「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」を笑おう・パート18(追記・訂正あり)

 パート17の続き。

■9月7日 北朝鮮人権国際会議のお知らせ 
http://hrnk.trycomp.net/news.php?eid=00645

以前、お知らせした会議の内容が少しずつ決まったのでお知らせしますという三浦だがこのエントリからわかることは
・この会議に協力する自称「人権団体」の名前(自称であって反北朝鮮珍右翼にすぎないのだろうが)
・金泳三元韓国大統領がビデオメッセージを寄せること(金氏も珍右翼と手を握るようになったかと思うと感慨深い。もう韓国では「過去の人」「あの人は今」なのか。だから、珍右翼と手を組んででも過去の栄光を取り戻したいのか。金大中氏とはえらい違いだ。お前大統領時代、珍右翼の強硬論なんか採用してないだろと突っ込みたくなる。すでにマスコミ報道で核疑惑のとき、「北朝鮮軍事攻撃を主張した当時のクリントン米国大統領」に「そんなリスキーなことはできない」と金氏が反対したことは公になってるのだが)
ぐらいでほとんど中身がない。
 パネルディスカッションをやるというが出演するパネラーの名前が書いてない。これで参加しろというのはふざけすぎだ。
 問合せ先の「ヒューマン・ライツ・ウォッチ(担当吉岡)」へ電話なり、メールなりして誰がパネラーですかと聞けば教えてくれるのか?
 初日だけは公開だそうだが、本当に客を呼ぶ気があるのかと思う。このエントリのアップは8/25だからあと2週間しかないのだが。
 2週間後のイベントで詳細が全然分からないなんてありうるのか?。少なくともコンサートとかエンタメイベントではまずないと思う。


北朝鮮最新情報 :北スパイ集団『旺載山』の 5人を拘束…金日成にも会った
http://hrnk.trycomp.net/information.php?eid=00096

ちなみにこの事件については「北朝鮮のスパイ事件だ!」と騒ぐ声ももちろんネット上で見つかるが一方で

■朝鮮問題深掘りすると?「低次元の謀略事件ねつ造 「一進会(旺載山)」スパイ団事件」
http://ameblo.jp/khbong/entry-10975904204.html
ハンギョレ・サランバン「いわゆる “ワンジェサン(旺載山)事件”の捜査に異議あり
http://blog.livedoor.jp/hangyoreh/archives/1523432.html

などのようにでっち上げではないかという声もある(そうした声を紹介しない三浦小太郎一派や日本マスコミにはあきれる。なお三浦のお友達であるアジアプレス(http://www.asiapress.org/apn/archives/2011/08/01191058.php)はさすがにそうした声があることについては簡単にだが一応触れている。id:noharra君、三浦が「でっち上げではないか」という声を「華麗にスルー」してることをどう思うね?。また「別に」とエリカ様発言かね(嘲))。
 まあ、事件が事実だとしても、この事件関連で行われたという左派野党・民主労働党や左派雑誌「民族21」への捜査(ちなみに「民族21」への捜査については産経が「朝鮮学校ネガキャン記事にしていた)は左派の評判を落とすための権力による謀略の疑いは否定できないと思う。
 古今東西、「外国の手先」「共産主義の手先」という、言いがかりによる弾圧事件は山ほどある。特に韓国では軍事独裁時代、そうした事件(とくに有名なのが光州事件での金大中氏死刑判決だろう)は山ほどあり、李明博現政権はそうした軍事独裁政権をルーツに持つ政党ハンナラ党を基盤にしている。
 現時点では政府発表には眉に唾付けた方がいいだろうし、いずれ「言論弾圧許すまじ」と日本の左派、人権派が「光州事件」時のように声を上げる必要があるのかもしれない。もちろん、えせ人権派である三浦先生や、id:noharra先生にはそういう声を上げることはまったく期待していないので安心してください(毒)。あなた方がたたくのはほぼ「北朝鮮と中国」限定ですものね。
 仮に言論弾圧だとして、韓国民主化運動の成果が台無しにされてるのかと思うと、李明博には黒い殺意を覚えるな。


【追記】

東亜日報「「旺載山」事件、4被告に懲役5〜9年を宣告 」
http://japan.donga.com/srv/service.php3?biid=2012022445718

裁判所は、彼らのスパイ疑惑は認めながらも、反国家組織「旺載山」を構成した容疑に対しては無罪と判断した。
(中略)
また、一部国家機密探知および収集容疑についても、「収集された情報が機密価値を持った情報であると見ることはできない」として無罪を言い渡した。
被告人の家族は裁判が終わった後、「旺載山という組織を構成したことが無罪と言い渡されたことは、検察の政治的な捜査が誤りだったことを明らかにした。有罪については同意できないので、控訴する」と述べた。

ということで有罪判決は出たものの検察シナリオは崩壊し、判決も求刑よりずっと軽かったたわけです。でもそういうことは少しも紹介しないんだろうね、こいつら反北朝鮮ウヨは。


北朝鮮最新情報 :好景気に沸く開城工団、北にとって貴重な資金
http://hrnk.trycomp.net/information.php?eid=00095

 「工団」ってのは日本風に言うと工業団地らしい。
 景気がいいのならあの国の人の生活も少しは楽になるだろうし、北朝鮮も危険なチキンゲームに出ることもないから周辺諸国も安心だ、と俺は思うが、北朝鮮を一日も早くつぶしたくてしょうがない珍右翼の皆さんはどうやらそうは思ってないらしい。


救う会神奈川 9月18日「拉致被害者と家族の人権を考える市民集会」
http://hrnk.trycomp.net/syukai.php?eid=00132

第25回「拉致被害者と家族の人権を考える市民集会」〜拉致を語らずして人権を語る無かれ*1
講演者:横田滋さん(横田めぐみさんの父) 
    横田早紀江さん(横田めぐみさんの母)
    杉野正治さん(特定失踪者問題調査会常務理事)
    土井香苗さん(国際NGOヒューマン・ライツ・ウォッチ日本代表、弁護士) 予定
   川添友幸 (救う会神奈川代表)
     
県内特定失踪者家族も参加します

 珍右翼の集会に出て恥じないなんて「ヒューマン・ライツ・ウォッチ日本」とか土井某弁護士ってそう言う人なんだろう(毒)
 俺だったら特定失踪者なんて怪しい代物を宣伝してる連中とは同席などノーサンキューだ。連中と手を組まんでも北朝鮮批判や拉致問題解決を訴えること自体は出来る。蓮池透さんが良い例だ。


■哲学者としての石原莞爾(三浦の個人ブログ)
http://miura.trycomp.net/?p=465

書評 石原莞爾 愛と最終戦争 藤村安芸子著
 本書は石原莞爾を軍人や信仰者としてではなく、あくまで思想家の面から捉えたユニークな石原論である。このような試みはほぼ初めてと言ってよい。

 三浦の紹介する本はシリーズ物「再発見・日本の哲学」(講談社)の一冊。このシリーズには「大森荘蔵」「廣松渉」「西田幾多郎」「和辻哲郎」といった文字通りの哲学者が名を連ねている。ラインナップされている中には「山田孝雄」(国語学者)、「埴谷雄高」(小説家)、「丸山真男」(政治学者)など哲学者扱いすることが微妙な人間もいるが、その中でも石原は特に異色だ。確かに石原の思想性に着目した研究者は過去に多くいるだろう(現在、彼の著書『戦争史大観』『世界最終戦論』が中公文庫BIBLIOから出ている)。
 しかし、あくまで石原の本業は軍人であり、彼の人生最大のイベントは満州事変だから彼を「大森荘蔵」などと並べて哲学者扱いする人はあまりいない(また『戦争史大観』『世界最終戦論』はいわゆる哲学書には該当しない)。
 たとえばロシア革命の指導者レーニンに「唯物論と経験批判論」(当時、ロシアのマルクス主義者の間で流行っていたマッハ主義への批判本)、「哲学ノート」(ヘーゲル哲学の研究書らしい)という著書があり、その後のマルクス主義哲学者に少なからぬ影響を与えても、普通彼を哲学者とは呼ばない。
 レーニンが哲学者扱いされないのは別に「レベルが低い」と言う問題ではなく、レーニンの本業は哲学ではないからだろう(別にレーニンを例に挙げなくてもいいのだが、哲学的書籍を一応書いてるのに哲学者扱いされてない人が他に思い浮かばなかった)。

思想家としての石原莞爾は、幻の満州国*2同様、無限の歴史的可能性を秘めている。

 それはどうだろう。俺は満州事変によって日本陸軍に、下克上の風潮を生み出した石原を評価する気にはとてもならない。
ウィキペ「石原莞爾」によれば

昭和12年(1937年)の日中戦争開始時には参謀本部作戦部長。参謀本部は当初戦線拡大に反対*3であり、戦線拡大を狙う現地に、中央の統制に服するよう説得に出かけたが、かえって現地参謀であった武藤章*4に「石原閣下が満州事変当時にされた行動を見習っている」と嘲笑され絶句したという。*5

とのことだが自業自得だ。
 三浦の紹介する藤村説は俺には意味不明すぎるので一部を除いてほぼノーコメント。
 で、その「一部」に突っ込む。

(注:世界の平和的)統一は石原の「戦争史大観」によれば「一、思想信仰の統一、二、全世界を支配し得る政治力、三、全人類を生活せしむるに足る物資の充足」(百二頁)を条件とする。この思想信仰の統一とは、石原が国柱会の田中智学から受け継いだ、天皇による統一をさす。しかし他の国対論者との大きな違いは、石原にとって天皇とは、近代によって「へだて」られた個人と個人とを繋ぐ「人格的中心」であり、天皇の心を「全ての民族を平等に気づかい言葉をかける『御仁慈』」(百九十頁)と説明している。

天皇による思想統一って気持ち悪すぎる(そもそも世界統一、世界平和に思想信仰の統一なんか必要ない)。
「全ての民族を平等に気づかい言葉をかける『御仁慈』」って大東亜共栄圏とどこが違うんだ。大体、朝鮮の独立運動を弾圧してる時点で、その仁慈とやらはフィクションにすぎない。こういう石原を評価する三浦のような奴が「主体主義を世界に広めようとしているらしい北朝鮮」を非難するのにはあきれる。お前が評価する石原の天皇万歳と北朝鮮とどこが違うんだ?

