今日の中国ニュース(2019年11月27日分)

ローマ教皇フランシスコが手を差し伸べない、1億人の中国人クリスチャン | 楊海英 | コラム | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
 タイトルからしてアンチ中国の「実に楊らしい文章」ですね。
 楊にとっては法王(教皇)の「反核発言」も「袴田事件の袴田氏をミサに招いたこと(明らかに死刑反対のアピール)」もどうでも良かったようです。「法王は中国を全然非難しない」「台湾と断交して中国と国交樹立するかもしれない*1」と悪口する楊です。
 ただし、何も「法王が非難しない」のは中国だけではなく、「反核を訴えてもそれに応じない核五大国(中国以外では米英仏露)や米国の核の傘の下にいて、核兵器廃止条約も批准しない日本など」をくそみそに悪口するようなまねを法王はしていませんが?
 袴田氏をミサに招いても「袴田氏は無実だ、再審無罪を望む」「日本政府は即刻死刑を廃止せよ」とまでは言わないわけで、「なぜ中国非難しない」などと法王に過大な要求をするのは筋違いでしょう。

 私は1985年に1度、そして今春にも再度、長崎・広島を訪問した。どちらの時も施設そのものから深い感動を感じ取ることはできなかった。一瞬にして数十万人もの人の命が奪われた両市の平和関連施設の展示では、日本が起こした戦争の目的*2と世界にもたらした負の影響*3、原爆が投下されるまでの過程に関する説明*4が貧弱だったからだ。
 あたかも日本がずっと平和に暮らしていたところへ、ある日突然原爆が投下されたような錯覚に陥ってしまいそうな展示である。大勢の修学旅行生や市民がいたが、笑い声を発して騒ぐ者も少なくない。世界各地にあるほかの平和関連施設の雰囲気との差を感じざるを得なかった。

 日本ウヨに媚びまくってる楊とは思えない文章ですね(そもそもタイトルの「法王が中国に甘い」云々と何の関係もありませんし)。
 「なぜ広島や長崎に原爆が落とされたのか、それは日本が米国相手に無謀な戦争を起こしたからだ」「米国の行為を免罪はしないが、日本は全くの無実ではない」「そうした日本の戦争犯罪者、戦争加害者としての責任に面と向かわない広島、長崎の原爆展示にどれほどの意味があるのか?」という楊の発言はその通りです。しかし「普段、反中国を理由に、日本の戦争を正当化するウヨ連中と、楊が野合してること」との整合性はどうなってるのか?
 なお、こうした楊のような問題意識から書かれた有名な詩が栗原貞子の「ヒロシマというとき」です。
 しかし「これこそが楊の本心でウヨへのおべっかはセールストーク」なのか、「これは戦前日本に批判的な保守リベラルや左派向けのセールストーク(つまり全ての方面にこびを売ろうとしている)」なのか、知りませんが楊も面白い(?)男です。「楊と同様にウヨに媚びる外人」でも、たとえばペマ・ギャルポからこういう発言は出てこないでしょう。

【参考:栗原貞子

余録:13年前に亡くなった広島の原爆詩人、栗原貞子の作品「ヒロシマというとき」は… - 毎日新聞
 13年前に亡くなった広島の原爆詩人、栗原貞子の作品「ヒロシマというとき」は今こそ多くの人に読んでほしい。「<ヒロシマ>というとき <ああ ヒロシマ>とやさしくこたえてくれるだろうか <ヒロシマ>といえば<パール・ハーバー> <ヒロシマ>といえば<南京虐殺>……」
朝鮮半島が非核化に向かうかどうかの正念場だ。日本も北東アジアの平和を真剣に目指すなら加害の歴史とも向き合わなければならない。それは一部の人*5が言う自虐史観ではない
▲原爆投下で戦争を終わらせることができた。そう考える海外の人に広島、長崎の現実をわがことのように受けとめてもらいたい。栗原の詩はこう終わる。
「<ああ ヒロシマ>とやさしいこたえがかえって来るためには わたしたちは わたしたちの汚れた手を きよめねばならない」

加害と向き合う原爆詩 栗原貞子の作品が再評価:朝日新聞デジタル
 栗原を作詩に向かわせたのは、韓国側の原爆観だった。ある国際会合で韓国代表が「(戦争を終結させた)原爆*6が私たちを解放してくれた」と語ったと知り、「衝撃を感じないではいられなかった」と82年のエッセー「核時代に生きる」に記している。
 原爆文学に詳しい水島裕雅・広島大名誉教授は「原爆の悲惨さを描くだけではなく、70年代において、いち早く加害の問題に取り組んでいた」と先駆性を指摘する。「原爆に対する強い怒りと同時に、日本や自分も突き放して見る詩人の感性が、加害に目を向かわせたのでしょう」とみる。

【参考:終わり】
 なお栗原の詩「ヒロシマというとき」をもじれば、俺にとっては「チベットと言えばオウム麻原や念仏宗無量寿寺からの多額の金銭受領」「チベットと言えばダライ・ラマ櫻井よしことの面会」ですね。まあ他にもいろいろダライ集団の不祥事はあるかと思いますが。
 そう言われたくなかったら、つまり「<ああ チベット>とやさしいこたえがかえって来るためには ダライ集団は ダライ集団の汚れた手を きよめねばならない」つう話です。ダライ集団には何一つ期待していませんし、俺がこうしたダライ一味批判を書いたら逆ギレしたのがid:Mukkeという「ダライ盲従の輩」ですが(おそらくこの点はI濱Y子や阿部治平もid:Mukkeと同じでしょう)。これは何もダライだけではなく楊海英とて同じです。
 楊が世間に共感されたい、支持されたいなら「ウヨと一緒に『五島列島が危ない』などと反中国デマ飛ばして汚れた手を きよめねばならない」つう話です。期待していませんけど。

