「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」を笑おう・パート17(追記・訂正あり)

 パート16の続き。

北朝鮮最新情報 :金総書記のロシア訪問、韓米中をけん制か
http://hrnk.trycomp.net/information.php?eid=00090
 朝鮮日報の記事の紹介で「守る会」独自の記事ではありませんが。
 韓米中への牽制と言うより、韓米中から思ったほどの利益が得られなければ当然、他の国の接近を考えるでしょうし、その場合、隣国ロシアをターゲットにするのは実に自然な話でしょう。で、ロシアへの接近はそれなりの成果を上げているようです。
 金正日の外交上手には舌を巻きます。もちろん側近グループの力もあるでしょうが、彼はバカではないらしいということがよくわかります。いろいろ政治環境、条件が違い単純比較できないとは言え、ご本人の失言や側近グループの無能さから政権が短期間でぽしゃった安倍さんとは偉い違いです。
 これでは日本だけが経済制裁をしても無意味でしょう。むしろ、ロシアの北朝鮮への影響力が強くなりすぎる恐れを考えたら、日本も積極的に太陽政策的政策をとるべきでは?。まあ、三浦たち珍右翼は「中国も支援を減らしたようでしめしめ、ロシアさえ支援をしなければ北朝鮮崩壊も間近だ」だの「ロシアは北方領土問題もあるし反日国家だ、許せない」とか思っていそうですが。

北朝鮮は昨年起こした韓国海哨戒艦「天安」爆沈事件、延坪島爆撃*1事件で、韓国や米国からの支援を期待できない状況だ。

ここで言う支援とは太陽政策的支援であって、人道支援まで否定しているわけではないことに注意。
たとえば以下のような記事があります。

http://japanese.joins.com/article/969/142969.html?servcode=500§code=500
中央日報「米国、北朝鮮の水害に90万ドル分の救援物資支援」
米国政府は水害が発生した北朝鮮に90万ドル相当の救援物資(注:ただしビニールシートやテントなどで食料は含まないそうです)を支援する。
国務省は18日(現地時間)の声明で「米国際開発局(USAID)が複数の非政府組織(NGO)を通して、救援物資を北朝鮮の江原道と黄海道地域に伝える」とし「北朝鮮に対する人道的支援は政治・安保的な憂慮と分離するというのが米政府の立場」と明らかにした。 」

また以下のような記事もあり、米国が三浦ほどごりごりの極右路線でないことは確かでしょう。この報告書はキューバ、イラン、シリア、スーダン、特にイランを敵視しているという別の問題がありますが。
(追記)
朝鮮日報「テロ報告書の北朝鮮項目削除は「ミス」=RFA」(http://www.chosunonline.com/news/20110824000036)によれば削除はミスだそうですがそう言うお粗末なミスをしますかね。北朝鮮追加が事実として右派の巻き返しがあったようにしか見えないが。

http://www.chosunonline.com/news/20110820000030
朝鮮日報「米、テロ報告書から北朝鮮関連項目を削除」
 米国務省は、18日に発表した「テロ報告書」から北朝鮮関連の項目を初めて削除した。また米国は最近、洪水被害に見舞われた北朝鮮に90万ドル(約6900万円)相当の緊急人道支援を行うことも決めた。その狙いは、ニューヨークで先日開催された米朝接触から始まった対話ムードを維持することにあると考えられている。
 (中略)
 今回の決定について、ワシントンのある外交筋は「米国は北朝鮮に対する制裁と圧力については強硬な姿勢を維持しているが、対話を行う雰囲気だけは持ち続けたいと考えているようだ」とコメントした。

ロシアは今月8日、モスクワを訪問した韓国外交通商部(省に相当)の金星煥(キム・ソンファン)長官に対し、ロシアから北朝鮮を通り、韓国に至るガスパイプラインを建設するため、ロシアと北朝鮮接触していると言及するほど積極的だ。

 マスコミ報道を信じれば、韓国側も「ガス輸送コストが今までより安くすむ」とパイプライン建設に乗り気なようです。
 ちなみにパイプラインが出来れば北朝鮮には、パイプライン通過料として年間1億ドル(推定)の収入が見込めるそうです。
 なお、北朝鮮と中国、ロシアの関係については以下の記事も参考になるかと思います。

http://sgwse.dou-jin.com/Date/20110817/1/
■スーパーゲームズワークショップエンターテイメント「翻訳記事 北朝鮮と中国の関係は「ドライ」で打算的だ 訳者解説」
 (前略)
 韓国でも日本でもそうなのですが、北朝鮮と中国の関係を「経済難の北朝鮮は中国依存度を高めており、今や隷属化にある」「北朝鮮は中国がバックアップしているおかげでなんとか持ち堪えている」「北朝鮮は食糧難のあまり、自国の資源を中国に安く売り飛ばして凌いでいる」などといった意見が報道界の主流のようで、そうした概念に基づいた北朝鮮情勢や朝中関係こそが真実であるかのような記事しか見当たりません。中央日報でもこんな記事が配信されており、いかにも「北朝鮮は中国の実質的植民地と化している、北朝鮮ザマミロ」と言わんばかりのいかにも右翼が喜びそうな内容でした。*2


http://japanese.joins.com/article/821/142821.html?servcode=500§code=500
北朝鮮レアアース開発権と引き替えに中国から肥料を確保


