黒井文太郎
週刊アサヒ芸能・特集「ニッポンの黒幕」はいかがでしょうか?
連載で登場した昭和の黒幕&フィクサーの皆様↓
◆笹川良一
1899~1995年。右翼活動家。日本船舶振興会(現・日本財団)会長、国際勝共連合名誉会長。自民党総務会長(福田、麻生総裁時代)を務めた笹川堯は子。第四次安倍内閣環境大臣政務官、菅内閣環境副大臣を務めた笹川博義は孫
◆児玉誉士夫
1911~1984年。右翼活動家。
【逸話】
児玉は、児玉機関の保有していた資金の一部を自民党の前身にあたる日本民主党(鳩山一郎総裁)の結党資金として提供した。
岸*1首相の第1次FX汚職を社会党(当時、後に民社党)の今澄勇*2が追及した時には等々力の私邸へ呼び、今澄の政治資金の提供元と金額、付き合っている女が全て書かれていた身上調書を今澄に渡して全てを明かすと脅して追及を止めさせている。
児玉はすでに1958年(昭和33年)からロッキード社の秘密代理人となり、日本政府に同社の戦闘機を選定させる工作をしていた。児玉が働きかけた政府側の人間は自民党の大野伴睦*3、河野一郎*4、岸信介らであった。
◆三浦義一
1898~1971年。右翼活動家。
◆田中清玄
1906~1993年。右翼活動家。
◆西山広喜
1923~2005年。右翼活動家。
◆有末精三
1895~1992年。元陸軍軍人(参謀本部第2部長など歴任)。戦後、連合国軍最高司令官総司令部参謀第二部(G2)の下で有末機関長
◆頭山満
1855~1944年。右翼結社「玄洋社」領袖
◆安岡正篤
1898~1983年。右翼活動家。
【逸話】
池田勇人*5の池田派を「宏池会」と命名した人物とされる。
◆矢次一夫
1899~1983年。右翼活動家。
【逸話】
戦前、企画院委員、大政翼賛会参与、翼賛政治会理事等を歴任。
岸信介首相の支援をもとに韓国、台湾政界とのパイプ役として力を発揮。
1956年(昭和31年)、矢次は台湾を訪問して蔣介石総統と会談。
1957年(昭和32年)に日韓会談再開のため、矢次の仲介で金東祚*6が岸首相と接触。
1958年(昭和33年)に岸首相の個人特使として韓国を訪問して李承晩韓国大統領と会談。日韓国交正常化後の1970年(昭和45年)には朴正煕韓国大統領によって一等樹交勲章を受章した。金大中事件(1973年(昭和48年)8月)の際には1973年9月に岸と共に訪韓し、事件処理と経済関係を切り離すことで朴大統領と合意を取りつけた。
その一方で1972年(昭和47年)には金炳植*7朝鮮総連副議長と会談。日朝経済関係の促進に乗り出し、自らも協和物産を設立。
1980年(昭和55年)5月には岸の個人特使として訪中し、中国の最高指導者である鄧小平と会談。中台統一に向けた台湾の蔣経国総統との仲介役を鄧から要請を受けた。
大宅壮一は彼を「昭和最大の怪物」と評した。
◆四元義隆
1908~2004年。右翼活動家
【逸話】
中曽根*8、細川*9首相と親しい仲にあったとされる。鳩山内閣首相補佐官、菅内閣国家戦略担当相、経済財政担当相を務めた荒井聰は女婿
◆渡邉恒雄
1926年生まれ。読売新聞ワシントン支局長、政治部長、論説委員長、副社長、社長等を歴任
【逸話】
岸首相の依頼で、安保反対の全学連デモにおける樺美智子の死亡に対する岸内閣声明を執筆したとされる。
河野一郎(中曽根の親分)や中曽根首相と親しい仲にあったとされる。
◆藤井丙午
1906~1980年。新日鉄副社長。
【逸話】
