テレ朝・おはよう時代劇『暴れん坊将軍3』第31話「幽霊も泣きます! おんな坂」(1988年放送の再放送)(2024年1月23日記載)

◆第31話「幽霊も泣きます! おんな坂」(2024年1月23日再放送)
 以下の通り、記事を紹介しておきます。

番組詳細|テレビ朝日
第31話「幽霊も泣きます! おんな坂」
 め組の連中から、「両国の陵雲寺に女の幽霊が出る」という話を聞いた吉宗(松平健)。その幽霊を見た者は、行方知れずになったり高熱を発して寝込んだりするらしい。そんな中、吉宗はならず者にいためつけられていた清次(武見龍磨*1)という大工を助けた。清次の話では、かつて世話になった呉服屋「梅屋忠三郎(宮城幸生)」の娘・お里*2(栗田陽子*3)を見かけ声をかけたところ、(お里は「人違いだ」と否定した上)いきなり(お里の取り巻きの)ならず者に襲われたという。数日後、め組の虎三(和泉史郎*4)が幽霊退治に出かけたまま行方知れずになる騒ぎが持ち上がる

暴れん坊将軍 III
第31話「幽霊も泣きます!おんな坂」
 男*5に捨てられ気の触れた姉「お涼(松村直美)」、そのために殺された父「梅屋忠三郎(宮城幸生)」、残された妹「お里(栗田陽子)」は仇を討つべくワルの巣に潜入し機会を窺っていた。ワルというのが悪辣な旗本「普請奉行・村上出雲守(鹿内孝)」と回船問屋「相模屋伝兵衛(須藤健)*6」で、仲間割れで殺した破戒僧「月照(淡路康)」の隠し金を掘り出すため幽霊騒ぎを仕立てる。

あふろん@芝神明
 (お里は)2人の犠牲が出ている悪事に加担していたのに(同情の余地があるとして処罰せず)幽霊のせいにした(上様、田之倉、大岡の)大甘裁きトリオ

白ぱんだ
 田之倉孫兵衛の計らいで、下手人は幽霊とされ、「お里」は構いなしとなった。上様は、一度だけ幽霊を信じた。「お里」は、心定かでない姉「お涼」を連れ、江戸を離れたのであった。おしまい。

 「幽霊屋敷に行った留造(浅田祐二)は行方知れずに、松吉(永居光男)は熱を出して寝込んだ」とめ組の衆から聞かされる吉宗。
 また大岡からも吉宗に「幽霊見物に行った連中が行方不明になっており、調査をしているがよくわからない」「陵雲寺は荒れ寺となって誰もいないが、何者かに殺された前住職の月照は破戒僧で、真偽は不明だが『寺に若い女を連れ込んで強姦したらしい』『借金の形に若い女遊郭に売り飛ばしたらしい』等、女性関係で評判の悪かった男。月照殺害も女幽霊も『月照に恨みを持つ女絡み』ではないかともっぱらの評判」との報告を受ける。
 しかもその後、幽霊騒動で行方不明となった留造と平助(吉田信夫)が変死体で発見。
 さて番組詳細|テレビ朝日では「虎造が行方不明」としか書いてありませんが、虎造は才次(真砂皓太*7)と一緒に出かけており、才次の方は「命に別状はない」ものの、失神状態で寺から離れた場所で見つかり、養生所へ担ぎ込まれます。才次と虎造がどうなるかがひとまず「謎の一つ」となります。
 ひとまずめ組の小頭「半次郎(佐藤B作)」とともに寺を調べる吉宗。そこで「お里」に出会う吉宗。
 お里に疑念を感じた吉宗は御庭番「疾風(菅野玲子)」に尾行を命じ、彼女が回船問屋「相模屋伝兵衛(須藤健)」の妾であると判明。
 さて場面が変わり、養生所の医師「足立玄石(河合絃司)」によって無事回復する才次(但し、虎造の行方は不明)。玄石から、才次がトリカブトの毒を盛られていたことを告げられる吉宗。
 さて、また、場面が変わり、御庭番「左源太(三ツ木清隆)」の調査により、実は幽霊騒動は「誰も寺に来ない」ようにする一方、「寺に来たバカ」は拉致して、月照が隠したと思われる金を見つけ出すため、人足として土掘りに使っており、虎造ら拉致された連中もまだ生きていた(金を掘り出した後には、口封じに皆殺しの算段でしょうが)。留造、平助は土掘り作業中に事故死したもの。
 一方で、忠相の調査で月照が、お涼をたぶらかしていた「石田」なる悪徳旗本と手を組み、旗本や大名、商家の弱みを握り、金を脅し取り、その金が5千両にも及ぶらしいことが判明。
 また、忠相の調査で、当時の捜査記録から、斬殺された梅屋は絶命する前、お里に「下手人は石田」と言い残していたこと、「石田を見つけ出して欲しい」とお里が町奉行所に訴えていたことが分かる(それで何で石田が捕縛されないのか謎ですが)。
 お里が相模屋に近づいたのは石田を見つけ出し、報復するためだと判明。
 吉宗はお里に「お前が捕縛されたら(あるいは石田に返り討ちに遭ったら)残された気の触れた姉はどうなる、相模屋に拉致されとらわれた男達はどうなる」「今すぐ、拉致された男達をお前の手で解放すべき、そうすれば罪も減じられるだろう」「お前を俺が奉行所に突き出すことは簡単だが、俺はお前を信じたい」と語る。
 さて、御庭番「左源太」の調査で相模屋の仲間が「普請奉行・村上(鹿内孝)」と「奥右筆・坂井甚十郎*8(遠藤征慈)」であり、村上こそが「石田(当時は石田家の部屋住みだったが後に村上家に養子入り)」であると判明。
 一方、吉宗の言葉に打たれたお里は拉致された男達を解放し、そのことで相模屋に殺されかけるが、そこに現れる吉宗と南町奉行・大岡。彼らにお里は救われ、また、明るみになる相模屋の悪事。
 相模屋は「もはやこれまで」と村上宅に逃げ込むが、村上と坂井によって口封じに斬殺される。
 そこにお里と一緒に現れる吉宗。吉宗の助力を得た上で、村上を匕首で刺殺、父と姉の仇を討つお里。
 さて最後に「御側御用取次・田之倉孫兵衛(船越英二)」「南町奉行・大岡」「吉宗」のトリオ登場シーン。
 忠相「寺からは5千両が見つかり、何に使うか頭を悩ませております」
 吉宗「お里の処遇はどうなる」
 田之倉「幽霊騒ぎでは二人も死人が出ております。死罪が相当かと」
 吉宗「父や姉の敵を見つけ出し敵を討ちたいというお里の思いを考えれば厳しくはないか?、しかもお里は拉致された男達を救い出している」
 田之倉「それがしは幽霊を処罰すべきと申したのであって、お里を処罰すべきとは一言も申しておりませぬ。お里と幽霊は別人でございましょう」
 吉宗「なるほど、爺は幽霊を信じておるのか、ならばワシも信じることにしよう、爺、名裁きじゃな」
(最後の若山弦蔵のナレーション)
 吉宗は生涯に一度だけ幽霊の存在を信じた。お里はそんな吉宗の心に涙し、お涼を連れて江戸を離れた

