私が今までに読んだ本の紹介(五十嵐仁編)(追記あり)

・五十嵐仁
 法政大学教授(政治学者)。法政大学大原社会問題研究所所長。氏の主張については「五十嵐仁の転成仁語」(http://igajin.blog.so-net.ne.jp/)も参照ください。
 私が持っている五十嵐氏の著書は以下の通りです。
 「政党政治労働組合運動」(御茶の水書房)、「戦後政治の実像」(小学館)、「現代日本政治」(八朔社)、「この目で見てきた世界のレイバー・アーカイヴス」(法律文化社*1、「活憲」(山吹書店)*2、「労働政策」(日本経済評論社)、「労働再規制」(ちくま新書*3、「『戦後革新勢力』の源流」(共著、大月書店)*4
 「政党政治労働組合運動」で五十嵐氏は以下のようなこと(注:以下、五十嵐本の紹介は全て私の理解による要約であり引用ではありません)を述べています。非常に説得的だと思いました(詳しくは五十嵐本を読んでください)。

 「社会党(現:社民党)が国会の議席を大幅に減らし、ついに共産に敗北したのは(政策の是非や、ソ連崩壊による左翼のイメージダウン*5等もあるかもしれないが)共産と違って自分の手足がないこと、及び、労組(総評→連合)が最大の支持基盤だったことである」*6*7
社会党は政策が左だから衰退した、構造改革派や江田派の党内における政治的敗北が大きかったと考えると、社会党より左の共産が一定の勢力を今も保有していること、及び社会党より右の民社党*8社民連社会党党内抗争に敗れた江田三郎が離党して結党)が消滅したこと(民主党内の派閥として存在するが)が説明できなくなる」*9*10
社会党が労組を自分の手足として利用していたため、労組のパワーダウン(加入率低下)は社会党のパワーダウンに直結した。また、筋の通らないことでも労組が要求すれば、社会党はそれを飲まざるを得なかった(それは労組以外の社会党支持者(市民運動等)の離反を時に招いた)。*11そして、労組が小沢一郎菅直人鳩山由紀夫など非社会党政治家に期待するようになると、社会党は分裂しついに消滅した」
「共産が自分の手足作りに一定の成功をおさめたことは、もっと評価されてしかるべきである」*12

 
また、「戦後政治の実像」では次のような面白い説(というより事実?)が指摘されているので、こちらもおすすめです(「戦後政治の実像」は五十嵐氏自身が掘り起こした事実と言うよりも、政治家の回顧録等をうまくまとめた物なので政治に詳しい人はご存じかもしれませんが。詳しくは五十嵐本を読んでください)。