政界との関係が深く「財界政治部長」の異名があった。
◆甘粕正彦
1891~1945年。1932年(昭和7年)の満洲国建国後、民政部警務司長(警察庁長官に相当)、満洲国協和会理事を歴任。
1938年(昭和13年)、満洲国代表団(修好経済使節団)の副代表として公式訪欧し、ムッソリーニと会談。
1939年(昭和14年)、満洲映画協会(満映)理事長に就任
【逸話】
満洲時代の甘粕は「満洲の夜の帝王」と呼ばれ、関東軍の謀略に関与していたとされる。
◆今里広記
1908~1985年。日本精工社長。日経連常任理事、経済同友会終身幹事、東京商工会議所常任顧問。
【逸話】
政界との関係が深く「財界官房長官(あるいは幹事長)」の異名があった。1982年(昭和57年)、中曽根首相に「電気通信審議会」会長、「新電電設立準備委員会」委員長に任命され電電公社民営化に関わる。
◆大川周明
1886~1957年。右翼活動家。
【逸話】
五・一五事件(1932年)で禁錮5年の有罪判決。
大東亜会議(1943年)の大東亜共同宣言の作成に関与。
戦後、東京裁判で訴追されるが精神異常を理由に免訴
◆櫻井義晃
◆辻嘉六
1877~1948年。右翼活動家
◆河本大作
1883~1955年。関東軍参謀。張作霖爆殺事件(1928年)の実行犯。1932年(昭和7年)、南満州鉄道(満鉄)理事、1934年(昭和9年)、満州炭坑理事長、1942年(昭和17年)、山西産業株式会社社長。1949年(昭和24年)に戦犯として太原戦犯管理所に収監され、1955年(昭和30年)、病死
◆佐藤茂
旧川崎財閥の財産管理会社である川崎定徳社長。
【逸話】
いわゆる平和相互銀行金屏風疑惑(平和相互銀行事件 - Wikipedia参照)で名前の挙がった人物の一人
◆宮島清次郎
1879~1963年。日清紡社長
【逸話】
1949年の第3次吉田内閣組閣時に蔵相ポストを打診されたが固辞、代わりに池田勇人を推挙し、自らは日本銀行政策委員に就任。
◆萩原吉太郎
1902~2001年。北海道炭砿汽船(北炭)社長、札幌テレビ放送(STV)社長など歴任。「政商」と呼ばれ自民党代議士・大野伴睦、河野一郎や右翼活動家・児玉誉士夫とつながりがあった。
黒井ツイートは「名前だけ」で経歴等の記載はなかったのですが小生がウィキペディアを元に記載しました(ウィキペディアに記載のない人物もいますが)。
*1:戦前、満州国総務庁次長、商工次官、東条内閣商工相。戦後、日本民主党幹事長、自民党幹事長(鳩山総裁時代)、石橋内閣外相を経て首相
*3:自由党幹事長(鳩山、吉田総裁時代)、吉田内閣北海道開発庁長官、自民党副総裁(岸、池田総裁時代)等を歴任
*4:自由党幹事長(鳩山総裁時代)、鳩山内閣農林相、岸内閣経企庁長官、自民党総務会長(岸総裁時代)、池田内閣農林相、建設相、副総理、佐藤内閣副総理等を歴任
*5:大蔵次官から政界入り。吉田内閣蔵相、通産相、石橋内閣蔵相、岸内閣蔵相、通産相等を経て首相
*6:1918~2004年。 駐日韓国代表部首席代表(1964~1965年)、駐日大使(1965~1967年)、駐米大使(1967~1973年)、韓国外相(1973~1975年)等を歴任
*7:後に北朝鮮に帰国し朝鮮労働党の衛星政党「朝鮮社会民主党」の委員長や国家副主席を歴任
*8:岸内閣科技庁長官、佐藤内閣運輸相、防衛庁長官、田中内閣通産相、自民党幹事長(三木総裁時代)、総務会長(福田総裁時代)、鈴木内閣行管庁長官等を経て首相