満州事変について

この本を読んでみたい(『満州事変、ある日本人兵士の日記 1932年9月~1933年5月』)(「満洲国」についてもいろいろ勉強したい)(8月15日午前0時23分ごろ発表) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

 岸信介*1は、これも彼のWikipediaから引用すれば、

岸信介 - Wikipedia
 1936年(昭和11年)10月に満洲国国務院実業部総務司長に就任して渡満。1937年(昭和12年)7月には産業部次長、1939年(昭和14年)3月には総務庁次長に就任。この間に計画経済・統制経済を大胆に取り入れた満洲「産業開発5ヶ年計画」を実施。大蔵省出身で、満洲国財政部次長や国務院総務長官を歴任し経済財政政策を統轄した星野直樹らとともに、満洲経営に辣腕を振るう。同時に、関東軍参謀長であった東條英機や、日産コンツェルン*2の総帥鮎川義介、里見機関の里見甫*3の他、椎名悦三郎大平正芳伊東正義十河信二らの知己を得て、軍・財・官界に跨る広範な人脈を築き、満洲国の5人の大物「弐キ参スケ*4」の1人に数えられた。また、山口県出身の同郷人、鮎川義介松岡洋右と共に「満洲三角同盟」とも呼ばれた。
 原彬久*5は、岸を「政治家」として「成長」させた最大の要因は、関東軍という最高権力者をあるいは懐柔し、あるいは説得しつつ、絶大な権力をわがものにする術を身につけさせた、満洲の権力機構そのものにある、と指摘している。

というわけであり(注釈の番号は削除)、満洲の時代なくしては、岸信介という政治家は存在しえなかったでしょう。そうであれば安倍晋三*6も、満洲時代の岸が存在しなければ、たぶんあのような政治家にはならなかったはず。そしてあのような死を迎えることもなかったでしょう。

 岸もそうですが、上記に名前が出てくる人間は

【名前順:経歴はウィキペディア参照】
伊東正義
 戦後、農林事務次官から政界入り。大平内閣官房長官、鈴木内閣外相、自民党政調会長(中曽根総裁時代)、総務会長(竹下総裁時代)等を歴任。なお、大平内閣は大平首相、伊藤官房長官大来佐武郎外相、佐々木義武*7通産相(全て元官僚)が「官僚として、満州国興亜院での勤務経験があった」ため、俗に「興亜院内閣」と呼ばれた(興亜院 - Wikipedia参照)。
大平正芳
 池田内閣官房長官、外相、佐藤内閣通産相、田中内閣外相(日中国交正常化時の外相)、蔵相、三木内閣蔵相、自民党幹事長(福田総裁時代)等を経て首相
椎名悦三郎
 戦前、岸商工相の下で商工次官。戦後、岸の誘いで政界入り。岸内閣官房長官、池田内閣通産相、外相、佐藤内閣外相(日韓国交正常化時の外相)、通産相自民党政調会長(池田総裁時代)、総務会長(佐藤総裁時代)、副総裁(田中、三木総裁時代)等を歴任。拙記事でも以前書きましたがいわゆる椎名裁定(三木*8自民党総裁に指名)の本当の黒幕は「総裁選だと大平が総裁になる可能性が高かったが、どうしても大平総裁を阻止したかった岸信介(派閥を譲った福田赳夫*9を岸は支持していた)」で「子分の椎名にああした裁定を頼んだ(そして椎名が岸の側近であることから、そうした見方は実は椎名裁定当時から与野党やマスコミで強かった)」というのが通説のようです。
十河信二
 戦前、鉄道院経理局会計課長、南満洲鉄道(満鉄)理事、満鉄経済調査会委員長等を、戦後、鉄道弘済会会長、国鉄総裁等を歴任
東條英機
 戦前、陸軍省整備局動員課長、軍事調査部長、関東憲兵隊司令官、関東軍参謀長、陸軍次官、陸軍航空総監、第二次、第三次近衛内閣陸軍大臣、首相等を歴任。戦後、A級戦犯として死刑判決。後に靖国に合祀
星野直樹
 戦前、満洲国財政部次長、満州国国務院総務長官、第2次近衛内閣企画院総裁、東条内閣書記官長を歴任。戦後にA級戦犯として終身刑を受けるも後に釈放され、その後は旭海運社長、ダイヤモンド社会長などを歴任
松岡洋右
 戦前、満鉄総裁、第二次近衛内閣外相を歴任。戦後、A級戦犯として裁判中に病死。後に靖国に合祀

と「戦前、戦後日本政治に影響を与えた大物政治家、官僚揃い」です。
 他にも小生の知ってる「満州」関係者としては

【名前順:経歴はウィキペディア参照】
板垣征四郎
 関東軍高級参謀として満州事変を実行。その後も関東軍参謀長、第一次近衛、平沼内閣陸軍大臣朝鮮軍司令官、第7方面軍司令官(シンガポール)等を歴任。戦後、A級戦犯として死刑判決。後に靖国に合祀
高碕達之助
 戦前、満洲重工業開発総裁。戦後、鳩山内閣経企庁長官、岸内閣通産相等を歴任。親中派として知られ、廖承志との間で日中総合貿易(いわゆるLT貿易)に関する覚え書きに調印した。

がいます。そういえば朴正熙(韓国大統領)も満州軍官学校出身者でしたね。
 やはり満州事変のインパクトは大きかった。
 ちなみに満洲人脈 - Wikipediaによれば小林英夫*10満州自民党』(2005年、新潮新書)と言う著書もあるとのこと。
 他にも小生が知ってることを挙げておけば