*1:1955年生まれ。1975年、広告代理店に入社し、グラフィック・デザイナーとして活動するが、1977年、広告代理店を退社し、俳優を志し上京。1980年俳優事務所「現代制作舎」に所属(1986年退社)。現代制作舎では6年間、小劇場公演、TVドラマ、映画などで活動。その後、俳優事務所を渡り歩き、舞台、ラジオドラマ、TVドラマ、映画等で活動し、2002年、劇団四季に入団。6年間で9演目に出演し2008年に退団。2009年、演劇企画室「劇論◎三者会談」を創立。俳優のほか劇作家、演出家としての活動を開始。劇団という形をとらず、公演ごとに俳優を迎えて上演している。第32話「幽霊も泣きます! おんな坂」で共演した小柳圭子(1926年生まれ:第32話では気の触れた「相模屋の姉娘・お涼(松村直美)」の世話をする「婆や」役)は母(武見龍磨 - Wikipedia参照)

*2:当然、「女幽霊はお里の変装」ということはこの時点で予想ができますが、彼女の登場時点では、幽霊騒動のからくりは全く分かりません。また、清次が事件に深く関わるのかと思いきや「お里が相模屋の娘であること」を吉宗に話すシーンにしか登場せず、メインゲストとして活躍するのは専らお里(栗田陽子)です。

*3:芸名は当時。現在は栗田よう子

*4:1961年生まれ。1985年、テレビ朝日スーパー戦隊シリーズ電撃戦隊チェンジマン』の大空勇馬(チェンジペガサス)役として出演。1992年、同じくスーパー戦隊シリーズ恐竜戦隊ジュウレンジャー』のブライ(ドラゴンレンジャー)役として再び出演。2000年に芸能界を引退(和泉史郎 - Wikipedia参照)

*5:当時は石田才蔵(石田家の部屋住みだったが後に村上家に養子入り)だった普請奉行・村上出雲守(鹿内孝)のこと

*6:姉に「石田こと村上」を紹介したのは相模屋

*7:芸名は当時。現在は真砂京之介。松平健が所属する芸能事務所「三喜プロモーション」所属(真砂京之介 - Wikipedia参照)

*8:但し、「お里の敵である」村上、相模屋に比べ、坂井の存在感は薄く「出した意味あるの?」感が