沖縄返還の最大の功労者は当時の通産相田中角栄である。田中はニクソン・米国大統領が求めたいわゆる『縄と糸の取引』(沖縄を返還する代わりに、日米繊維交渉でアメリカの言い分を聞いてほしい)を日本繊維業界に多額の補償金をぶち込むことで解決した。これにより、田中はポスト佐藤の地位を確実なものにした。」
「大物右翼・児玉誉士夫*13ロッキード代理人であることが、ロッキード事件で判明したが、実は、OSS(CIAの前身)の活動資金の一部を提供したのも児玉であった(GHQの戦犯追及から身を守るため?。ちなみに自由党自民党の前身の一つ。鳩山一郎吉田茂が党首を務めた)の結党資金の一部を提供したのも児玉である)」
ロッキード事件について、中曽根康弘回顧録の中で、田中潰しの『石油メジャーの陰謀』であることを匂わせている」
「しかし、メジャー陰謀説は疑わしい」*14*15
「中曽根の主張こそ、いわゆる『ロッキード・P3C疑惑』(児玉・中曽根疑惑)から目をそらせるための陰謀であろう」*16
「椎名裁定を三木武夫は事前に知っていた」*17
「そもそも椎名裁定文を書いたのは椎名悦三郎ではなく三木本人であった」
「三木だけでなく、おそらく田中角栄大平正芳福田赳夫中曽根康弘も事前に知っていた」
「椎名裁定の仕掛け人はおそらく岸信介佐藤栄作兄弟である(「クリーン」「ハト派」の三木をたて、国民の自民党批判をかわす目くらましが目的。また当時、社会党江田派、公明党民社党が三木を離党させ、三木をリーダーとした三木新党をつくるという噂があったためそれを防ぐ狙いもあったようだ。)」*18*19
「二階堂擁立工作は自公連立の源である」*20*21
「皇民党事件の黒幕はおそらく、佐川清(佐川急便創業者)である。」
竹下派抗争で小沢が反小沢グループ小渕恵三梶山静六橋本龍太郎ら)に敗れたことが小沢離党の原因である。しかし小沢は、政治改革詐欺でそれをごまかした」*22
「自社さ連立政権は成立が非常にきわどい物であった。例えば、小沢が羽田内閣総辞職ではなく解散総選挙を選んでいたらどうなっていただろうか?(新進党が勝つ見込みがないため、そうしなかったわけだが。自民党の政権たらい回しとやってることは同じだ)。また、北朝鮮危機がカーター訪朝によって解消しなければ、いかに政権亡者の自民党といえども社会党とは手を組まなかったであろう。また、ポスト細川*23として、小沢が働きかけた渡辺美智雄(愛称:ミッチー)が離党して、首班指名に応じていれば、ミッチー政権ができ、状況は変わったかもしれない」*24*25*26
「カーター訪朝がなければ米朝は戦争していたかもしれない。クリントン・米国大統領は金泳三・韓国大統領に、『寧辺の核施設攻撃』を要求したことが後に明らかになっている(金は絶対にだめだと拒否)」


【追記】
 五十嵐先生は「極左暴力学生に襲撃されて右目を失明する」というその経験上、新左翼には否定的です。それについて五十嵐先生の文章を紹介しておきます。

http://igajin.blog.so-net.ne.jp/2010-03-26
 法政大学には、悲しい負の歴史があります。一部の暴力学生が、他の学生に暴力を振るい、キャンパスから追い出したり、一生癒えることのない傷を負わせたりしたのです。
 松田さんの事件は、1970年1月21日に起きました。当時、法政大学文学部に在籍していた松田恒彦さんは、全共闘を名乗る暴力学生の襲撃によって瀕死の重傷を負い、今に至るも後遺症に悩まされています。
 この松田さんの裁判闘争や生活を支えるために「会」が作られました。それが、「松田さんを支える会」です。
 私は、ずっと以前から、この「会」に協力してきました。私も、都立大学在学中、暴力学生によって右目を失明させられた被害者だからです。
 この事件は1971年9月10日に起きましたが、そのときの様子は、拙著『概説・現代政治』(法律文化社)の「あとがき」に書きました。また、松田さんを支える会・1.21事件30年誌編集委員会編『法政大学70年1月21日−松田恒彦さんと「支える会」の30年』(こうち書房、2000年)にも、「『9.10事件』の被害者として」という一文を書いています。