(中略)
 上記中央日報の記事はよく読むといずれもニュースソースが「北京のある消息筋」という出所不明な怪しいものだという事が分かります。
(中略)
 しょせん「消息筋」が出所の北朝鮮情報など右翼向けの一時的ズリネタ程度の価値しかなく、そんなものをいちいち真に受けていてはこれからも重大な過ちを繰り返す事になるでしょう。こうした与太報道は根本的に北朝鮮という国の事を何も分かっていない人間でなければ書けないものです。
 まず韓国や日本で主流となっている「経済難の北朝鮮は中国に依存してどうにか持ち堪えている。中国は北朝鮮にとって唯一の後見人的存在だ」という概念は過去の歴史に照らし合わせても、何よりも現実の朝中関係に照らし合わせても符合しません。では、両国が対外的に宣言している「血で結ばれた友誼」が正しいのでしょうか? それも正しいとは言い難いのです。では朝中関係というのはどのようなものなのか? それこそまさに(中略)「ドライで打算的な利害を軸に動く同盟関係」いわば「戦略的パートナーシップ」に他なりません。限りなく対等なビジネスライクの関係、どこの国にもある、いや世界的に見れば普通のありふれた常識的な戦略的同盟関係です。むしろ北朝鮮のようなちっぽけな国が中国のような巨大国相手に対等の同盟関係を維持し続けているという事実こそ驚異的なものでしょう。
 朝鮮戦争後に駐屯した中国軍を撤退させる為に当時の北朝鮮政府がどれだけ頭を使ったか。中ソ対立を利用してそれを実現させた金日成の外交手腕は見事ですが、その後も北朝鮮は中ソ両国を手玉にとった外交を繰り返してきた事は北朝鮮史に詳しい人間であれば誰もが知る所です。日本の「北朝鮮問題専門家」が抱く誤った概念の一つが「北朝鮮と中国は冷戦時代までは緊密な友好関係で援助もあったが、冷戦終結後に突然中国側がビジネスライクに転じたので北朝鮮側は苦しくなった」というものですが、そんな事はありません。朝中関係というものは1945年8月15日以降から今に至るまでずっと「ドライで打算的」で、時には緊張的な状況も存在したのです。
(中略)
 例えば2002年に新義州経済特区の長官に外国人(注:オランダ国籍を持つ華僑)でありながら任命されて驚かれた楊斌とその(注:中国公安当局による脱税容疑による楊斌の)逮捕劇、いわゆる「楊斌事件」は実は新義州経済特区をライバル視した中国側の妨害工作でした。あの時、この事件を日本で眺めていた人間達は長官が逮捕されるという顛末に、楊斌という人物のいかがわしさや、それを登用した金正日の間抜けぶりを嘲笑するような論評ばかりが言われました。しかしながらその裏にあった真相はそんなに単純なものではなかったのです。すなわち同盟関係にありながら経済面では対立・葛藤が存在し、状況によってはそれを潰しあう朝中関係のドライさや、中国側が新義州開発を上海や東北地方開発にとってライバル・脅威と感じていた事まで分析した者が一人でもいたでしょうか。いたら教えて欲しいものです。アジアプレスと石丸次郎はどうだったの?
 その後に金正日はロシアを訪問して羅先開発をネタにした外交を行ったのもそれへの対抗措置であり、日本の反北朝鮮勢力が扇動する「乞食外交」とはかけ離れたものでした。日本人というのはアメリカに対する「乞食外交(奴隷外交)」しかした事がなく、国民もそれしか見た事がないので、そうしたレベルでしか物事を考えられないのでしょう。ロシア外交に詳しい(と自称している)元ロシア担当外交官・佐藤優がそうした朝露外交の真相を鋭く指摘した事など見た事がありません。戦争も選択肢だとか朝鮮総連に圧力を掛けろとか、そんな単純馬鹿な暴力的措置を扇動する事のどこが「インテリジェンス」なのか?
 蟹が己の甲羅の形や大きさに合わせて穴を掘るように、韓国や日本といった国はまさに自分の国がやっている「大国との同盟関係」的なスタイルで、早い話アメリカとの隷属的外交関係の基準でしか物事を考えられなくなっているのでしょう。だから朝中関係も韓米・日米の隷属関係と同じようなものだとしか考えられず、自分らの手に負えない北朝鮮が「大国」の中国にコントロールされたり隷属しているに違いないという妄想、あるいは中国に懲らしめて欲しいという願望ばかりが先立つ事になる訳です。
 朝中関係なるもの、それは日米関係とは違うのだよ、日米関係とは!
 韓国も日本も国際外交における本来の意味での正しい「戦略的パートナーシップ」というものを諸外国と結んだ事がなく、それがどのようなものかを体感して知る機会のなかった国々です。いや、韓国は金大中盧武鉉の時代に一度だけそれに成功しかけた事がありました。他ならぬ同胞・北朝鮮を相手にして。これが大韓民国という国が成立して以来、史上初めて本来の意味での「戦略的パートナーシップ」というものが成立しそうな時期だったでしょう。同じ民族の分断国家同士で「戦略的パートナーシップ」というのも語弊があるかもしれませんが、南北朝鮮の長く苦しい対立の歴史を考えればもそれまた統一への重要な第一歩であったと言えます。でもそれは李明博(MB)政権になって水泡に帰し、再び対立の時代へと一時後退を余儀なくされました。
 戦争の事ばかり考えている右翼・保守派の観念論しか耳に入らないMBはともかくとして、金大中盧武鉉はさすがに知っていたはず。朝中関係というものが「ドライで打算的な同盟関係」だという事を。今回の記事を書いた朴候建教授は慶南大学という所にいる人ですが、ここはかつての世宗研究所と並んで北朝鮮研究では韓国でも屈指のレベルを誇る学者・研究者が揃っている事で知られます。総長である朴在圭氏もまた韓国における北朝鮮研究分野では外せない第一人者であり、金大中政権時に統一部長官も務め、やはり南北首脳会談や太陽政策を実現させた大功労者の一人でした。こうした人々をブレーンにしていたから当然朝中関係の実態も知る事になり、そうした関係を立体的に組み立てながら南北関係の改善に役立てる事が出来たのです。何よりも彼らが優れていたのは北朝鮮に対する学術的な成果だけではなく、その良識にありましょう。民族の和解と相互協力、平和共存、統一の為の北朝鮮研究という目的意識がはっきりしていた。世宗研究所は最近の赤狩りで徹底的に破壊されてしまいましたが、それだけで韓国の優れた北朝鮮学の系譜が死んだ訳ではありません。慶南大学の朴在圭総長とその弟子達はまだ健在であり、他にも多くの良心的な人々が健在であるという事です。北朝鮮の悪口を言わせる為に石丸次郎をわざわざ日本くんだりから呼んでくるような無駄を行うアホばかりではありません(笑)。
 今は南北関係が冷却してしまい、彼らにとっては息を潜めねばならない時期です。しかし、いずれまた政権が変われば彼らが南北関係改善の為に活躍する時が来るでしょう。
 朝中関係のドライで実利優先な関係から多くの事項を読み取れるでしょう。その一つとして、北朝鮮は自主独立の為には国民が飢える事も辞さないという事です(その良し悪しはともかくとして)。北朝鮮の食糧難を解決する為に必要な食糧というのは中国側からすれば大したものではありません。しかしながらそれを中国に要請するような「乞食外交」を、北朝鮮は実際には決してしてこなかった。韓国や日本の右翼・タカ派の抱いてきたイメージとは違って。していたらそもそも餓死者なんか出てません。北朝鮮に対して「中国相手に乞食外交をしている」と言う人間は北朝鮮という国の事を何も知りませんと告白しているに等しいものです。つまり和田春樹の言う「遊撃隊国家」という表現*3こそが正しいのです。北朝鮮当局も常々言って来たでしょう。「強硬には超強硬で対抗する」と。飢えてでも敵国(韓・米・日)相手に一歩も引かず。かといって同盟国(中・露)の風下に立つ事もない。それこそが現実の北朝鮮と言う国の姿なのだと。それを踏まえての外交というものです。
 対外的には「血で結ばれた友誼」を表看板に掲げ、実際には極めて打算的な外交同盟関係で事を動かす。これほど複雑にして巧妙な外交関係もないでしょう。今回の朴候建氏の記事は、以前翻訳した鄭旭苾氏の北朝鮮の北方開放に関する記事(http://sgwse.dou-jin.com/Entry/275/)や、北朝鮮人権問題に関する記事(http://sgwse.dou-jin.com/Entry/315/)と併せて読むべき性質のものです。それらから見えるのは従来日本で言われてきた北朝鮮像とは大きくかけ離れた実態であり、いかに北朝鮮という国を取り巻く環境や歴史が複雑であるかが分かるというものでしょう。こうした基礎知識を踏まえる事から始めねばなりません。
 韓国や日本の右翼・タカ派がやたらと「北朝鮮は中国に自国の権益を切り売りして隷属化している」というデマを強調するのは、金正日売国奴扱いして貶める事に目的があります。実際の金正日民族主義的独裁者ではあるものの、李完用小泉純一郎のように自国の権益や資産を外国に叩き売るような事は決してしていません。金正日は独裁者だが、売国奴や民族反逆者ではないのです。 そうしたデマに引っかからず、正しい認識を持たねばなりません。在日の中にも北朝鮮に帰国した家族が貧しい暮らしをしている事で金正日を恨んでいる(中略)者もいますが、だったらなおさら「仇敵」である金正日の正確な実態を把握・認識しておかねばならないのではありませんか。在日の中で金正日に対する恨み言ばかり言っている連中というのは、頭に血が上って日本人の右翼にいいように利用され、現実と言うものが全く見えていない愚かな者ばかりです。嘆かわしい事ではありますが、その手の同胞達はそうした面での意識改革をして理性的な思考と行動を取り戻していかねばなりません。
 我々にとって最も重要なのはこうした現状・現実を踏まえた上で、いかに朝鮮半島の平和を築かねばならないかという点にあります。そしてその方法はすでに金大中盧武鉉、それにその優れたブレーン達がとうに我々の前で実践して例示済みだったではありませんか。それをより良きものへと昇華させる事も不可能ではないし、やらねばならない事なのです。


北朝鮮最新情報 :「トウモロコシ300gと塩で一日を耐える北の軍人」
http://hrnk.trycomp.net/information.php?eid=00089
 それが事実なら食糧支援は急務と思いますがね。「軍事国家なのにだせえ」とか「これで金正日政権は崩壊間近」とかしか反北朝鮮珍右翼が言わないのには大変恐れ入りますなあ(毒)。もしかして「金正日体制を支える軍人は生きる価値がない」とか思ってる?


ソマリアで支援食料盗難=毎月50トン、WFPが調査
 時事通信の記事を参照(http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2011081600721)。ほかにもこの件について報じたマスコミはありますが。産経「WFP、食料盗難を非難 ソマリア援助めぐり」(http://sankei.jp.msn.com/world/news/110816/mds11081621550001-n1.htm)とか。産経の記事によると「この件でただちに支援をなくしたり減らしたりするつもりはない(WFP担当者)」ようです。まあ、当たり前のことです。
 で、我らがid:noharra先生や三浦小太郎先生なんかはこのニュースをどう思うんでしょうか?。
 あれだけ「北朝鮮に食糧支援しても住民のもとに行くかわからないからやるな」と言っていた以上、「ソマリアには支援するな」とおっしゃるんでしょうか?。まあ聞かなくてもわかることですが。彼らの主張はただの北朝鮮たたきにすぎませんから「ソマリアには支援するな」なんて言わないでしょう。屁理屈で「ソマリア北朝鮮は違う」と言い出すか、「華麗にスルー」し続けるかどちらかでしょう。


■「大鹿村*4騒動記」のあと「どついたるねん」を観なおして原田芳雄を追悼(三浦の個人ブログ)
http://miura.trycomp.net/?p=458
【お断り】
 映画「砂の器」について一部ネタバラシをやっていますので注意。


 ちなみにウィキペ「大鹿村騒動記」によると、原田氏はこれ以前に大鹿村に伝わる伝統芸能大鹿歌舞伎」をネタにしたNHK長野放送局のドラマ「おシャシャのシャン!」に出演。すっかり大鹿歌舞伎が気に入った事が、「大鹿村騒動記」に出るきっかけのようです(そもそもウィキペ「大鹿村騒動記」によると「大鹿歌舞伎で今度は映画を撮ろう」と言い出したのは原田氏ご本人のようです)。
 

「根性」「特訓」など、よくボクシング映画で描かれる通俗的なものはいっさいなく

まあ、「「根性」「特訓」など、よくボクシング映画で描かれる通俗的なものはいっさいなく」てもいいんですが、俺はいわゆる「浪花節」的な物が大好き(ただし俺個人は「根性」「特訓」が苦手なヘタレ)なので「根性」「特訓」を描いたドラマは好きですね。そもそも超天才でない限り、「根性」「特訓」なしでチャンピオンになることなど出来ないでしょうし。

松田優作の持ち歌だった「横浜ホンキートンクブルース」原田さんの歌もいい。

ググったらもともとは藤竜也の持ち歌らしいですね。

まあこの映画(注:「どついたるねん」のこと)は賛美両論みたい

それを言うなら賛否両論でしょ。いつもながら誤字が多い(苦笑)

奇しくもこの二つの映画(注:「どついたるねん」と「大鹿村騒動記」のこと)の監督は同じ阪本順治

 奇しくもじゃなくて阪本監督が原田氏を評価してるって事でしょ。ちなみにググったところ原田さんは三浦が上げた作品「どついたるねん」(1989年)、「大鹿村騒動記」(2011年)の他にも阪本作品では「鉄拳」(1990年)、「KT」(2002年)、「亡国のイージス」(2005年)、「座頭市 THE LAST」(2010年)に出ています(ウィキペ「阪本順治」参照)
 出ていない作品ももちろんありますが、これだけ阪本作品に出ていると言うことは阪本監督が原田氏を俳優として高く評価してることは間違いないでしょう。何で「奇しくも」なんてトンチンカンな事を言うかね、三浦は(苦笑)。阪本監督がいかに原田氏を評価していたかを書けばいいのに。こういう事実を知らないのか、それとも知っていても「鉄拳」、「KT」、「亡国のイージス」、「座頭市 THE LAST」に触れたくないのか?
 ちなみにウィキペ「原田芳雄」によれば原田氏を高く評価した監督として、他には黒木和雄監督がおり、原田氏は黒木監督のいわゆる「黒木和雄・戦争レクイエム三部作(と言うのがあると初めて知りましたが)」の「tomorrow」「美しい夏キリシマ」「父と暮せば」全てに出ているそうです。
 しかし俺は原田ファンでは全然ないので、原田さんと言っても割と最近の「不毛地帯」(フジ)の大門一三・近畿商事社長しか思い浮かばないな。