終戦争は、近代を乗り越え、自己と他者、国家間、宗教間の全ての矛盾を統一させるはずだった。

なんかハルマゲドンみたいだな。現実の戦争ってそういうものではそもそもないだろ?


 一部突っ込んでみたが、少なくとも歴史学者等による定評のある(信頼の置ける)石原批判本とコミで読まないと、三浦の紹介に寄ればどう見ても石原礼賛本らしいこれ一冊だけ読むのは危なすぎる本だろう(危ない以前にあまりにも俺には「難解」すぎてほとんど理解できそうにないが)。
 ちなみに話は脱線するが、三浦の紹介する石原や田中智学の存在、戦前のテロ事件「血盟団事件」の首謀者・井上日召日蓮僧であることを考えると冗談抜きで日蓮思想とはウヨと親和的な思想(もちろん全ての信者がそうなわけはないが)なのではないかと時々思う。


参考
レーニンの哲学研究について
 別にこの方の意見を支持するという意味ではなく、「唯物論と経験批判論」でググったらヒットしたし、入門的な意味(どういう性格の著書なのかとか)でわかりやすいかなと。

http://ratio.sakura.ne.jp/old/wrintigs/lenen2.html
レーニン唯物論と経験批判論』紹介(2000年3月)
 日本共産党の独習指定文献には、10の科学的社会主義の古典があげられています。そのなかで、レーニンの『唯物論と経験批判論』は、科学的社会主義の哲学、とくに認識論といわれる問題を真正面からとりあげた文献として特徴を持っています。
 科学的社会主義の哲学については、すでに『空想から科学へ』や『フォイエルバッハ論』、『反デューリング論』などで学ばれた方も多いと思います。『唯物論と経験批判論』は、そうした文献でのマルクスエンゲルスの指摘をふまえながら、経験批判論、経験一元論あるいはマッハ主義などとよばれた観念論哲学の潮流にたいして徹底した批判をおこなうとともに、その論戦を通じて、物質とはなにか、真理とはなにかなど、弁証法唯物論の哲学自体を積極的に発展し、前進させています。
 そういう意味で、一見すると抽象的な議論をたたかわせているようにみえますが、科学的社会主義の世界観への理解を深めるうえで、欠かすことのできない重要な文献となっています。
(中略)
 とはいえ、私自身、はじめて『唯物論と経験批判論』を読んだときにはまったく歯が立たず、訳も分からないままとにかく読みとおしただけに終わりました。しかしその後、『フォイエルバッハ論』や『反デューリング論』などをくり返し読み、また、不破委員長の「『唯物論と経験批判論』によせて」(『「資本論」と今日の時代』新日本出版社に収録)を知って、レーニンが何を批判しているのか、何を言いたいのか、少しずつですが読み取れるようになりました。
 そこでまず、私自身の体験もふまえて、この文献を読むうえでどんなところに気をつけたらよいか、どんなふうに読みとおしたらよいかを中心に紹介したいと思います。『唯物論と経験批判論』の各章の構成やポイントは後半でご紹介します。
 『唯物論と経験批判論』は論争の書です。ですから、それを読むには、どういう背景のもとで執筆されたのか、論争の相手は何なのかを、多少なりともつかんでおくことが大切です。
 まず歴史的な背景ですが、『唯物論と経験批判論』は、1905〜1907年のロシア革命(注:いわゆる第1次ロシア革命)が敗北したあとの反動の時代に登場した哲学上の修正主義にたいする批判として書かれたものです。1908年にレーニンが亡命先のスイスで執筆し、翌年モスクワで出版されました。
 当時ロシアは、絶対的な専制権力をもつツァーリ(皇帝)が支配する専制国家でした。
 1905年の革命(第1次ロシア革命)で、ツァーリ権力は譲歩を余儀なくされ、きわめて限られた権限しかもたなかったとはいえ、はじめて国会が開設されました。しかし、その国会も1907年6月にクーデター的なやり方で解散され、選挙制度も大幅に改悪するなど反動支配が復活していました。この反動支配は、当時の首相の名前から「ストルイピン*6反動」と呼ばれています。
 ロシア社会民主労働党の国会議員は追放され、国内の組織は徹底した弾圧を受けました。
 レーニンも国外への亡命を余儀なくされ、スイスのジュネーブボリシェビキ派の機関紙「プロレタリー」を再刊して、ロシア国内の党組織の再建にとりくみました。しかしロシア国内では、一方ではメンシェビキ派を中心に、非合法の革命党の必要性を否定し革命運動を放棄する「解党主義」が強まり、他方では、国会選挙のボイコットを主張する「召還主義」など、反動支配のもとでも残されていた合法的活動の余地を利用して労働者に粘り強く働きかけることを放棄する、見かけだけ「左翼的」な日和見主義も生まれました。
 革命運動からの離反、士気喪失、観念論への傾斜、さらには神秘主義への転落などが広がった時期でした。
 こうした反動期に登場した哲学的観念論の代表が、マッハ主義あるいは経験批判論、経験一元論などと呼ばれた潮流でした。批判の対象の中心となっているのは、『マルクス主義哲学にかんする概説』(1908年)を共同して出版したバザーロフ、ボグダーノフ*7、ルナチャルスキー*8たちです。彼らは、当時ヨーロッパで広がっていたマッハ主義*9とよばれた哲学を「現代の認識論」「最新の哲学」として持ち上げ、マルクスエンゲルスが確立した弁証法唯物論を「神秘説」だとか「古くさくなった」などと攻撃しました。
 しかし、ややこしいのは、彼らが真っ向からマルクスらの見解を攻撃、否定するのを避けて「ひざまずきながらの反抗」(これは「ロシア・マルクス主義の父」と呼ばれながら、当時はレーニンと政治方針のうえで敵対していたメンシェビキ派に属したプレハーノフの言葉です)をおこなったことです。レーニンは、こうしたやり方は「典型的な哲学上の修正主義」だと言っています。「修正主義」というのは、「マルクス主義の基本的見解」を「放棄」しておきながら、それを「公然と、率直に、きっぱりと」主張せず、あたかもあれこれの部分的な「修正」をはかっているかのように装っているからです*10
 さらに重大だったことは、誤った理論的潮流の中心人物の一人ボグダーノフが、レーニンを含め3人しかいない「プロレタリー」の編集局員の一人だったことです。当時、「プロレタリー」編集局がボリシェビキ派の事実上の指導部となっていたので、これは、革命党の指導部の中枢で、科学的社会主義の哲学的唯物論からの根本的離反が起こったといえるものでした。レーニンがこの事態をどれほど重大に考えたかが分かるでしょう。
 しかしレーニンが、ボグダーノフらの批判にじっさいに踏み切るまでは、なかなか複雑な経過がありました。それは、レーニンが1908年2月25日付で作家のゴーリキーに送った手紙から知ることができます(全集第13巻、461〜466ページ)。
 レーニンは、ボグダーノフの哲学上の見解への批判は明確にしながらも、政治路線の問題ではボグダーノフと一致し、共同行動をすすめるために、哲学での意見の違いは「中立地帯」として脇に置く「暗黙のブロック」を結び、「プロレタリー」の編集にあたっては、「哲学上のわれわれのあらゆる意見の不一致に絶対的に中立」の立場をまもりました。ボグダーノフとの哲学をめぐる意見の対立がはげしくなったあとも、そうした意見の相違がボリシェビキ派の分裂に結びつくことのないように配慮し、「プロレタリー」の編集やボリシェビキ派の活動とは厳格に区別する態度をつらぬきました。
 しかし、このことはレーニンがこの論争を軽視していたことを意味するものではありません。レーニンは、ジュネーブの図書館だけでなく、ロンドンにも出かけ大英博物館にも通うなどして、この哲学問題にとりくんでいました。そしてボグダーノフが、国会ボイコット問題*11を持ち出し、それを経験批判論と結びつけてボリシェビキ派の分裂をひきおこすと、『唯物論と経験批判論』の執筆に踏み切ったのでした。ここには、ボグダーノフらの誤った哲学的見解をうちやぶることを、科学的社会主義の事業にとって決定的な意義をもつ仕事と考えたレーニンの姿勢がよくあらわれていると思います。
 このような事情のため、レーニンは、ボグダーノフらロシアの「経験批判論者」だけを批判して事足れりとするのではなく、彼らが持ち出したマッハ主義についても深い検討をくわえ、さらにマッハ主義が生まれる背景となった19世紀末から20世紀初頭の「物理学の危機」についても解明をあたえるなど、文字どおり徹底した批判をおこなったのです。
 そのために、批判のすすめ方でも、『反デューリング論』や『フォイエルバッハ論』などマルクスエンゲルスの命題を、経験批判論やマッハ主義に対置してすませるのではなく、各所で、弁証法唯物論の立場から踏み込んだ解明をおこない、科学的社会主義の哲学を発展、前進させています。
 マッハ主義は、一方で唯物論を批判、攻撃しておきながら、他方で、みずからは唯物論と観念論の対立を超えたと主張した*12り、基本的なところで唯物論を批判しておきながら、別の部分ではこっそりと唯物論的見地を取り入れるなどしていました。ボグダーノフらが、マッハ主義にはまってしまったのも、そういうごまかしを見抜けなかったからにほかなりません。それゆえ、ロシアの経験批判論者は、唯物論とは相容れないマッハ主義の主張を取り入れながら、それが唯物論に反しないものであるかのように描き出したのです。それだけに、レーニンの批判は、こうした首尾一貫しない、ある意味で捕らえどころのない彼らの主張にたいして、唯物論からの離反という太い筋での批判をつらぬきながら、同時に、その矛盾した内容もとりあげて、ごまかしの手法をくわしく解き明かしています。こうした批判の徹底ぶりと、そのなかで随所で展開される弁証法唯物論についてのレーニンの深い展開も、ぜひ丹念に読み取りたいものです。
 不破委員長*13は、『古典学習のすすめ』のなかで、エンゲルスの『フォイエルバッハ論』にふれて、科学的社会主義の世界観の問題が教科書的な組み立てではなく「波を打つような形で展開」しており、それが苦労ではあっても、古典そのものを読むおもしろさでもあると指摘しています(『古典学習のすすめ』新日本出版社、118ページ)。この指摘は、論争の書である本書にもそのままあてはまるものです。大部な哲学書を読み解く苦労は大きいけれども、その波打つ全体をつかみながら読みすすめるならば、弁証法唯物論の生きた真髄をつかむことができるにちがいありません。
 同時に、レーニンが批判をロシア国内の経験批判論者にとどめなかった背景には、さらに当時の国際的な背景がありました。
 その一つは、社会主義運動の内部での修正主義の大きな流れでした。哲学の分野では、この修正主義の流れは、ヨーロッパで「カントに帰れ」という合言葉のもとに起こった新カント派の隆盛をうけて、哲学的唯物論への攻撃という形をとりました。そのため、レーニンは『唯物論と経験批判論』のなかでも、くり返し、カントの哲学的立場について詳細な検討をくわえています。
 もう一つは、「物理学の危機」とよばれる事態です。19世紀末から20世紀はじめにかけて物理学の新しい発見が相次ぎました。レーニンは、エックス線*14ラジウム*15の発見、「電子理論」などを上げていますが、エックス線の発見は1895年、ラジウムの発見は1898年のことでした。しかし、こうした発見とともに、従来の物理学の法則では説明できないさまざまな現象も明らかとなりました。ラジウムは、それまでの物理学が基礎においていた「エネルギー保存の法則」をくつがえすかのように見えました。また、1903年には電子の質量が電子の速度とともに変化することが観測され、「質量不変の法則」にたいする疑惑を引き起こしました。
 そこから、一部の物理学者は「物質は消滅した」とか「物質は消滅して、方程式だけが残る」などといって、物質の存在を否定する観念論の潮流が生まれました。マッハもそうした物理学者の一人です。彼は、こんにち音速の単位としてその名前が知られている物理学者でしたが、感覚の外にある実在を否定する彼の哲学はマッハ主義とよばれました。
 そのため、レーニンは、『唯物論と経験批判論』で、第5章「自然科学における最近の革命と哲学的観念論」全体をこの問題にあて、「物理学の危機」の哲学的本質を明らかにするとともに、弁証法唯物論の見地に立ってこそその打開がはかれることを示しました。
 レーニン自身は物理学の専門家ではなく、また『唯物論と経験批判論』の執筆は物理学の新しい発見がまだ続いているさなかでしたが、そこでのレーニンの解明は、その後の物理学の発展の方向を正しく見透すものでした。日本を代表する物理学者である故坂田昌一氏(名古屋大学教授)は、戦後すぐの時期に、そのことを次のように述べました。