【参考:ダライの不祥事】

真相:ナチスやオウム真理教とダライとの関係
地下鉄サリン事件の発生後、平和を愛する世界中の人々が怒りの矛先を麻原彰晃オウム真理教に向けていた頃、ダライは共同通信を通じて、「オウム真理教は仏教の教義を広める宗教であり、麻原彰晃は自らの友人である」との意見を発表し、大きな反響を呼んだ。ダライはなぜこのような意見を発表したのか。それは、麻原彰晃という邪教の指導者が実のところダライの「生徒」だったからだ。
・1989年、麻原は10万ドルをダライに寄付し、ダライは証書と推薦状をもってこれに返答した。ダライは東京の関連部門にあてた推薦状の中で、「麻原彰晃は能力のある宗教的指導者であり、オウム真理教大乗仏教を広め公共の善を促す宗教だ」とし、「オウム真理教への免税を許可するべきだ」とまで書いている。オウム真理教はこの証明書と推薦状によって、日本政府が正式に承認する宗教団体となった。その後、大量の資金を蓄積してサリンの研究と生産を行ったのは周知の通りだ。
・ドイツの週刊誌「フォーカス」は、「ダライの支援がなければ、麻原彰晃が自らの宗教帝国を作ることは不可能だった。ただの治療師であり詐欺師でしかなかった麻原が数年の短期間であっという間に大教団の教祖となるのも、ダライの支援がなければこれほど簡単ではなかったはずだ」と指摘している。ダライが麻原をこれほど重用したのは、麻原からの金銭支援をあてにしていたためだけではなく、麻原を通じて日本の仏教を改革したいと考えていたためだ。ダライが麻原と結託したのは、「チベット独立」を支援する弟子たちを日本に増やしたかったからにほかならない。ダライのこの勝手な計算は邪教の崩壊という結果に終わった。

ダライ・ラマを日本に招いた「無量寿寺」って何?(日刊ゲンダイ) 熊野孤道
 インド亡命中のダライ・ラマ14世が、あす3日に来日する。招へいしたのは、高額な入会金などでマスコミにも取り上げられたことのある京都の「無量寿寺」なる新興宗教。「何でまた」と関係者を驚かせている。
 ダライ・ラマ法王日本代表部事務所によると、「今回の来日は無量寿寺の開祖・久世太郎氏の招きによるものです。実効委員会事務局も無量寿寺に置かれ、同寺の広報部長が担当責任者になっています」という。滞在費などの費用はすべて無量寿寺が負担。京都と東京でレセプションを行う予定になっている。
 無量寿寺は、一般にはあまり知られていない。
 「信者の儀式を受けるために、100万円の入会金が必要で、しかも教義は絶対に秘密、たとえ家族でもしゃべったら、無間地獄に落ちると教えています」(元信者)
 「開祖の久世氏は30年ほど前、サイコロを使った予言で金持ちを集めていた。デタラメな鑑定をされ、祈とう料を支払わされた、と被害者同盟が結成され、裁判ざたにもなったことがあります」(前出・元信者)
 無量寿寺は、住民ともトラブルを起こしている。本部を京都・嵐山から岐阜県内に移転させる計画で、67万坪の山林を買収したが、地元住民らの反対運動にあっている。
 オウム真理教麻原彰晃は、かつてダライ・ラマ14世を訪ね、自分の権威づけに利用した。今回の招へいも、「世界的に有名な宗教家を使った教団PRではないか」(関係者)との見方も出ている。

【参考:終わり】

 核の傘に頼りながら、毎年行われてきた広島・長崎の原爆慰霊式典の挨拶で「核廃絶」を世界に訴える日本政府と、原爆の被害者であることばかりを強調する市民――日本政府と日本人の核兵器をめぐる意識はかくも矛盾している。

 ここでの楊の認識「日本人は加害認識が弱すぎる」「米国の核の傘に入りながら、そしてその結果、米国の核保有を容認しながら核廃絶を訴えて何の説得力があるのか。そんな核廃絶はインチキだ」は浅井基文氏や日本共産党など左派に近い認識と言えます。

*1:まあ、その可能性はあるでしょうね。しかし既に台湾と国交のある国がほとんど無いことを考えれば別に不思議な話ではない。

*2:もちろん中国や東南アジアの植民地化です

*3:日本軍の無法な侵略で多くの命が無駄に失われたと言うことです。

*4:「米国を免罪する気は無い」が「日本が無謀な戦争を米国相手に起こさなければ原爆投下はなかった」「せめて日本の敗戦が確実になった時点で昭和天皇が降伏していれば(以下略)」ということですね。

*5:はっきり「極右」と書けない辺り「腰が引けてる」気がしますね。

*6:ただし昭和天皇が降伏を決意したのは原爆よりもむしろソ連の対日参戦というのが通説です(昭和天皇ソ連を仲介役とした和平工作を夢想していた)。