「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(6/7分:巣くう会集会の巻&北朝鮮・韓国最新ニュース、ほか)(追記・訂正あり)

朝日新聞北朝鮮の非核化、関与したい日本 原子力技術の提供考え』
https://www.asahi.com/articles/ASL6T4TVZL6TUTFK00Z.html

・関係者によると、米朝首脳会談直後の14日、河野太郎外相がポンペオ米国務長官、韓国の康京和(カンギョンファ)外相とソウルで会談した際、「『完全かつ検証可能で不可逆的な非核化』(CVID)を実現するため、日本として協力する用意がある」との考えを述べ、原子力技術の協力を提案したという。
・20日には、外務省幹部がフォード米国務次官補(国際安全保障・不拡散担当)と都内で会談。日本の技術協力の具体的な項目を協議した。河野氏は7月上旬にウィーンのIAEA本部を訪問し、天野之弥(ゆきや)事務局長と会談する方向で調整中。技術協力の具体的な内容が議題になる見通しだ。
・外務省幹部は「核関連施設の解体など、放射線量が高い環境での作業が必要になる」とみて、原子力関連施設で起きた事故対応や原発廃炉に関する知識・技術の提供と技術者の派遣を検討。1999年に茨城県東海村で起きた臨界事故や2011年の福島第一原発事故に対応した作業の経験のほか、廃炉作業の技術を生かすことを想定している。政府関係者は「核関連施設の事故は米国もあまり経験がなく、日本の知見が生かせる」と話す。

 従来の安倍のアンチ北朝鮮を考えるとにわかには信じられない話です。


■産経【朝鮮戦争勃発68年】北メディア記事から「米帝」表現消える
https://www.sankei.com/world/news/180625/wor1806250013-n1.html
 そりゃ交渉相手に米帝呼ばわりはしないでしょうよ。
 つうか、最近は日本共産党など日本の左派も「あまり米帝といっていない」気がしますね。もちろん米国の「いわゆる帝国主義的な振る舞い(日本での米軍の振る舞いなど)」は今も存在するしそうした振る舞いは批判されるわけですが。
 トランプのアメリカファーストなんかもろ「帝国主義的な振る舞い」でしょう。

【追記】
 気になったので「米帝」「アメリカ帝国」などでググってみます。

エマニュエル・トッドグローバリズム以後:アメリカ帝国の失墜と日本の運命』(2016年、朝日新書)
・進藤栄一『アメリカ・黄昏の帝国』(2004年、岩波新書)、『アメリカ帝国の終焉:勃興するアジアと多極化世界』(2017年、講談社現代新書)
・高橋章『アメリカ帝国主義成立史の研究』(1999年、名古屋大学出版会)
ノーム・チョムスキー『テロの帝国 アメリカ』(2003年、明石書店)、『チョムスキー 21世紀の帝国アメリカを語る』(2004年、明石書店)、『すばらしきアメリカ帝国』(2008年、集英社
チャルマーズ・ジョンソンアメリカ帝国への報復』(2000年、集英社)、『アメリカ帝国の悲劇』(2004年、文藝春秋)、『帝国アメリカと日本:武力依存の構造』(2004年、集英社新書)、『帝国解体:アメリカ最後の選択』(2012年、岩波書店

などがヒットしましたが、今の日本においては「米帝」はあまり一般的用語ではないかもしれません。


■浅井基文ブログ『朝米首脳会談の歴史的意義と今後の課題』
http://www.ne.jp/asahi/nd4m-asi/jiwen/thoughts/2018/1039.html

・遺憾なのは、アメリカ主流メディアの圧倒的影響力のもとにある日本のマス・メディアの評価もおしなべて批判的であり、そのことがまた、国内世論の受けとめ方をも支配していることだ。
 しかし、今回の朝米首脳会談は、第二次大戦終結後の現代史において、1972年の米中首脳会談(ニクソン*1訪中)及び1986年の(ボーガス注:レーガン*2米国大統領とゴルバチョフソ連書記長の)米ソ首脳会談(レイキャビック)を継ぐ画期的・歴史的な事件である。
・この歴史的ドラマを可能にした陰の主役は中国だ。
習近平*3は、(中略)金正恩の3度にわたる訪中(しかもわずか3ヶ月の間に)が如実に示すように、金正恩とは肝胆相照らす仲を構築した。習近平の介在なしに朝米首脳会談の実現はなかっただろう(3度目の朝中首脳会談で、金正恩は「中国の党と政府が朝米首脳の対面と会談の成功裏の開催のために積極的で真心こもった支持と立派な協力を与えたことに謝意を表した」と朝鮮中央通信は報道した)。
・また、①朝米首脳会談実現までの一連の経緯を経て朝米間の立場の隔たりが重要な点で埋まる可能性が生まれたこと、また、②トランプが朝鮮の体制交代(レジーム・チェンジ)を追求しない点で歴代政権と異なることを(おそらく習近平の助言を得ることによって)納得した金正恩と、商売人として培った直感力に絶大な自信を持ち、金正恩と相まみえた瞬間に彼を交渉相手として認めたトランプとの間に一種の「信頼」が成立したことも重要である。
・(ボーガス注:国務長官ポンペイオが議会証言で表明した「CVID*4とCVIG*5の取引」が朝米双方において実現できる可能性として認識された意義はきわめて大きい。
・70年以上にわたって不信と敵意が支配してきた朝米関係が首脳間の信頼と善意によって置換される可能性が生まれるというにわかには信じがたい状況が現出しつつある。
・朝米首脳会談の歴史的意義として忘れてはならないことは、今回の首脳会談を経た朝鮮半島情勢はもはや2017年以前の最悪の事態に逆戻りすることはあり得ないということだ。仮に朝米関係が暗転しても、「悪者・朝鮮」という国際的イメージはもはや通用しない。米日が国際的制裁を叫んでも説得力はない。朝鮮は中国という後ろ盾を確保したし、極東開発に取り組むプーチン・ロシアも朝露関係改善に意欲的だ。国連のグテーレス*6事務総長も、対米追随だった前任者(潘基文*7)とは異なり、対米自主独立の姿勢を貫く。さらに、韓国・文在寅政権は北南首脳会談の成果である板門店宣言に基づいて北南関係を改善することに大きな使命感をもって取り組む決意である。要するに、朝鮮を取り巻く国際環境は大きく変わったということだ。
・朝米関係は最初にして大きな第一歩を踏み出した。しかし、朝鮮半島の非核化とその平和と安定を実現するために解決するべき課題は山積しており、前途は決して安易な楽観を許さない。
 第一、トランプ政権の国内基盤が脆弱であり、しかもトランプ自身が短気かつ気まぐれであって先が読めないこと。反オバマにおいてのみ一貫性があるトランプの支離滅裂は、いわゆる「朝鮮核問題」の解決には前向きであるのに、イランに関する核合意(JCPOA)については、オバマ政権が同意した「最悪の合意」として一方的に脱退するという行動に端的に現れている。トランプがいつ「心変わり」するかという不確実性は常につきまとう。
・これらの問題を仮にクリアできるとした場合にも、「朝鮮半島非核化」と「朝鮮の平和と安定」を同歩的に進めるロード・マップとタイム・テーブルに朝米及び他の4ヵ国(韓中露日)が短時間で合意に達しうるかという問題が残る。ここでも、第一にあげたトランプの短気かつ気まぐれがいつ何時激発しても不思議はない。
 以上を要するに、朝米首脳会談の歴史的意義はきわめて大きい、しかし、朝鮮半島非核化への道のりはそれにも増して険しいものがある、ということになるだろう。

 全く同感なので紹介しておきます。


毎日新聞『トランプ氏:「日本で私は英雄」米テレビで主張』
https://mainichi.jp/articles/20180625/k00/00m/030/064000c

 トランプ氏は、(ボーガス注:米朝首脳会談での)政権の成果を米国内の主要メディアが適切に報じていないと批判する一方、「アジアの人たちはよく分かっている。彼らは感激している」と指摘。
 米朝が対話に転じたことで「この6、7カ月間、日本上空をミサイルが飛んでいない。それ以前は独立記念日の花火のように(北朝鮮がミサイルを)打ちあげていたのに、だ」などと語った。

 まあかなり誇張してるような気もしますが、米朝首脳会談で緊張緩和の動きが出てきたことは事実ですし「他の問題はともかく」この問題では俺はトランプに感謝しています。さすがに英雄とまでは思いませんが。
 ただ日本においてこの件でのトランプ評価ってどうなんですかね。韓国や中国では評価されてるように思いますが日本は評価が低いような気がします。


毎日新聞米朝:実務協議始まらず 北朝鮮、交渉引き延ばしか』
https://mainichi.jp/articles/20180625/k00/00m/030/054000c
 毎日新聞に対する「なんだかなあ(呆)」感が否定できませんね。
 どういう形で実務者協議に入るのか、単に米朝双方ともに「まだがっちり固まっていないが故に」本格的実務者交渉が遅れてるだけかもしれない。あるいは「既に交渉に入ってる」のに公表することは現時点では利益にならないと考え「まだ入ってない」としているだけかもしれない。まあ、あまり楽観的見方をするのも適切ではないでしょうが、それにしてもなんでこう非核化交渉に否定的なことを言い出したあげく、その責任を勝手に「北朝鮮の責任にしたがる」のか。率直に言って北朝鮮やトランプ政権への偏見ではないのか。


日朝首脳会談「早期に」60% 拉致解決「期待できる」32%
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO3217356024062018PE8000/
 拉致解決が期待できるか解らないと思う人間が過半数なのに、一方で「首脳会談早期に」が過半数つうのはどういうことでしょうか?
 「ほとんど期待してないけど、でもやらないよりはやった方がいいよ」つうことか?

 トランプ米大統領と金委員長が12日にシンガポールで開いた米朝首脳会談の結果を「評価する」が55%で「評価しない」が35%だった。

毎日新聞『毎日世論調査:拉致解決期待できず66%』
https://mainichi.jp/articles/20180625/k00/00m/010/029000c
での「非核化期待できないが過半数」を考えると実に意外です。
 「毎日調査と違いなぜか日経調査で質問したならば非核化期待が過半数」なのか、はたまた「非核化期待できるかどうか」と聞くと毎日同様の結果がやはり出るのか。
 日経調査での「評価」とは回答者にとって「非核化や拉致解決が期待できる」とかいうことではなく「ひとまず戦争という最悪の事態が回避できて良かった」つうことなのか。
 「評価するかしないか」と聞くと毎日調査でも日経と同じ結果が出るのか?