「今世紀〔20世紀〕の初頭、物理学者の陥ったこのような混乱に対しその性格をみごとに分析し物理学のすすむべき正しい方向を指し示したのはレーニンである」
「自然科学の研究は自然の客観的実在性を確信した見地、すなわち唯物論に立脚しなければ行なうことが出来ない。自然科学者が初期に抱いていた世界観は機械論的な唯物論であったが、自然科学のその後の発展はこの世界観を崩壊せしめた。しかしこの見地の偏狭性はその唯物論的見解にあるのではなく、その形而上学的性格にあり、科学の進歩を包括するためには弁証法唯物論にまで上昇することが必要であった。物理学のその後の著しい発展は彼の見透しが正しかったことを完全に証明し、唯物弁証法の有効性が如実に示された」(「原子物理学の発展とその方法」1946年、『物理学と方法』岩波書店、所収)


 坂田氏はまた、原子の構造にとどまらず、原子を構成する素粒子の内部の構造にまで研究をすすめようとしたとき、エンゲルスの『自然の弁証法』の言葉とともに、『唯物論と経験批判論』での「電子は、原子と同じように、くみつくすことのできないもの」(下、108ページ)というレーニンの指摘にはげまされたとも語っています(「私の古典――エンゲルスの『自然弁証法』」1969年、『物理学と方法』岩波書店、所収)。
 こんにち、物理学の研究は、原子を構成する電子や陽子といった素粒子のレベルから、その素粒子を構成するクォークのレベルへとすすみ、六つのクォークの存在が確かめられています。最先端で研究をすすめる物理学者の研究をはげまし、その後の物理学の発展によって大いに検証されたレーニンの解明は、『唯物論と経験批判論』の大きな魅力の一つといえます。
 そうはいっても、本書には、たくさんの哲学者、物理学者が登場します。そのうえなれない哲学の問題だということもあって、大変難しく思われる方も多いと思います。私自身、はじめて読んだときは、話の筋が読み取れず、批判の細部に迷いこんでしまって方向を見失ったように感じました。
 そういうとき、不破委員長が「『唯物論と経験批判論』によせて」で、登場する哲学者を4つのグループに分けて、その大まかな傾向(「政治地図」)をしめし、この4つのグループ分けとそれに関連したレーニンの論証の方法をのみこんでおくことが大事だとの指摘を読み、ようやく議論の筋道を追いかけることができるようになりました。委員長のこの指摘は、これから『唯物論と経験批判論』に挑戦しようという方にもきっと役立つにちがいありませんので、ぜひご紹介をしておきたいと思います。

唯物論者のグループ
 第1のグループは、唯物論者のグループです。もちろん代表はマルクスエンゲルスです。それだけでなく、18世紀のフランスの思想家ディドロマルクスらが唯物論の立場にすすむときに大きな影響をあたえた19世紀のドイツの哲学者フォイエルバッハマルクスエンゲルスと同時代に独自に弁証法唯物論の見地に到達したドイツの労働者出身の哲学者ディーツゲン、それに前出のプレハーノフなども登場します。彼らは、唯物論の立場に立つという点でマルクスエンゲルスと共通していますが、さまざまな弱点ももっていて、そこをマッハ主義に突かれたりもしています。ですから、レーニンは、そういう弱点についてもくわしく解明しています。

・観念論者のグループ
 第2のグループは、観念論者のグループです。観念論者のなかには、客観的観念論の立場に立つヘーゲル(ドイツ古典哲学の代表者)もいますが、ここで問題になるのは主観的観念論や不可知論の哲学者です。その代表的人物として、18世紀のイギリスの哲学者バークリ(「序論にかえて」に登場)、同じくヒューム、18世紀にドイツで活躍した哲学者カントをあげています。それぞれの哲学的立場の特徴については、あとで紹介しますが、レーニンは、マッハ主義の主張を批判するさいに、くり返しバークリ、ヒューム、カントなどの主張と照らし合わせて、彼らが観念論の立場に立っていることを反論の余地のないまでに明らかにするというやり方をとっています。そういう批判のための「基準」としての役割を、これらの哲学者がはたしているといえます。