http://igajin.blog.so-net.ne.jp/2013-07-30
武田:
 ありがとうございます。ブログを読ませていただいて、もう一つ思ったことがあるんですが、ちょっとこれは打ち合わせ外の事なんですが、あるいは、触れていいのかどうなのかわかりませんが、みなさんお気づきでしょうか?。先生の右目がご不自由なんですよね。それは、学生運動の頃に暴力学生によってひどい目にあって、それ以後失明されてしまった。そういうことをご体験されているわけです。
 私の学生時代からの友人にも同じような人間がおりまして、今でも街を歩くときは、大きい魔法瓶を冷蔵庫代わりにして薬を持ち歩いて、それを使わないとだめな人がいるのです。その人もやはりその時の犠牲者なんです。
 そういう方々のことについても先生はいろいろお書きになっているわけで、皆さんにお知らせしてもよいのかと思いました。
(中略)
五十嵐:
 あまり触れたくない過去ではありますが、仰られた通りです。私は学生時代、都立大学自治会委員長をやっておりまして、やめた直後、暴力学生に竹棹でメガネの上から右目を刺されて失明しました。今も右目があるように見えますけれど、それはプラスチックの義眼です。刑事コロンボって知っているでしょ?。その俳優であるピーター・フォークも義眼です*27
 私は1969年に大学に入学しましたが、東大の入試が中止された年でして、大変な時代でした。
(中略)
 竹棹で突いた学生は、私のよく知っている後輩でした。同じ経済学部です。その後輩が、良く知っているはずの私めがけて竹棹で右目を突く。あと少し深かったら、私は障害者になっていたかもしれません*28し、こうして皆さんの前でこのような話はできなかったでしょう。命を失っていたかもしれません。平気でこういうことができる人間が、当時はたくさんいたんです。全共闘新左翼と呼ばれていた人々です。ある意味では「信念」を持って暴力を振るい、人を襲って命を奪おうとする。しかも、中核派革マル派などのセクトに入った人たちは、いまだに町の片隅に隠れてコツコツ爆弾を作っている。
 時々そういう人たちが(注:公安警察に)摘発されて出てくると、50代後半だとか60代だとかという年齢になっています。「かわいそうだなあ」と思いますね。若いときに誤った道に入り込んでしまい、その後の人生を棒に振ってしまう。そういう形で誤った人生を歩む。若いときの思い込み、若いときの間違いの結果です。そのように教え込まれ、そう思い込んでしまったんでしょう。

*1:レイバー・アーカイヴスは直訳すると「労働問題の資料館」。なお、五十嵐氏が勤務する法政大学大原社会問題研究所も、労働問題資料を集めておりレイバー・アーカイヴスである(労働問題専門資料館ではないが)。

*2:「活憲」は「憲法を活かそう」「憲法を活用しよう」という意味の造語。「現行憲法の精神(平和主義等)を生かす改憲なら反対しない」「憲法の精神を生かした立法や行政をしないで憲法の条文を改悪から守るだけでは憲法を活用したとは言えない」という意味を示している。

*3:労働運動などの努力により小泉構造改革への批判が強まり、それを契機に厚労省自民党厚労族が巻き返しを図り、労働再規制の動きを始めているというのが本の主な内容

*4:この本は大月書店から出た本にしてはかなり共産に厳しいように思う。第4章では労働組合運動が、第5章では農民運動が、第7章では学生運動が取り上げられているが、いずれの章でも1945〜1948年当時の共産党に強くあったと言われる引き回し主義、上意下達主義が批判されている。なお、五十嵐氏はまとめの章を執筆している。

*5:印象論に過ぎないがソ連崩壊のダメージは共産の方が社会党より小さかったのではないかと思う。共産はかなりソ連に批判的だったのに対し社会党はそうでもなかった気がするのだが?。

*6:なお、労組依存の問題点については、社会党においてもある程度認識はされていた。書記長の成田知巳は社会新報紙上で「大衆運動のよわさ」「議員党的体質」「労組依存」の3点(これを俗に「成田三原則」と呼ぶ)を社会党の問題点として指摘したことがあるからである。また、土井たか子市民運動出身者(現在も社民党議員の福島瑞穂辻元清美保坂展人など。彼らは俗に「土井チルドレン」と呼ばれる)を重用したのも労組依存への危機感があったからだろう。

*7:五十嵐氏によれば労組依存を問題視するこうした考えは、田口富久治、奥田八二、太田薫の主張(田口「日本社会党論」(新日本新書)、奥田・太田「労働組合社会主義政党」(日本評論社))にヒントを得たものであるという。