 日朝首脳会談を「早く開くべきだ」と答えた人は内閣支持層の61%を占め、内閣不支持層でも60%だった。安倍内閣を支持するかしないかにかかわらず、米朝首脳会談を踏まえ日朝間の対話に期待が高まっているようだ。
 拉致問題の解決への期待をめぐっては、内閣支持層で「期待できる」が48%、「期待できない」が46%で拮抗した。内閣不支持層では「期待できない」が80%で「期待できる」の15%を大幅に上回った。

 安倍支持層というのは強固な反北朝鮮ウヨが多いと思っていたので意外です。
 むしろアンチ安倍のほうが「首脳会談早期開催論」「拉致問題解決期待」かと思っていました。安倍支持層って「安倍の言うことなら無条件で支持します」「最近、安倍は首脳会談を開きたいと言ってるから」「米朝会談で状況は変わったんです」「安倍総理がああ言うんだから拉致の解決が期待できるんだ」つう付和雷同集団なんですかね?。となると今後、仮に安倍が「やっぱやめた」という*8と、掌返しで「開く必要ない」にくるりと変わるのか。
 なお、安倍不支持層の「拉致解決、期待できない」の中には「私はアンチ北朝鮮だから」と「野党(立民の枝野)でアレ、自民党幹部(石破元幹事長、石原元幹事長、岸田政調会長)でアレ、安倍以外が総理ならともかく、安倍の能力に私は期待してないから」が混在してると思うのでなかなか、評価は難しいと思います。なお、俺個人は安倍の能力評価に関係なくこういう質問には「早く開くべきだ」「期待できる」と答えますね。


毎日新聞『毎日世論調査:拉致解決期待できず66%』
https://mainichi.jp/articles/20180625/k00/00m/010/029000c

 毎日新聞は23、24両日、全国世論調査を実施した。トランプ米大統領北朝鮮金正恩キム・ジョンウン朝鮮労働党委員長の初会談を受け、安倍晋三首相が意欲を示している日朝首脳会談による日本人拉致問題の解決に「期待できる」は18%にとどまり、「期待できない」が66%に上った。米朝首脳会談で金委員長は「拉致問題は解決済み」とする従来の主張は繰り返さなかったが、今後の日朝交渉には慎重な見方が目立った。

 正直、これだけでは世論調査の評価は実に困難ですね。
 なぜなら「期待できる」「期待できない」と考える根拠が不明だからです。
 例えば「極右の安倍政権では期待できないがポスト安倍なら期待できる」というのと「北朝鮮に交渉意欲がないのでどのような政権になろうとも期待できない」というのでは同じ「期待できない」回答でも内容は違います。
 まあ今の「アンチ北朝鮮」な日本社会だと「国民が期待しないと言ってるから日朝首脳会談しなくていい」というとんでもない理解がされる危険性大ですが。
 まあ、俺があえてこの質問に回答するなら「悩みはありますが」『期待できると思う』ですかね。
 つうか、安倍がどういう方向性で解決する気なのかさっぱりわからないので回答困難ですが、まあ願望込みでそう回答ですね。

12日の米朝首脳会談を踏まえ、北朝鮮の核・ミサイル問題が解決できると思うか聞いたところ、「解決できるとは思わない」が70%で、「解決できると思う」の15%を大きく上回った。

 そりゃ毎日新聞も含めて「具体的スケジュールが明確でない」など、日本メディアには否定的な報道ばかりですからねえ。
 北朝鮮問題の素人でしかなく、普段この問題について深く考えてるわけでもない、ほとんどの国民は「日本メディアが否定的だから」で安易に回答してる可能性大でしょう。
 まあ、俺があえてこの質問に回答するなら「悩みはありますが」『解決できると思う』ですかね。
 というか、『解決しなければいけない*9』し、北朝鮮が「事情はともあれ」、非核化を明言した今は非核化のチャンスです。
 なお、非核化のために日本政府も積極的に動く必要がありますが、「解決できると思わない」つう人間は「米朝の決めることだから日本には何もできない」つう他力本願な人間が多い気がしますね。
 「6カ国協議再開に向けて動く」など日本にできることはいくらでもあると思う俺からすれば、そうした人間にはまったく困ったもんだと思います。

 一方、高所得の一部専門職を労働時間規制から除外する高度プロフェッショナル制度の創設や、残業時間の上限規制などを盛り込んだ働き方改革関連法案の賛否は、「反対」43%、「賛成」30%。無回答も26%あった。政府・与党は同法案を27日にも成立させたい考えだが、有権者の理解は必ずしも深まっていない。
 自民党参院の「1票の格差」の是正や「合区」の対象県の候補者救済を狙って国会に提出した、定数を6議席増やす公職選挙法改正案に対しては「賛成」27%、「反対」48%だった。

 まあ何というか「反対」が「賛成」を上回ってるのに、支持率にあまり影響しないという珍現象にはがっくりきます。だからこそ「安倍が無法に走る」わけですが。それにしてもマスコミ(特にテレビ局)には「安倍の恫喝や懐柔に屈服し」、「W杯報道などに逃げるのではなく」もう少しこうした問題についてまともに批判的に報じてほしいですね。
 なお、「国民生活への影響が見えにくい公選法改正案」はともかく、労働強化など「国民生活への影響が見えやすい働き方改革関連法」は不幸にして与党が採決を強行して可決成立させても、今後再改正を目指すことは「楽ではないにせよ」不可能ではないと思います。もちろん、「可決成立を断固阻止」がベストですが、世論調査では「国民の安倍批判」がまだまだ弱い中、可決成立という事態もそれなりに覚悟しておこうという話です。

 安倍内閣の支持率は5月の前回調査から5ポイント増の36%、不支持率は同8ポイント減の40%だった。支持率は2カ月連続で上昇したが、4カ月連続で不支持が支持を上回った。主な政党支持率は▽自民党30%(前回26%)▽立憲民主党11%(13%)▽公明党4%(4%)▽共産党2%(4%)など。「支持政党はない」と答えた無党派層は41%(40%)だった。

 支持率回復傾向というのはおよそ理解ができず、日本人の馬鹿さに絶句しますが、一方で「一応不支持率が若干ながら上回ってること」はささやかな希望ではあるでしょう。
 アンチ安倍の俺の願望込みですが、テレビ局に恫喝や懐柔を加えて可能な限り、安倍批判報道を抑え込んで、その結果、バカな日本人がモリカケ疑惑などの問題点を忘却しだしての「この数字」であり、今後の野党やマスコミの追及によっては十分「不支持増加傾向」に逆転しうる数字かとは思います。


朝日新聞・歴史に学ぶ『「朝鮮半島非核化問題」の真実(3)』菅英輝*10
http://webronza.asahi.com/politics/articles/2018062100010.html

・韓ソ国交樹立について説明するため、ソ連のシュワルナゼ*11外相が90年9月平壌を訪問したときのことだ。北朝鮮金日成主席は同外相には会うことを拒絶。対応したのは、金永南*12外相であった。そのとき金外相が行った抗議の内容が興味深い(以下は、金成浩*13論文『ゴルバチョフ外交と北東アジア冷戦構造の変容:ソ連・韓国・北朝鮮・日本の四カ国関係からみる北朝鮮核開発の淵源』・菅英輝編『アメリカの核ガバナンス』晃洋書房、2017年、212−215頁による)。
 第一に、約束違反の指摘である。金外相は、86年10月の会談でゴルバチョフ*14が「いかなる場合も、南朝鮮との関係で原則的立場の変化はない」と明言しこと。さらに、88年12月に訪朝したシュワルナゼ外相との会談で、シュワルナゼが韓国との外交関係を樹立しないという方針に変更はないと発言したことを問題視した。
 第二に、ソ朝友好協力相互援助条約(1961年)違反を指摘した。同条約第3条には、「両国の利益に関わるすべての重要な国際問題を審議する」とある。にもかかわらず、事前に何の相談もなかったとソ連を批判。
・韓国が着手した「クロス承認」政策は、南の韓国側のみが、ソ連や中国と国交を回復する片務的なものとなった。北朝鮮からすれば、社会主義国同士の信頼関係を裏切る行為だと受け止められた。
 このときの北朝鮮の孤立感と危機意識は、相当なものであったことだろう。シュワルナゼ外相が1990年9月上旬、韓国との国交正常化の説明に平壌に赴いたとき、金日成が同外相との面会に応じなかったのも頷ける。
・そこで、北朝鮮が活路を求めたのが日本であった。
 同月下旬、北朝鮮を訪れた自民、社会両党の代表団、いわゆる「金丸*15訪朝団」に対して金日成主席は、「連絡事務所を開設する」という日本側の提案にいきなり、「国交締結」を逆提案した。それは韓ソ国交回復に対する北朝鮮なりの危機感の表れであった。
 韓ソ、韓中の国交樹立に向けた動きに危機感をおぼえ、日朝国交樹立に積極的になった北朝鮮。日本との間で、1991年1月から92年11月まで合計8回の国交正常化交渉が行われたが、巨額の賠償をめぐって折り合いがつかず、両国は正常化を実現できなかった。

 こうした北朝鮮の危機意識が「中露は必要以上に信用できない」「核保有しないと身の安全が守れない」として1990年代以降の核開発問題となったというべきでしょう。
 その意味では中国、ロシア、韓国、日本、米国と言った周辺諸国の対北朝鮮対応にも問題があったと思います。菅氏も批判していますが、北朝鮮を一方的に悪者にしたがる日本マスコミの報道傾向は非常に問題だと思います。


■産経【アメリカを読む】かつて「投資の墓場」だった北朝鮮 トランプ政権が示した“バラ色未来図”の現実味は?
https://www.sankei.com/world/news/180624/wor1806240002-n1.html