・ヨーロッパのマッハ主義者
 第3は、ヨーロッパのマッハ主義者のグループです。代表者は、マッハ、アヴェナリウスですが、ほかに、ウィリー、ペツォルト(独)、ピアスン(英)、ポアンカレ(仏)なども登場します。マッハ主義の特徴は、みずからは観念論、不可知論の立場にたっているにもかかわらず、自分では“観念論と唯物論の対立をのりこえた”と主張しているところにあります。そこで、レーニンは、彼らの主張を、第二のグループの主張と照らし合わせることで、その主張が観念論、不可知論の立場にほかならないことを暴露しています。
 同時に、ピアスンやポアンカレは、哲学的にはマッハと共通する立場にたっているのですが、自分たちでは、唯物論を乗り越えたなどと主張することなく、ある意味で“堂々と”観念論の立場を表明していますので、レーニンは、彼らを引き合いに出すことによって、マッハ主義が観念論そのものにほかならないことを証明しています。次々といろいろな哲学者、物理学者が登場するのには、こういう理由があります。

・ロシアのマッハ主義者
 最後に、第4のグループですが、ボグダーノフ、バザーロフ、ルナチャルスキーなどロシアのマッハ主義者、経験批判論者、経験一元論者のグループです。レーニンが批判の中心的な相手としたのはこのグループですが、彼らは、哲学的にはマッハ主義を基礎においているにもかかわらず、それを「マルクス主義」の哲学そのものだと主張しているところに特徴があります。そのために、レーニンは、ボグダーノフらの主張が観念論であることを明らかにして批判するだけでなく、マッハらの主張にまでさかのぼって徹底して批判したのです。そしてさらに、ボグダーノフらがどういうところでマッハ主義のごまかしの手法にはまったかまでくわしく解き明かしています。


 こういうグループ分けをのみこんでおけば、レーニンの議論の展開がぐっとつかみやすくなります。たとえば第1章でレーニンは、まず第1節で、マッハとアヴェナリウスの主張をエンゲルスの主張と対照して観念論としての正体を明らかにし、ついで第2節、第3節で、ボグダーノフらがはまり込んだマッハ主義のごまかしの手法(「世界要素」「原理的同格」など)を批判する、というように展開しています。一見非常に細かい問題を論じているように見えても、実は縦横に議論を展開して、ボグダーノフらの理論的誤りを、文字どおり反論の余地のないところまで追い詰めています。そこが本書のおもしろさでもあり、レーニンが展開している哲学問題の内容とともに、そういう批判の徹底ぶりについても大いに学びたいものです。
 これまで、『唯物論と経験批判論』を読むときに気をつけたいことやどんなふうに読んだらよいかをご紹介しました。こんどは、全体の構成を簡単にみておきたいと思います。『唯物論と経験批判論』のような大部な著作を読むときには、全体の構成を大づかみにでも頭に入れておいて、自分がいま読んでいるところでは何が問題になっているかをにぎって離さないことが大切です。
 まず「序論にかえて」です。ここでは、1710年のバークリが登場します。バークリは、18世紀の哲学者で、イギリス国教会の監督の地位にあった聖職者でもありました。バークリは、物は「感覚の集まり」であって、われわれの感覚の外に「外的物体」の存在を「仮定」するのは「不条理な」学説だと主張しました。これをつきつめると、世界に存在するのは自分の感覚だけであって、たとえば他人の存在も自分の「感覚の集まり」に過ぎないということになります。これを「主観的観念論」といいますが、“世界中に存在するのは自分だけだ”という意味で「唯我論」とも呼ばれます。主観的観念論、唯我論の立場がどれだけ不合理なものであるかは、第1章でくわしく明らかにされています。
 レーニンはなぜバークリから始めたのでしょうか。それは、ロシアのマッハ主義者たちが自分たちは「最新の科学」「現代の認識論」「最新の実証主義」にもとづいていると主張しているのにたいして、その唯物論批判のやり方が、実は十八世紀のバークリの唯物論攻撃と同じだということをまず明らかにすることによって、ロシアのマッハ主義者の主張がほんとうは少しも新しくないことをはっきりさせるためです。同時に、主観的観念論の代表としてバークリの立場をまず明確にさせておくことで、第1章以下で、マッハ主義者たちの議論がバークリと変わらないことが、反論の余地なく明らかになるという仕組みにもなっています。
 次に第1章から第3章ですが、これら3つの章は、「経験批判論の認識論と弁証法唯物論の認識論」という共通の表題のもとにあって、本書でのマッハ主義批判の中心をなす部分といえます。そこでは、マッハ主義、経験批判論の理論的基礎と弁証法唯物論の理論的基礎とが、認識論のあらゆる分野の問題について比較され、マッハ主義、経験批判論の正体が明らかにされています。
 まず第1章では、物質が根源的か感覚、意識が根源的かという「哲学の根本問題」を駆使して、マッハ主義哲学の正体が観念論であることを暴露しています。
 「哲学の根本問題」というのは、エンゲルスが『フォイエルバッハ論』で明らかにしたものです(古典選書版、30〜33ページ)。そこでエンゲルスは、「すべての哲学の、とくに近代の哲学の、大きな根本問題は、思考と存在との関係にかんする問題である」と指摘し、本源的なものは精神、感覚、意識なのか、自然、存在、物質なのかという「この問題に答える立場にしたがって、哲学者たちは二つの大きな陣営に分かれた」と言っています。そして、物質にたいして「精神の本源性を主張し」た人びとは観念論の陣営をつくり、物質を本源的なものとみとめた人びとは唯物論の陣営をかたちづくったと指摘しています。レーニンは、このエンゲルスの指摘を駆使して、第一章では、くりかえし経験から物質へ向かうのか、物質から経験に向かうのかと問いかけ、経験から物質に向かうマッハ主義が観念論にほかならないことを明らかにします。
 ところで不破委員長は、“観念論にたいする3つの質問”というものをよく紹介しています。三つの質問というのは、「他人の存在を認めるか?」、「自然は人間以前に存在したか?」、「人間は脳の助けを借りて考えるか?」という3つです。唯物論の立場からは、この三つの質問にはいずれも「イエス」と答えることができますし、それは私たちの常識にかなったものです。ところが、存在するのは自分の観念、感覚であって、物というのは感覚の「寄せ集め」だと考える観念論の立場からは、いずれもイエスと答えることができず、苦しい弁解が必要な矛盾に直面してしまいます。不破委員長がいうとおり、まさに観念論の致命的弱点を突く質問となっています。
 この3つの質問は、『唯物論と経験批判論』第1章でのレーニンの批判を、委員長なりに非常にわかりやすくまとめたものです。第1の質問は、おもに第1章第1節と第6節で展開されていますし、あとの2つの質問は、第4節と第5節の表題そのものです。3つの質問を頭において、そのもとになったレーニンの議論がどう展開されているかを読みすすめてみるのも、第1章の読み方として興味深いかも知れません。
 第2章では、世界の認識の可能性、すなわち人間は世界を正しく認識できるのか、真理とはなにか、真理は認識できるのかといった問題が論じられています。これは、エンゲルスが哲学の根本問題の「もう一つの側面」としてとりあげた問題です。弁証法唯物論はもちろん、多くの哲学者も、世界の認識可能性を認めるのにたいして、世界を正しく認識できることに異論を唱える哲学的立場があります。後者は一般に「不可知論」とよばれています。不可知論の代表的な哲学者は、デイヴィッド・ヒューム(イギリス、1711〜1776年)とエマヌエル・カント(ドイツ、1724〜1804年)です。
 ヒュームはイギリスの哲学者で、その考え方は「序論にかえて」で紹介されています。それによると、一般の人びとは「外的物体」の存在にたいする「信念」を保持しているが、われわれの心に現前しているのは「心像」にほかならず、「この家」とか「あの木」とかいう場合に、われわれが考えている対象は「心のなかの知覚にほかならない」。したがって、「心の知覚」が、外的対象によってひきおこされるという考え方は「どんな論拠によって証明されることができようか」。外的物体が存在しそれによって感覚が引起こされるという「仮定には、推理する根拠がなにもない」というものです。
 もう一人のカントは、ドイツ古典哲学の出発点となった哲学者です。カントは、ヒュームとは違って、われわれの「感覚」の外に「なんらかの物自体」が存在することは認めています。しかし、その「物自体」がなんであるかは認識できないとするのです。つまり、外界とわれわれとの認識をまったく切り離してしまったところに特徴があります。外的実在を認めるという点では唯物論的ですが、認識不可能とする点では観念論的です。レーニンは、「カント哲学の基本的特徴は、唯物論と観念論との調停、両者のあいだの妥協、種類のちがった相互に対立する哲学的方向を一つの体系のうちで結び合わせることである」と指摘しています(下、14ページ)。ヒュームの立場からすれば、「物自体」は認識できないといいながら、その存在は認めるのですから、不可知論としては中途半端だということになります。
 不可知論については、エンゲルスが『フォイエルバッハ論』と『空想から科学へ』英語版序文でくわしく論じています。そこでエンゲルスは、不可知論への最大の反論は、実践(「実験と産業」)であることを明らかにしています。そのとき、「プディングをためすことは食ってみることである」(『空想から科学へ』古典選書版、一一一ページ)と述べたことは有名です。レーニンは、そうしたエンゲルスの指摘にもとづいて、マッハ主義がこの不可知論にほかならないことを明らかにしています。
 第2章では続いて、「客観的真理は存在するか」(第4節)、「絶対的真理と相対的真理」(第5節)の関係、「認識論における実践の基準」(第6節)について、弁証法唯物論の立場から基本的な考え方を多面的に深めています。このなかでは、弁証法唯物論の立場から、物質とはなにかという問題にたいする定義も明らかにされています。


