新刊紹介:「歴史評論」10月号(追記・訂正あり)

 「歴史評論」10月号(特集/鎌倉時代をどうとらえるか)の全体の内容については「歴史科学協議会」のサイトを参照ください。
http://wwwsoc.nii.ac.jp/rekihyo/

 以下は私が読んで面白いと思った部分のみ紹介します。(詳しくは10月号を読んでください)*1

■「鎌倉時代の朝廷制度史研究」(遠藤珠紀)
(内容要約)
・主として、鎌倉時代の朝廷制度史研究に大きな影響を与えた佐藤進一の官司請負制論とそれに対する批判意見を紹介。


■「『式目四二条』を読み直す―中世百姓論の深化のために―」(木村茂光)
(内容要約)
御成敗式目四二条についての木村氏の解釈が示される。
・四二条は「夫が逃散していることを理由に、イエ*2及びイエ内部の妻の権限(木村氏の言う権限とは財産管理権ということだろうか?)への領主の介入は認めない」と言う趣旨と理解すべきである。
・したがって、四二条から「中世百姓の移動の自由」や「土地緊縛の有無」を論じることは出来ない(そうした説は適切でない)。
(以前、購入した安良城盛昭「天皇天皇制・百姓・沖縄」(1989年、吉川弘文館)にも式目四二条解釈の問題が出てくるが、当時の通説(と安良城氏が考えるもの)に安良城氏が強い疑問を感じていることは分かったものの、結論も、結論に至る論理も難しすぎて、さっぱり意味が分からなかった。今回の木村氏の論文は結論は分かった(といっても、木村氏がはっきりと結論を書いているから分かったに過ぎないが)のだがそれに至る論理がやはり分からない。なお、安良城「天皇天皇制・百姓・沖縄」は20年前の本なので、当然歴史的限界があるだろうし、難しい部分も多いが、良い本と思うので一読をおすすめしたい。最近、塚田孝氏の解題がついた復刻版が出たようなのでそれを読むとよろしいだろう。「魚と肉とどちらが美味しいか」(ちなみに安良城氏は魚派)などの肩のこらないエッセーもあるし、ユーモラスな文章も多い。いくつかユーモラスな文章を上げると

「体調が十分でないからといって、長生きする為に研究をさし控え抑制する気持ちもサラサラない。(中略)研究の第一線でドンパチやって『名誉の戦死』を遂げることを以て本望としているからである。
 唯物論者である私は、死後とても天国にはゆけなくて地獄におちるであろう。そのことも楽しみである。地獄にいって革命をおこしてエンマ大王を追放し、同じように地獄におちているであろうマルクス・エンゲルスレーニン毛沢東マルクス主義社会主義について立ちいった議論ができると期待するからである。死もまた楽し、と私が考えている所以である。もちろん、唯物論者としてあの世に天国も地獄もありえないと内心では確信しているのだが。」(459頁、あとがき)

「単身赴任の私にとって、ビールを飲み食事をとって疲れを休めるとともに、研究の構想を練る場が必要不可欠なのであるが、そのような場を快く提供して下さっている次のお店に、この場所をかりてお礼を申しのべておきたい。(注:以下、店の名前が出てくるが省略。なお、この時安良城氏は大阪府立大学教授だったため、店は全て大阪の店である。安良城本を読んで、名が上がっている店が今もあるかどうか調べるのも面白いと思う。)」(460頁、あとがき)

などがある。*3
 ちなみに、この本で安良城氏は、網野善彦氏の「無縁・公界・楽」(平凡社)をかなり酷評しているが、どうなのだろう?(安良城批判は私が未だに網野本を一冊も読んでいない理由の一つである。*4最大の理由は「文章が肌に合わないこと」だが。)

【追記】
『日本歴史』2013年9月号の特集は

http://www.yoshikawa-k.co.jp/news/n3306.html
【座談会 日本史の論点・争点】
御成敗式目四二条論…黒田弘子*5・鈴木哲雄*6・峰岸純夫*7
               司会 遠藤基郎*8・清水克行*9