阪本映画では、これ(注:「闇の子供たち」のこと)も賛美両論のようだけど

 見たことはないですが、確かテーマが「西側先進国の人間(多分日本も入る)による東南アジアの児童人身売買(性的搾取とか臓器密売とかが目的)」ですからね。見てて気持ちの良い娯楽作品というのとは明らかに性格が違いますから。日本人にそう言うことに荷担してる奴がいるという事実を認めたくない人は「反日」とか言い出すでしょうし、監督が真面目に取り上げたつもりでも人権活動家から見れば不十分な点があるかも知れませんし。映画の舞台にされた国(確かタイ。ただし勿論タイだけが、人身売買の現場というわけではない)もたとえ事実であっても、外国人(阪本監督)に国の汚点を映画にされることは面白くはないでしょう。

闇の子供たち」は、原作を映画が超えた稀有な作品ではないかと。

 そう書くのならどの辺りが原作を越えたのか書いてくださらないと。一応、物書きのつもりなんでしょ?
 ちなみに俺的には「砂の器」映画版が原作を越えているな(他にも原作を越えている映画は色々あると思うが)。原作が謎解き(犯人当て)を一応メインにしようとして、かえって失敗した(と俺は思う)のに対し、犯人当てではなく、犯人と父親、犯人と被害者の人間関係(人間ドラマ)を全面に出したのが映画の成功ポイントだと思う。
 原作では既に故人である、犯人の父親(加藤嘉)が「犯人(加藤剛)の写真」を見せて「この人を知りませんか」という刑事(丹波哲郎)に「知らねえ、俺はこんな人は知らねえ」と叫ぶシーンは実に感動的。
 あと、脚本が山田洋次氏だからからなのか、渥美清が「映画館の支配人」という意外な端役*5で出てるのも面白い。

「俺にはコミック雑誌なんかいらない」の原田芳雄、これもいい。

コミック雑誌なんかいらない!」が正しいタイトルで「俺には」はつきません。三浦はつくづく誤記の多い男だな(苦笑)

この映画が好きな人ってあんまりいないのかもしれない*6けど、内田裕也の演技としてはこれと「10階のモスキート」が最高と思う。

ちなみにウィキペに寄れば「10階のモスキート」は

出世の見込みも無く、妻に逃げられた警察官の男が、毎月の慰謝料、養育費、バーのツケ、ギャンブルの借金に追われ、ついには郵便局強盗を企てる

と言う話らしい。現実の内田が妻の樹木希林と別居状態にあることや、何度も不祥事で警察のお世話になってることを考えると、内田には悪いが笑ってしまう。


■日本人妻の悲劇(中) 日本人妻 斉藤博子さんの著書紹介
http://hrnk.trycomp.net/news.php?eid=00641

おそらく、日本人妻自身による著書はこれが最初で最後のものとなろう。

・日本人妻も高齢だし、なかなか帰国の目処もつかないし、その可能性は否定できないが、「日本人妻の帰国を望む」と言ってる男(三浦)が「なるであろう」と言う可能性の話でも「最後」といったらまずいんじゃねえの。
 「帰国を内心望んでない(どうせ無理だと思ってる)」ことがバレバレだな。
・ちなみに「日本人妻」でググったらこんな本が見つかりました。もちろん北朝鮮を免罪するつもりはなく、あくまでも興味深い歴史の一コマとして紹介ですので念のため。

後藤文利「韓国の桜」(2010年、梓書院)のAmazonレビュー
 1970年代、激動の韓国で、(注:テレビ西日本の)特派員として派遣された後藤氏は、一人の韓国在住の日本人女性国田房子氏の生き方に感動する。
 戦後、韓国人の夫と結婚した等の理由から、引揚げることなく韓国に残留した日本人婦人が多数いた。これらの婦人の中には、様々な理由から困窮を極めることを余儀なくされた方が少なくなかった。これらの方に、国田氏は、私財を投げ打ち救護に乗り出したのであった。国田氏の夫は、救護に理解を示したばかりか、積極的に励まし、外部の圧力から擁護した。娘や息子達も、日本人女性を救護する同氏の後姿を見て、やがてその手伝いをしていくことになるのである。残留した日本人婦人に手を差し伸べたのは、国田氏と家族という全く個人の使命感と愛情であった。
 日韓国交正常化後も、日本人婦人の困窮は変わらず、その告白や陳情の中には、両手を合わせて拝まんがばかりに救護を訴える姿が見える。「もはや戦後ではない」といわれ、高度成長に沸いていた日本の隣国には、戦後復興の恩恵を受けず、忘れ去られようとしている日本人がいる。
 韓国人との婚姻、韓国での生活は、確かに各個人において決定されたことであるが、それを後押しする政策(内鮮一体)があった。政府を含め、戦後を生きる我々は、これらに対し人間的な対応をしてきたであろうか?戦争が生んだ負の遺産に対し、戦後を生きる我々が、いかに向き合ってきたのかということを問いかける一冊である。


■日本人妻の悲劇(上) 脱北者の語る日本人妻
http://hrnk.trycomp.net/news.php?eid=00640
・日本人妻の皆さんは三浦曰く「一度日本に里帰りしたい」と思ってるんだそうです。なるほどね。じゃあそれを実現するためにも「日朝交渉」は必要だし、早期の「国交正常化」が必要ですね。日朝交渉なくして、そして国交回復せずして「日本人妻里帰り」のような人的交流など出来るんでしょうか。一日も早く平壌日本大使館を置こうでは「あーりませんか」(チャーリー浜風に)
 まあ、三浦たち珍右翼は何故かそう思ってないようで「1に経済制裁、2に経済制裁」「何が何でも経済制裁」なのは俺には全く理解が出来ません。たぶん連中にとって日本人妻問題は「北朝鮮叩きネタ」(里帰りさせない北朝鮮は酷いと叩く)であって、心の底から「帰国させてあげたい」とはこれぽっちも思ってないのだろうね。むしろ里帰りできずに彼の地で死んでくれた方が北朝鮮叩きをする上でおいしい、とすら考えていそうだ。
・これはうろ覚えなので、間違ってる可能性があることをお断りしておきますが、そういえば五十嵐仁氏(政治学者、法政大学教授)が「NHKのど自慢in北京」(国交正常化30年記念)を見て「北朝鮮との間にこのような『国交正常化30年記念』をかの地で祝うことが出来るような『それなりの交流』を日本が出来る日はいつ来るのか、私の生前に来るのか」と複雑な気持ちになったと自ブログに書いていたことを思い出しました。そういう価値観は三浦や、id:noharraには全くなく、ただ「北朝鮮をぶっつぶせ」としか思ってないんでしょうが。


■9月7日、東京にて北朝鮮の非人道的犯罪をやめさせる国際連立会議開催
http://hrnk.trycomp.net/news.php?eid=00639
・どうせその会議とやらの報告がこのサイトでなされるんでしょうから、その報告に後でコメントしましょう。
 珍右翼集団の会議では、「北朝鮮に軍事攻撃しよう」「経済制裁して体制打倒」とかお話にならない低レベルな会議でしかないでしょうが。

広く国連などにもアプローチができるものになっていくと思われます

 出来る出来ない以前にやる気もないことを放言するなよ。珍右翼なんか国連がまともに相手してくれると本気で思ってるのか?


・くわしいことは言えません、って三浦は何もったいぶってるんだか。9月7日と言ったら、このエントリのアップが8/18だからあと20日しかない。常識で考えてもう出る人間は大体決まってるんでしょう?(決まってなかったらむしろヤバイと思う)。
 むしろ早い段階でこれこれという業績で知られる誰それさん(例:ノーベル平和賞受賞者のマンデラ南アフリカ大統領とか、カーター元米国大統領とか)が来ると宣伝しないと客が来ないと思いますよ?。「説明は出来ないけどとにかくスゴイ」で来るお人好しはあまりいない。
 ああ、「初日公開は『開かれた団体』というアリバイ作りにすぎない」「客として来る人間はいつもの代わり映えのしない珍右翼仲間と決まってる、むしろ『空気の読めない』一般人など来て『珍右翼のお約束』をぶち壊されると困るから来なくて良い」「最悪の場合はウヨ仲間の動員かけて客席を埋める」から問題ないのか?。まあやってる日が平日*7の9時〜5時という仕事のあるサラリーマン、学校のある学生はまず参加できない時間帯だしな。普通、客を呼びたかったら土日にやるだろ(毒)
・場所が明治大って、川島某(明治大教員で三浦の珍右翼仲間)つながりなんでしょうが、明治大も珍右翼の集会なんかやらなくてもいいのに。将来、明治大の汚点になると思うぞ。


■かるめぎ93号 (2011年8月8日) 
http://hrnk.trycomp.net/karumegi.php?eid=00077

目次
●わいも怒っとるど!②「核のウソ」と「安全神話」 守る会関西支部長 窪田和夫

 東電の『「核のウソ」と「安全神話」』に怒るのは結構だが、君らのお友達「荒木和博」先生と君らの「守る会」代表「三浦小太郎」先生が「ホルミシス効果飯館村は安全」という『「核のウソ」と「安全神話」』垂れ流してることはどう思ってるのかね?(毒)

●訃報 守る会三浦小太郎代表のご尊父 三浦輝雄様

三浦による雑誌の私物化だろ(苦笑)。それはともかく俺が「三浦輝雄さん」だったら、いくら息子「小太郎」が珍右翼だからって、小太郎のお仲間の珍右翼(たぶんつきあいがあるのは小太郎だけ)が葬儀に来て、頼んでもいないのに珍右翼雑誌に名前が載るなんて屈辱以外の何物でもない。


■戦時下 幻の甲子園(三浦の個人ブログ)
http://miura.trycomp.net/?p=452
 三浦の紹介する毎日や産経の記事自体はまともだと思うが。三浦のコメントがなあ(苦笑)。こんなへぼい文章しか書けない男・三浦を以前、草加耕助先生は名文筆家のように絶賛してたように思うが言語感覚が破壊されてるんじゃねえの(毒)。今日も気にくわない人間には毒舌を吐く俺。
 やはり毒舌(悪口)がはけると今日も俺はそれなりに元気なんだと自覚できる(苦笑)。憂鬱になると毒舌(悪口)吐きたくとも吐けなくなるからね。