 外国企業にとって北朝鮮に投資する魅力とは、鉱物資源や、低賃金の労働力だと専門家はみる。
 北朝鮮経済に詳しい米シンクタンク外交政策研究所」研究員のシルバースタイン氏は、「特に安価な労働力は海外のコングロマリットを引きつける要因になる」と指摘する。

 カネもうけという観点ではそうなるでしょうね。

 ブルームバーグ通信などの欧米メディアの報道を総合すると、欧州の自動車大手ボルボは、1970年代に輸出した約1千台の車両の支払いが滞ったままだ。

として北朝鮮ビジネスは危険とする産経です。
 しかし俺的には「え、ボルボって過去に北朝鮮に輸出してたの?」ですね。

 2009年以降、北朝鮮で携帯電話事業を展開したエジプトの通信大手オラスコムは、通信インフラの整備に資金を注ぎ込んだものの、後に北朝鮮側に現地事業の支配権を奪われた。現地収益を自国に戻すことも許されなかったという。
 共産主義の「友邦」であるはずの中国企業も例外ではない。鉱山・鉄鋼生産大手「西洋集団」は07年の契約に基づき、年50万トンの鉄鉱石を産出する鉱山を開発した。だが、5年後に契約を破棄されて電気や水道の供給が途絶え、なんらの補償も受けられなかった。

 このあたり、詳しい事情がわからないとなんとも評価は困難です。一般論で言えばあまり無茶な契約破棄などをすれば外資も進出を躊躇することになるわけですが。


■産経【花田紀凱の週刊誌ウオッチング〈674〉】米朝会談 勝ったのはトランプか金正恩
https://www.sankei.com/premium/news/180624/prm1806240011-n1.html
 こういう記事タイトルですが「うかつなことを言って、後で外れたら恥ずかしい」と思ってるのか、「米国の主流メディアは米国が負けたとトランプに否定的です」と書くだけで自らの評価は書かない花田です。
 俺個人の意見では「どちらも勝者であり、敗者でもあった」、つまり「双方痛み分け」つうのが一番適切な理解でしょう。
 まあ米朝交渉に限らず多くの交渉とはそういうもんでしょうが。一方のみ勝利とか普通はない。
 「外交解決しか道はない。戦争などできはしない」との双方の判断の下、しかし「様々な意見の違いがあり、一回の首脳会談で全てが解決することはあり得ない」つう状況で「最低限の共通認識を合意にし、細部は今後の事務方協議に委ねた」つうのが米朝首脳会談です。
 北朝鮮の要望が全てかなったわけでも、米国の要望が全てかなったわけでもないが、一方で「要望が何一つかなわなかった」わけでもない。細部は今後詰めていくことになり、曖昧な部分もあるものの、今回、「体制保障が条件とはいえとにかく北朝鮮が非核化は約束したこと」が米国にとっての「勝利」であり、一方、「非核化が条件とはいえ、体制保障を米国が約束したこと」「即時非核化という無理な要求は米国が引っ込めたこと」が北朝鮮にとっての「勝利」でしょう。
 まあ、曖昧な部分があることを理由に「北朝鮮が敗北した」「米国が敗北した」なんて意見もあるわけですが俺はそういう意見です。
 「米国が敗北した、トランプは腰抜けで無能だ」なんて批判も、あるいは「北朝鮮が敗北した。北朝鮮なんか恐れるに足りない」という甘い見方もどちらも間違いでしょう。

 拉致問題について『週刊新潮』(6月28日号)、蓮池薫さんのインタビュー「ヘギョンちゃん*16が言わされた『横田めぐみさん死亡』は嘘だ」

 まあ週刊新潮を読まないとなんともいえませんが本当にこの通りのことを言ってるなら蓮池氏は非常識ですね。「言わされた」と決めつける根拠は何もないでしょう。
 「言わされた」といえるのは

1)めぐみさんが生きていて
2)そのことをウンギョンさんも知ってる場合

のみです。1)の保障もなければ2)の保障もない。仮に1)が事実だとしても、周囲が彼女に「お母さんはなくなった」といえば彼女としてはそれを信じることになるでしょう。


■産経【激動・朝鮮半島】「核が真っ先に対処すべき課題」 北朝鮮の人権問題は非核化達成後とポンペオ国務長官
https://www.sankei.com/world/news/180624/wor1806240012-n1.html
 クリントン、ブッシュ子、オバマなどははっきりここまで言ってなかったものの、まあこれが歴代政権の本心でしょうね。
 かつこれが現実的態度でしょう。「政治とはきれい事ではない」「政治とは現実主義」のわけです。
 当然ながら「核が真っ先に対処すべき課題」である米国にとって拉致問題などどうでもいい問題です。安倍が「米朝首脳会談金正恩に言ってくれ」と言うから伝えただけに過ぎません。
 そもそも安倍が具体的に「俺はこれこれこういう考えだからこう金正恩に伝えてくれ」と具体的要望をトランプに伝えるのならともかく「拉致問題について交渉の用意があると伝えてくれ」レベルではほとんど無意味でしょう。
 たとえば金大中政権のように「拉致については末端が勝手にやったことで上層部は知らなかった、つうシナリオで認めたらどうか?。我々韓国政府も小泉政権にそれで話をしてみる」みたいな具体性がなければねえ。


■産経【朝鮮戦争勃発68年】朝鮮戦争ってどういう戦争だったの?
https://www.sankei.com/world/news/180623/wor1806230040-n1.html

 朝鮮戦争は1950年6月25日に勃発し、朝鮮半島全域が戦場となった戦争のことを示す。
 韓国は米軍を主体とする国連軍、北朝鮮は中国人民義勇軍の支援をそれぞれ受け、米国と旧ソ連の対立を背景とする国際紛争に発展した。死者は数百万人に上るとされ、53年7月に休戦協定が結ばれたが、国際法上は現在も戦争状態が続いている。
 日本は米軍の戦時関連物資の調達先となり、「朝鮮特需」による好景気がもたらされた。(外信部 時吉達也)

 産経なので「先に仕掛けたのは北朝鮮だ、北朝鮮は酷い国だ」と言い出すかと思っていたので少し意外です。


毎日新聞・今週の本棚・新刊『北朝鮮の博物館』=張慶姫・著、池貞姫ほか訳(同成社
https://mainichi.jp/articles/20180624/ddm/015/070/022000c

 北朝鮮の絵や彫刻と聞いて、われわれは何を思い浮かべるだろう。勇ましいスローガンが大書されたけばけばしいポスターか。はたまた、巨大な金日成金正日の立像か。あるいは、平壌の街に威容を誇る世界最大級の凱旋門か。日本と外交関係がなく、ベールに包まれた独裁国家の芸術には、声高なプロパガンダに塗り固められたイメージを持ちがちだ。
 かの国の国立博物館13館の収蔵品を紹介した本書は、そんな先入観を覆してくれる。

 いや別にそんな先入観ないんですけどね。スターリン時代旧ソ連にせよ、毛沢東時代中国にせよ、どこにせよ普通「伝統芸術(水墨画とか)の展示」とか博物館はいろいろでしょう。
 特にこの本の版元「同成社」は

・早乙女雅博編『朝鮮半島の考古学』(2000年)
・早乙女雅博『新羅考古学研究』(2010年)

なんて本を出してるからなおさらです。


下地幹郎*17のメルマガ

http://www.mikio.gr.jp/?p=7840
■“対話”から始まる新たな歴史
 6月12日に行われた初の米朝首脳会談は、シンガポールから世界中に感動的な映像が配信され、世界中の人々がトランプ大統領金正恩氏の一挙手一投足に目を奪われたことでしょう。
 これまでの「6カ国協議」は、「官僚が積み上げて結論を導き出す」外交手法でしたが、今回は「トップ同士が会談し、方向性を示し、プロセスをつくる」初めての外交手法でした。
 それだけに、過去の結果よりも新たな交渉を始める日朝の姿勢が必要です。
 「新しい時代に、新しい状況の下、新しい手法で、過去にとらわれない交渉を進め、結果を出す」
 これは、北朝鮮の高官が私に示唆したものですが、私はまさにその言葉通りだと感じました。
 今年に入ってからの朝鮮半島情勢の劇的な動きを誰が予想し得たでしょうか。
 「新しい時代・新しい状況」が生まれつつある絶好の機会を、「過去の交渉で裏切られた」という一方的な考え方に固執して失うことがあってはならないと、私は強く思います。
(中略)
 しかし、世界の一部のネガティブな人たちは、「スタートで全て決まらなければ失敗だ」という結論を導き出そうとします。
(中略)
 「(ボーガス注:平昌の)オリンピック会場で安倍総理北朝鮮の人に拉致問題を話した」「国際会議の場で話した」といった「立ち話レベル」を、外務省はあたかも「接触した」かのように伝えていますが、薄っぺらな外交戦略では拉致問題は解決できません。
 前回のメルマガで、私は北朝鮮とのパイプ構築について4つの案を示しました。
 今こそまさに、交渉チャンネルの全てのエンジンを「120%出力」にして協議に入らなければいけません。
 日本側は「最大の圧力」から「対話」へ舵を切ったのだと、北朝鮮側に明確に伝えるメッセージが必要です。
(中略)
 日本側がメッセージを送る必要があるのです。
 それは、独自制裁は、「ヒト・モノ・カネ」であり、そのなかで、最低限の独自制裁解除は、数を限っても、「ヒトの渡航の解除を行う」というのが、「対話」への明確なメッセージとしては良いのではないかと思います。
 「対話に舵を切った」
 この姿勢を明確に示すことが、拉致問題解決のスタートになるのです。

 概ね、全く同感です。


■TBS『「オリンピックデー」 日中韓北朝鮮の卓球代表選手が親善試合』
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3404133.html

 23日は、IOCの創立を記念した「オリンピックデー」です。これを前に、IOCは22日、韓国・北朝鮮・日本と中国の4か国から卓球の代表選手を招き、親善試合を行いました。
 日本の張本智和選手(14)は北朝鮮の女子選手とペアを組んでプレー、福原愛選手(29)も「コートを降りればみんな仲が良い」と、笑顔で交流を楽しみました。
 「IOCは平昌五輪の聖火が消えた後も、朝鮮半島の平和への道のりをサポートします」(IOC バッハ会長)
 バッハ会長は、2020年の東京オリンピックと2022年の北京冬期オリンピック北朝鮮が参加できるよう協力すると表明しており、北朝鮮への支援継続を改めて呼びかけた格好です。