であるので後できちんと読んでみたいと思う。


■「鎌倉幕府の戦死者顕彰―佐奈田義忠顕彰の政治的意味―」(田辺旬)
(内容要約)
・佐奈田(真田)義忠は源頼朝が挙兵した石橋山合戦において戦死した武将である。(頼朝自身も大敗を喫した)
・頼朝は、義忠追善のために鎌倉郊外の山中に証菩提寺を建立するなど、義忠の顕彰に努めた。
・なお、石橋山合戦で戦死した武将は義忠だけではないのに義忠がことさらに顕彰された理由は彼が石橋山合戦で先陣をつとめたからだろう。
・頼朝死後も義忠顕彰は続いた。これは北条氏が石橋山合戦時から頼朝側についていたからで、石橋山合戦の戦死者・義忠を顕彰することで北条氏は自らの政権の正当化を図ったと見られる。*10*11


■コラム・歴史のひろば「ケルン市歴史文書館の倒壊とその後」(平松英人・井上周平)
(内容要約)
・今年三月、ドイツ・ケルン市の歴史文書館が崩壊し、二名の死者が出るという惨事があった。
・この事故の直接の原因は、文書館近くで行われた地下鉄工事と思われる。この事故は防げた事故であり人災と批判せざるを得ない。*12
・早急な文書館の復旧が求められる。(なお、これを機に様々な復旧案が出されているそうだが上手くまとまらなかったので知りたい方は今月号をお読みください)


■コラム・文化の窓「歴史学サブカルチャー7:おもちゃ箱のなかの戦争」(北條勝貴)
 これについては文章を引用しコメント。

「東京お台場に実物大のガンダム像が立った。(中略)ファースト・ガンダムの本放送(1979〜1980年)を観ていた世代としては(中略)特別な感慨がある。聞くところによると、来場者数は(中略)公開からわずか10日にして70万人を超えたという」

・ちなみに、ウィキペディアによれば、テレ朝版「ドラえもん」がスタートしたのも、この年。私にはテレ朝版「ドラえもん」の方がファースト・ガンダム(こちらも奇しくも放送はテレ朝)よりかなり古いイメージがあったのだが、そうではないのだ。
ウィキペディアを見れば分かるが、この前に日テレ版「ドラえもん」があるが、短期で打ち切られており、マニアぐらいしか知らないようだ。なお、ドラえもんの連載自体は1970年スタート)
・しかし大人気だな、ガンダム。(とはいえ見に行った人間の多くにどれほどガンダムの知識があるかは疑問だが)

「『こ、これが連邦軍モビルスーツの威力なのか』と、デニム曹長も呆然としていることだろう」

・そこでオヤジギャグかよ(笑い)

ガンダムといえば、バンダイ社の発売したプラモデルを思い出す人も多いだろう。(中略)子供たちは架空の戦争を玩具にし、(中略)兵器の模型を作り続けてきたのだ。しかし実はガンダム以前の児童向け商品市場の方が、よりリアルな戦争に激しく侵蝕されていた。ガンプラが現れる前にプラモデル市場の主流を占めていたのは、田宮模型の販売する戦車や装甲車(中略)などで、(中略)海外メーカーの類似商品も広く流通していた。(中略)当時の教育界は、今よりずっと日教組が勢力を保っていたはずだし(中略)ベトナム戦争も記憶に新しく、兵器等に対する一般のアレルギーは非常に強かったと思われる。しかし不思議なことに私は(中略)親にも教師にもほとんど注意された記憶がない。」

 うーん、どうなんでしょうね。「戦争と日本戦後サブカルチャーとの関係」を取り上げた何かいい本を読めば、そのあたりの事情が分かるのかもしれませんね。
なお、今は「海外に自衛隊が出兵する時代」であり、こういう「戦争玩具」(?)に対する注意もない上に、過去の戦争の記憶が日本社会から風化してはいないかという危惧が私にはある。従軍慰安婦問題の問題化*13など最近、注目すべき動きもあるので、単純に昔は戦争被害経験者が多くおり、そのため、平和主義も強固だった云々とは言えないだろうが。


■科学運動通信「百舌鳥御廟山古墳大阪府堺市)の『限定公開』参加記」(森岡秀人・白谷朋世)
(内容要約)
・「百舌鳥御廟山古墳」は宮内庁により、応神天皇初葬地、または仁徳天皇后妃の陵に比定され、陵墓参考地に指定されているため、研究者の立ち入りは困難な状況にある。*14
・平成20年度、宮内庁の、古墳崩落予防工事の事前調査に伴い、研究者への限定公開が行われた。
・ただし限定公開であり、充分満足できるものではなかった。現状の陵墓の扱いは明らかに問題である。


