【産経抄】8月6日

英訳文では「過ちは繰返しませぬ」の部分の主語は、「We」となっている。米軍による原爆投下という「過ち」の責めを、どうして日本を含めた「われわれ」が負うのか。

 これについては、id:agricola氏が

本気で分からないなら学歴詐称を疑っていいレベルで日本語の読解力がお粗末。自分たちを含む全人類が新たな被爆者を生み出すことを許さない決意表明だからだろjk

と言うブクマをつけています。全く同感。またウィキペディア原爆死没者慰霊碑」などにもid:agricola氏の主張と同様のことが、次のように書いてあります。ウィキペディアで得られる程度の知識は調べて欲しいものです。プロの新聞記者なんですから。それとも調べた癖に書かなかったのでしょうか?

ウィキペディア原爆死没者慰霊碑」より一部引用
 この「『過ち』は誰が犯したものであるか」については、建立以前から議論があった。1952年8月2日、広島市議会において当時の浜井市長は「原爆慰霊碑文の『過ち』とは戦争という人類の破滅と文明の破壊を意味している」と答弁している。同年8月10日の中国新聞には「碑文は原爆投下の責任を明確にしていない」「原爆を投下したのは米国であるから、過ちは繰返させませんからとすべきだ」との投書が掲載された。これにはすぐに複数の反論の投書があり、「広く人類全体の誓い」であるとの意見が寄せられた。浜井市長も「誰のせいでこうなったかの詮索ではなく、こんなひどいことは人間の世界にふたたびあってはならない」と、主語は人類全体とする現在の広島市の見解に通じる主張がなされている。
 インド人法学者のラダ・ビノード・パール(極東国際軍事裁判の判事)は、同年11月3日から4日間、講演のため広島を訪問した。
 (中略)
 慰霊碑を訪れた際、献花と黙祷の後に、通訳を介して碑文の内容を聞くと「原爆を落としたのは日本人ではない。落としたアメリカ人の手は、まだ清められていない」と、日本人が日本人に謝罪していると解釈し非難した。
 これを聞いた雑賀は、同年11月10日パールに「広島市民であると共に世界市民であるわれわれが、過ちを繰返さないと誓う。これは全人類の過去、現在、未来に通ずる広島市民の感情であり良心の叫びである。『原爆投下は広島市民の過ちではない』とは世界市民に通じない言葉だ。そんなせせこましい立場に立つ時は過ちを繰返さぬことは不可能になり、霊前でものをいう資格はない。」との抗議文を送った。
 なお雑賀による碑文の英訳は「Let all the souls here rest in peace ; For we shall not repeat the evil」で、主語は“We”(われわれは)、これは「広島市民」であると同時に「全ての人々」(世界市民である人類全体)を意味すると、雑賀が1952年11月に広島大学教養部での講義などで述べている。
 1970年2月11日には、「碑文は犠牲者の霊を冒涜している」と主張する「原爆慰霊碑を正す会」(岩田幸雄会長、児玉誉士夫顧問、荒木武相談役)なる市民グループによって碑文の抹消・改正を要求する運動が盛り上がった事があった。また、この運動を軍国主義的・民族主義的主張であると反発する市民グループが対抗して「碑文を守る会」を結成し、激しい論戦が繰り広げられた。この運動に対して、当時の市長山田節男は「再びヒロシマを繰返すなという悲願は人類のものである。主語は『世界人類』であり、碑文は人類全体に対する警告・戒めである」という見解を示した。この見解が出されて以降、碑文の意図するところは、「日本」「アメリカ」といった特定の国の枠を超えて、全ての人間が再び核戦争をしないことを誓うためのものである、とする解釈が(広島市の?)公式見解となった。
 また、1983年には、慰霊碑に主語としてトルーマン(原爆投下時のアメリカ大統領)と記された札が貼り付けられる事件が発生、これを受けて広島市は、浜井市長の答弁を基にした説明版(日本語と英語で表記)を慰霊碑西側の池の中に設置した。説明板では「碑文はすべての人びとが、原爆犠牲者の冥福を祈り、戦争という過ちを再び繰り返さないことを誓う言葉である。」とあり、犠牲者への冥福と不戦の誓いの言葉であると解説されている。


(注)産経新聞は、2005年の原爆慰霊碑破損事件を受けた広島市長平和宣言で碑文の文言が触れられた事に対し、パール判事の言葉を引用し「(すべて日本が悪かったと)謝罪の呪縛にとらわれているとすれば残念である」と、碑文を自虐史観に基づくと批判している(2005年8月7日付社説『主張』)。また、2007年に久間章生防衛大臣(当時)の「原爆投下はしようがない」発言が問題となった際にも、原爆慰霊碑の碑文が「素直に読めば、原爆投下は、日本人に責任があるということになる」と批判した(2007年7月2日付コラム『産経抄』)。

 何だよ、前も同じこと言ってるのか、抄子は。だったら、こういう事情は知ってるはず。わざとらしくとぼけるなよ(苦笑)。
 ちなみに「荒木武相談役」は後に広島市長になり、浜井市長や山田市長の見解を引き継ぐ羽目になる。首相就任前は撤回を唱えながら就任後は、河野談話継承を約束せざるを得なかった安倍さんみたい。安倍さんと違って4期16年の長期政権だったようだが(苦笑)