「物質とは、人間にその感覚においてあたえられており、われわれの感覚からは独立して存在しながら、われわれの感覚によって模写され、撮影され、反映される客観的実在を表示するための哲学的カテゴリーである」(上、170ページ)


 物質の哲学的概念については、第五章でもさらにくわしく論じられていますが、物質の哲学的定義を明確にしたことは本書の重要な成果であり、ぜひみなさんにもよく学んでいただきたいところでもあります。
 なお、不可知論の代表的な哲学者であるカントの哲学とマッハ主義の関係については、第四章でもくわしく論じられています。
 第3章は、物質と経験、因果性と必然性、世界の統一性、空間と時間、自由と必然性など、哲学上の基本的概念をとりあげて、弁証法唯物論の立場から積極的にその内容を明らかにしています。ここでも第二章と同様に、レーニンは、『反デューリング論』でエンゲルスが展開した問題を、さらに深め、発展させています。
 ここでは、エンゲルスの哲学の根本問題の見地からマッハ主義は観念論だとするレーニンらの批判にたいし、マッハ主義者が、そのような批判は古い「定式」の繰りかえしに過ぎないといって反論していることが取り上げられています。そのなかで、レーニンは、物質と精神という概念は認識論上もっとも広い概念であって、どちらを第一次的なものとみなすかという以外の定義をあたえることができないということをくわしく明らかにしています(上、194〜195ページ)。
 同時に、レーニンは、「物質と意識の対立」が「基本的な認識論的問題の限界内でだけ、絶対的意義をもっている。この限界のそとでは、この対立が相対的であることは疑う余地がない」(上、196ページ)と指摘することを忘れていません。これは、“唯物論は物質万能論だ”“唯物論は、人間の意識の役割を無視している”などといった唯物論攻撃があいかわらず繰りかえされているなかで、大事な指摘だといえます。
 また第3章では、さらに自然における因果性、必然性とはなにか、世界の統一性をどうとらえるか、空間と時間、自由と必然性の関係をどうみるか、など哲学上の基本的概念をとりあげて、マッハ主義と弁証法唯物論の2つの立場の違いを克明に明らかにしています。
 ここでの議論は、一見するとかなり抽象的なもののようにも見えますが、たとえば、“21世紀の早い時期に民主的政権を実現することには、国民的な必然性がある”と言うとき、その「必然性」とはどういう意味か、その基礎理論的な内容がここで解明されています。また、第6節「自由と必然性」では、「自由とは必然性の洞察である」という命題(これは、エンゲルスが『反デューリング論』のなかでヘーゲルの主張としてのべたものです)の意味をくわしく明らかにしています(上、253〜256ページ)。
 第4章は、マッハ主義の観念論としての本性を、観念論の他の潮流との関係をみることで明確にした章です。とくに、カント哲学との関係でマッハ主義の位置が論じられていて、弁証法唯物論がカント哲学の観念論的側面を批判するのにたいして、マッハ主義がカント哲学を主観的観念論の立場にさらに徹底する方向で批判していることが明らかにされています。同時に、マッハ主義によって利用されたプレハーノフやディーツゲンの弱点も解明されていています。
 第5章は、マッハ主義などの潮流を生み出した背景にある「物理学の危機」の哲学的本質を明らかにしたところで、本書のいちばんおもしろい部分でもあります。
 マッハらが自然科学者でありながら、自然、物質の実在性を否定する観念論に落ち込んだ背景に、「物理学の危機」とよばれる事態があったことは、はじめに紹介しました。レーニンは、マッハ主義が登場した背景に、そうした「危機」から生まれた「物理学的」観念論ともいうべき国際的な観念論哲学の潮流であることを明らかにしています。そして、「物理学の危機」の哲学的本質が「古い諸法則や基本的諸原理の崩壊に、意識の外の客観的実在を捨て去ったことに、すなわち唯物論を観念論や不可知論にとりかえたことにある」と指摘しています(下、102ページ)。
 それを象徴するのが「物質は消滅した」(これは、フランスの物理学者ウルヴィーグの言葉です)という言葉ですが、レーニンは、その意味を明快に明らかにしました。


「『物質が消滅する』ということは、われわれが従来、物質についてそこまで知っていたというその限界が消滅したこと、われわれの知識がさらに深くすすんだことを意味している。以前には絶対的、不変的、本源的と思われていた物質の性質(不可入性、慣性、質量、その他)が消滅し、いまではそれは、物質のある状態にだけそなわっている相対的なものだということが明らかにされている」(下、105ページ)


 新しい物理学のさまざまな発見は、実は「弁証法唯物論をかさねて検証するものにほかならない」のに、物理学者たちは「弁証法を知らなかった」ために、観念論に落ち込んでしまったのです(下、106〜107ページ)。
 「マルクス主義の三つの源泉と三つの構成部分」で、レーニン弁証法を「永遠に発展していく物質の反映をわれわれにあたえる、人間の知識の相対性についての学説」と特徴づけていることは、すでにみなさんも学習されたことと思います。「三つの源泉」ではごく簡単にしかのべられていませんが、短い論文のなかでわざわざこの問題に言及したのも、マッハ主義との論争をつうじて、この問題の重要性を痛感していたからでしょう。
 第6章は、社会科学の分野に持ち込まれたマッハ主義の理論を批判した章です。レーニンは、あらためて史的唯物論の意義を明らかにしていますが、そのさい、認識論という角度から問題を論じているのが特徴です。
 また、第4節で、「哲学における党派性」の問題が取り上げられていて、思想闘争、理論闘争における原則的な立場が明らかにされています。このなかで、レーニンは、問題が認識論や経済学の一般理論といった「党派的科学」の分野になった場合は、断固として党派性をつらぬかなければならないことを強調するとともに、「事実にかんする専門的研究分野」では、科学的社会主義とは異なる立場に立つ専門研究者が「このうえもなく価値ある仕事をする」ことを評価し、その業績を「わがものに」することなしに研究を一歩もすすめることができないと指摘しています。
 これは、レーニン自身も実践してきた研究態度でした。『帝国主義論』(1916年)の執筆にあたって、レーニンは、さまざまな立場の研究者の著作や統計資料を徹底的に調べぬいて、そこから議論の余地のない「国際的な相互関係における世界資本主義経済の外観図」を描き出すことに全力をあげました。そのためにレーニンが残したノート類は、いま『帝国主義論ノート』(レーニン全集第39巻)としてまとめられていますが、そこには148冊の単行本、49種類の定期刊行物に載った232本の論文、統計資料からの抜き書きが収められているということです。
 レーニンは、「マルクス主義の三つの源泉と三つの構成部分」(独習指定文献初級)で、科学的社会主義は「世界文明の発展の大道」にそったものであり、人類が生み出した「最良のものの正統な継承者」であると強調していますが、それは、このような人類知識の発展の成果を「わがもの」にする努力のうえになりたつものであり、私たちも、それをみずから実践したレーニンの態度に学ぶ必要があります。
 以上、『唯物論と経験批判論』の魅力や特徴を紹介してきました。『唯物論と経験批判論』は、観念論哲学との論争をつうじて、弁証法唯物論の見地を前進、発展させた重要な文献ですが、同時に、レーニンの哲学研究はそれで終わったわけではありません。とくに、『カール・マルクス』執筆にあたって、レーニンは、ヘーゲルの『大論理学』を読み返すなどさらに哲学の研究をすすめています。
 (後略)


