死に勉強したという。この経験から、「時代劇は基本をわきまえた人しかやったらいけない、それくらい厳しいものだと思っています」と語っており、若手に対しても「『最初はできなくて当たり前』なんて思ったらよくない」「もし演技で不安があったら、撮影中でも『今のところ、あれで良かったでしょうか?』ってどんどん先輩に聞けばいい。教えてくれるのを待っていたら進歩しない」と述べている。
 街頭で子ども達から「悪代官だ!」と声を掛けられても、決して嫌な顔をせず、笑顔で手を振って答えていたという。川合は「子ども達が私の名前を知らなくても、顔を見ただけで『時代劇の悪代官の人だ!』と言われるのは、役者としてとても嬉しい」と語っていた【要出典】。その一方、同級生から「テレビに川合伸旺が映っても、『あれはお父さんの友達だ』と子どもに言えないんだよな」と言われた時は「もし僕が正義の味方の役だったら、友達も威張れるのにな」と寂しさを覚えたという。
 「お主も悪よのう」の台詞は、同じく時代劇の悪役で著名だった田口計(1933年生まれ)と共にカンロのど飴のCMに出演した際に考案された。最初は違う台詞が用意されていたが、撮影をするうちに二人でこの台詞に変えたといい、そのCMが有名になったことで定着したという。なお、実際のドラマでこの台詞を披露したことはあまりないという。
【声優として】
 ジェームス・ディーン、マーロン・ブランド*7ポール・ニューマン*8の吹き替えを担当し、悪役のイメージとは正反対の役を多数演じた。思い出深い出演作には、『レッド・サン』での三船敏郎の吹き替えを挙げている。

*1:1937年生まれ。1978年に『白い巨塔』で演じた内科医・里見脩二役は代表作の1つ。政治的には2012年9月、「安倍晋三総理大臣を求める民間人有志の会」に参加した右翼。映画監督の山本薩夫(1910~1983年)は叔父。俳優の山本圭(1940~2022年)、山本亘(1943年生まれ)は弟(山本學 - Wikipedia参照)

*2:類似の役職である普請奉行、小普請奉行とあわせ下三奉行(しもさんぶぎょう)と呼ばれた。「北町奉行の『遠山の金さん』」として知られる遠山景元(小普請奉行、作事奉行、勘定奉行、江戸北町奉行大目付、江戸南町奉行を歴任)など作事奉行を立派に務めた者は町奉行勘定奉行などに栄転したものが多い(作事奉行 - Wikipedia参照)

*3:代表作としてテレビ朝日はぐれ刑事純情派』(1989~2009年)の高木直刑事役(大場順 - Wikipedia参照)

*4:ドラマにおいては「溺死に見せかけた他殺」で犯人の一人は目付の須藤

*5:元・新協劇団(現在の東京芸術座の前身)の織本順吉(1927~2019年)、元・劇団俳優座木村功(1923~1981年)らが1952年に設立した「青年俳優クラブ」が前身。1954年、名称を劇団青俳と改称。1966年には、第1回紀伊國屋演劇賞を団体として受賞。しかし1970年代までにはテレビ・映画で活躍する著名俳優が次々と移籍、独立し、看板俳優が織本順吉木村功だけとなっていた。1979年、多額の負債を抱え倒産(劇団青俳 - Wikipedia参照)

*6:1963年に文学座を退座した青野平義三島由紀夫賀原夏子中村伸郎南美江丹阿弥谷津子村松英子矢代静一らにより、1964年に「グループNLT」として結成(NLTとは「Neo Littérature Théâtre」(日本語では新文学座)の頭文字をとったもの)。1968年、賀原らとの路線対立から、三島、中村、南らが「グループNLT」を脱退したことにより、現在の「劇団NLT(初代代表は賀原)」に名称が変更され、喜劇専門の劇団となる。脱退した三島らは「浪曼劇場」を結成。なお、浪漫劇場は1970年の三島自決の影響もあり、1972年に解散(劇団NLT - Wikipedia参照)

*7:1924~2004年。1954年に『波止場』で、1972年に『ゴッドファーザー』でアカデミー主演男優賞受賞

*8:1925~2008年。1986年に『ハスラー2』でアカデミー主演男優賞受賞