ウィキペディア「原爆慰霊碑破損事件」より一部引用
 被疑者は広島市西区右翼団体「誠臣塾」(構成員10名)の構成員で安佐南区在住の男性(当時27歳)であった。動機として「過ちを犯したのはアメリカで慰霊碑の『過ち』という文言が気に入らなかった。」と供述した。
 この行為に対し、秋葉忠利広島市長は「悪質極まりない犯罪で、ヒロシマの心や世界の平和を求める人々の心を踏みにじる。死没者の御霊を冒涜するものでもあり、強い憤りを覚える」と批判した。
 なお被疑者が所属していた右翼団体は(注:事件への関与を否定し、処罰も受けなかったが)現在も構成員の行為を正当なものであるとの見解を示している。
 2004年6月に広島県安芸高田市で発生した、公共工事に介入しようとした右翼団体による行政対象暴力に対する対策として、広島県は11月に「県拡声器による暴騒音の規制に対する条例」(暴騒音防止条例)の罰則を厳罰化し、右翼団体の活動の取り締まりを強化した。このように包囲網が強まる中で、過激な行動で存在を誇示しようとした疑いもあると(注:広島県警は)見ている。
 犯人が「碑文の文言を変えなければ慰霊碑の弁償に応じない」と主張していたため、広島地検は自らの主義主張を通すために被爆地のシンボルを壊した動機を重視し、反省の様子もないとして器物損壊罪では異例の起訴を行った。2005年10月26日、広島地方裁判所にて懲役2年8ヶ月(求刑懲役3年)の実刑判決。被告が控訴しなかったため確定した。
 なお広島市は従来から、慰霊碑の「主語は『世界人類』であり、碑文は人類全体に対する警告・戒めである」(1970年、山田節男市長)とする見解を公式に示している。「碑文を改めるべき」とする意見に対して、「過ち」とは「一個人や一国の行為を指すものではなく、人類全体が犯した戦争や核兵器使用」とし、碑文の修正は全く考えていないとしている。

 「公共工事に介入しようとした行政対象暴力
 要するにゆすりたかりなんでしょうね。これだから右翼は暴力団と同じとか言われるんですよ。
 広島県警の見方が正しければ、この右翼構成員にとって「慰霊碑でなくても、広島県への嫌がらせになる行為なら何でも良いが、カッコつけのために政治的な理由で慰霊碑を壊したと言った」ことになるんですが果たしてどうでしょう?

 昭和27年の碑の建立以来、「やりきれぬ憤懣」を抱いてきた日本人の一人に、俳人飯田龍太がいる。雑賀の個人的な思いから生まれた碑文を受け入れること自体、「慰霊にそむくのではなかったか」という(『紺の記憶』)。

 これだけでは飯田氏の価値観がよく分かりませんので判断保留。
 とはいえ、「雑賀の個人的な思いから生まれた碑文」てのはひどすぎでしょう。碑文の案文を考えたのは雑賀氏でも彼が個人的にたてた慰霊碑ではなく、市議会の同意を得て市が自分の費用でたてた公的な慰霊碑なのですから。

 とはいえ平和宣言で、「(米国の)核の傘からの離脱」や「非核三原則の法制化」を日本政府に求めるのは、とうてい容認できない。

 何故?
 「核の被害をなくすこと」と「核の傘からの離脱」「非核三原則の法制化」は矛盾などしません。それとも、産経にとって「核戦争の被害がまた起きてもかまわない」「原爆死没者慰霊と核兵器廃絶は別の話」なのでしょうか?
 しかも非核三原則は歴代内閣が「国是」として代々堅持するとの立場を引き継いでおり、法制化することに何の問題があるのでしょうか?(最初は間違って非核三原則閣議決定と書いてしまったのですが、案を提出したのは自民党ですが、国会議決でした、済みません。)
 ちなみに菅首相は産経と同様の不快感を秋葉市長に伝えたようです。菅内閣のどこが左翼なんでしょうか、産経さん?

飯田がいうように、原爆の日とは本来、被爆の事実を静かに見つめる日であろう。

 は?
 「被爆の事実を静かに見つめる」とはどういう意味ですか?
 また、慰霊の政治利用(私は秋葉氏の行為が政治利用とは思いませんが)はやめろというなら、靖国公式参拝(産経はやれと強く要求していますが)もやめるべきです。
 靖国は明らかに「あの戦争を正義の戦争と顕彰すること」が目的の施設で、千鳥ヶ淵などと違って単なる慰霊施設ではありません。
 産経の態度は単に自分の気にくわないことは「政治利用」と非難する一方、自分の好きなことは「政治利用で何が悪い」というただのご都合主義です。
 ついでに書くと慰霊から政治性を完全に排除することなど無理でしょう。あの戦争をどう評価するかなどと言った問題抜きで慰霊など出来るのでしょうか?

 竹山広は長崎市内の病院で被爆した。今年3月、90歳で亡くなるまで原爆を詠み続けたが、いわゆる主義主張とは無縁だった。

・主義主張と無縁の原爆短歌というのがよく分かりませんが、「主義主張がない、偉い」などと、トンチンカンなほめ方を抄子にされても竹山氏も不愉快でしょう。
 主義主張があるかどうかと芸術の価値は別物です。
 まあ、主義主張があると言う、それだけで、抄子は峠三吉被爆詩人)なんかは評価しないんでしょうが。
・なお、ウィキペディア「竹山広」によれば「2008年には、久間章生の「原爆しょうがない」発言を批判する歌「崩れたる石塀の下五指ひらきゐし少年よ・しやうがないことか」などを収めた第9歌集『眠つてよいか』を発刊」したそうですから、抄子の言う「主義主張とは無縁」と言う主張が正しいかどうかは疑問です。せいぜい、「竹山氏の控えめな性格などから声高に反核を叫ぶことはしなかった」程度の話ではないでしょうか?