■NEWS :9月17日 守る会関東学習会 野村旗守氏講演会
http://hrnk.trycomp.net/news.php?eid=00644

野村旗守氏は、朝鮮総連の送金疑惑を最も早い時期に報じたジャーナリストの一人であり、現在は菅首相献金をした「市民の党」についての追及を行っています。

まともなマスコミは報じない「市民の党」疑惑とやらに興味を持ってるとは要するに野村とはそう言う珍右翼活動家と言うことであり、そういう野村を講師として呼ぶ「守る会」も珍右翼集団と言うことである。朝鮮総連の送金疑惑とやらも本当かどうか、本当だとしても野村の調査とやらがまともかどうかは怪しい。
ウィキペ「野村旗守」を見れば分かるが野村は、あの右翼メディア「チャンネル桜」に出演したことがある、核武装論者だ。
著書には
革マルオウム事件のような事を起こすかも知れないというデマ本*16「Z(革マル派)の研究」 (月曜評論社*17
フェミニズム運動を敵視し、デマ垂れ流す「男女平等バカ」 (別冊宝島Real*18
在特会と同レベルの主張が展開される「ザ・在日特権」 (宝島社文庫)
がある。
こういう珍右翼男を講師に呼ぶ珍右翼団体「守る会」にいて、左翼or穏健保守ずらするとはid:noharraはふざけてるよな。いい加減自分が田母神や在特会の同類だと認めろよ、全く。たまに、「超低レベルな珍右翼」をツイッターや自ブログで批判すれば自分の珍右翼ぶりがごまかせると思ってるのか?。野原はまさにウヨとつきあいながら、サヨにも媚びる「佐藤優」のバッタモノだな。
まあ、佐藤と違って何の影響力もなければ、あまりサヨには相手にされてないようだが(毒)

参考
「男女平等バカ」のデマへの批判例
「「男女共同参画予算10兆円」のカラクリ」
http://d.hatena.ne.jp/Backlash/20060705/p1

「男女平等バカ」のデマに突っ込む荻上チキ氏。こんなデマ本を高評価する奴が多い使えないAmazonレビュー。一部まともなのもあるので紹介する。

1)リテラシー能力が問われる, 2006/12/25
By 馬面 "馬並み" (山形県村山市)
「年間10兆円の血税をたれ流す、“男女共同参画”の怖い話!」 と言う話を聞いて本気にするか否かでリテラシー能力が問われる。
もちろん本気にしないのが正解。
男女共同参画に国家予算の8分の1ってそんなことあるわけないじゃん。
詳しくは「ジェンダーフリーとは」と言うまとめサイトに書いてある*19が、10兆円のほとんどはほかの福祉関係の予算。
まさに「男女平等に関するバカな意見をバカが書いてバカが読む本」(注:「男女平等バカ」に対する荻上氏の皮肉)
この本を読めば如何にジェンダーフリー反対派の言っていることが出鱈目かが解る。


■明治近代のイソップ童話・通俗伊蘇普(イソップ)物語(東洋文庫)(三浦の個人ブログ)
http://miura.trycomp.net/?p=462

 明治6年に出版された渡部温のものと、戦後1955年に出版された後者とを読み比べて、私が思うにほとんどの人は、どう読んでも前者のほうが文章も、また教訓の部分も優れていると思うのではないだろうか。

 俺は全然そうは思わないし、三浦のように思う人間は決して多くないと思う(三浦をマネすると俺は「渡部を貶めている」わけではない)。
 まず「文章」が優れているかどうか。そもそも渡部の文語文と河野の口語文を比べてどちらか美しいかと言うこと自体、日本料理とフランス料理どちらが美味かというようなものでずれている。性格が違うのだから(しかも三浦の主張が正しければ「渡部訳は大人向け、河野訳は子ども向け」だそうだからそう言う意味でも性格が違うし、当然ながら子ども向けの方が格が低いと言うことはない)。あえて言えば俺は河野訳の方が好きだ。というか俺のような戦後世代にとって、文語文はなじみがないため、渡部訳は余りにも読みづらい。一読して頭に入る河野訳と違い、何度か読まないと頭にまるで入らない。美しさを云々する以前の問題だ(また渡部訳の「手前勝手のものじゃ」などといった表現は古くさいと思う若者もいるだろう)。
 次に教訓。優れている云々以前に渡部訳と河野訳で何故か教訓が微妙に違うと思う(ギリシャ語原文から直訳している河野訳と違って、英訳から重訳してる渡部訳の方が原文に忠実でないと言うことか?)。
 渡部訳の教訓は「自分の思い通りになるかならないかで物事や人を評価すること(例:家族会と巣くう会が「自分たちの思い通りにならない」蓮池透さんにやったこと)は良くない」、河野訳の教訓は「自分の失敗を認めず、時期が良くなかった、俺は悪くないなどと言い訳する者がいる(例:安倍晋三氏の無様な首相辞任劇を「首相就任時期が悪かった、安倍さんは悪くない」とかばう珍右翼)がそれは良くない」だろう。
 これ、渡部訳の教訓の方が優れていると言えるのだろうか?。俺は言えないと思う。

したがって

渡部の紹介するイソップのほうがはるかに魅力的で大人の鑑賞に堪えるのは、実は翻訳の目的や読者対象が全く違っているからなのである。

と言う三浦の主張は端的に言ってトンチンカンだ。三浦が渡部訳を好きなのは三浦の勝手だが、それを常識と主張するのは「フランス料理より日本料理の方が格上」と言った美味しんぼ初期の海原雄山のような暴論であり、俺が山岡のように「ふざけるな」と突っ込むのも当然だろう。
 俺が思うに三浦は「口語文より文語文がすき」「明治時代を美化したい」だけではないだろうか?。しかし三浦以外も「口語文より文語文がすき」「明治時代を美化したい」と思い込むのは止めてほしい。
以下は揚げ足取り的突っ込み。
いつもながら誤記が多い。左が三浦の誤記、右が正解である。なお、「東京製綱会社」も「東京製鋼会社」の誤記かと思ったのだがこれは正しかった。製綱とはロープ製造のことらしい。

ブルタルコス英雄伝→プルタルコス英雄伝
軍事学所→軍事学書
渋沢英一→渋沢栄一
小堀圭一郎→小堀桂一郎
文系開花→文明開化

小堀圭一郎「イソップ寓話」(中公新書

 確かに中公新書(1978年)から出てるようだが、後に講談社学術文庫(2001年)からも出ているようだし、おそらく2000年代に出ている講談社版の方が本屋(ブックオフのような古本屋を含む)でも図書館でも入手しやすいだろうから、そちらを紹介した方が良かったのではないか。なお、知ってる人は知ってるだろうが小堀氏は産経文化人の一人、いわゆる真正保守だ。ウィキペ曰く、映画『南京の真実』の賛同者だし、共著者も、櫻井よしこ八木秀次共著『「女系天皇論」の大罪』(PHP研究所 2006年)、大原康男小林よしのり高森明勅中西輝政西尾幹二長谷川三千子百地章共著『日本人なら知っておきたい靖國問題』(青林堂、2007年)と真正保守がずらり勢揃いだ。
 参考までに。


北朝鮮最新情報:金剛山:北が韓国側資産の処分を通知
http://hrnk.trycomp.net/information.php?eid=00092

 ただ朝鮮日報の記事を紹介されても意味不明。解説ぐらいつけろよ。で、ググって解説を探してみる。

http://news.tv-asahi.co.jp/ann/news/web/html/210822041.html
テレビ朝日北朝鮮が観光地・金剛山の韓国側資産処分始める」
 韓国からの観光客を呼び込む金剛山観光事業は2008年、韓国人観光客が北朝鮮兵士に射殺された事件が起きて中断しました。再開のめどがつかないなか、貴重な外貨収入を絶たれた北朝鮮は、今度は中国などからの客目当てに新たな事業を始め、韓国側企業に資産の売却などを一方的に要求していました。

こいつらの最新情報とやらより、テレビ朝日の方がわかりやすいというのに苦笑。
要するに資産を北朝鮮においている(金剛山観光から明確に撤退したわけではない)が、いつまでたっても金剛山観光を再開しようとしない韓国政府に業を煮やした北朝鮮
「再開しないと資産処分するからと揺さぶりをかけて再開させようとしている」
または
「本当に韓国とは縁を切ってロシアや中国の協力で別途、観光事業をスタートさせようとしている」ということらしい。
 観光に関与している現代峨山現代グループ)は戸惑いを隠せないとのこと。いずれにせよ平和的円満解決を望む。


■アジア人権人道学会関西支部感想(3)岡田氏のいくつかの提言
http://hrnk.trycomp.net/news.php?eid=00643

被害者を取り返すべき日本政府は、実はこの新たな情報の過小評価のみならず、隠ぺい行為としか思えない行動をとってきたことを、さまざまな実例を挙げて報告しました。

「さまざまな実例」「隠ぺい行為」
 で、その中には荒木が騒いでる特定失踪者・山本美保さん(山梨県警は死体が発見されたと発表したが、荒木は捏造だと山梨県警を中傷してる)の件も入る訳か。山梨県警がDNA鑑定捏造して北朝鮮をかばってるなんて笑えないブラックジョーク以外何物でもないだろ。いいよな、元首相の安倍先生と仲良しの珍右翼は。普通の人間が警察相手にそんな酷いデマ飛ばしたらただじゃすまないだろ。

岡田氏の指摘のうち、例えば寺越武志さんの事件のように、拉致であること、少なくとも出国の自由を奪われていることは確実であるにもかかわらず、日本政府がそれを拉致事件として認めていない事例がいくつもあります。

