五十嵐仁『戦後政治の実像』は、リベラル・左翼向けの『教科書が教えない歴史』だ

本エントリの元ネタはこれ。
一人でお茶を 
孫崎本『戦後史の正体』は、リベラル・左翼向けの『教科書が教えない歴史』だ
http://d.hatena.ne.jp/nessko/20121014/p2

しかし執筆者の五十嵐は、リベラルないし左翼だし、『戦後政治の実像』で描かれている歴史も『教科書が教えない歴史』だとは思う。
なお、五十嵐『戦後政治の実像』については過去に以下のエントリでとりあげている。是非、五十嵐『戦後政治の実像』を読んで欲しい。
 『私が今までに読んだ本の紹介(五十嵐仁編)』(http://d.hatena.ne.jp/bogus-simotukare/20090801/1249250921
 『五十嵐仁「戦後政治の実像」p129−136「縄と糸の取引」』(http://d.hatena.ne.jp/bogus-simotukare/20101029/1288303436
 『社会党が衰退したわけ(五十嵐仁「政党政治労働組合運動」(御茶の水書房)から)』(http://d.hatena.ne.jp/bogus-simotukare/20091227/1260000031
 『保守政治家と女性問題』(http://d.hatena.ne.jp/bogus-simotukare/20091225/1260000032
 『天皇と保守政治(内奏)』(http://d.hatena.ne.jp/bogus-simotukare/20091217/1260000031
 『政権交代と料亭の衰退?』(http://d.hatena.ne.jp/bogus-simotukare/20090921/1252100456

 なお、五十嵐『戦後政治の実像』は五十嵐本人も著書内で認めているが「日本政治の右傾化は戦前の右翼主義を清算できなかったところにある」と言う問題意識から書かれている(なお出版当時は第一次安倍内閣)。そのため、「岸、中曽根に代表される自民党タカ派政治家」にかなりスポットが当たっている。裏返せば三木武夫のような自民党ハト派政治家にはあまりスポットが当たってないと言うことであり、そこは注意する必要があるだろう。
 また、以下の戦後史をとりあげた著作を是非多くの人に読んで欲しいと思う。
法政大学大原社会問題研究所「証言・占領期の左翼メディア」(2005年3月刊行、御茶ノ水書房)(俺の感想については、http://d.hatena.ne.jp/bogus-simotukare/20091219/1260000031参照)
「「戦後革新勢力」の奔流:占領後期政治・社会運動史論1948-1950」(大月書店)」(俺の感想については、http://d.hatena.ne.jp/bogus-simotukare/20110331/5214378609http://d.hatena.ne.jp/bogus-simotukare/20120720/5210278609参照)
 なお、きまぐれな日々『安倍晋三「長期政権」の悪寒/左派内から崩れる「護憲論」』(http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-1272.html)の気になった点にいくつかコメント。

日本国憲法を「押しつけ憲法論」で簡単に片付けてしまっていることだ。

この辺り、ある程度、憲法史に理解のある人なら、
1)マッカーサー草案は民間の憲法試案(憲法研究会案、高野岩三郎案)を参考にしていること
2)草案には国会の審議、日本政府や極東委員会の要求などによってさまざまな重大な修正が加わったこと、を知っているだろう。単に米国が作成したまんまではない。この辺りは、定評のある本、たとえば古関彰一『新憲法の誕生』(1995年、中公文庫、後に加筆修正の上『日本国憲法の誕生』(2009年、岩波現代文庫))などを読めばよろしかろう(俺個人は読んでないんだけど)。 

奇想天外なのは、60年安保闘争全学連アメリカの意を受けた財界から資金提供を受けていたという孫崎の陰謀論だ。

 一応お断りしておくと財界からもらってたかどうかは知らないが、当時の全学連が反共右翼・田中清玄から金をもらってたことは事実だ。田中の資金提供理由は俺はよく知らないが「敵(岸)の敵は味方」ということだろうか。
 孫崎の陰謀論はたぶんそれが元ネタだろう。俺の理解ではそのため既成左翼(特に共産党)から当時の全学連はめちゃくちゃ評判が悪い。そういうことにid:kojitaken氏が全く触れないのはどうかと思う。大体安保闘争は当時の全学連「だけ」が運動してたわけではなく「既成左翼(社会党共産党、総評など)」や「リベラル保守丸山真男など)」も運動してたので全学連をdisる孫崎の行為は安保闘争評価に何の逆転ももたらさないし、むしろ全学連に批判的な党派からすれば「全学連安保闘争の全て」として孫崎が全学連以外を無視しない限り、「勝手にどうぞ」だろう。

島成郎(ウィキペ「島成郎」参照)
 安保闘争当時の全学連書記長。のち田中清玄からの資金供与をマスコミ報道され、共産党をはじめ内外から強い批判をうけ、運動の前線からは撤退を余儀なくされる。1964年、東京大学医学部卒。闘争終息後は地域医療に尽力。北海道鶴居村養生邑病院名誉院長、北海道苫小牧植苗病院副院長、沖縄本部記念病院医療顧問、同病院やんばる所長を歴任。
■田中清玄との関係
 右翼活動家田中清玄が1960年(昭和35年)『文藝春秋』1月号に「武装テロと母:全学連指導者諸君に訴える」という文章を発表した。このなかで田中は全学連安保闘争に共感を示しつつ、その限界を批判した。これを読んだ島が田中からの資金カンパを思いついて田中を訪れ、田中はこれに応じた。唐牛健太郎(当時の全学連委員長)はのちに田中の企業に就職する。1963年、TBSラジオが『ゆがんだ青春/全学連闘士のその後』(吉永春子)を放送し、島や唐牛ら全学連が田中から資金援助をうけていたことが報じられる。日本共産党は『赤旗』で「右翼・田中と結びついていた」として全学連を連日批判した。また、島は田中を通じて山口組三代組長・田岡一雄からも、資金援助をうけたという。