 こうしたバッハ氏の動きを高く評価したい。


■産経【激動・朝鮮半島】対北制裁を1年延長 トランプ大統領が米議会に通告
https://www.sankei.com/world/news/180623/wor1806230025-n1.html
 個人的には「解除すべきではないか」と思いますが、ここは「現時点では解除を強行した場合、民主党どころか共和党からもすさまじいまでのトランプ批判が出かねないから苦渋(?)の決断」と見ることができる余地は「一応はある」かと思います。まあ、米朝双方の今後の動向がわからないとなんともいえない気がします。


■家族会が安倍総理に面会後の記者会見概要
http://www.sukuukai.jp/mailnews/item_6562.html

横田早紀江横田めぐみさん母)
 安倍総理のご尽力で、世界中を回っていただき、ここまできた。

 トランプの会談は安倍のおかげなどではなく文在寅大統領のおかげなのに何を抜かしてるのか。まさに「バカは死ななきゃ直らない」ですね。

横田哲也(横田めぐみさん弟、家族会事務局次長)
 安倍総理がぶれずに対峙していらっしゃることに感謝したいと思います。日朝交渉が行われるのかどうか分かりませんが、北朝鮮が誠意のない対応をした場合は、非核化に関する諸費用や人道支援はすべきでないということをお願いしました。
 他方、(拉致解決より国交正常化が先という)河野洋平氏のような見当違いの発言をする人もいるわけなのでそれに惑わされないよう、私たちもぶれずに頑張りたい。

 河野氏の意見については
 ■産経【河野洋平*18講演詳報】(3)拉致問題「帰せ、帰せと言っても解決しない。国交正常化して帰してもらう」
https://www.sankei.com/politics/news/180613/plt1806130029-n1.html
を紹介しておきます。いやー横田拓也が「予想通り」河野氏に悪口するので呆れたり、怒ったりするよりも笑いました。
 まあ河野氏もこういう反応は予想した上での覚悟の発言でしょうけど。

・浜本七郎(地村富貴恵さん兄)
 握手した時、「報道では7月、8月に日朝協議があるのではと言っていますが、9月の総裁選の再選をお願いします」と言いました。
増元照明(増元るみ子さん弟)
 国会議員の中で安倍総理が一番と思っていますので、金正恩との交渉の際は、日本の総理として安倍さんに対峙していただきたいと申し上げました。

 リップサービスだとしても加計森友の腐敗政治家・安倍に向かって良くもこんなバカな発言ができるもんです。そもそも「加計森友のような私利私欲にまみれた行為」を平然とやったあげく虚言で居直るような誠実性のかけらもない男・安倍の何を信じられるのか。過去に安倍が拉致問題で何か成果を上げたのならまだ解らないでもないですが、そんな事実はない。小泉氏*19だけが「成果を上げた首相」なのに彼を評価しない家族会は気が狂っています。

寺越昭男(寺越昭二さん長男)
 チャンスをより確実にするために、中国にも働きかけていただきたい。中国が鍵になると思います。

 おいおいですね。どう中国に働きかけていくべきだと思ってるのか。中国は明らかに救う会流の北朝鮮打倒の立場ではないでしょうに。


米朝協議への期待−記者会見概要
http://www.sukuukai.jp/mailnews/item_6559.html

飯塚繁雄田口八重子さん兄、家族会代表)
 今回の米朝会談ではっきりと日本人を返すことの約束をとりつけることが大事だと思います

 普通に考えてそんなことはあり得ませんね。
 なぜなら日本人拉致の当事者は日本政府だからです。日本政府を無視して勝手な交渉を米国がするわけにもいかない。まあ、それ以前に部外者である米国にそんなことをやる動機はありませんが。

横田早紀江
 主人は入院していますが意識ははっきりしています。

 わざわざ「意識ははっきりしています」というあたり相当健康状態が悪いのでしょう。
 「意識がはっきりしてなかった」らそれこそ問題ですし、普通こんなことをわざわざ言いません。
 正直、滋氏の優柔不断さも問題ですが、「滋氏と孫ウンギョンさんとの面会に反対し続けた」早紀江の罪は重いと思います。早紀江本人は絶対に自分の非を認める気はないでしょうが。

飯塚繁雄
 北朝鮮が日本人を返せば、それなりの見返りがある。

 「制裁をずっと主張し続けてきて今更それかよ」ですね。だったらなぜ「経済支援」という見返りを約束した日朝平壌宣言に悪口し、日朝交渉を事実上潰したのか。今更こんなことを言っても北朝鮮が信用するわけもないでしょう。

横田早紀江
 金正恩という人に、人間としての親の気持ちを分かってもらうことが大事だと思います。

 さんざん金正恩に悪口してきたくせに今更お涙頂戴の泣き落としですか。金正恩も呆れてることでしょう。


拉致問題、「全被害者の即時一括帰国」のほか解決への道はない
http://www.sukuukai.jp/mailnews/item_6554.html
 「全被害者即時一括」なんて言ったらかえって解決が遠のきますね。
 むしろ「最終的に全員帰ってくれば最初は全員一括でなくていい」という現実的な態度をとるべきです。おまけに救う会のいう「全員」は政府認定拉致限定ではなく「特定失踪者を含む800人」なんて無茶苦茶な代物だから話になりません。


■日経『北朝鮮、対話路線で果実着々 制裁包囲網に緩み、中国、平壌への国際定期便再開』
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO31448160W8A600C1EA2000/

中国国際航空は6日、昨秋から休止していた北京と平壌を結ぶ定期便の運航を再開した。理由は明らかにしていないが、中朝関係の改善を受けて人の往来を後押しする狙いがうかがえる。中国は国連制裁決議を履行する姿勢を取りつつ、制裁の対象外である交易や民間交流は拡大する構えだ。
・トランプ氏は1日に「最大限の圧力という言葉はもう使いたくない」と発言。対話中は追加制裁しない考えも示した。
 米朝対話が始まり、非核化が進展すれば「次は制裁緩和の局面が来る」と国際社会は受け止める。3日にシンガポールで開いた日米韓防衛相会談の共同声明から「圧力」の文言が落ちたのは象徴的だ。
 韓国は国連制裁を維持しつつも解除後をにらんで走り始めている。6月中には南北首脳による板門店宣言を踏まえた鉄道の連結・補修事業などを話し合う高官協議を開催。朝鮮半島東部沿岸を縦断する「東海線」と、ソウルから平壌を経由して中朝境界付近の新義州に至る「京義線」を整備する構想を描いている。
 韓国企業も北朝鮮に関心を寄せる。韓国ロッテグループは南北の経済協力事業の再開を視野に、主力の食品や観光事業で投資を検討する組織を設けた。
 ロシアも北朝鮮に接近をはかる。プーチン*20大統領はかねて極東地域と朝鮮半島をつなぐガスパイプラインや鉄道建設を提唱する。6月下旬に訪ロする韓国の文在寅*21ムン・ジェイン)大統領との会談では北朝鮮との経済協力が主要議題となりそうだ。

 一応コメントなしで紹介だけしておきます。

*1:アイゼンハワー政権副大統領を経て大統領

*2:カリフォルニア州知事を経て大統領

*3:福州市党委員会書記、福建省長、浙江省党委員会書記、上海市党委員会書記、国家副主席、党中央軍事委員会副主席、国家中央軍事委員会副主席などを経て党総書記、国家主席党中央軍事委員会主席、国家中央軍事委員会主席。

*4:米国が北朝鮮に要求している「検証可能かつ不可逆的な(北朝鮮の)非核化」のこと。

*5:北朝鮮が米国に要求している「検証可能で不可逆的な(北朝鮮の)体制保証」のこと。

*6:ポルトガル首相、国連難民高等弁務官などを経て国連事務総長

*7:盧武鉉政権外相を経て国連事務総長

*8:実際はどうなるか解りませんが

*9:とはいえ俺の考える「解決」とは「非核化できればベストだが、それが無理なら北朝鮮が核開発をこれ以上エスカレートしないなどの形で米国や韓国とのなんらかの手打ちができ、朝鮮半島情勢が緊張緩和し安定すればそれでもOK」というものであり「非核化」に必要以上にこだわる気はないです。

*10:著書『アメリカの世界戦略:戦争はどう利用されるのか』(2008年、中公新書)、『冷戦と「アメリカの世紀」:アジアにおける「非公式帝国」の秩序形成』(2016年、岩波書店)など

*11:グルジア共産党第一書記、ソ連外相、グルジア大統領など歴任

*12:朝鮮労働党国際担当書記、副首相(外相兼務)などを経て、現在、最高人民会議常任委員会委員長

*13:著書『アフガン戦争の真実:米ソ冷戦下の小国の悲劇』(2002年、NHKブックス)など

*14:ソ連共産党書記長、大統領を歴任

*15:田中内閣建設相、三木内閣国土庁長官福田内閣防衛庁長官自民党国対委員長(大平総裁時代)、総務会長、幹事長(中曽根総裁時代)、副総裁(宮沢総裁時代)など歴任

*16:いや今は「ウンギョンさん」じゃねえの?