 前も突っ込んだが寺越さん本人が拉致じゃないって言ってるのに、何故「拉致であることは確実」なんだか(母・友枝さんも拉致認定には否定的であり、何度か武志さんのいる平壌を訪問しており、偶然にすぎないだろうが現在も訪問している。コメ欄のid:Bill_McCreary氏の指摘を参照。なお、当初俺は何を勘違いしたのか、お母さんが既に故人であるかのように書いてしまった。寺越さん親子に対して軽率、失礼であったことをここにお詫びする。まあ、それでも俺の勘違いは三浦たちの暴論に比べればまだマシだと自分を慰める俺)。そして平壌市職業総同盟副委員長と言う立場(つまり生活の本拠は既にあちら)で何度か日本に帰国してるのに何故「出国の自由を奪われていることは確実」なんだか。
 拉致認定したところで、寺越さんが「その通りです」ということはありえないし、良くて寺越さんと「拉致認定した奴ら、拉致認定しろと主張した奴ら」に精神的溝が出来る、下手すりゃ寺越さんに対し、北朝鮮から何らかのペナルティ(副委員長職解任とか何らかの理由をつけられて投獄されるとか)だろう。寺越さんに何のメリットもないことを平然と主張できる腐った神経には呆れる。
 なあ、何度も繰り返すがこんな奴が代表の「守る会」にいて恥ずかしくないか、id:noharra。人の質問から逃げ続けないで返答ぐらいはしような(嘲)。
(追記:ちなみに俺の「恥ずかしくないか」と言う質問にはid:noharraから「別に」というお返事がかえってきた。エリカ様かよ。)

認定すべき条件がそろっているのに認定されない例を、寺越さん、福留さんなどの例で挙げ同時に、被害者の写真すら入手されているのに政府はまったく動かない藤田進さんのような事例を追加して指摘することで、日本政府の「認定基準」がある意味完全なダブルスタンダード*20になっていることを厳しく指摘しました。

 藤田さんのケースは知らんが、寺越さんのケースは当人が拉致を否定しており、また拉致認定すると北朝鮮に危害を加えられる危険性が最悪あることを考えると誰が考えても「認定すべき条件」など揃ってないだろう(もう何度も書いてることだが)。
 福留さんのケースは既に当人が病死しており、急いで認定する必要があるとも思えない。
 要するに、政府が認定しないのは「認定する証拠がない」or「証拠はあるが認定するメリットがない、むしろデメリットの危険性がある(寺越さんの場合、仮に証拠があっても認定できるわけがないだろう)」のどちらかのケースであって珍右翼連中の非難は言いがかりに過ぎないと思う。大体、「小泉訪朝以降に拉致があった」だの「特定失踪者・山本美保さん(山梨県警が遺体が国内で発見されたと発表した女性)は平壌で生きている。県警の発表は故意の捏造」だのいう連中など俺は信用しない。
 以前、神戸新聞が報じていたが連中が特定失踪者認定した人間の中には「認定発表後、日本国内にいることが判明した人間がいること」だけでも連中の認定がいかにいい加減でデタラメか分かるだろう。

(追記)
ちなみに「藤田進」でググったら複数のネトウヨ系サイトで面白いネタが見つかったので紹介。

特定失踪者問題調査会、総連系病院で藤田さん監禁情報
 警視庁が薬事法違反容疑で朝鮮総連傘下団体を捜索したことに関連し、特定失踪者問題調査会は2005年10月14日、東京都内で会見し、千葉県内の病院関連施設に、北朝鮮による拉致の疑いが濃厚とされる藤田進さんが監禁されていたとの情報があると発表した。

知らんかったけど約6年前にマジでこんな発表したんだとしたら、もう「特定何とか」は何でもありのガセネタ集団だな。「千葉県内の病院関連施設」に監禁されてたのに「千葉県内の病院関連施設関係者」は拉致容疑で捜査当局に逮捕されないし、藤田さんは拉致認定されないんですか?。
珍右翼の言ってることが不可解すぎて僕は、頭が痛くなってきたよ(苦笑)。良く営業妨害で病院に訴えられなかったよな。
まあ、山梨県警という警察権力ですら、連中のバックにいる安倍晋三たちウヨ政治屋(こんなふざけた連中を政治家とは呼びたくない)にびびっているのか「俺たちがDNA鑑定捏造しただと!。名誉毀損で訴えるぞ」などとは言わず及び腰なのだから、民間団体に過ぎない病院がびびって彼らを訴えないのも当然かも知れない(ただそれを良いことに連中は「俺たちが正しいから訴えないんだ!」とデマ飛ばすから困りものだ)。
大体、俺の理解が間違いでなければ(営業妨害になるとまずいのでこの病院の名前は挙げない。コメ欄でも質問されても答えないからそのつもりで。なお、ググって見つけたこの病院のサイトを見る限り、珍右翼のデマにもめげず通常営業しているようで幸いです。*21)、連中が総連系呼ばわりしてるのってこの病院のオーナーが(総連支持の?)在日って事だけが理由で別に総連が出資とかしてるわけではないようだし、「東京都の災害拠点病院に指定されている(らしい)」病院を拉致工作呼ばわりってすごいなあ(棒)。こいつらのデマで病院が困った立場になったら、もちろん経営してるオーナーや、勤務してる医師や看護婦さんもダメージだろうがそれ以前に地域医療にダメージだよな(まずは入院患者をどうするつもりだ?)。珍右翼はそう言う常識がないから困る。

私(三浦)がここで思い出すのは、松本京子さんの事例です。確かに、今政府は松本さんを拉致認定しています。しかし、この拉致認定は政府が主体的に行ったのではなく、もちろん現場の警察官の方々の努力もありましたが、調査会の妹原仁氏らの地道な努力によるところ大でした。

本当に「特定何とか」の力か疑問だが、それが事実だとしても「松本さんの場合は正しかった」*22に過ぎず、他の場合も「特定何とか」の認定が常に正しいなどとは言えないが。というか正しくないケースが既に判明してるし。

今思えば、曽我ひとみさんも「特定失踪者」であり、拉致被害者救出運動の中では対象外でした。彼女を北が出してきたのは、ジェンキンスさんを利用してアメリカと取引をしようとしたのかもしれませんし、また日本側に、これで全員だというメッセージを送るためだったのかもしれません*23。しかし、逆に、まだまだ私たちの知らない拉致被害者の存在を考えさせるきっかけにもなったのです。

屁理屈で特定失踪者なんて怪しい代物を正当化しようとするなよ。

岡田氏は、今回のカルメギに掲載されている司法書士の方々や若い法律家*24の方々を守る会に紹介していただき、法律面からも、朝鮮総連裁判だけではなく、帰国者、日本人妻が北に残してきた子供たちを北朝鮮の暴力から守り日本政府に保護義務を果たさせるためのユニークなアイデアを私たちに提言されています。はたして実現可能か否か、私たちも慎重に検討しなければなりませんが、どのような手段であれ、帰国者、日本人妻問題を世論に提起するためには試みてみようとも思います、仮に今後運動の中で実現できれば、詳しく報告したいと思います。

後で報告予定という、岡田のアイデアがまともなら反対はしないが、アホなアイデアならもちろん突っ込む予定。

岡田氏の提言の一つは、脱北者自身が、北朝鮮問題について、コメンテーターとしてもっとマスコミなどで登場してはどうか、運動家ではなく、北で実際に生活した人間として、体験に基づく北朝鮮論をマスコミなどで語ってはどうかということです。

どうだろうねえ。北朝鮮の被害者を使ってマスコミで注目を集めるという段階は既に終わってると思うが(あれだけ過去に拉致問題がワイドショー報道された以上、もう視聴率は恐らく取れずマスコミはのってこないだろうという意味でも、あれだけの報道で北朝鮮にさまざまな問題があることは理解された以上、北朝鮮の問題点など今更語っても意味はあまりないだろうという意味でも)。それに脱北者が語れるのは自分の体験談だけであって、北朝鮮研究家のようなマクロな視点でものを語ることは出来ないのにコメンテーターなど誰が頼むのだろうか?
 少なくとも「たかじん」のような極右番組に出てあることないこと言って低レベルな北朝鮮叩きに荷担するのだけは止めてほしい(視聴率が取れないので出してくれないだろうが)

今回の人権人道学会については、申し訳ありませんが十分なメモも取らなかったので「感想」の域にとどまってしまいましたが、内容は充実したものだったと思います。詳しい報告、解説は、人権人道学会の本部に申し訳ありませんがお任せいたします。

三浦の詳しい報告とやらに突っ込み入れようと楽しみにしていたのに(毒)
気が向いたら「本部の詳しい報告、解説」(ネット上に報告がアップされればだが)とやらにも突っ込む。


北朝鮮最新情報 :平壌のコメ価格急騰
http://hrnk.trycomp.net/information.php?eid=00091

平壌のコメ価格急騰」が事実なら、米が買えずに餓死する人間が出ることを防ぐため、食糧支援は急務だと思いますがね。自称「人権活動家」のくせに反対する三浦たちって変わってるよな(毒)。
 「これで北朝鮮の崩壊も間近」としか思ってないんだろうな。