「平和」を語るとき、こういう語り方はとてもいいと思う。

「こういう語り方はとてもいい」って、「戦争で○○ができなかった」「でも今は平和だから○○ができる」「平和のすばらしさを強く感じる」(毎日や産経の記事の場合は「○○」に「高校野球」が入る)みたいな「こういう語り方」は別に珍しくないだろ?
それとも三浦の「こういう語り方」とは俺が理解したような「語り方」ではないのか?。じゃあどういう「語り方」だよ?
いずれにせよ物書き気取ってるのなら三浦はもっとわかりやすい文章を書けよ。文章がヘボいよな、本当に。
 毎日、産経の記事にもコメント。

(毎日の記事)
戦時色が強い大会で、「敢闘精神を欠く」として選手交代は禁止され、死球も「よけてはならない」とされた。球場には「戦ひ抜かう大東亜戦」といった横断幕が掲げられた。


(産経の記事)
戦局が悪化する中、戦意高揚を目的に当時の文部省が主催した1942年の大会だ。選手は「選士」と呼ばれ、ユニホームのマークは漢字限定*8。「敢闘精神に反する」として選手交代は禁止され、打者が球をよけるのすらご法度だった。

何そのキチガイじみた試合のやり方(苦笑)。

【追記】
1)早坂隆が「昭和十七年の夏 幻の甲子園―戦時下の球児たち」(2010年、文藝春秋)と言う本を書いてるようなので、このエントリは要するにその前の「兵隊万葉集」ネタエントリ(http://miura.trycomp.net/?p=448)とセットで珍右翼仲間・早坂へのエールなのだろう。だったら素直に早坂をすばらしい作家と万歳すればいいのに、早坂の名前を全く出さないのは露骨な身内びいきは恥ずかしくて出来なかったということか?。中途半端にかっこつけてるんじゃねえよ。
どこまでもゲスい男だな、三浦。
2)ちなみに俺がいい話だと思う赤旗の戦争関連の野球話でもいくつか載せてみるか。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2005-08-04/2005080412_01faq_0.html
赤旗「戦争は球児たちに何をもたらした?」
〈問い〉
 高校野球夏の甲子園大会神奈川地方大会で戦時中の球児、八十歳の方が始球式に臨んだといいます。戦争は高校野球にどんな影をもたらしたのでしょう?(横浜・一読者)
〈答え〉
 夏の中等野球選手権大会は、侵略戦争の長期化、深刻化に伴い、地方予選まではおこなわれましたが、1941年から、交通制限が実施され全国大会は中止となりました。このあと、終戦まで高校球児の球音が甲子園に響きわたることはありませんでした。
 侵略戦争は、「甲子園球児」たちをはじめ多くの野球愛好青年の命を奪いました。戦局悪化で徴兵年齢の引き下げ(満17歳以上)によって、陸軍幼年学校や海軍飛行予科練習生、陸軍少年飛行兵などに召集され、その悲劇をいちだんと拡大しました。 
 また、戦場に行かないまでも勤労動員などで空襲にあい亡くなった球児も少なくありません。
(中略)
 戦後、夏の甲子園大会が戻ってきたのは、終戦して1年の46年で、中断から6年ぶりのことでした。どれほど球児たちはこの時を待ちわびていたでしょうか。球音復活は平和のシンボルとなりました。
(中略)
 夏の高校野球大会では、毎年8月15日の終戦記念日正午にサイレンを鳴らして黙祷し、尊い生命を奪われた戦没球児たちをしのび、ふたたびその悲劇をくり返すことのないよう、平和を誓っています。
 今年の神奈川大会では横浜商OBの斉藤哲男さん(80)が戦死した野球部の先輩でもある兄への思いをこめて始球式に臨みました。甲子園の白球がとぎれることのないよう、平和な日本を守り続けたいものです。(鳥)

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-08-09/20060809faq12_01_0.html
赤旗「戦死した高校球児の嶋清一とは?」
〈問い〉
 甲子園の夏、高校野球の歴史には太平洋戦争に巻き込まれた球児たちの無念が刻み込まれていると聞きます。和歌山・海草中学の伝説の大投手、嶋清一とはどんな人だったのですか? ほかにも戦死した球児がいますか?(和歌山県・一読者)
〈答え〉
 海草中学(現・向陽高)の嶋清一は、1939年の夏の甲子園大会で、準決勝・決勝の2試合連続ノーヒットノーランという偉業を達成した甲子園伝説の大投手です。
 決勝戦ノーヒットノーランは、59年後の98年夏に横浜高校松坂大輔投手が達成しましたが、準決勝、決勝での2試合連続ノーヒットノーランや、5試合完投してわずかに被安打8本という記録はおそらく破られることはないでしょう。
 一方、打者としても4番を打って21打数11安打をマークし、三塁打を3本打つなど、まさに投打の中心選手として活躍しました。沢村がプロ野球草創期の速球投手であるならば、嶋は甲子園における伝説の大投手といわれるゆえんです。
 卒業後は明大に進学しましたが、4年生となった43年に応召、45年3月19日、シンガポールを出港した護衛船に乗り込み、ベトナム沖を北上中に米潜水艦の魚雷攻撃を受けて沈没し、戦死しました。
 ほかにも戦死した球児は多く、戦前を代表する強打者で松山商業の景浦将は、32年の春に優勝、夏に準優勝して、立教大、大阪タイガースと活躍し、45年5月20日、フィリピン・カラングラ島で戦死しました。
 剛速球投手といわれた明石中の楠本保は、32年、33年の春連続で準優勝し、甲子園に6回出場して、通算15勝、うち8試合を完封し、ノーヒットノーランも達成、通算奪三振は200を超える大投手でしたが、43年中国・湖北省で戦死しました。28歳の若さでした。
 さらに、戦前の東邦商業黄金時代の中心選手だった立谷順市、一宮中のエースの河合信雄、高松中のエースだった梶原英夫なども戦死しました。
 高校野球が復活して60年、戦没球児たちをしのび、ふたたびその悲劇をくり返さない平和な日本にしたいものです。(鳥)

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2008-08-07/ftp20080807faq12_01_0.html
赤旗「戦没した野球人はどんな人たち?」
〈問い〉
 東京ドームの一角に、戦没野球人の名前が刻まれた「鎮魂の碑」が建てられていると聞きました。戦没した野球人とはどんな人をさしているのですか?(愛知県・一読者)
〈答え〉
 戦没した野球人には、プロ選手もいれば、学徒出陣などでの学生野球選手もいます。その戦没総数はいまだにはっきりしないといわれています。東京ドームの歓声と球音がこだまするドームの南東、大通りに面して一段高い植え込みの中にあるのは、プロ野球選手の名前が全員刻まれた「鎮魂の碑」です。1981年4月に野球関係者有志の手で建立されました。
 そこには、2基の石碑があり、1基には「鎮魂の碑」と大書され、69人の名前が刻まれ、もう1基は「追憶」の一文です。
 69人のなかには、戦前の不世出の大投手、東京巨人軍沢村栄治の名前が刻まれています。沢村投手は、プロ野球草創期にアメリカ遠征や巨人軍で活躍し、1936年(昭和11年)の大阪タイガース戦でプロ野球初のノーヒットノーランを達成、沢村賞としていまも語り継がれている大投手です。
 戦争が太平洋・東南アジアへと拡大した41年から42年にかけて、プロ野球選手の出征が急増します。沢村投手は3度の召集を受け、44年12月に輸送船で南方戦線に向かう途中、アメリカ潜水艦に撃沈され、27歳の若さで東シナ海に散りました。
 川上哲治とともに熊本工業から巨人軍に入団して、強肩にして快速といわれた吉原正喜捕手は、44年10月、ビルマ戦線で戦死、25歳でした。
 戦前を代表する強打者で松山商業の影浦将(まさる)は、高校野球で32年の春に優勝、夏に準優勝して、立教大、大阪タイガースと活躍しました。巨人軍との対戦では、沢村投手からホームランを打っていますが、45年5月、フィリピン・カラングラ島で戦死、30歳でした。
 終戦記念日に首相や大臣が靖国神社参拝を行って問題になりますが、そこにある遊就館には、名古屋軍の投手で、特攻隊で戦死した石丸進一が、まるで「英霊」の象徴のように陳列されています。
 侵略戦争は、優秀なプロ野球選手たちの命を奪いました。8月、この戦没選手たちの無念の思いをしのび、ふたたびその悲劇をくり返さない平和な日本にしたいものです。(鳥)

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik10/2010-08-14/2010081401_06_0.html
赤旗「きょうの潮流」
 その石碑は木陰にひっそりと立っています。東京・文京区の東京ドームの片隅にある「鎮魂の碑」です。戦争で命を落とした69人のプロ野球選手の名が刻まれています▼明日で終戦から65年。これらの選手を取り上げた催しが、11日に都内で開かれました。「かたり 戦火に散ったプロ野球選手」。「野球が大好き」というタレントの山田雅人さん(49)が、戦死した3選手を「語る」趣向です▼伝説の剛速球右腕・沢村栄治は、2度目の召集で左手を撃ち抜かれます。口を突いたのが「右手でなくてよかった」。どんなときも野球が頭を離れなかったのです▼名古屋軍のエース石丸進一は、特攻隊として飛び立つ直前に最後のキャッチボールをします。「おりゃぁ(俺(おれ)は)野球じゃ」と叫び、その無念の思いをボールにこめながら▼最後はわずかプロ2打席で召集された渡辺静。配属された鹿児島の知覧特攻基地で、なでしこ隊の女の子から人形を贈られます。「1人で飛行機に乗るのは寂しいでしょ」と。出撃前に彼はいいます。「俺は天皇や軍のために飛ぶのじゃない。あの子が夢を追いかけられる時代がくることを願うから」▼ときに激しく、ときに静かに「かたり」は続きました。すすり泣く声、じっとみつめる子どもたち。山田さんはこう結びます。「野球をやりたくともやれない時代があり、人たちがいた。二度と戦争をしないよう、皆さんも語りついでください」。平和を願う新たなエネルギーをもらった気がしました。