◆515事件(犬養*11首相暗殺)
 米英との対立を恐れる犬養が満州国承認に消極的なため発生(海軍青年将校らによる犯行)。後継首相は海軍出身の斎藤実*12であり、これによって政党内閣は終了。また斎藤によって満州国建国は承認された。

ということで「満州事変が無ければ犬養は死なずに済んだ」かもしれません。
 また有名な話ですが、盧溝橋事件当時「不拡大方針」を唱えた石原莞爾*13(当時、参謀本部第1部長)に対し「拡大派の武藤章*14」が「石原閣下が満州事変当時にした行動(軍中央を無視して勝手に行動)を見習ってるだけだ」と嫌みを言って石原を激怒させたことも有名ですが、「満州事変の成功」で軍部の暴走が助長されます。
 最後に話が脱線しますが小生のような埼玉県民にとって満州といえば「ぎょうざの満洲」(埼玉県川越市が本社)を連想しますね。世間一般では餃子チェーンといえば「餃子の王将」でしょうが、むしろ小生は「満洲の方」がなじみ深い。
 「ぎょうざの満洲は駅の前(CMキャッチコピー:但し駅前にない店舗も一部ある)」のとおり、「埼玉県内を走る西武池袋線西武新宿線東武東上線の駅前」に店が多数ありますしね(ぎょうざの満洲 - Wikipedia参照)。

*1:戦前、商工省工務局長、満州国産業部次長、総務庁次長、商工次官、東条内閣商工相を歴任。戦後、日本民主党幹事長、自民党幹事長(いずれも総裁は鳩山一郎)、石橋内閣外相を経て首相。中曽根内閣外相、自民党幹事長(竹下総裁時代)等を歴任した安倍晋太郎の義父。安倍晋三元首相、岸信夫元防衛相(安倍の実弟)の祖父

*2:現在の春光グループ - Wikipediaにあたる

*3:1896~1965年。三井物産関東軍と結託し満州国にアヘン取引組織を作り、阿片王と呼ばれた(里見甫 - Wikipedia参照)

*4:星野直樹東条英機鮎川義介岸信介松岡洋右のこと

*5:東京国際大学名誉教授。著書『日米関係の構図』(1991年、NHKブックス)、『岸信介』(1995年、岩波新書)、『戦後史のなかの日本社会党』(2000年、中公新書)、『岸信介証言録』(2003年、毎日新聞社→2014年、中公文庫)、『吉田茂』(2005年、岩波新書)、『戦後政治の証言者たち:オーラル・ヒストリーを往く』(2015年、岩波書店)、『戦後日本を問いなおす』(2020年、ちくま新書)等

*6:自民党幹事長(小泉総裁時代)、小泉内閣官房長官を経て首相。岸信介元首相の孫。中曽根内閣外相、自民党幹事長(竹下総裁時代)等を歴任した安倍晋太郎の子

*7:三木内閣科技庁長官、大平内閣通産相を歴任

*8:国民協同党委員長、片山内閣逓信相、国民民主党幹事長、改進党幹事長、鳩山内閣運輸相、岸内閣科技庁長官(経企庁長官兼務)、池田内閣科技庁長官、自民党政調会長、幹事長(池田総裁時代)、佐藤内閣通産相、外相、田中内閣副総理・環境庁長官等を経て首相

*9:大蔵省主計局長から政界入り。岸内閣農林相、自民党政調会長(池田総裁時代)、幹事長(佐藤総裁時代)、佐藤内閣外相、蔵相、田中内閣行管庁長官、蔵相、三木内閣副総理・経企庁長官等を経て首相。福田康夫元首相の父、福田達夫自民党総務会長(岸田総裁時代)の祖父

*10:早稲田大学名誉教授。著書『大東亜共栄圏』(1988年、岩波ブックレット)、『日本軍政下のアジア:「大東亜共栄圏」と軍票』(1993年、岩波新書)、『満鉄』(1996年、吉川弘文館)、『日本のアジア侵略』(1998年、山川出版社世界史リブレット)、『戦後アジアと日本企業』(2001年、岩波新書)、『日中戦争汪兆銘』(2003年、吉川弘文館)、『満鉄調査部』(2005年、平凡社新書→2015年、講談社学術文庫)、『日中戦争』(2007年、講談社現代新書→2024年、講談社学術文庫)、『BRICsの底力』(2008年、ちくま新書)、『〈満洲〉の歴史』(2008年、講談社現代新書)、『ノモンハン事件』(2009年、平凡社新書)等

*11:第一次大隈、第二次山本内閣文相、第二次山本、加藤高明内閣逓信相等を経て首相

*12:第一次西園寺、第二次桂、第二次西園寺、第三次桂、第一次山本内閣海軍大臣朝鮮総督、首相、内大臣を歴任。内大臣在任中に226事件で暗殺

*13:関東軍作戦主任参謀、関東軍作戦課長、参謀本部作戦課長、戦争指導課長、参謀本部第1部長、関東軍参謀副長、舞鶴要塞司令官、第16師団長(京都)等を歴任

*14:参謀本部作戦課長、中支那方面軍参謀副長、北支那方面軍参謀副長、陸軍省軍務局長(太平洋戦争当時の軍務局長)、近衛師団長、第14方面軍(フィリピン)参謀長等を歴任。戦後、死刑判決。後に靖国に合祀