*17:野田内閣郵政担当相、国民新党幹事長、政調会長など歴任。現在、「維新の会」政調会長

*18:中曽根内閣科学技術庁長官、宮澤内閣官房長官、村山、小渕、森内閣外相、衆院議長など歴任

*19:宮澤内閣郵政相、橋本内閣厚生相を経て首相

*20:エリツィン政権大統領府第一副長官、連邦保安庁長官、第一副首相、首相を経て大統領

*21:盧武鉉政権大統領秘書室長、「共に民主党」代表を経て大統領

今日の産経ニュース(6/7分)(追記・修正あり)

■連合「股裂き」の参院選…傘下産別で立憲民主派と国民民主派に真っ二つ
https://www.sankei.com/politics/news/180607/plt1806070031-n1.html
 とはいえ連合執行部が後押しする国民民主の支持率は立憲民主どころか、公明や共産を下回り、また連合でも執行部(旧民社・同盟系)程には反共でない傘下労組は公然と立憲民主を支援しています。結局のところ執行部も掌返しで立憲民主にすり寄るか、国民民主とともに政治的に沈没するか、どっちかしかないでしょう。個人的には沈没し、跡形もなく消え去ってほしいもんです。


■希望代表 麻生太郎財務相に「一刻も早くご焼香に出向くべきだ」
https://www.sankei.com/politics/news/180607/plt1806070028-n1.html
 まあ当然の話ですね。行っても遺族に拒否されるかもしれませんが、玉木に言われるまでもなく安倍共々出向くのが当然でしょう。


社会学者の日高六郎さん*1死去
https://www.sankei.com/west/news/180607/wst1806070048-n1.html
 まだ存命だったという事に失礼ながら少し驚きました。既に故人と思っていました。
 彼(1917年生まれ)と近い年齢で、同様の市民運動に参加していた鶴見俊輔*2(1922年生まれ)などは既に故人ですからね。


■【森友文書改竄】麻生太郎*3に注文「命がけで財務省建て直せ」 公明党北側一雄*4副代表
https://www.sankei.com/politics/news/180607/plt1806070010-n1.html
 やれやれですね。麻生に財務省立て直しなんてもんができるとは北側氏とて思ってないでしょうに。


■【加計学園問題】「加計孝太郎理事長はふさわしいことをやって」自民・石破茂元幹事長が説明要求
https://www.sankei.com/politics/news/180607/plt1806070009-n1.html
■自民・山崎*5元副総裁「麻生財務相政治責任を果たせ」
https://www.sankei.com/politics/news/180607/plt1806070038-n1.html
 こういう発言をするのが自民党内において石破*6や山崎氏など少数派というのは実に深刻な話です。


■【アジア風雲録】岡山・美作市が公共施設にホー・チ・ミン像 在日ベトナム人*7ら反発、撤去求める
https://www.sankei.com/west/news/180607/wst1806070003-n1.html
 産経らしい反共記事と言うべきでしょうか?

 ベトナムとの交流を推進している岡山県美作(みまさか)市が昨年、同国政府から「建国の父」とされるホー・チ・ミン*8主席(1890〜1969)の銅像を寄贈され公共の文化施設に設置したところ、日本在住のベトナム人団体が「残虐な独裁者だ」として反発し、撤去を求めるなどの騒ぎに発展している。インドシナベトナム戦争を戦い抜き、独自の社会主義建設を指導したホー・チ・ミンは同国で敬愛される一方、戦争で海外に脱出した難民らには根強い反感も。少子高齢化に悩む市はベトナム人技能実習生や観光客増加に期待し、像を「日越友好の証」とするが、自治体レベルでの国際交流の難しさが浮き彫りになっている。(吉村剛史)
 美作市には現在、交流によってベトナム人90人以上が在住。こうした実績をもとに昨年10月、同国政府から「友好の証」としてホー・チ・ミン銅像が日本では初めて同市に寄贈された。
 像は金色の座像で、台座を含めた高さ約190センチ、幅約90センチ、奥行き約120センチ。市立の施設である作東文化芸術センターの屋内に設置され、市によると、昨年11月21日の贈呈式には ベトナムのダオ・ヴィエト・チュン主席官房長官やヴ・トアン・ハイ在大阪ベトナム総領事ら37人が出席。チュン長官は「像は美作市への特別なプレゼント」と、日越友好への寄与に期待を寄せたという。
 ホー・チ・ミンはフランスの植民地時代からベトナム革命を指導した「建国の父」とされ、第二次大戦後はベトナム民主共和国初代国家主席に。インドシナ戦争で独立を勝ち取り、その後、南北が対立したベトナム戦争では米国が支援する南ベトナム軍と戦い、最終的に勝利に導いたことで知られる。
 しかし、戦争で家族を失い、ボートピープルなどとして国外に逃れた難民らの間では「政敵の粛清、民衆への迫害を行った」などとして批判も根強い。
 同国はこれまでもフランスやロシア、シンガポールなど交流のある国にホー・チ・ミン像を寄贈しているが、海外でも元難民らは像に批判的だという。
 こうした事情もあり、美作市での像の設置も当初から疑問視する声が上がっていた。一部市議らは昨年、「外国の一政治家の像を公的な場所に設置することは、他国との交流事業に支障をきたすのではないか」として、設置に反対する申し入れ書を市民ら約2千人の署名を添えて萩原誠司*9市長に提出した。
 これに対し、市は「(ホー・チ・ミンが同国で芸術家としても評価されていることを踏まえ)作詞など文学的にも秀でた芸術家の像として受け取る」「観光客増加やベトナムからの視察などが見込まれ、(像の設置で)国内外へ向けPRを強化する」として理解を求めた。
 しかし、今年4月には元難民を含む在日ベトナム人らでつくる「日本在住ベトナム人協会」(東京)も「公共の文化空間は、一般市民らに認められる普遍的価値を有する芸術作品のみの設置がふさわしい」として、萩原誠司市長に像の撤去を求める請願書を提出した。
 請願書ではホー・チ・ミンについて、同市が郷土出身だとする剣豪、宮本武蔵を引き合いに「(ボーガス注:剣聖として高い精神的境地にあったとされる)武蔵とはかけ離れた独裁者」とし、暴力と残虐な手段でベトナム共産主義政権を作ったと批判。「数え切れないボートピープル発生の惨状は、日本でも多く批判的に報道されてきた」「今日の日本とベトナムの協力関係の進展はホー・チ・ミンとは無関係」だとして撤去を求めている。
 こうした騒動に外務省は「外交上贈答する記念品などの詳細については個別のケースによる」(儀典官室)としながらも、美作市のような事例は「聞いたことがない」(南東アジア第一課)としている。
■「ベトナム頼み」の美作市の事情
 ホー・チ・ミンの誕生日とされる今年5月19日には、像のある同センターで在大阪ベトナム総領事館主催による生誕記念式典が開かれた。
 式典ではベトナム国歌の斉唱に続き、ヴ在大阪ベトナム総領事が「(この式典は)主席の思想と(主席が)人類発展に貢献したことへの感謝だけでなく、(今年の)日越国交樹立45周年記念活動の意味もある」とあいさつ。
 萩原市長も出席し、「(主席は)世界で敬愛を集めるすばらしい英傑*10。(像の設置が)友好関係の発展につながると確信している」と述べ、ベトナムからの観光客増加に期待を寄せ、ヴ総領事らとともにホー・チ・ミン像に香を手向け、合掌した。
 人口約2万8千人の美作市少子高齢化労働人口の減少を受け、近年は外国人技能実習生を積極的に受け入れている。中でも企業に勤勉さが評価されるベトナム人の受け入れを積極的に進め、同国との交流推進にも力を入れてきた。
 平成27年には、同国の国立ダナン大学と人材交流促進などに関する相互協力協定を自治体で初めて締結。日本への定住や観光の促進など日越交流事業を展開してきた。
(中略)
 ホー・チ・ミン像の寄贈・設置にはこうした背景があり、市民からは「美作の現状は高齢化と人口減少に直面してゆく日本の縮図。生き残るには外国人の労働力に依存せざるをえない。市の苦しい立場もよくわかる」との声も。
 萩原市長は像の問題が起きる中、今年3月に市長選で再選を果たしている。
 萩原市長は「内戦により悲惨な思いをされ、ご苦労されたことはよく分かり、(ボーガス注:銅像に反対するベトナム人への)同情の気持ちはある」とした上で、「昨年は天皇、皇后両陛下が初めてベトナムを訪問され、友好親善を深められた。(像が)両国の友好の証となって(難民たちの)傷が癒え、乗り越えられていくことを願う」と像の設置に理解を求めていく方針だが、意見の対立は容易に解消されそうになく、騒動は海外の労働力が頼みの綱の地方都市の苦悩を浮き彫りにした格好だ。

・なお、萩原・美作市長は自民党系で左派ではありません。
 しかも萩原氏はあの悪名高い右翼結社『日本李登輝友の会』(http://www.ritouki.jp/index.php/about/board/)理事です。失礼ながらよくもあんなウヨ団体の理事ができるもんです。そしてそんなウヨ団体理事とホーチミン銅像とよく両立できるもんです。
 なお、現役政治家では萩原氏以外にも

http://www.ritouki.jp/index.php/about/board/
・宮元陸(石川県加賀市長)
・吉田信解(埼玉県本庄市長)

なんて名前が「李登輝友の会」理事として出てきます。
 なお、そんな「李登輝友の会理事」吉田氏でも

http://chosonsinbo.com/jp/2017/09/0907hj/
 本庄市主催で行われた追悼式(長峰墓地)では、吉田信解市長が慰霊のことばを述べた。
 吉田市長は「東日本大震災以降、昨年4月には熊本地震が発生し、九州地方に甚大な被害をもたらしたが、天災を引き金にした人災はなんとしても避けねばならない」としながら「過去の悲惨な事件を教訓に、人と人とが信頼し合う安全安心な地域社会を築いていくことをこの場において誓う」と語った。

という程度の常識はあることは彼の名誉のために指摘しておきます。

http://chosonsinbo.com/jp/2017/09/0907hj/
上里町が主催する追悼式は、安盛寺境内にある慰霊碑の前で行われた。参列した関根孝道町長は、慰霊の辞で「毎年追悼式が行われるこの日は、不幸で悲劇的な出来事を再び繰り返さないよう心に期する日としている。本町でも、流言飛語が飛び交い騒乱した一部の住民によって、避難してきた在日朝鮮人の方々の尊い命を奪うという悲惨な事件が発生した。犠牲となった方々に哀悼の意を表し、あらためてご冥福をお祈りしたい」と述べた。
熊谷市に位置するメモリアル彩雲で行われた追悼式は、熊谷市主催のもと行われた。式では、富岡清市長が「私たちは暗い過去への厳粛な反省のうえにたち、再びこのような惨禍が起こることのないよう、また尊い命を奪われた犠牲者の方々、最愛の肉親を奪われた同胞の方々の悲痛な思いを決して風化させてはならないと決意をあらたにする」と追悼のことばを述べた。