■日本人妻の悲劇(下)日本国に見捨てられた日本人妻たち
http://hrnk.trycomp.net/news.php?eid=00642 

脱北者の悲劇を描いた韓国映画クロッシング」でも分かるように、北朝鮮民衆が国境を越えるのは、韓国や日本への亡命の意思のある人もいるが、多くは、家族のために何としてもお金を稼ぎたい、薬や食料を持ち帰りたいという目的が多い。

要するに太陽政策であの国が豊かになれば脱北などと言う危ない橋を渡らずに済む人がでると言うことです(もちろん経済問題が理由で脱北するのではない政治難民はまた別ですが)。俺はそれはいいことだと思いますが「脱北者を増やして北朝鮮打倒」と思ってる三浦などにとっては俺のような人間は「北朝鮮の手先」認定なのだろうね(毒)

風俗関係の仕事の斡旋などもしていたのだ。

 「風俗産業」は風俗営業に関する法に従う限り一応合法*25ですし、したがって、モノホンの脱北者北朝鮮難民)が従事してもそれほど批判されることか、俺は疑問です。

発覚後、この朝鮮族の一人と電話で私は話している。そこでの彼の論理には正直驚かされた。自分達が法に触れたという意識はほとんどないのだ。自分達は日本人妻を助け、その家族も日本に数名これるようにした。自分達が偽って連れてきた朝鮮族も、どんな形であれ働いて税金を納めている。何が悪いのか、斉藤はなぜ警察に密告したのか。なるほど、これもまた法治の原則なき中国の実情が生み出した精神構造なのだなあと思わされた。

日本だって欧米だってこの種の「順法精神のないプロの犯罪者」などいくらでもいるでしょう。ヤクザとかマフィア、ギャングとか(つうか順法精神がないからプロの犯罪者になるんでしょうし)。だからといって「日本や欧米に法治主義がない」とは誰も言いません。
「法治の原則なき中国の実情が生み出した精神構造」と中国を誹謗中傷する根拠は何ですか?
 まともな根拠によるモノならば、中国批判するなとか、中国の法治主義の現状を批判するなとは言いませんが、こんな無茶苦茶なこじつけ批判に意味があると三浦は本気で思ってるんでしょうか?

斉藤さんも、中国に彼らが戻されてからも何回か脅迫の電話を受けている。この恨みは千年たっても忘れない、いつか復讐してやる。

 どこの国でもプロの犯罪者にはそう言う人間がいてもおかしくないでしょう。俗に言う「お礼参り」という奴で、公的機関の適切な対応が必要ですね。

(注:不法入国に荷担した)斉藤博子さんに対し、他の脱北者の目は今も正直冷たい。

もしかしたら、だからこそ三浦たち珍右翼に必要以上に迎合してるのかもしれないな。一脱北者に過ぎない彼女に「朝鮮学校無償化」反対などの政治活動(後述)をしなければいけない動機があるとも思えないし。大体、俺が三浦の立場なら、別途運動団体(「朝鮮学校無償化に反対する会(仮称)」とか)を起こしてやるならまだしも「守る会」の運動として「朝鮮学校無償化反対運動」なんかやりません。
朝鮮学校無償化」は「北朝鮮帰国者の人権を守ること」と全く関係ないので、これでは朝鮮学校無償化賛成の人を「守る会」から遠ざけてしまいます。
 また、これでは、斉藤さんのような元「帰国者」(脱北者)が「朝鮮学校無償化」反対運動に参加しても本心か全く分かったものではありませんから(「守る会」に迎合している疑いがある)

斉藤さんは裁判で判決を受けたのち、関西にて黙々と、北朝鮮の核、拉致、そして朝鮮学校無償化に抗議するビラを脱北者や支援者と共に街頭で配布し訴えている。

核や拉致はともかく、朝鮮学校無償化反対という差別行為に荷担する人間(斉藤博子氏)を俺はとうてい全肯定することは出来ないな。

*1:「拉致を語らずして人権を語る無かれ」って他の人権問題と比較してドンだけ拉致特別扱いだ。ネタでも笑えん

*2:満州国の運営から石原が最終的に排除されたことを「排除されなければもっと立派な(以下略)」と言う見地から「幻の満州国」と言ってるのだろう。石原が関与すれば立派になったと言う保障はどこにもないが

*3:石原が関与したかどうか無知な俺は知らないが、ちょうどこの時期、参謀本部はトラウトマン和平工作(失敗に終わったが)に着手している。トラウトマン和平工作挫折後に出るのが「国民政府を対手とせず」という近衛声明である。

*4:日米開戦時の陸軍省軍務局長。後にA級戦犯として死刑判決

*5:この時は参謀本部以外は強硬論支持者が多く、多田駿参謀本部次長(不拡大派)に対し当時の米内光政海相(拡大派の一人、後に首相)が「内閣を倒したいのか」と恫喝を行ったらしい。一部の海軍シンパは日独伊三国同盟に反対したってだけで米内を美化しすぎだ

*6:ストルイピンは後に暗殺される

*7:ウィキペ曰く、「後に輸血による若返り研究という暴挙を自分の体でやって事故死するかわいそうな方。輸血による感染症ないし血液型不適合が死因らしい」。「1908年に、火星を舞台としたユートピア小説『赤い星』を出版。『赤い星』は、アメリカのSF作家キム・スタンリー・ロビンソンのネビュラ賞アメリカの有名なSF賞)受賞作『レッド・マーズ』(邦訳:創元SF文庫)の発想源の一つである。登場人物のアルカディは姓をボグダノフといい、設定上、ボグダーノフの子孫ということになっている(ちなみにアルカディという名は、明言されていないものの、おそらくソ連のSF作家ストルガツキー兄弟の弟の名から取っている)。ボグダーノフの著書『組織形態学』は後にノルベルト・ウィーナーの『サイバネティクス』やルートヴィヒ・フォン・ベルタランフィの「一般システム理論」によって有名になった概念のさきがけを数多く含んでいる」ってホントかよ(苦笑)。

*8:ウィキペ曰くソ連初代教育人民委員(教育大臣)。1933年、駐スペイン大使となるが、病のためスペイン赴任途中にフランスのマントンで死去した。享年58歳。

*9:提唱者マッハは今ではむしろ物理学者として有名

*10:ちなみに今は修正主義といった場合歴史修正主義をさす場合の方が多いと思う

*11:以下は、id:bogus-simotukareではなく、この文章筆者の注。「当時のロシアの国会は、ツァーリ任命議員が半数を占める参議院の賛成やツァーリ自身の承認がなければ、法律一つ制定することができないという非常に限られた権限しかもっていませんでした。また選挙制度も、大地主、ブルジョアジー、農民、労働者と四つの階層に分かれた不平等で、何重にもわたる間接選挙というものでした。そのため、最初に国会がつくられたときの選挙では、ボリシェビキ派は、このような国会への幻想を批判するために、ボイコットを呼びかけました。しかし、いったん国会ができ上がったあとは、ボイコット戦術をやめ、たとえきわめて制限された国会であっても、それに参加し、議会活動の合法的舞台を最大限に活用する方針をとりました。当時のロシア国会とその活用については、不破哲三『人民的議会主義』(新日本新書、上、62〜65ページ)、『レーニンと「資本論」』第5巻(347〜349ページ)を参照のこと」

*12:まあ本心から越えたと思ってるか、詭弁かはともかくそう言う人間は珍しくない

*13:当時。その後議長を経て現在、中央委員会常任幹部会委員で、党付属社会科学研究所所長

*14:レントゲンの発見。この功績で後にノーベル物理学賞を受賞

*15:ピエール・キュリーマリー・キュリーの発見。この功績で後にノーベル物理学賞を受賞

*16:この本が出てから何年もたってるがそんな事は起こってねえぞ、野村

*17:珍右翼ミニコミ「月曜評論」の版元

*18:宝島社がこの種のウヨ本を熱心に出してることは割と有名。他にもある

*19:今はこのまとめサイトはないようなので「「男女共同参画予算10兆円」のカラクリ」http://d.hatena.ne.jp/Backlash/20060705/p1を読むとよろしいだろう

*20:ダブルスタンダードは韓国軍事独裁を擁護しながら北朝鮮軍事独裁を批判したり、朝鮮学校教科書を批判しながらつくる会教科書を応援したりするこいつらの方だろう

*21:この病院の名前でググるとまともな記事ももちろんヒットするがネトウヨサイトの拉致がどうのこうのというどう見てもレイシズムとしか思えないネタまでヒットするのはうんざりする

*22:邪推すれば北朝鮮拉致か疑わしいが、にも関わらず「特定何とかに媚を売るため」等の不当な理由で政治的判断した可能性もあるがここでは北朝鮮拉致と前提する

*23:メッセージも何も本当にあれで全員かも知れないが

*24:司法書士も法律家なんだけどね。ああ三浦的には法律家=弁護士ですか?。まあ確かに弁護士の方が試験難しいし権限も司法書士より大きいし、一流の司法書士と二流以下の弁護士なら話は別だろうが並みの能力なら弁護士の方が金になるだろうしね。

*25:事実上の買春だろと言えばそうなのですが