*8:社民連はともかく民社党は「社会党より右」どころか「自民党より右」の気もするが。日本版ウィキペディアも「CIAから金をもらっていた」「韓国・朴正煕政権やスペイン・フランコ政権、チリ・ピノチェト政権など、反共で一致すれば、軍事独裁政権も支持した」「塚本三郎大内啓伍は、委員長時代に『民社党』の党名から社会主義を意味する「社」の部分を外し、「民主党」に改称しようとした」「米沢隆は「民社の『社』は社会主義ではなく会社の『社』」と主張した」など、社会党右派がルーツの社民主義政党とは思えないすばらしい記述にあふれている(笑い)。

*9:向坂逸郎らの社会主義協会新社会党のルーツの一つ?)の存在や、文革に当初好意的な態度を取ったこと(共産はかなり早い段階で批判)、大韓航空機爆破事件での態度(共産の方が社会党よりも早い段階で北朝鮮の犯行と断定し、非難した)、原発に対する態度(社会党の方が原発に否定的だったと思う。少なくとも、今の社民と共産では、社民の方が否定的だろう)などを考えると、共産の方が社会党より常に左と言えるか微妙な気もする。

*10:なお五十嵐氏によれば「左だから衰退した」と主張する有力な論者として安東仁兵衛、石川真澄がいるという。こうした説に対しては五十嵐氏の批判以前に既に渡辺治新川敏光が批判を加えているという。

*11:また、「総評/連合」が社会党への内政干渉を何ら問題と思ってなかったことも重要である。一方、共産を支持する組合(全労連など)は、少なくとも建前では、「総評/連合」の社会党への政策押しつけを批判しており、「総評/連合」ほど公然と労組方針を押しつけることはしたくてもできなかった。

*12:もちろん五十嵐氏は共産に問題がないと言っているわけではない。多くの左派の学者、ジャーナリストが不当に社会党に甘く、共産党に辛いのではないかと言っているのである。また五十嵐氏は共産党のいわゆる自主独立路線を「ソ連崩壊の影響を最小限に食い止めることが出来た」として一定の評価をしている。

*13:この本では児玉以外にも、保守政治家とつながりのあった大物右翼として次の人物の名前もあがっているので参考までに紹介。赤尾敏笹川良一競艇界のドン)、田中清玄、豊田一夫安岡正篤玉音放送に朱を入れた、池田派を「宏池会」と命名したなどの伝説がある)、矢次一夫、四元義隆

*14:五十嵐氏は、「メジャー陰謀説は5W1Hがあいまいであること(メジャーの誰がいつどこで田中失脚を画策したのか)」「ロッキード事件を契機にむしろ田中の権力は『闇将軍』『唯角史観』『角影内閣』と言う言葉ができるほど、田中の派閥拡大戦略によって強大化したこと(田中の政治力を奪った直接の原因は脳梗塞)」「ロッキード事件発覚で、石油メジャーに状況が有利になったという事実が認められないこと」「田中以外にもロッキード事件発覚で(日本にも海外にも)政治的ダメージを受けた者がいること」を理由に、メジャー陰謀説は支持できないとしている。五十嵐氏は陰謀論は「僕らの田中が収賄なんかするわけがない」「同じ元首相でも、岸(ダグラス・グラマン疑惑)や中曽根(リクルート疑惑)は逮捕されなかったのに何故田中だけが」「首相就任時は『今太閤』『コンピュータ付きブルドーザー』とさんざん持ち上げたくせにマスコミめ!」という支持者の感情論があると見ている。
 なお、ロッキード陰謀論批判については次のサイトも詳しいです。
http://apesnotmonkeys.cocolog-nifty.com/log/2005/10/qa_29be.html

*15:なお、陰謀論にはもう一つ「日中国交回復」陰謀論(日中国交回復に反発したアメリカが田中を失脚させた)もあるがそれについては五十嵐氏はメジャー陰謀論に比べマイナーという理由でほとんど触れていない。まあ、この陰謀論も「田中失脚後、状況が反中国派(親台湾派)に有利になった事実が認められない」等、メジャー陰謀論同様穴だらけなのだが。