 という上里町長や熊谷市長に比べれば表現が弱いとは思いますが。
 それはともかくまあ日本においては興味深いことに「同じ共産党指導者でありながら」スターリンソ連共産党書記長や毛沢東中国共産党主席、金日成朝鮮労働党主席ならともかくホーチミンを激しく敵視する右派は少ないようです。その一例が萩原氏の訳です。
 小生が思うに

・日本の隣国でないのでどうしても注目度が低くなる
・シベリア抑留(旧ソ連)、日本人拉致(北朝鮮)のような日本人が被害になった事件がない
スターリン毛沢東金日成程の個人崇拝が、ホーチミンについては生前ない
・(反対派に対する弾圧がないとはおそらくいえないでしょうが)、スターリン粛清(旧ソ連)、文革(中国)ほど有名ではない(おそらくそこまで大規模ではない)

といったところでしょうか。
・まさにid:Bill_McCrearyさんが言う『経済のほうが政治よりよっぽど現実(実状)に正直だ』(https://blog.goo.ne.jp/mccreary/e/f76f097cb53a0a225779c516a58ad7fe)の一例でしょう。
 こう言っては失礼ですがベトナムレベルですら「ベトナム人観光客」などを狙って「この熱いエール」です。「ベトナム以上の経済大国」中国相手に地方都市が熱いエールを送るのはまさに当然です。

参考
美作市ベトナム

http://www.city.mimasaka.lg.jp/soshiki/kikaku/eigyo/1479781338101.html
美作市ベトナムとの交流』
 美作市では、少子高齢化等の影響により人口の減少が著しい中、外国人の人口は年々増加傾向にあり、その中でもベトナム人の人口が増加している状況です。
 この状況に鑑み、美作市では、在市ベトナム人が安心して暮らせるまちづくりの構築や文化・教育・観光等において交流を図ることにより、更なるベトナム人の定住化や観光客の増加を目的に、ベトナム交流事業を推進しています。
ホーチミン主席像贈呈式を開催
 11月21日(火曜日)、美作市江見の作東文化芸術センターで、ホーチミン主席像の贈呈式が行われました。
 ホーチミン主席像は、ベトナム社会主義共和国美作市の友好の証として、ベトナム政府から無償で寄贈されました。主席像の寄贈は日本国内では初めてで、フランス、ドイツ、シンガポールオーストリア*11などに次いで18ヶ国目の寄贈となりました。
 式には、ベトナム国のダオ・ヴィエト・チュン主席官房長官や在大阪ベトナム社会主義共和国総領事館のヴー・トゥオン・ハイ総領事など37名が参加されました。チュン主席官房長官は、「ホーチミン主席像は美作市への特別なプレゼントです。ベトナムと日本、美作市との友好関係に寄与することを願います。」とあいさつをされました。
 この度の寄贈により、観光客の増加やベトナム国からの視察などが見込まれるため、国内外へ向けてのPRを強化して参ります。

http://www.sanyonews.jp/article/566795/1/?rct=sakusyu
山陽新聞サッカーベトナム代表が美作合宿 8月に女子チーム、ベルと試合も』
 美作市は20日、サッカーのベトナム女子代表チームが8月1〜11日の11日間、美作ラグビーサッカー場(同市入田)で合宿すると発表した。期間中にはサッカー女子・なでしこリーグ2部の岡山湯郷ベルとの練習試合も行う。

ホーチミン銅像非難派の言い分その1】
 まあ、反共反ベトナム連中のホーチミンへの悪口は酷すぎる気がしますが、とはいえ評価は別れる人物ではあるでしょう。また、一般的にいって「市長など地元に貢献した地元選出の政治家*12」ならともかくそれ以外の政治家(特にこのケースのような外国の政治家)の銅像が公共の場にふさわしいかは微妙だとは思います。もちろんベトナム美作市双方にとって「社交辞令に過ぎない」ことはわかりますが。

http://ichiban.militaryblog.jp/e899375.html
 私達は、ベトナムの歴史において、はるかに敬愛に値する適切な人物がいることを美作市の皆様にご理解を頂きたいと思います。それは、ベトナムの独立と維持の戦いの中で、13世紀にモンゴルの侵攻を3度破ったチャン・フン・ダオ*13、そして、15世紀に明の支配の駆逐に活躍したグエン・トライ*14のような方々です。彼等は、真にベトナム人が尊敬する人物です。
 一方、ソ連で教育を受けたコミンテルンの幹部であるホーチミンは、ベトナム共産党を創設し、ベトナム人スターリン主義独裁政権支配下に置くためベトナムに戻りました。1950年代に北ベトナムで行われたホーチミン主導のいわゆる「土地改革」において、何千人もの人々が「土地所有者」であるとの理由で虐殺されました。
 1960年代と1970年代には、ホーチミンベトナム共産党の首脳は、10年間に及ぶベトナム戦争の間にベトナム共和国 (南ベトナム) への侵略*15を開始し、国を荒廃させ、何百万人もの犠牲者を出しました。
 日本人は、過去70年のベトナム共産党政権による政敵の暗殺、人権侵害、反政府派の虐待と投獄を許さないことを私たちは知っています。
 今日に残る恐ろしい記憶は、ベトナムの人々にこれらすべての残虐行為を招いたホーチミンに責任があるのです。
(中略)
 独裁と腐敗した共産主義政権の象徴である人物を讃えるよりも、ベトナム史上で敬愛される人物の展示こそが美作博物館の来訪者にふさわしいものと私達は確信しております。

https://watching-vn.blogspot.com/2018/01/blog-post_28.html
 当市出身の剣豪・宮本武蔵は、武術のみならず、著書『五輪書』にみられるオリンピックに通じる精神性の高さで後世の私たちに大きな影響を与えています。偉人・宮本武蔵像の建立であれば十分、納得できますし、皆が誇りを持って喜んで見学に訪れるでしょう。
 しかし、ベトナム人ホー・チ・ミンをよく知る私たち在日ベトナム人は、彼の像の建立によって美作市民の皆様に多くの誤解を与え、長年築いてこられた貴市の文化的遺産の価値を劣化させてしまうと確信しています。
 ホー・チ・ミンの実像は宮本武蔵とは全くかけ離れた独裁者です。彼は、抗仏時代において民族主義的政党の要人多数を粛清・暗殺し、1950年代、農地改革時代には2万人を惨殺、20万人を迫害しました。1968年のテト攻撃*16においては罪なき国民6000人以上を殺し、生き埋めにしたなど暴力と残虐な手段でベトナム共産主義政権を作りました。その後の数え切れないボートピープル発生の惨状は、日本でも多く批判的に報道されてきたと思います。
 私たちは、その原因を作った*17ホー・チ・ミンの非道を日本の皆様、そして美作市の皆様に忘れていただきたくありません。今日の日本とベトナムの協力関係の進展は、ホー・チ・ミンとは無関係です。日本のどこかの地に中国の毛沢東*18の像を建立する発想と似ていないでしょうか。

https://watching-vn.blogspot.com/2018/04/blog-post_12.html
美作市ホーチミン像に世界のベトナム難民団体が抗議
 美作市民の間では展示の中止を求める署名運動が行われ、およそ2,000名分*19の署名が市に提出され、市議会でも複数の市議が展示に反対したと聞きおよびます。
(中略)
 この署名運動の中で、世界各地のベトナム系市民からは以下のような声が多数寄せられています。
「なぜあのような残虐な独裁者が日本で崇拝されるのか?。日本は民主主義国家ではなかったのか?」
ホーチミンは美術館ではなく、ハーグで戦犯裁判にかけられるべき人物です」
 そして2018年4月6日、日本在住ベトナム人協会の有志、およびドイツ、カナダ在住ベトナム難民協会の代表者が、世界のベトナム系市民を代表し、抗議のため美作市を訪問しました。私、森泉も代表団に同行し、抗議に参加させて頂きました。
 その後、代表団は美作市役所を訪れて萩原市長と約1時間会談を行い、ホーチミン空間の撤去を求める請願書を約8,000名分の署名と共に正式に提出しました。
 代表団から請願を受けた萩原市長の返答を要約すると以下の内容になります。
・「ホーチミン空間」の設置はあくまでベトナムと日本の友好の為のものであり、撤去する考えはない
ホーチミン像は美作市以外にも、フランスやオーストリアにも設置されている
ユネスコホーチミン主席を顕彰する決議を発表している
ベトナム難民の苦難は理解するが、過去の遺恨を乗り越え未来志向になるべき
 この中でオーストリア・ウィーンのホーチミン像については、萩原市長の認識に誤解があったので、代表団から指摘がありました。確かに2017年、ウィーン市においてホーチミン像の設置計画が持ち上がりましたが、この計画はドイツやアメリカ在住のベトナム難民コミュニティー、およびオーストリアドイツ国内の人権団体からの強い反対を受けてウィーン市も方針を改め、像の設置計画は昨年2月に中止となっています。
 また過去の遺恨を乗り越えるよう促した件では、萩原市長は「日本も第2次大戦においてアメリカによる空襲や原爆投下など悲惨な経験をしたが、戦後日本人はルーズベルト*20(ボーガス注:大統領)を恨むことなく未来のために行動した」と、戦後の日本を引き合いに出し、過去に拘る事は未来のためにならないとし、代表団に対して考えを改めるよう求めました。
 目の前でそれを聞いていた私や、他の代表団のメンバーは、率直に言って萩原市長のこの発言に憤りを覚えました。萩原市長は今回のベトナム人による抗議・請願を、「ベトナム・日本の友好を阻害するもの」と捉えておられるようです。