朝鮮総連金正恩への絶対服従を決定。しかし機関紙にすら公表せず 
http://hrnk.trycomp.net/news.php?eid=00638
 反北朝鮮珍右翼が騒いでるだけで機関紙にそうした見解が公表されてないのなら真偽不明なのに事実扱いして総連を非難するなんていい度胸してるよなあ。さすが反北朝鮮珍右翼。
 総連の機関紙とかで「個人崇拝的現象」が認められた段階で批判しても批判は遅くないだろうに何焦ってるの?(毒)

総連には仕事がまだあるのです。これまで総連が北朝鮮の指令のもと、どうこの日本で政治工作をしてきたか、また政治宣伝を北朝鮮に都合のいい形で行ってきたかという事をすべて暴露*9すれば、実は計り知れない意義を日本にもたらします。 拉致問題への関与は言うまでもありません。

いや、今も互助組織としての意義が総連にはあるだろ?。少なくとも「大東亜共栄圏」なんて口から出任せで始めた「アジア太平洋戦争」よりはよほど総連には大義、意義がある(大東亜戦争大義とか意義とかいつまでも寝言ほざいてるんじゃねえよ、三浦たち珍右翼は)。
そして根拠レスで総連が犯罪(拉致)に荷担したと言うな、屑。死ねよ、屑(大事なことなので「屑」と二度書きました) 
まあ、俺的には日本の政府にこそ「甘粕事件の真実」とか「上田茂樹の消息(どういうことか後で紹介する)」とか過去の権力犯罪を追及して欲しいけどな。探せば資料があるんじゃねえの?(そう言うことをやると自虐と言ってののしる屑が三浦のような珍右翼です)
要するに「珍右翼は自国(日本)に出来ない事を他人に求めるな」。金大中事件の真相とか過去の追及がそんなに簡単に出来ると思ってるのか、この屑は。
ああ、それといつ三浦先生の大好きな民団は「過去の軍政支持の反省」をやるの?(毒)。民団右派が金大中拉致に関与したかも知れないという疑惑の真相追及はいつなされるの?。まだされてないよね?

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-10-20/2007102012_01faq_0.html
赤旗特高に逮捕され闇に葬られた党創立者の一人、上田茂樹とは?」
〈問い〉
 特高に逮捕され闇に葬られた党創立者の一人、上田茂樹とはどんな人ですか?(香川・一読者)

〈答え〉
 上田茂樹は、大分県中津藩(現中津市)の出身で自由民権運動の闘士だった上田長次郎(のちに戴憲と改名)の八男として1900年7月27日、札幌で生まれました。
 父の事業失敗で、中津の中学を2年で中退し、17年に上京、昼は保険会社に働き、夜は正則英語学校で勉強、このころから社会主義文献を読み始め、山川均、堺利彦らのML(注:マルクスレーニン)研究会に参加、21年暮れ、山川らと「前衛」という雑誌*10の発行を始めました。父が65歳で病没、その半年後の22年7月15日、22歳の茂樹は、父たち自由民権のたたかいを真っすぐに継承する日本共産党の結成に参加、翌年、中央委員になります。
 23年6月、第一次共産党弾圧で渡辺政之輔らとともに茂樹は投獄され、そのことで関東大震災中の虐殺を運よく免れ、12月に保釈されると、24年5月、日本共産党の理論機関誌『マルクス主義』の創刊に参加、ついで25年9月に創刊された合法面の機関紙としての「無産者新聞」の編集にたずさわります。26年5月、治安維持法違反で禁固10カ月の判決を受け下獄、翌年1月出獄すると、すぐに27年テーゼに基づき、党中央アジプロ(宣伝煽動)部と党関東地方委員長を担当、工場細胞(現支部)づくりに全力をあげます。その一方、『無産階級の世界史』『世界歴史』を執筆、パブロビッチ『帝国主義の経済的基礎』など5冊の訳書を刊行、学習会講師としても活動します。
 この最中の28年3月15日の大弾圧で逮捕され、獄中で結核を再発しますが、30年はじめには結核病舎で30人の同志たちの指導者として、待遇改善のためにたたかいます。のちに「赤旗」は「上田同志の獄内闘争の最大のものは31年8月29日の朝鮮併合記念日の反対デモ、そしてそのデモヘの暴力弾圧に反対して組織されたハンガーストライキである。このハンストは、デモに参加した朝鮮人被告の懲罰反対を要求して組織され、病舎のみでなく市ヶ谷刑務所全体をまきこむにいたった。刑務所はこの形勢に驚いて、ついに懲罰を取り消さざるをえなかった」と書きました。
 かっ血、重肺患のため、執行停止で出獄した上田茂樹は党中央委員として直ちに活動に復帰しますが、32年4月2日、街頭連絡中にスパイの手引きによって逮捕され、そのまま消息を絶ちます。警視庁で虐殺されたことはほぼ確実ですが、虐殺者の追及も遺体の捜索もされないままに今日に至っています。31歳の若さでした。「赤旗」は「同志上田茂樹は敵の追及に一言も答えなかった。そして同志上田は虐殺されたのだ。ただちに大衆的抗議を!」と訴えました。
 上田茂樹が消された翌33年2月には西田信春が消息不明になり(後に官憲による拷問死とわかる)、次いで小林多喜二が虐殺されました。
 反戦平和と民衆の解放のために不屈にたたかい抜いた彼らの人生は、日本共産党の歴史に深く刻まれています。(喜)

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2005-02-10/ftpfaq12_01.html
赤旗「戦争に反対し殺された西田信春って?」
〈問い〉
 戦前、小林多喜二と同じころ、特高に殺された西田信春という青年がいたと聞きました。どんな人ですか?(北海道・一読者)
〈答え〉
 60年前の戦前の時代、戦争反対や主権在民を言うことは、大変、勇気がいることでした。天皇制政府は「特別高等警察」(特高)という専門の警察網を敷き、戦争反対の先頭に立った日本共産党員らを残酷に迫害しました。命を落とした人は判明分だけで1690人前後にのぼります。
 小林多喜二が死んだ9日前の1933年2月11日、特高に殺された西田信春も反戦平和のために生涯をささげた一人です。
 西田は1903年、北海道・新十津川村に生まれ、東大在学中に社会科学研究会に参加、卒業後、全日本鉄道従業員組合本部書記になり、27年、日本共産党に入党。32年、党再建のために九州に行き、九州地方委員会を確立し委員長になります。翌33年2月11日「九州地方空前の共産党大検挙」(検挙者508人)と報じられた弾圧の前日、検挙され、福岡署で殺されました。30歳の若さでした。
 (中略)
 身をていして平和と民主主義の世の中をめざした思いを引き継ごうと、90年に郷里の新十津川町に「西田信春碑」が作られ、毎年2月11日、碑前祭が開かれています。

http://wakayama.exblog.jp/13434855/
治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟和歌山県本部「抵抗の群像・日本共産党創立以来の闘士 渡辺政之輔」
 “党創立以来の不屈の闘士”(『日本共産党の七〇年』)、1928年当時の日本共産党委員長であった渡辺政之輔は出身地の千葉県市川市市川3丁目、安国院の墓地に“おっかさん”の、てうさんとともに眠っている。
 渡辺政之輔は党第3回大会後、党代表としてコミンテルンの「27年テーゼ」の作成に参加し、その実践の先頭に立ち、「赤旗」の創刊、普通選挙法による初の総選挙を闘い、党委員長として活躍中、治安維持法のもと犠牲となった。29歳であった。南葛労働会の盟友、川合義虎(注:日本共産青年同盟初代委員長)等々を亀戸事件の虐殺で失ってから5年後であった。
 天皇制政府は3・15大弾圧後、緊急勅令により治安維持法を死刑法に改悪、特高課の全国配備など弾圧体制を強化、そのなかで、渡辺政之輔は3・15後の党建設と中国侵略反対闘争など党務による中国からの帰路、1928年10月6日、台湾のキールン港埠頭で警官隊に襲われ自ら命を絶った。
 12月30日付「無産者新聞」号外は、「同志渡辺を死に至らしめた支配階級の惨虐」を「もはや、歩も逃れがたい窮地に押し込まれたとき、決然、党を守るために、党の危険を防衛するために自殺したのであった」と報じ、翌年2月1日「赤旗」創刊1周年記念号は 「同志渡辺政之輔は東京南葛の一青年労働者として我が労働運動に身を投じてより・・最も光輝ある革命的労働組合、南葛労働会の創始者であり、日本労働組合評議会の最もすぐれたる指導者であったのみならず、また実に、我が日本共産党の創設者の一人であり、……特に銘記すべきは1929年12月以来、彼がコミンテルンの決議に基づいて我が党の再建事業の先頭に立って働いた事である…『赤旗』もまた実に殆ど全く彼の手によって創刊されたのである…」と書いている(『渡辺政之輪とその時代』加藤文三*11)。
 渡辺政之輔の遺骨と遺品は翌1929年8月18日、布施辰治*12弁護士と解放運動犠牲者救援会の努力で1年かかって「おっかさん」のところに届けられた。ところが、安国院での埋骨式は、「おっかさん」以外の全参加者が検束されたので、埋骨できたのは次の年の秋、それも「おっかさん」のほか参加した4人は警察に連行されたという。連行された4人は、その後、中川の船で待っていた救援会の人たちに埋骨の報告をして船の中で追悼会を行った、と、山岸一章さんは『革命と青春・戦前共産党員の群像』*13に書いている。治安維持法の弾圧は死後の葬儀にまで及んだのである。
 安国院に葬られているのは、安国院が渡辺政之輔の出生地、実家に近い渡辺家の墓所だからである。祖父母、父、亀戸で亡くなった弟や妹も一緒に葬られているのだと思う。「おっかさん」のてうさんは「渡政」と同じ亀戸の永峰セルロイド肌場で働き、後に本所太平町の東京合同労組事務所に住み込み、「渡政」なき後も、救援会活動に全生活を投じ“おっかさん”とみんなから愛されてきたが、空襲が激しくなり、終戦の年に、市川の東管野の生家に身を寄せ、天皇制政府の降伏の日まで、あと半月を目前に67歳で亡くなられ、最愛の息子″政”の元に葬られた。現在の墓碑は、1960年に戦前の評議会の旧友だちと共産党の中央幹部の皆さんによる資金カンパで、当時13万7千円が集められ、巾川小学校同級生の林家石材店の協力で2つの墓碑に改修建をされたもので、同年10月9日新しい墓碑の前で墓前祭が開かれた。(旧友会「風雪」61・8・1号)。
 「渡政」は「おっかさん」に 「家を出たときが命日と思ってくれ」と言っていたそうですが、戦前の共産党員は文字通り命をかけた。墓前にぬかずくたびに思う。


