テレ朝・おはよう時代劇『暴れん坊将軍9』第32話「母なればこそ 椿の花は知っていた」(1999年放送の再放送)(2023年11月28日記載)

◆第32話「母なればこそ 椿の花は知っていた」(2023年11月28日再放送)
 以下の通り、記事を紹介しておきます。

番組詳細|テレビ朝日
第32話「母なればこそ 椿の花は知っていた」
 大店ばかりを狙う凶悪な盗賊「おぼろの藤兵衛(須藤正裕)」一味を追っていた大岡忠相は、一味が荒れ寺を隠れ家としていることを突き止め、寺社奉行大検使・薄田任三郎*1に捕り物の協力を仰いだ。だが、(ボーガス注:薄田は「藤兵衛」一味とグルであり)忠相たちが寺を急襲した時、すでに一味は逃げ去った後だった。

暴れん坊将軍9
第32話「母なればこそ 椿の花は知っていた」
 寺社奉行大検使と凶賊が組んでの悪事、押し込み先の絵図面目当てで一味に引き込まれた大工の青年の悲劇を描く。
※(ボーガス注:惚れた芸者「菊乃有沢妃呂子*2)」を身請けできず、大店の旦那に彼女が身請けされたことで、自暴自棄になり、大工仕事を放棄し、酒や博打に溺れ、盗賊一味「おぼろの藤兵衛*3」の強盗殺人に加担するまで)グレた息子を(ボーガス注:「奉行所の裁きで死罪になる」よりは「いっそ、この手で」と思いあまって)手にかける悲劇の母に松原智恵子*4

 所属事務所側が「悪女」的な描かれ方を嫌ったのか、脚本家の考えにすぎないのかはともかく、菊乃の描かれ方は「息子から金をふんだくる」悪女ではなく「息子がぐれたこと」を深く悲しみ、母のお浜も彼女を「芸者の立場ではやむを得ない」と恨んでないので、息子に同情しがたいのが何ともかんとも。

猛虎の伸助
 暴れん坊将軍第9シリーズ32話
 ゲストは(ボーガス注:お浜役の)松原智恵子さん、(ボーガス注:お浜の息子・清次役の)田中優樹さん、悪役は(ボーガス注:盗賊「おぼろの藤兵衛」と共謀する寺社奉行大検使・薄田任三郎役の)頭師孝雄さん*5でした。
 寺社奉行大検使・薄田任三郎は盗賊「おぼろの藤兵衛」を操り私腹を肥やす悪行三昧。
 長次郎が(ボーガス注:藤兵衛一味を『清次の代わりに仲間に入れてくれ』とだまし、大岡忠相が)盗賊を一網打尽にする!
 「世の中は全て金だ、金が全てだ」と言い張る薄田*6を吉宗が怒りの成敗!

 勿論「最後に男女二人のお庭番」に成敗される「二人の巨悪」は今回は「盗賊の首領・藤兵衛」と「寺社奉行大検使・薄田」。
 我が子を手にかけたお浜は大岡の情けで仏門に出家することで許されてエンド。

*1:フジ『古畑任三郎』はこのドラマ(1999年放送)より前(1994年放送)に作られてるので、『古畑』からの命名かもしれない。

*2:1972~2015年。1990年、サンミュージックのオーディションで優勝し、1991年「有沢妃呂子」の芸名でビデオ映画「キャント・バイ・ミー・ラブ」で女優デビュー。2008年に「有沢妃呂子」から「有沢比呂子」に改名。2015年12月11日、心不全のため死去

*3:皮肉にも後に、『息子が幼い頃に「川で溺死しかけた母」を救った命の恩人=藤兵衛』であることが判明する。

*4:1945年生まれ。1960年、高校生の時に日活が行った「ミス16歳コンテスト」に入賞したことがきっかけで、1961年、日活映画「夜の挑戦者」でデビュー。当時の日活の青春映画に多数出演し、吉永小百合(1945年生まれ)、和泉雅子(1947年生まれ)とともに「日活三人娘」と呼ばれた。

*5:1946~2005年。5人兄弟の三男として生まれる。1956年(昭和31年)、小学校4年の時に映画『鞍馬天狗・御用盗異変』でデビュー。長男を除いた4人が子役となったが、次男の正明と四男の満はそれぞれ高校、中学で子役を辞め、最終的に俳優を続けたのは孝雄と末弟の佳孝(1955年生まれ)の2人となった。名脇役として多数のドラマ、映画に出演。出演作として映画『悪魔の手毬唄』(1977年:由良敏郎(由良家当主。被害者の一人・由良泰子(高橋洋子(1953年生まれ))の兄))、NHK大河ドラマ独眼竜政宗』(1987年:二本松氏の家臣・箕輪玄蕃)、『徳川慶喜』(1998年:水戸藩家老・鈴木石見守)、『元禄繚乱』(1999年:鷹司兼熙)等

*6:いつものパターンと違い、「大岡が藤兵衛一味を一網打尽にしている」以上、「一味の自白(薄田は共犯)」を元にした正規の裁きでも薄田は処罰可能であり「吉宗や御庭番が成敗するまでもない」のですが、最後の殺陣がお約束ですからね。