■「自著『歴史と歴史教育の構図』のための弁明」(今野日出晴)
 本誌2009年4月号に掲載された、宮原武夫氏による『歴史と歴史教育の構図』(東京大学出版会)の書評に納得がいかない著者・今野氏の反論文。

【12/31追記】
なお、コラム・歴史のひろば「ケルン市歴史文書館の倒壊とその後」の内容要約の脚注で「文化に無関心なのは日本人に限らないと言うことか?。」と書いたが、念頭に置いていたものの一つは、橋下が閉館に追いやろうとした(そして残念ながら閉館になった)児童文学館のことである。
 例えば「宮本大人のミヤモメモ:大阪府立国際児童文学館の閉館にあたって。」(http://d.hatena.ne.jp/hrhtm1970/20091229/1262063514)参照。

 宮本氏は「府民の無関心が悔しい(しかし、府民を一方的に非難したくはない)」「もっと出来ることがあったのではないか(今後の反省材料にしたい)」と言う趣旨の謙虚な事を言ってらっしゃるが、部外者の私ですらヒドイ話だと思う。こういう無法がまかり通るってのはやっぱり悔しいよなあ。日本人の民度は低すぎると思う。
(もちろん全てが終わったわけではなく、今後もベターを尽くすべきだし、尽くしてほしいと思うが)

【2/28追記】
 科学運動通信「百舌鳥御廟山古墳大阪府堺市)の『限定公開』参加記」の内容要約で触れた宮内庁の態度に関して。これについては「俺の邪悪なメモ:宮内庁共産党の国会漫才(あるいは宮内庁反知性主義について)」(http://d.hatena.ne.jp/tsumiyama/20100115/p1)が面白い指摘をしている。

*1:率直に言って今月号の論文はある程度、鎌倉時代の基礎知識がないと理解するのが難しいようでほとんど取り上げてないです。

*2:なぜ「イエ」がカタカナなのか、残念ながらよく分からない。

*3:安良城氏がマルクス主義歴史家であることは明らかだが、私の持っている中村政則明治維新と戦後改革」(校倉書房)によれば、いわゆる講座派系統の方のようだ。なお、中村本では講座派系統の歴史家として他に、山田盛太郎、服部之総遠山茂樹が取り上げられている。

*4:安良城氏以外にも私の持っている本では、永原慶二「20世紀日本の歴史学」(吉川弘文館)225〜231頁や保立道久「歴史学をみつめ直す」(校倉書房)117〜133頁はかなり網野氏に批判的だと思う。

*5:著書『女性からみた中世社会と法』(2002年、校倉書房

*6:著書『平将門と東国武士団』(2012年、吉川弘文館

*7:著書『新田義貞』(2005年、吉川弘文館人物叢書)、『足利尊氏と直義:京の夢、鎌倉の夢』(2009年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)

*8:著書『後白河上皇:中世を招いた奇妙な「暗主」』(2011年、日本史リブレット人)

*9:著書『喧嘩両成敗の誕生』(2006年、講談社選書メチエ)、『大飢饉、室町社会を襲う!』(2008年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、『日本神判史』(2010年、中公新書

*10:石橋山合戦時には後に御家人として、頼朝に臣従する武将たち(梶原景時熊谷直実畠山重忠など)も多くは平家方で頼朝方は少なかった。

*11:「戦死者追悼=自己の政治イデオロギー正当化」とはまるで靖国だな、と思った。

*12:文化に無関心なのは日本人に限らないと言うことか?。なお、この論文には被害者遺族に対する補償等については文章の性格から残念ながら記述がない。

*13:従軍慰安婦は軍関係者なら知っていたのだろうが、「それが広く知られるようになった」「研究が進んだ」「それに対抗して歴史修正主義者のデマが流れるようになった」のは1990年代以降だろう。

*14:一般の古墳は文化庁管轄なので調査は割と容易なようなのだが。しかも比定が(研究の進んでいなかった)昔行われた、そのままらしいから、なおさら問題である(宮内庁管轄のものが皇族の陵墓でなかったり、逆に文化庁管轄のものが皇族の陵墓だったりする疑いがある。)