■「兵隊万葉集」の豊饒な歴史(三浦の個人ブログ)
http://miura.trycomp.net/?p=448

毎年八月近くなると「あの戦争を考える・平和を考える」なるお題目の元、様々な番組が放映され、「必読図書」が語られ、「国民的な議論が必要だ」と言うもう何十回聴いたか判らないセリフが飛び交う。この手の議論は大体8月15日を過ぎると自然に消え去り、後1年間は「国民的議論」など殆ど起こらない*14のだから、最早「季節の風物詩」となりつつあるのではないか。

 「季節の風物詩」化していても、内容に多少問題があっても1年を通して、戦争のことを全く考えないよりはましでしょう。まあ、三浦先生はそうやってdisって戦争番組が8月の番組から全てなくなり、1年を通して戦争番組が全くないのがお望みなんでしょうね、珍右翼ですから(まるで「8月以外にもやれ」みたいな口ぶりだがそれが三浦の本心でないことはバレバレだ)。
 もしかしたら「あの戦争は正義の戦争」だの「ABCD包囲網ソ連の暴虐許すまじ」だのなら「季節の風物詩」でも8月しかやらなくても、国民的議論がなくても、三浦先生は大喜びかも知れませんが(毒)。
 それはともかく、それらの作品(テレビ番組や本など)の中には優れた作品もあります。
 俺は見ていませんが、近年評判の良かったその種の番組としてはNHKの「海軍反省会」「ドラマ・最後の戦犯」「ドラマ・鬼太郎が見た玉砕〜水木しげるの戦争〜(原作は水木の漫画「総員玉砕せよ」(講談社文庫))」などがあります。総じてNHKの評判が良いように思います。さすが、安倍晋三中川(酒)による「ETV特集」弾圧事件の後でも「japanデビュー」をつくっただけのことはあるNHK。民放も頑張れ(毒)。
 なお、つい先日放送された日テレのドラマ「犬の消えた日」も「戦争になれば愛玩動物(犬)など軍に食肉用や毛皮用として供出されても当然の世界になる*15」という面白い視点のドラマとして評判を集めているようです。

しかし、8月15日が来るたびに読み直したくなるような本もある。早坂隆著「兵隊万葉集」(幻冬舎新書)である。特に、本書は中高生など、これから歴史を学ぶ人々に是非ご一読をお薦めしたい。

 少なくとも三浦が絶賛する「兵隊万葉集」なんぞよりは8月に放送されるアジア太平洋戦争がテーマの各種テレビ番組の方がずっとマシでしょう(そもそも俺は和歌だの俳句だの詩だのは苦手なのでどんな内容であれこういう本は読みませんが)。珍右翼の三浦がほめるというだけで、「戦争の真実を追究する」だの「反戦の誓い」だのがその本には恐らく全くないであろうことはよく分かります。要するに反軍、反戦厭戦、権力への皮肉、そういう珍右翼が忌み嫌う和歌は一切収録してないと。
 大体筆者がid:Apeman氏が「松井石根の“日中親善主義”なるもの」(http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20110727/p1)でdisってたあの早坂隆だし読むだけ時間の無駄だろ。

【追記】
(その1)
 早坂のブログ(http://dig-haya.blog.so-net.ne.jp/)によると彼は37歳とのこと(1973(昭和48年)or1974年(昭和49年)生まれ?)。マジかよ、俺とほぼ同じくらいの年齢ジャン(俺の年齢はご想像に任せる)。それでネトウヨかよ。戦後教育を受けたのに痛すぎる男だな。ご両親が戦前ウヨ体質なんですか?

(その2)
俺は早坂みたいな珍右翼は大嫌いなので、ググって見つけたid:Apeman氏以外の早坂批判を紹介しコメントしとくか(今後紹介する早坂批判エントリは増えるかも知れないし、増えないかも知れない)。ちなみに早坂の顔写真を見て俺は「世界のナベアツ」に少し似てるなと思った。珍右翼・早坂はナベアツと違い、「南京事件」とか聞くとアホになるのだろう。それとも常にアホなのだろうか?(毒)

【早坂批判その1】

http://pub.ne.jp/bbgmgt/?entry_id=3216876
社会学者の時評『早坂隆『「わらわし隊」の記録』2010年の非学術的な記述法』

この人、自称「日本経営学界を解脱した社会科学の研究家(解脱ってどういう意味だよ?)」だそうでちょっと記述の信頼性が不安だが(苦笑)。まあ、さすがに「早坂本の引用」とか主観が入りこまないであろう部分は信用しても良いか。

2001年から2年間ルーマニアに移住。『ルーマニア・マンホール生活者たちの記録』(注:後に中公文庫)で第12回『週刊金曜日ルポルタージュ大賞優秀賞を受賞するなど,もともとは左翼的傾向がみられたが,その後,保守論壇に転じた。

 週刊金曜日の賞をもらった(この賞は新人発掘のための「週刊金曜日にライター(つまり早坂)が応募する賞」であることに注意。既存のルポルタージュの中から週金が受賞作を選んでるわけではない)のに、ウヨ界に進出とか笑えるな。
 早坂が「僕はサヨからウヨに目覚めた」んだか、「金儲けのためならサヨデビューで、ウヨ転向も平気でやる守銭奴」か知らんが痛すぎだろ。

早坂『「わらわし隊」の記録』は,南京〔大虐殺〕事件や日本軍性的奴隷(従軍慰安婦〕問題について,異論となるべき「一石を投じた」と宣伝広告はおおげさに強調している。

 マジで出版元・中央公論新社(近年、ナベツネのせいで歴史認識分野でも着々と産経化が進む読売グループの一つ)と早坂がそんな宣伝をしているのだったら詐欺も良いところだろう(そう言う宣伝をしているのが事実だとして、珍右翼の早坂ではどんな一石かは読まなくても見当がつく)。実際、このエントリ主曰く、「従来の違法性否定論と同レベルの言説」で「一石など投じていない」し、エントリ主が読んだ日経書評も「わらわし隊」にのみ触れ、そんな事にはさすがにまるきり触れてないという。

従軍慰安婦(軍性的奴隷)」の問題については,(注:早坂は)こう主張していた。有名な「漢口の慰安所」だけをみるかぎり,そこに「あるのは職業人としての娼婦の姿であり,それを管理,統制しようとする軍の姿勢である」(305頁)。

 「わらわし隊」について書いた本で、「わらわし隊」と関係ない事を書いた上、それが『慰安婦を「娼婦」呼ばわり』かよ。エントリ主の引用が事実ならひでえな、おい。

【早坂批判その2】

http://d.hatena.ne.jp/karatedou/20101014#p1
■死んだ目でダブルピース 「「『わらわし隊』の記録」感想」
 早坂隆という人が書いた「戦時演芸慰問団『わらわし隊』の記録──芸人たちが見た日中戦争」を読んだ。
 「わらわし隊」というのは、日中戦争の時代に編成された、漫才や落語中心の慰問団のこと。横山エンタツ花菱アチャコ柳家金語楼ミスワカナなど、吉本興業のトップスターをはじめ、多くの芸人が参加した。
 それにしてもひどい本だった。
 内容は、当時の資料や関係者への聞き書きが中心なんだけど、著者の考え方にバイアスがかかりすぎていて、読んでるうちにゲンナリしてくる。
 400ページ近い厚さなのに、いろんな意味でうすっぺらさだけが印象に残る。
 南京陥落の翌月、わらわし隊の公演が2500人のホールを連日満員にしたという記録を紹介して、

これが「何千という婦人が強姦され、十万以上の人々が殺害され、無数の財産が盗まれたり、焼かれたりした」最中の景色と言えるだろうか。

 と書いてるけど、べつに矛盾しないだろ、これ。
 ちなみに現在の日本政府の見解は以下の通り。

http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/qa/08.html
問6.「南京大虐殺」に対して、日本政府はどのように考えていますか。
1. 日本政府としては、日本軍の南京入城(1937年)後、多くの非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できないと考えています。
2. しかしながら、被害者の具体的な人数については諸説あり、政府としてどれが正しい数かを認定することは困難であると考えています。
(後略)

 これ読んでもわかる通り、犠牲者の数は確定できてない。
 そんなことはとっくにわかってるのに、あえて「10万人以上」と書かれた新聞記事を引用してるところに、著者の悪意(あるいは無知)を感じる。

 結局、私が書き留めたいのは「鬼」と呼ばれた日本の兵隊たちが「鬼」ではなく「人間」であったという当り前の事に尽きる。*16

 あーそうですか。でも命令受けりゃ相手が民間人だろうと殺しちゃうのが人間でしょ*17。結局この人、南京事件を否定するために「わらわし隊」という存在を利用してるだけ。
 従軍慰安婦の強制連行も全面否定。自分に都合のいい意見しか引用してないくせに。
 この本が文庫化されたのと同時期に、NHKで「戦場の漫才師たち 『わらわし隊』の戦争」というドキュメンタリー番組が放送されたけど、そちらは良心的な内容だった。

http://www.nhk.or.jp/war-peace/summer/onair03.html

 この番組の中で西原理恵子*18は、戦後にミスワカナ(注:吉本の女性漫才師)がヒロポン*19に溺れていった理由を以下のように推測している。

 今まで冷酷な人殺しをしなければいけない兵隊だったのを、人間に戻してあげる。人間に戻して、また戦地に送るわけですから、それはつらいですよね。そのまま麻痺させておいたほうがいいのかな、っていうのは思っちゃいますよね。
 難しいなぁ……。でも、やっぱり、ワカナさんは何べんやっても、現場に行って笑わせたと思いますよ。何もしないより、やったほうがいいし、つらいけど、つらいことより、(慰問先の兵隊が)笑うことのほうが大事だと思う。
 お客さんいたら「さあ行かなきゃ」って。舞台が湧くから。
 最後に笑っていってらっしゃい、っていうのは、家族みんなの気持ちを背負ってたと思いますね。*20

 戦場カメラマンだった夫*21アルコール依存症で苦しむのを見てきた*22だけに、西原理恵子のコメントには説得力がある。
 で、このミスワカナの死について早坂隆が書いてる部分は以下の通り。

 包みの中身はヒロポンだったと森*23は言う。
「人生は朝露の如し」。陽が昇るとすぐに蒸発してしまう朝露のような人の生だからこそ、かけがえのないものだとも言える。ワカナは儚さに身を包みながら、戦時を駆け抜けた一筋の綺羅星であった。多くの人の心に希望を与えた、一条の瞬きである。その光線は少し、奔放に過ぎた。

綺羅星」の言葉の使い方が間違ってる*24んだけど、まぁそれは置いといて、ミスワカナヒロポンに溺れたのは「奔放に過ぎた」からだってさ! すげえな、その断定。
 修辞句もスッカスカで、自分に酔ってるだけの駄文。こういう文章を削れば、150ページぐらいに収まると思う。
 結論。この本、読む必要なし!