ホーチミン銅像非難派の言い分その2】
 ホーチミン銅像に悪口するメンツはもちろん「天皇夫妻のベトナム訪問」「ベトナム国家主席の訪日」にも否定的ですので参考として紹介しておきます。とはいえこうした「反ベトナム、反ホーチミン」のメンツは日本においては反共ウヨですら少ないのですが。

https://watching-vn.blogspot.com/2018/06/blog-post.html
チャン・ダイ・クアン国家主席来日抗議デモ
 ベトナムチャン・ダイ・クアン国家主席が5月29日から6月2日まで日本を訪問しています。これに合わせ、日本在住のベトナム難民とその家族、ベトナム革新党(ベトタン)、および青年民主化運動グループ日本在住愛国ベトナム人共同体などが、5月30日に東京赤坂の迎賓館前で抗議デモを行いました。
 私もベトナム民主化ベトナム国民の幸福、日越の真の友好を願う一人の日本人として、このデモに参加させて頂きました。
 クアン国家主席は半世紀に渡ってベトナム国民を弾圧し続けているベトナム共産党の現最高権力者であり、現在も続く残忍な人権蹂躙の最高責任者でもあります。
(中略)
 今回、日本政府はチャン・ダイ・クアン国家主席国賓として迎えており、そのために我々は日本の警察から、大きな声を上げてはいけない、垂れ幕を掲げてはいけない、旗を振ってはいけない等、到底民主主義国家におけるデモとは思えないような制限を受けました。
 日本政府は独裁国家の独裁者を国賓として守り、民主国家で民主化を求める市民の声を抑えつけたのです。ベトナム政府の非道は昔からの事ですが、日本政府までもがベトナムを経済的に利用するために、その非道を間接的に擁護してしまっている事は、日本国民として非常に悲しいですし、憤りを覚えます。

【日本でのホーチミンイメージ】
 スターリン毛沢東に比べると割と好意的かとは思います。いくつか紹介してみましょう。

ホーチミンウィキペディア参照)
 ホーは労働党主席、首相に就任し、党と国家の最高指導者としてベトナム民主共和国を統治した。しかし、日常的な党務は第一書記のチュオン・チン*21に委ね、フランスとのインドシナ戦争終結後の1955年9月には首相職をファム・ヴァン・ドン*22に譲った。
 チュオン・チンが急進的に行った土地改革が失敗し、1956年に党第一書記を解任されると、ホーは第一書記を兼任したが、1957年にはレ・ズアン*23を第一書記代理として再び党務を委ねた。だが、ベトナムの統一方法をめぐって、ジュネーヴ協定の完全実施という平和的な方法をとろうとするホーと、武力による統一をめざすズアンは対立し、ズアンが党指導部を掌握すると、ホーの影響力は外交の面に限定されていった。ホーは国家主席兼党主席として国政の重要問題について最終的な決裁を下す立場にあったが、集団指導の原則に従って党政治局の決定を裁可するだけで、党内人事・国内問題などの決定には実質的にはほとんど関与せず、ズアン指導部の決定を容認していた。
 国内の統治を党と政府に委ねたホーは、国家主席としてソ連中華人民共和国などの友好国との交渉や、交戦国のフランスや、フランスを支援していたアメリカなどとの駆け引きといった外交問題を担当し、集会やラジオ演説で国民を励ます役割を果たすことに専念した。
■死後
 ホーの遺書には、遺骸を火葬して北部、中部、南部に分骨して埋葬することが記されていた。しかし、ベトナム労働党政治局はこの部分を削除して遺書を公開した。
 ホーは、個人崇拝につながる墓所や霊廟の建設を望んでいなかったが、その意向は無視された。党政治局の決定により、遺骸はレーニンにならって、永久保存(エンバーミング)され、南北統一後、ハノイ市に建設されたホー・チ・ミン廟に安置された。
 政治思想や手法には賛否両論あるが、特筆すべきは、ソ連スターリン、中国の毛沢東北朝鮮金日成など、革命によって権力を握った共産党指導者が独裁的になって反対派を粛清する例が多いのに対し、ホーの指導下において、政策議事は徹底的な討議を前提とした非公開の全会一致制とされ、自らが個人崇拝の対象になることを嫌っていたことである。またホーは自伝の類を残さずに死んだため、後継指導者層の間で「ホーが何も語らずに逝ったのに、我々が何を言えるだろう」として自己の業績についてあまり語らないという伝統が生まれた。
 晩年はベトナム国民から「ホーおじさん」と呼ばれ親しまれた。一方、南ベトナムからの難民が大多数を占めるベトナムアメリカ人などからは、「ベトナムを武力によって共産化した首謀者」として憎悪の対象と見られている。例えば現ベトナム政府の要人が訪米する際には「ホー・チ・ミンは殺人者」などというプラカードを掲げられたりする。死後40年以上経過するが、ホーの評価は二極に分裂してまだ定まっていないのが現状である。
■エピソード
 1960年のテト(旧正月)の際にホーは、人々のありのままの生活を見たいとのことで、「ハノイで一番貧しい家庭を訪問したい」と言った。ホーが案内された母子家庭は、テトにも拘らず、母親があくせくと働いており、亡父の仏壇の供え物もない状態だった。ホーが驚いて理由を尋ねると母親は、食べ物がないので、テトでも働かなければならないと言った。ホーは母親を抱きしめて一緒に泣き、近所の人に彼女を助けてあげてほしい旨を伝え、仕事や子どもの就学のサポートをしたという。その他にも「人民の生活を知るために市場を見たい」といって、ばれないように、護衛とともに変装して市場にいき、衣服や食品の値段を確認して回ったとの話もあるという。

http://viettan.sakura.ne.jp/?p=227
■読売新聞記事『「ホーおじさん」の遺言』ハノイ支局長 吉田健一
 「党員は団結を守り、勤勉、正直、模範的な無私の精神を示さねばならない」
 「米国に打ち勝ったら、以前の10倍も美しい祖国を建設しようではないか」
 「人民の時間とお金を無駄遣いしないよう、盛大な葬式は不要」
 「火葬後の遺灰は北部、中部、南部の丘陵に埋め、石碑や銅像は建てないように。訪れる人が休める建物をつくり、記念の植樹ができるようにしてほしい」
 国民への奉仕と団結の大切さを党員に説き、自らの神格化を拒む。人民服にサンダル履きという質素な暮らしを好み、清廉で知られた人らしい遺志である。


天皇夫婦とベトナム

https://www.sankei.com/life/news/171223/lif1712230013-n1.html
■産経【天皇陛下84歳】ベトナムご訪問 元残留日本兵家族に「深く感慨」
 天皇陛下は2月末から3月初旬、皇后さまとともに初めて訪れたベトナムについて「両国間の緊密な関係に深く思いを致しました」と回想された。
 天皇、皇后両陛下は訪問先のハノイ*24で、先の大戦終結後もベトナムに残り、フランスとの第1次インドシナ戦争で指導にあたるなどした元残留日本兵家族とご面会。元日本兵ベトナム独立後に日本への帰国を余儀なくされたため、別離を強いられた家族に対し、陛下は現地で「いろいろなご苦労もあったでしょう」とねぎらわれた。
 両陛下のご面会が契機となる形で、10月には元日本兵の子供たちの来日も実現。陛下は、これらの家族と、元日本兵が帰国後に築いた家族との間で交流が続いているケースがあると聞き、会見では「深く感慨を覚えました」と述べられた。
 また、同国のフエ*25で、ベトナム独立運動の先駆者として、日本で近代化を学ぶことを同国の青年に勧めたファン・ボイ・チャウの記念館を訪れたこともご回想。「日本とベトナムとの様々な交流の歴史に触れることとなりました」とし、両国の今後の友好関係の進展を願われた。

https://www.sankei.com/life/news/180530/lif1805300047-n1.html
■産経『ベトナム国賓招き宮中晩餐会 陛下のお言葉全文』
 この度、ベトナム社会主義共和国主席チャン・ダイ・クアン*26閣下が、令夫人と共に、国賓として我が国を御訪問になりましたことに対し、心から歓迎の意を表します。ここに、今夕を共に過ごしますことを、誠に喜ばしく思います。
 昨年春、皇后と共に、国賓として初めて貴国を訪問いたしました。国家主席閣下及び令夫人から大変心のこもったおもてなしを頂き、また、広く貴国民から温かい歓迎を受けたことが、今も思い起こされます。ここに改めて感謝の意を表します。
 貴国では首都ハノイと古都フエを訪れ、日越両国の古くからの交流の歩みに触れることができました。八世紀に貴国から我が国に伝えられた楽舞は、今も我が国の雅楽の中で林邑(りんゆう)楽として残されていますが、フエにおいて、その楽舞を源流とするニャーニャック*27を阮(グエン)朝時代の王宮で鑑賞しました。また、二十世紀初頭に「東遊(ドンズー)運動」を興し、多くの貴国青年を日本留学に導いたファン・ボイ・チャウ氏の記念館を訪問し、その足跡をたどることができました。それに先立ちハノイにおいては、残留日本兵の人たちが戦後何年かにわたり、生活を共にしたベトナム人家族の人々に会い、現在に至るまで続いている日本との交流について聞く機会もありました。この残留日本兵の人たちは、第二次世界大戦後もベトナムに残って、貴国のフランスからの独立戦争を共に戦い、その後もベトナム人家族との生活を続けましたが、ある時期に当時の事情からその家族を残して日本へ帰国せざるを得なくなった人たちでした。
 貴国を訪問した際、日本での留学の経験を経て貴国で活躍するベトナムの人々、我が国から派遣され貴国で活動する青年海外協力隊員や貴国での経済活動に携わる日本企業などの関係者とも会いました。それぞれの立場で取り組んでいる日々の活動を聞いて、このような人々がこれから長きにわたり日越両国の架け橋となっていくのであろうと、うれしく思いました。
 貴国は、過去の幾多の困難を乗り越え、国づくりに取り組み、目覚ましい発展を遂げてきています。本年は、一九七三年に貴国と我が国との外交関係が樹立されてから四十五年の節目の年を迎え、両国では多くの記念の行事が実施されると聞いております。この四十五年間、日越両国は年を追って関係を深めてきましたが、特に近年、関係はますます緊密となっています。我が国には現在約二十六万人のベトナムの人々が留学生、技能実習生などとして滞在しています。その中には看護師、介護福祉士として活躍し、我が国の高齢社会を支えている人々もいます。同時に貴国で活動する日本人や日本企業の数も年々増えています。そして、両国民の関心の高まりから、お互いの国を往来する訪問者の数は、昨年、双方合わせて百万人を超え、その中には我が国から修学旅行として貴国を訪問する高校生もいます。このように様々な交流が深まっていることを心から喜ばしく思います。
 我が国は今、緑が鮮やかな季節を迎えております。この良き時の閣下及び令夫人の我が国御訪問が実り多いものとなり、両国間の相互理解と友好協力関係が今後更に増進しますことを心から願っております。
 ここに杯を挙げて、国家主席閣下及び令夫人の御健勝とベトナム国民の幸せを祈ります。

