私が今までに読んだ本の紹介(落語編)

・以前、五代目柳家つばめ氏の著書を紹介したが他にも落語家の書いた本を持っているので紹介。落語にそれほどの興味はないのだが、やはり話芸のプロの書いた本というのはそれなりに面白い。

(1)鈴々舎馬風「会長への道」(小学館文庫)
(2)金原亭伯楽「小説・落語協団騒動記」(本阿弥書店
(3)三遊亭円丈「御乱心:落語協会分裂と、円生とその弟子たち」(主婦の友社)←これだけは古本屋で購入

 (1)は現.落語協会会長の著者が入門してから現在に至るまでを書いた物。著者は真打ちになるまではなかなか落語家としての仕事がなく、キャバレーの司会など、来る仕事は何でもしたそうで芸の世界は本当に大変だ、と強く思った。
 なお、題名は著者の新作落語による。別に著者が本当に会長になったからではないと思う。
 (2)、(3)は昭和53年に起こった落語協会分裂騒動について書いた物。(ただし(2)には円生の女好き、志ん生の酒好きをネタにした話や、安藤鶴夫三遊亭金馬を俗すぎるとしてあまり評価してなかったらしい話も出てくる。安藤鶴夫が一番評価していた、というか好感を持っていたのは、一般的には桂三木助だと言われる)
 落語協会分裂騒動とは、当時の会長・柳家小さんの協会運営(主としていわゆる大量真打問題)*1に不満を抱いた三遊亭円生落語協会を脱退し新協会(落語三遊協会)をつくろうとするが、失敗したという話である。失敗した最大の理由は(2)、(3)によれば当時、落語界で絶大な権威があったと言われる北村銀太郎(新宿末広亭席亭)が分裂に否定的だったからだと言う。落語協会も、落語芸術協会も分裂には否定的だったため、当初は分裂を支持するとしていた上野鈴本演芸場の席亭が「衆寡敵せず」と円生たちとの約束を反故にしてしまう。寄席がないのでは、新協会はやっていけないと円生一門以外は頭を下げて落語協会に戻るが、円生は戻ろうとはしなかった。円生死後、円楽一門以外の弟子たちは、頭を下げ落語協会に戻るが円楽は戻らず、円楽党を結成する。

 ちなみに、当時の分裂劇の主要登場人物を紹介すると

(協会側)
柳家小さん:当時、落語協会会長。

そのほかに、金原亭馬生林家正蔵林家三平三遊亭円歌三遊亭金馬など。なお、三平は橘家円蔵の弟子なのだが、円生が三平の漫談調の落語を全く評価していないこともあり、新協会には当初から参加しなかった。((2)、(3)によれば円生は極端な古典落語至上主義者だったようだ)

(新協会側)
三遊亭円生落語三遊協会会長。三遊亭一門の長。分裂劇の主役。
三遊亭円楽:円生の一番弟子。談志とともに円生に新協会設立をそそのかす。
立川談志柳家小さんの弟子であるにも関わらず師匠を裏切ろうとした男。新協会の成功の見通しがないことから、言い出しっぺであるにも関わらず円生たちを見捨て、一人落語協会に逃げ帰る。結局、最後には落語協会を出て行き立川流を起こすのだが。
古今亭志ん朝古今亭志ん生の次男、金原亭馬生の弟。
 そのほかに、橘家円蔵月の家円鏡など。

 (2)の著者は金原亭馬生の一番弟子。馬生の弟子なので分裂には否定的だが、馬生の弟子と言うこともあって、古今亭志ん朝に対しては好意的である。
 (3)の著者は、円生の弟子で新作落語の草分けとして知られる。分裂には最初から乗り気でなかったため、分裂劇を画策した上、失敗に終わらせた人々への恨み辛みがかなりきつい。なお、円生は円楽など、一部の弟子にしか計画を話していなかったため、弟子のうち、三遊亭さん生(小さん門下となり、川柳川柳と改名)、三遊亭好生正蔵門下となり春風亭一柳と改名)は腹を立て、新協会には当初から参加せず一門を出て行ってしまう。
 (2)も(3)も分裂劇を画策したにも関わらず、途中で円生たちを見捨てて落語協会に逃げ帰った立川談志に対しては糞味噌である。これを読む限り芸はともかく、談志のような人とはつきあいたくないと思う。
(なお、(1)の著者は談志の弟弟子なのであまり談志を悪く言ってはいない。しかしさすがに、協会幹部と言う立場もあって分裂劇を支持してはいない。また、「寄席に戻りたい」と談志一門を抜けた談志の元弟子(鈴々舎馬桜喜久亭寿楽の二人)を鈴々舎一門に引き取っているので談志との関係は複雑なものがあるようだ。)

【5/31追記】
このエントリを書いた時点で馬風氏が会長だが、退任し、後任は弟弟子の柳家小三治氏が就任することが決まったという。

*1:(1)〜(3)によれば、志ん朝は大量真打ちに反対の立場だったが、談志はむしろ賛成の立場だったという。したがって、談志が師匠・小さんを裏切ってまで円生と手を組もうとするのは本来おかしい。(2)、(3)は自分が新協会でお山の大将になりたかったからではないかと酷評している。