 「わらわし隊」について語るのに必要もないのに、手垢のついた低レベルな「南京事件否定論」「従軍慰安婦否定論」繰り出すわ、ミスワカナヒロポンに溺れた理由について根拠レスで適当なことを言うわ、予想以上に早坂はひどいな。こいつに週金が賞与えたこと自体が間違いだったんじゃないの?。もっとまともな奴いなかったのかよ。またやっちまったな、週金。
 このエントリのコメ欄の早坂批判も紹介しておきましょう。なお、がちかネタかはともかく早坂批判に対する擁護コメントが「ネトウヨ」丸出しなのも面白いところです。

・S
 私も丁度この本読み終えたところでした!
 (前略)とにかく読後味の悪い本でした。
 (中略)
 一番気持ち悪いのが、著者本人は、政治的な部分をオブラートに包み、どちらの肩も持たないスタンス*25であるかのように書いた感があったところです。「悪かったのは戦争だ」*26っていうカモフラージュ。それがかえって本意*27をあまりにも露骨にやらしく出してしまって、フォーカスが「わらわし隊」から完璧にずれていましたね。そこがなんとも。読み終わってどっと疲れました。「わらわし隊」のことは、もっと知りたいんですけどねー。


・ゆう
 「南京」にはちょっと詳しいつもりの「ゆう」です(笑)。
 この本の、「これが「何千という婦人が強姦され、十万以上の人々が殺害され、無数の財産が盗まれたり、焼かれたりした」最中の景色と言えるだろうか」というのは明らかに無茶。「何千」とか「十万以上」とかいう数字の判断は保留しますが、要するに、もう中国軍の反撃を懸念する必要がない場面になっていた、というだけの話でしょう。
 別に南京全市至るところで至る時間に「強姦」「殺害」が生じていたわけではありませんので、「平和な風景」を捜せばいくらでもあったはず。それだけの、話です。
 資料が多すぎていちいち挙げる気もしないのですが、例えば、「否定派」陣営からも全く異議申し立てが出ていない「ヴォートリン日記」*28というものがあります。女性ばかりの避難所、金陵女子大学キャンプを守るヴォートリンが、毎日のような日本兵の来襲に必死で対処している様子がよくわかります。また彼女は、避難民から大量の「被害談」を聞いています。
 http://www.geocities.jp/yu77799/nankin/vautrin3.html
 また、畑俊六大将*29、岡村寧次大将、河辺虎四郎参謀本部作戦課長などの高級軍人が、それぞれ「南京の暴虐」を嘆く記録を残しています。
 http://www.geocities.jp/yu77799/gunjin.html
 こんな状況であえて「早坂氏に一票」というのでしたら、その具体的な根拠をお願いします。くれぐれも、私のサイトで批判済の陳腐な「否定論」など持ち出さないでくださいね。

 まあ、俺が「中高生など、これから歴史を学ぶ人々に是非ご一読をお薦めしたい」日本の戦争についての本は、三浦と違って日本の加害を描いた作品だ。我ながら書いてることが、ひねりも何もないサヨらしいベタさ、直球ストレートだけど。おじさん(俺)は、中高生の諸君には「南京事件否定論」だの「従軍慰安婦違法性否定論」だのといった歴史修正主義にはまってネトウヨになって、フジテレビ前の嫌韓デモに参加するような屑になって欲しくないのでね。加害の歴史を読むのは本当につらいと思うが、現状、歴史修正主義がまかり通っている以上、読んで欲しいわけだ。まかり通ってなきゃ、読まなくても良いのかもしれないが。
 つうか敗戦(終戦)から60年以上たってるのにそう言うバカウヨがまかり通ること自体が日本人として国辱だが。
 具体的には以下のような本だ。(他にも日本の加害について書かれた本はあるので探してみよう。もちろん日本の被害について書かれた本だって読むべきだし、最初は読みやすい漫画(「はだしのゲン」、「この世界の片隅に」、「アドルフに告ぐ」等等)やアニメ(「火垂るの墓」)でもいいが。なお、俺が読んでない本も以下ではあげたことをお断りしておく)


731部隊について】
森村誠一悪魔の飽食」(角川文庫)
常石敬一七三一部隊」(講談社現代新書

南京事件について】
笠原十九司南京事件」(岩波新書)、「南京事件論争史」(平凡社新書
秦郁彦南京事件」(中公新書
本多勝一「南京への道」(朝日文庫

従軍慰安婦について】
吉見義明「従軍慰安婦」(岩波新書

【その他いろいろ】
本多勝一「中国の旅」(朝日文庫
朝日新聞山形支局「聞き書きある憲兵の記録」(朝日文庫
井上清天皇の戦争責任」(岩波現代文庫
林博史BC級戦犯裁判」(岩波新書


 ちなみに俺が「ある意味」面白かった(というか、トンデモ本的な意味であほらしかった)早坂本は『日本の戦時下ジョーク集 満州事変・日中戦争篇』『日本の戦時下ジョーク集 太平洋戦争篇』(中公新書ラクレ)だね(本屋での斜め読み、立ち読みであってきちんと読んだわけではないが。後で突っ込むがこんな寒い「戦前日本をこけにしてるとしか思えない本」を出した早坂と編集者の気持ちが全く分からない。俺は読むのがつらくて途中で読むのをやめた)。
 何が「面白い」って、この本に収録された戦時下ジョークが滑りまくって寒いこと寒いこと。「日本人には笑いの才能がない」という俗説は正しいんじゃないかと思えるくらい寒い(Amazonレビューでもそう言う指摘はある)。
 「贅沢はス敵だ」、「見よ、東条の禿頭」(「愛国行進曲」の替え歌)、「金鵄(今のゴールデンバットのこと)あがって十五銭、栄えある光三十銭、朝日は昇って四十五銭、鵬翼つらねて五十銭、紀元は二千六百年、ああ一億の金は減る」(「紀元二千六百年」の替え歌)とか、そういう代物を紹介してくれればまだ笑えるのだが、珍右翼の早坂がそんなものを紹介するわけがなく
ルーズベルト*30とは日本語に直すとゆるいふんどし(ルーズなベルト)だ、だから日本は勝つ」とか、「あり得ない戦果発表をボケ役(米国など敵国役)がやり、突っ込み役がアホかと突っ込む」とか戦意高揚的なネタ(一応、エンタツアチャコとか当時の人気芸人の演じた芸ではあるようだがだからこそかえって寒い)ばっか(当時でも笑えたのか、そのネタ?)。俺はさすがに日本人なので「おいおい、日本は勝つどころかアメリカに惨敗したんだぜ」とか「あり得ない戦果発表はむしろ日本だろ?」とか思うと、読んでても素直には笑えず複雑な気持ちにならざるを得なかった。

 早坂氏は(中略)日本歴史の中でも最大のドラマである日中戦争大東亜戦争*31を、自らの運命として引き受けた、日本国民の気高くも哀しい精神のありかを映し出す。

 だからそうやって無謀で無法なあの戦争を美化するな、珍右翼。
 「自らの運命」として引き受けないで反戦運動したら、最悪の場合、小林多喜二みたいに特高に殺されるだろ?。お前らが「独裁国家」とののしりまくる、今の北朝鮮反政府運動したら最悪命がないのと同じ。
 引き受けない余地なんか死を覚悟しなきゃありえねえんだよ、カス。
 「北朝鮮の独裁は醜い独裁、大日本帝国の独裁は美しい独裁」かよ。お前(三浦)みたいなバカは黙れ。こんなバカが代表の会に入ってるid:noharraには改めて呆れた。
 「気高くも哀しい精神」って、無謀で無法な戦争を「そういうものだとわからずに参加したり」「そういうものだとわかっていたが抵抗できずに参加したり」するののどこが「気高い」んだ。むしろ反戦運動の方がずっと「気高い」だろ(日本ではそういう反戦運動はあまりないと思うが、ドイツの白バラ運動とかな)。俺はドイツと違って『その種の反戦運動が大規模に組織できなかった国』、『小規模であれ反戦、反体制で戦った人々(小林多喜二とか)を国としてきちんと顕彰できない国』・日本を本当に恥ずかしいと思う。