【訪日するベトナム人観光客】

https://mainichi.jp/articles/20180609/ddm/008/070/062000c
毎日新聞『爆買いベトナム人、急増間近=ベトナム簿記普及推進協議会理事長・大武健一郎』
 ベトナムへの飛行機の中で、日本旅行帰りのベトナム人ツアーコンダクターと一緒になった。大学を卒業して10年近くベトナムの旅行代理店で働いてきたが、「最近急にベトナム人家族の日本旅行が増えてきた」という。特に桜と紅葉のシーズンが人気だが、ベトナム人は観光そっちのけで土産の爆買いに忙しく飛び回る。電器店やドラッグストア、100円ショップを巡り、24時間営業のドン・キホーテなどに午後11時ごろから午前2時ごろまで買い物に行く。「それに付き合わされるので、ほとんど寝る暇もない。疲れた」と言って飛行機の中で熟睡していた。

https://www.sankeibiz.jp/macro/news/180608/mca1806080739009-n1.htm
フジサンケイビジネスアイ『千葉県の森田健作知事、11月にシンガポールベトナムトップセールス
 千葉県の森田健作知事は7日の会見で、11月にシンガポールベトナムトップセールスを行うと発表した。知事の海外トップセールスは今年2月のタイ以来で、7回目。これまでは台湾、タイ、マレーシアで行ってきたが、シンガポールベトナムは初めて。シンガポールは県産農産物の輸出拡大、ベトナムでは県への観光客誘致や経済分野での交流促進につなげる狙いだ。
(中略)
 県によると、平成29年の本県からシンガポールへの農林水産物や加工品の輸出額は計1億5500万円で、ベトナムから本県への訪日客の宿泊人数は3万2710人。いずれも近年増加傾向にあるという。

https://www.j-cast.com/kaisha/2018/05/19329050.html?p=all
■外国人観光客数、過去最多の勢い 意外に急増中のアノ国、その理由は?
 日本を訪れる外国人観光客が年々増えており、過去最高を更新する勢いであることが日本政府観光局(JNTO)の調査でわかった。
 2017年4月の訪日外国人は約290万人で、ひと月の人数としては過去最高に達した。また、1月〜4月の累計も約1052万人となり、これまでで最も早いペースで1000万人を超えた。その中で、意外な国からの観光客が急増している。その理由とは。
(中略)
 訪日客数の伸び率でみると、意外な国が今年の上位に顔を出した。それは、ロシア。前年比37.3%も増えた。2位はベトナムの29.2%増だ。ちなみに3位は、伸び率上位の常連・中国(29.2%増)だった。
 J‐CASTニュース会社ウォッチ編集部では、JNTOインバウンド戦略部の調査担当者に理由を聞いた。
 まず、突然1位に浮上したロシアは、調査担当者によると、「2017年1月に日本へのビザ(査証)の発給要件が大幅に緩和されたことが大きいです。商用のためなどに来日する人へのマルチビザの範囲を拡大し、有効期間を3年から5年に伸ばしました。また、ビザの手続きの際の面倒な身元保証もなくしました。大幅に日本に来やすくなったのです」と説明する。
 これは、その2週間前の16年12月中旬にプーチン大統領が来日。安倍首相との首脳会談で、日ロ関係が改善した成果だ。さすが即断即決のプーチン大統領、やることが早い。モスクワ‐成田や、極東(ウラジオスク、ユジノサハリンスク)‐新千歳の直行便が増えた。
 ロシア人観光客の大半はまだ日常品の買い物が目的だが、意外なことに北海道へのスキツアー客が増えている。
 2位のベトナムは、「春には桜観光の花見に、冬には北海道の流氷を求めてくる人が増えました。ともに暑い自分の国には見られないものです」(JNTOの調査担当者)という。
 2017年、ハノイで開かれた「世界旅行博覧会」では、JNTOが桜観光を目玉にした「日本の春」をアピール。また、ベトナム人の有名ブロガーを網走・知床の流氷砕氷観光船に招待し、流氷の魅力をSNSで発信してもらった。
 このため、18年1〜3月は北海道の流氷見物、4月には全国各地の桜の名所に花見に行くベトナム人が増えた。
 調査担当者は「中国や韓国には桜の仲間の花がありますが、熱帯のベトナムにはなく、桜が珍しいようです。団体客が多かった中国人が、最近、個人旅行に変わってきましたが、いまベトナム人が団体客の中心です。ホーチミン‐福島のチャーター便が、ひと月で7便も飛んでいます」と語る。
 3位は、個人旅行が増えた中国。一時の団体客の「爆買い」が減り、代わりに旅行者個人がSNSから情報を集めるようになった。そこで、JNTOでは昨年から、中国のインフルエンサー(影響力のある人)のブロガーたちを招待。十和田湖の雪景色、弘前城の雪灯まつり、津軽鉄道のストーブ列車、昇竜道(中部北陸地域)の観光名所などの魅力を、SNS(Weibo)を通じて生発信してもらった。

*1:著書『戦後思想を考える』(1980年、岩波新書)、『私の平和論』(1995年、岩波新書)、『戦争のなかで考えたこと:ある家族の物語』(2005年、筑摩書房)、『私の憲法体験』(2010年、筑摩書房)など

*2:著書『柳宗悦』(1994年、平凡社ライブラリー)、『老いの生きかた』(1997年、ちくま文庫)、『限界芸術論』(1999年、ちくま学芸文庫)、『戦時期日本の精神史:1931〜1945年』、『戦後日本の大衆文化史:1945〜1980年』(2001年、岩波現代文庫)、『教育再定義への試み』、『竹内好』(2010年、岩波現代文庫)、『埴谷雄高』(2016年、講談社文芸文庫)など

*3:橋本内閣経済企画庁長官、森内閣経済財政担当相、小泉内閣総務相、第一次安倍内閣外相、自民党幹事長(福田総裁時代)などを経て首相。現在、第二〜四次安倍内閣副総理・財務相

*4:公明党政調会長、幹事長、小泉内閣国交相などを経て公明党副代表

*5:宇野内閣防衛庁長官、宮澤内閣建設相、自民党国対委員長(河野総裁時代)、政調会長(橋本総裁時代)、幹事長、副総裁(小泉総裁時代)を歴任

*6:小泉内閣防衛庁長官福田内閣防衛相、麻生内閣農水相自民党政調会長(谷垣総裁時代)、幹事長(第2次安倍総裁時代)、第3次安倍内閣地方創生担当相など歴任

*7:もちろん反発するベトナム人は反共反ホーチミンであって、全てベトナム人がそういうわけではありませんが。

*8:ベトナム民主共和国首相、国家主席ベトナム労働党主席

*9:岡山市長、自民党衆院議員を経て美作市

*10:「英雄で傑物」、つまり「偉人、立志伝中の人物」という意味。

*11:「フランス=ベトナム宗主国にしてホーチミンの留学先」「ロシア=旧ソ連時代の付き合い」でしょうがドイツ、シンガポールオーストリアは何でしょうか?

*12:これだって政治的に銅像を設置していいか微妙なケースはあるでしょうが

*13:陳朝ベトナムの武将

*14:阮朝ベトナムの武将

*15:内戦であること、米国が北ベトナムを軍事攻撃していることを考えれば侵略呼ばわりは不適切でしょう。

*16:一般には「テト攻勢」と呼ばれる。旧正月であるテトの期間は、南北ベトナム軍双方が暗黙のうちに休戦期間とする慣例があった。しかし1968年は、北ベトナムと解放戦線側は南ベトナム全土での大規模なゲリラ攻撃を企画し、1月30日未明、一斉に蜂起した。北ベトナム軍総司令官のヴォー・グエン・ザップテト攻勢には反対の立場であったが、他の北ベトナム軍幹部らや南ベトナム解放民族戦線に押し切られる形で、作戦を実行する事となった。軍事的には、北ベトナム軍および解放戦線側は損害の大きさの割に成果が少なく、ザップが危惧し反対したように攻撃は失敗に終わったとされる。しかし、ベトナム戦争終結は間近であると知らされていたアメリカ国民にとって、一時的にせよ南ベトナムの首都サイゴン(現ホーチミン市)のアメリカ大使館が占拠された事態は衝撃をもって受け止められた。アメリカ本土のベトナム反戦運動は非常に高まった。これにより、アメリカ合衆国大統領リンドン・ジョンソンは、次期アメリカ合衆国大統領選挙への出馬を自ら取り止めた。当初は攻勢へ反対意思を示していたザップも、結果として政治的成功である事を認めたと言われる。このような理由から、政治的にはテト攻勢が成功を収めたとされる。以後、アメリカは脱ベトナム政策の「名誉ある撤退」という方便を模索するようになった(ウィキペディアテト攻勢」参照)。

*17:ホーが存命だった1968年以前のことはともかく「ボートピープル」など死後のことは彼の責任とはいえないでしょう。

*18:中国共産党主席

*19:産経によれば美作市の人口が2万8千程度ですので2千人とは「少ないとはいえないが、大多数は(積極的に賛成してるかどうかはともかく)反対してない」わけです。やはり「深刻な過疎」の問題が大きいため「ベトナムへの期待」があるのでしょう。

*20:ただし原爆製造命令を出したのはルーズベルトでも、投下の時には既に死去しており、直接の責任者はルーズベルト死去で副大統領から昇格したトルーマン大統領です。まあトルーマンを副大統領にしたのはルーズベルトですし、ルーズベルトが存命でも彼は原爆投下したでしょうが。

*21:党第一書記、書記長、国会議長など歴任

*22:1955〜1987年まで首相

*23:党第一書記、書記長など歴任

*24:ベトナムの首都

*25:トゥアティエン=フエ省省都

*26:公安次官、公安大臣などを経て国家主席。2018年9月21日、国家主席に在任中のまま病死。享年61歳。後任の国家主席グエン・フー・チョン氏(ベトナム共産党書記長兼務)

*27:ユネスコ無形文化遺産