*16:中曽根は、佐藤内閣で防衛庁長官を務めた有力防衛族議員で児玉とも親密な仲だったため、児玉を通してロッキードから賄賂をもらい、P3Cが採用されるよう不正な動きをしたのではないかという疑惑。ちなみに、児玉のロッキード工作では小説「不毛地帯」(今度フジでドラマ化されるらしい)に描かれた「第1次FX商戦」が特に有名である(当初、伊藤忠不毛地帯の主人公「壹岐正」のモデル瀬島龍三のいた会社)・グラマンの採用が決まっていたが、児玉の政治工作でロッキードに変更されたと言われる)。なお、瀬島については大本営参謀時代に自分が生きるために、ソ連のシベリア抑留を容認したのではないかという疑惑がささやかれており、さいとう・たかをゴルゴ13でも何度かネタになっている(毎回、瀬島がモデルの財界人がゴルゴ13に暗殺される)。五十嵐本は真偽不明としながらも瀬島の怪物ぶりをよく示すエピソードとして紹介している。

*17:つまり、有名な三木の「青天の霹靂」発言は全くの嘘だったわけである。

*18:田中と福田には元の親分である岸、佐藤から直接、説得工作が行われ、渋々納得させられたようだ。これでは大平、中曽根も三木首班を嫌でも飲まざるを得なかっただろう

*19:子飼いの福田をすぐにたてないところがさすが、「昭和の妖怪」岸である。五十嵐氏によれば政治学者・原彬久氏のインタビューに対し、岸は「私が自民党で一番嫌いな奴は三木」と言っているそうなのだから。

*20:なお、竹入、矢野氏と完全に対立するに至った現在の創価学会公明党は支持者に「二階堂擁立工作」は竹入と矢野が学会や党の仲間を無視し、勝手にやったことと言っているらしい。冗談も大概にしてほしい。

*21:田中が二階堂擁立に反対した最大の理由は自派閥から首相が出ることによる、自らの権力の低下だろう(元首相の田中ではなく現首相の二階堂進に権力が移行し、田中派が二階堂派になりかねないと言うこと。)。二階堂擁立によって世代交代が遅れることを恐れた、竹下登金丸信小沢一郎たちは二階堂擁立に反対した。が、田中の反対理由から、竹下擁立もこのままでは不可能と考え、田中からの独立を考えるようになる。それが創政会(後の経世会)の結成である。

*22:小沢側についたのが石井一、奥田敬和羽田孜らである。

*23:細川護熙は国民福祉税騒動による閣内不一致の表面化と佐川急便スキャンダルの発覚により死に体となり辞任を余儀なくされる。

*24:ミッチーが離党しなかったため、小沢は羽田を担ぎ出すことになる。

*25:もちろん、小沢の要請に応じ、村山富市首班指名を争った海部俊樹が今自民党に復党していること(そしてほとんど政治力がないこと)を考えると、ミッチーが離党を躊躇したのもよくわかるが。

*26:当時の自民党総裁ハト派でクリーン、腰の低い性格の河野洋平だったことも連立成功の大きな要因だろう。河野でなければ、支持者の反発を恐れ社会党は連立に乗らなかったかもしれない。また河野でなければ、「首相になれない初の自民党総裁」という屈辱的話を容認できただろうか?

*27:ウィキペ「ピーター・フォーク」によれば「3歳のとき右眼に腫瘍が発見され、眼球の摘出手術を行う。それ以来、右眼には義眼をはめている」とのこと。コロンボ警部見てるけど気付かないもんですねえ

*28:右目失明も充分障がい者ですが、「一生寝たきり」とか、もっと酷いことになっていたかもしれないと言うことでしょう。