参考

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-04-20/20060420faq12_01_0.html
赤旗『「白バラ」の学生とナチの裁判官はどうなったの?』
〈問い〉
 映画「白バラの祈り ゾフィー・ショル、最期の日々」をみて胸がつぶれる思いでした。「白バラ」グループの学生は戦後、「裏切り者扱い」で判決が取り消されたのはずっとあとだったというのは本当ですか? 死刑判決をくだした裁判官らは戦後どうなったのですか?(千葉・一読者)
〈答え〉
 ナチ抵抗グループ「白バラ」の学生たちは、ミュンヘン、ウルム、ハンブルクフライブルクなどで活動。このうちミュンヘンのルードウィヒ・マキシミリアン大学の学生6人が処刑されました。
 ゾフィー・ショルなど数百人に過酷な死刑判決を下した裁判官(中略)ハンス・ヨアヒム・レーゼは1968年12月、「国民裁判所(ナチの政治裁判所)の裁判官としての職務を法と良心に基づいて正常に果たした」として無罪判決を受けます。
 戦後、多くのナチの裁判官が職に残り、殺人や組織的拷問にも「上官の命令に従っただけだ」と減刑されたり、「反ユダヤ主義の狂気にとりつかれたのであり、罪はそのように教育した者にある」と免責されたりしました。
 背景にはドイツでの不十分な非ナチ化があります。
 ドイツでも戦後、労組や労働者政党が反ファシズムの声をあげました。しかし、米国などは西独をソ連と敵対させるため、元ナチスのエリートを復権させます。アデナウアー政権がナチ高官受け入れを決定し、その後、西独政府は1965年までに100人の将校、828人の検察や裁判官など法関係者、21人の高級官僚、245人の外交官、297人の高級警察官僚を復職させます。
 雰囲気を変えたのが63年からのアウシュビッツ裁判など一連のホロコースト裁判や68年前後の学生たちの運動でした。
 学生たちは「祖父や父はナチの時代に何をしたのか」「ドイツの過去の責任を認めよう」と父親世代に問いかけました。
 レジスタンスの闘士だったブラントが69年に首相になったことは抵抗闘争への評価にとって決定的でした。80年代にはナチの被害にあったレジスタンス活動家に補償金が支給されました。
 法的には戦後「白バラ」の関係者にはナチの裁判結果が有効とされ、大学への復学も許されませんでした。
 しかし、82年に映画「白バラは死なず」(ミハエル・フェルヘーベン監督)が公開され、抵抗運動活動家に対する有罪判決がいまだに有効であると訴えたことが反響を呼びました。
 連邦議会議員と結んだ粘り強い市民運動で95年に判決は無効とされました。(片)

日中戦争というアジアを舞台とした未知のゲリラ戦

規模はともかく(規模が一番大きいのは日中戦争を含むアジア太平洋戦争だろう)ゲリラ戦なら、「台湾征服戦争」「朝鮮の義兵闘争弾圧」「義和団鎮圧」「シベリア出兵でのパルチザンとの戦闘」なんかで既に経験してるだろ。個々の兵隊はともかく、日本軍全体としてはゲリラ戦は未知じゃない。

近代的自我などがいかに虚しいものかを証明した「二十世紀の戦争」

何をどう証明したのかね?。言ってる意味がさっぱり分からん。

日中戦争時、戦場の兵士達が、いかに「シナ人蔑視」などとかけ離れた精神を持っていたかを伺わせる歌。

現実に当時の日本人の多くが「シナ人蔑視」感情を持っていたこと、その蔑視感情が
1)「中国ごとき三流国家には勝てるはず」と言う甘い判断から戦争を泥沼化させ、ついには1945年の敗戦を招いたこと
2)南京事件731部隊のような違法、非道な行為を招いたこと
は否定できないだろうが。一部の日本兵に「蔑視感情がないこと」*32を理由に、日本兵は皆そうだったと強弁するのも大概にしろよ。

戦局が悪化し、政府が「鬼畜米英」を絶叫する*33時代になっても、国民は白い布で包まれた戦死者の霊をむしろ静かに向かえ、運命の悲劇として受け入れていた*34

「運命の悲劇」じゃねえよ、珍右翼。
戦争は人災であって、自然災害や遺伝病のような人力ではいかんともしがたいものとは違うだろ。
じゃあ、「日本が起こした戦争」以外の戦争(例:朝鮮戦争)も運命か。
それとも「日本の起こした戦争は外国の起こした戦争とは違い不可避」「あの戦争は自衛戦争、アジア民族解放戦争」とでも言う気か?。


■日本人妻問題を北朝鮮に提起できないのか
http://hrnk.trycomp.net/news.php?eid=00637
可能ならば提起すべきでしょう。で、一人でも多くの日本人妻に帰国してもらうと。

かっての日本人妻一時里帰りのように、おそらく背後では資金が動き*35、家族を人質に取られ、しかも北朝鮮では一定の成功をした「優等生」の日本人妻が1,2週間日本に里帰りするだけで、しかも、金体制礼賛の言葉しか聞けなければ意味がない、とする説もありうるでしょう。しかし、それは日本側に戦略がなかったからです。

  別に金が動こう*36と、帰国者の数が少なかろうと、期間が短い一時帰国だろうと、珍右翼が聞きたくもない「金体制礼賛」の言葉付きだろうと「帰国したこと自体」は良いことだと思うね。
 大体、三浦たち珍右翼は「それは日本側に戦略がなかったからです」と偉そうな事を言ってるが連中にまともな戦略なんかどうせないんだろうし。つうか外交のプロ(外務省)でもいかんともしがたいこと(日本人妻帰国問題)を素人の自分らにどうにか出来ると考えられるのは能天気すぎだ。 

日本人妻の方々もただ金体制礼賛のみを言うのは苦しいと思いますし、そのような発言は必要ありません、ここ日本にあなたと同じ地方から逃げてきた脱北者の方がおられます、ぜひ会ってみてください、日本人妻の情報を聞かせてください・・・そのように日本側も「人道的情報戦」を行うこともできるはずです。

 可能ならばやるべきかもね。どれだけの情報が得られるか疑問だし、下手にやると、日本人妻がまずい立場に陥ったり、日朝交渉がぽしゃる危険性があるのでやる場合も注意が必要だが。
 ただし最低限、「日本人妻への強制」でないことが条件。

*1:間違ってたら謝りますし、本筋じゃないですが、爆撃ってのは飛行機で爆弾落とすときに使う言葉であって、延坪島「砲撃」じゃないと間違いじゃないですかね?。北朝鮮は飛行機で攻撃なんかしてませんよね?

*2:エントリ主は中央日報記事を批判していますが、北朝鮮に莫大な埋蔵レアアースがあることと、それをかの国が外交に利用していること自体は事実では?、と思います

*3:和田『北朝鮮――遊撃隊国家の現在』(岩波書店, 1998年)

*4:長野県に存在する実在の村

*5:ただし被害者がこの映画館に飾られている写真から「犯人」の現在を知り犯人に逢いに行き殺されるという設定なので端役ではあるが、割と科白も多いし、どうでもいい役というわけでもない

*6:うーん、どうだろう?。ウィキペによれば内田はこの映画で『キネマ旬報賞』主演男優賞、『報知映画賞』主演男優賞を受賞しているそうだが

*7:会議のある9/7は水曜日

*8:敵性言語(英語)禁止ですね、わかります

*9:暴露も何も政治工作、政治宣伝は、目的が犯罪のもみ消しとか、やり方が賄賂とかデマ中傷とか違法・不当なモノでなければ問題はないだろ。バカか、お前は。なお、俺は統一教会信者に「霊感商法という犯罪行為が摘発されないために、どうこの日本で政治工作をしてきたか、すべて暴露」してほしい(毒)

*10:今の党機関誌「前衛」と直接の関係はない

*11:学習の友社刊行

*12:山崎今朝弥らととも自由法曹団を創設。日本統治下の朝鮮で、多くの独立運動家の弁護活動を無償で引き受けた功績で2004年、日本人初の大韓民国建国勲章を受章。

*13:新日本出版社刊行

*14:国民的議論をしようとすると「反日」だの何だのと脅しをかけるウヨの一員の癖してよくふざけたことが言える

*15:韓国は犬殺しで残酷とか言ってた嫌韓の諸君はこのドラマどう思った?。断言しても良いがこのドラマをフジがやったら嫌韓の諸君は絶対「フジが韓国の犬殺しをごまかそうとしてる」とか言ったろ?

*16:人殺しすれば鬼呼ばわりされて当然だろ。いい夫、父だったなんて何の言い訳にも成らんし、そんなことをいうならホロコーストやったドイツ人だって免罪できてしまうぞ

*17:平時では殺人などもちろんしない俺も追い込まれたら人殺すかもしれん。戦争における残虐行為を理解するにはそう言う認識が大事だと思うね。

*18:漫画家。1997年に『ぼくんち』で文藝春秋漫画賞を受賞。2005年に『毎日かあさんカニ母編)』で文化庁メディア芸術祭漫画部門優秀賞を、『毎日かあさん』『上京ものがたり』で手塚治虫文化賞短編賞を受賞。2011年、『毎日かあさん』で第40回日本漫画家協会賞参議院議長賞を受賞(ウィキペ参照)。文化庁や大「朝日新聞」の賞を受賞してるし、いずれ、里中満智子先生のような、あるいは分野は違うが勝間某のような文化人的大御所だろう。「控えい、こちらにおわすお方をどなたと心得る、恐れ多くも『○○審議会委員』の西原先生なるぞ!」「あ、あの西原先生、ははあ」

*19:覚醒剤の一種。ただしワカナ生前は一応合法だった

*20:長編ドラえもんジャイアンのような「きれいな西原!」

*21:鴨志田穣

*22:この件について書いた鴨志田の著書『酔いがさめたら、うちに帰ろう。』が浅野忠信(鴨志田役)・永作博美(西原役)主演で映画化されている。

*23:生前のワカナと親しく、NHKドキュメンタリーにも出演した女優・森光子か?

*24:「戦時を駆け抜けた一筋の綺羅星」って綺羅星を流れ星と明らかに勘違いしてるよな、早坂は。綺羅星は「きらきら輝く明るい星」って意味に過ぎないんだけど

*25:いわゆる自称中立

*26:それをソ連満州侵攻とかにも言えば説得力もあるが早坂たち珍右翼は絶対に言わないからな。日本を免罪するとき限定。

*27:戦前日本を免罪したいという意思

*28:なお、全訳ではなく抄訳だったと思うが彼女の日記の翻訳が大月書店から出ている。

*29:阿部、米内内閣で陸相

*30:もちろん太平洋戦争時のアメリカ大統領

*31:未だに大東亜戦争かよ

*32:三浦の紹介する短歌からそこまで本当に言えるのかは俺には分からないが

*33:揚げ足取りすると戦局が悪化する前から鬼畜米英と言っていました

*34:「何故死んだ」とか言って号泣したら、非国民とか言われて特高の監視対象になりかねないだろうが、アホか、お前は

*35:勝手な邪推乙

*36:今回のアメリカの米朝離散家族再会の件では、北朝鮮への食糧支援がバーターらしいが三浦的にはそれは良いのか?