元ネタはid:kojitaken氏のこれ
→http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20091227/1261858149
共産党は別の意味で余り接触のない党であった。というより、接触できない党であった。「商業新聞」には文字通り堅く門戸を閉ざしていたのである。東京・代々木の党本部へ入ろうにも入り口でチェックされ、事前の約束がなければ誰とも会えなかった。記者会見、発表などは選挙のときの公認候補発表くらいなもので、その時ばかりは本部の中に入れてもらえた。新聞などというものは、党の都合のいいときだけ利用するものであって、ふだんは敵であるといわんばかりであった。(石川真澄『人物戦後政治・私の出会った政治家たち』177-178頁)
いや、だって、日本のマスコミってあることないこと書く反共系、野党差別系(与党べったり系)が多いジャン(自民政権時代の産経や読売がその典型だが。今の産経や読売のスタンスはよく分からん)。自分たちには非がないんですかと石川を小一時間(以下略)。
それと暴力右翼によるテロの危険防止ってのもあるんじゃないのと思う。思いつきで根拠がある訳じゃないけど(追記:なお、【1/1追記】で紹介している「駄弁」のブログ主も「暴力右翼」の存在という私と同様の指摘をしている)。
ところで、左翼政党に対する評価だが、私は政治は結果がすべてであって、いくら正しいことを言っても、それを現実に反映できない政党や政治家は無価値だと思う。
この理屈だと、(極論すると)「協会派に負けた江田三郎は無能」「なぜ党内で多数派を形成できなかった」「党出ても社民連は社会党どころか他の政党(公明、民社、共産)にも議席数や得票数で負けてるジャン、社会の役に立ってるのかよ、超無能(笑い)」と言うことにしかならない気がするのだが、元・社民連支持者としてそれでよろしいのだろうか?。
それとも「江田を追放した協会派が悪い」「党を出た江田を支持しなかった国民が悪い」と言うのだろうか?。でも、それ言ったらダブスタになるよなあ。
いずれにせよ、随分と社民連と江田に甘いなあ、惚れた弱みって奴ですか。
私も共産支持者として、自分が共産に甘い方だと我ながら思う(さすがに弁解不可能な明らかな不正や失策まで正当化する気はないが)ので、その気持ちは分からんでもないんですがね・・・。
ちなみにウィキペディア「江田三郎」にはこんな事が書かれている。
左派社会党時代、左派社会党の日刊機関紙として「社会タイムス」*1を創刊し、自ら社会タイムス社の専務として経営に参画するが、経営陣がそろって経営の素人だったうえに販売代金の回収がきちんとおこなわれなかったことから、たちまち経営難に陥り、社会タイムス社は倒産した。このとき、社会タイムス社の経営に引き入れた和田博雄*2が会社の借金の一部を背負う形となり、その後の和田との確執の原因になったと言われている。(社会タイムス社の借金は総評が返したとして、このエピソードを疑問視する見方もある。詳細は社会タイムスの項目を参照のこと)
(中略)
河上派・和田派と構造改革派を形成しながら、佐々木派との権力闘争を戦っていくが、1963年総選挙の際に江田が衆議院議員に転じようとした際、和田と同じ選挙区(旧岡山1区)から出馬しようとしたことから、和田の怒りを買い、和田派との連携はうまくいかなかった(結局、江田は旧岡山2区から出馬した)。
協会派や佐々木派との関係では味方のはずの和田を敵に回すなんて、江田はドンだけ政治が下手なんだか?(和田にも問題があるのかもしれないが)
実際には共産党の政治家や活動家たちは現実の改善に寄与していると思うが
そうですね。国会での鈴木宗男疑惑の追及、教育基本法やらせTMの追及、事務所費疑惑の追及、JC(日本青年会議所)の歴史修正主義DVDが教育現場へ持ち込まれていることの追及、赤旗での「安倍・統一協会祝電問題」や「自衛隊の市民団体に対するスパイ疑惑」の暴露、それからえーと(以下略)。
共産党支持者の中には、現実の改善に何の貢献もしていないのに自分だけが偉いと思っている人間がかなりいるのではないか。彼らの主張は、現実の「経世済民」に何も寄与していないではないか。多数派を形成する努力を最初からしないでどうする。そう私は言いたい。
そう言う人間は共産支持者に限らず他党の支持者でもいくらでもいるのでは?(一応、共産支持者の私もその一人かな?。「自分だけが偉い」とは思ってないが、特に「多数派を形成する努力」などしていないので)
何故共産だけやり玉に挙げるのかさっぱり分からない。
【1/1追記】
id:kojitaken氏のこの文章に突っ込みを入れている文章を見つけたので紹介。なお、このブログ主(党員さんらしい)は私(党外の一共産シンパ。別に活動しているわけではない)に比べたら共産には厳しいと思う。
「駄弁:結果を出さない政治家は」http://d.hatena.ne.jp/s_kotake/20091231/p1
経団連会館(という名前だったと思う)だって入り口でチェックされます。事前の約束がなければ会うことが難しいのは民間人だってそうではないかと私は思います。
ですよね。
結果を出すことだけを評価するのであれば、政治家の側も政策について「実現できる政策」だけを実施してくるでしょう。
それで何か物事が庶民目線でよいほうに変わるだろうと期待するのは、私は無理だと思いますが。
ですよね。
多分、憲法改正は避けられない事態になるでしょう。共産党は、そのときも努力はするが恐らく改正を押しとどめることはできないと思います。
相手は自民・民主の大連立政権であること(私注:ブログ主は改憲については事実上の大連立と見なしているのだろう)、国民投票法自体がどちらかといえば改正に有利であることが理由になります。
ただ、そうなってしまっても、再び憲法復帰に向けて活動を再開するのみであると私は思います。
この場合、憲法改正に際して護憲派は結果が出せないためにすでに存在意義がないことになりますが、しかし運動の方針としてその旗を掲げる政党の存在価値を否定してしまっては、恐らく現在の憲法を維持することそのものが不可能であると、私は思います。
随分と悲観的な見方(まあ、左派の反対も空しく、自衛隊は海外に出ているし、教育基本法も「改正」されたからな。鳩山首相も小沢幹事長も改憲派だし←自虐)。この悲観的な見方の是非はともかく、「再び憲法復帰に向けて活動を再開するのみ」「その旗を掲げる政党の存在価値を否定してしまっては、恐らく現在の憲法を維持することそのものが不可能である」と言うのは全く同感。