【産経抄】11月29日

「ぼくらの暮しと 企業の利益とが ぶつかったら 企業を倒す ということだ ぼくらの暮しと 政府の考え方が ぶつかったら 政府を倒す ということだ」。雑誌「暮しの手帖」の初代編集長、花森安治は、こう宣言した。

・「暮しの手帖」というと「企業広告がない」とか「商品テスト」とかで有名ですね。最近の若者は知らない人が多いかも知れないが。
 別に企業や政府に限らず「ぼくらの暮らし」と「誰かの利益」がぶつかり、その「誰かの利益」が不当利得なら、合法な形で「倒す」(正確には批判しやめさせる。やめなければペナルティを与える)のは当然です。
・ちなみに花森というとスカート愛用で有名ですが「男は男らしく」と主張する産経のくせに、いいんでしょうか?(毒)
・なお、抄子の引用した文章は正確には次のようなもののようです。産経的立場から見ると、実に「左翼」的だと思いますがいいんですか?。あの戦争に「敗けてよかった」と言ってるんですが?

http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/guest/publication/hanamoriyasuji.html
見よぼくら一銭五厘の旗


美しい夜であった

もう 二度と 誰も あんな夜に会う

ことは ないのではないか

空は よくみがいたガラスのように

透きとおっていた

空気は なにかが焼けているような

香ばしいにおいがしていた

どの家も どの建物も

つけられるだけの電灯をつけていた

それが 焼け跡をとおして

一面にちりばめられていた

昭和20年8月15日

あの夜

もう空襲はなかった

もう戦争は すんだ

まるで うそみたいだった

なんだか ばかみたいだった

へらへらとわらうと 涙がでてきた

 

どの夜も 着のみ着のままで眠った

枕許には 靴と 雑のうと 防空頭巾を

並べておいた

靴は 底がへって 雨がふると水がしみ

こんだが ほかに靴はなかった

雑のうの中には すこしのいり豆と

三角巾とヨードチンキが入っていた

夜が明けると 靴をはいて 雑のうを

肩からかけて 出かけた

そのうち 電車も汽車も 動かなくなっ

何時間も歩いて 職場へいった

そして また何時間も歩いて

家に帰ってきた

家に近づくと くじびきのくじをひらく

ときのように すこし心がさわいだ

召集令状が 来ている

でなければ

その夜 家が空襲で焼ける

どちらでもなく また夜が明けると

また何時間も歩いて 職場へいった

死ぬような気はしなかった

しかし いつまで生きるのか

見当はつかなかった

確実に夜が明け 確実に日が沈んだ

じぶんの生涯のなかで いつか

戦争が終るかもしれない などとは

夢にも考えなかった

 

その戦争が すんだ

戦争がない ということは

それは ほんのちょっとしたことだった

たとえば 夜になると 電灯のスイッチ

をひねる ということだった

たとえば ねるときには ねまきに着か

えて眠るということだった

生きるということは 生きて暮すという

ことは そんなことだったのだ

戦争には敗けた しかし

戦争のないことは すばらしかった

 

軍隊というところは ものごとを

おそろしく はっきりさせるところだ

星一つの二等兵のころ 教育掛りの軍曹

が 突如として どなった

貴様らの代りは 一銭五厘で来る

軍馬は そうはいかんぞ

聞いたとたん あっ気にとられた

しばらくして むらむらと腹が立った

そのころ 葉書は一銭五厘だった

兵隊は 一銭五厘の葉書で いくらでも

召集できる という意味だった

(じっさいには一銭五厘もかからなか

ったが……)

しかし いくら腹が立っても どうする

こともできなかった

そうか ぼくらは一銭五厘

そうだったのか

〈草莽(そうもう)の臣〉

〈陛下の赤子(せきし)〉

〈醜(しこ)の御楯(みたて)〉

つまりは

一銭五厘

ということだったのか

そういえば どなっている軍曹も 一銭

五厘なのだ 一銭五厘が 一銭五厘

どなったり なぐったりしている

もちろん この一銭五厘は この軍曹の

発明ではない

軍隊というところは 北海道の部隊も

鹿児島の部隊も おなじ冗談を おなじ

アクセントで 言い合っているところだ

星二つの一等兵になって前線へ送りださ

れたら 着いたその日に 聞かされたの

が きさまら一銭五厘 だった

陸軍病院へ入ったら こんどは各国おく

になまりの一銭五厘を聞かされた

 

考えてみれば すこしまえまで

貴様ら虫けらめ だった

寄らしむべし知らしむべからず だった

しぼれば しぼるほど出る だった

明治ご一新になって それがそう簡単に

変わるわけはなかった

大正になったからといって それがそう

簡単に変わるわけはなかった

富山の一銭五厘の女房どもが むしろ旗

を立てて 米騒動に火をつけ 神戸の川

崎造船所の一銭五厘が同盟罷業*1をやって

馬に乗った一銭五厘のサーベルに蹴散ら

された

昭和になった

だからといって それがそう簡単に変わ

るわけはないだろう

満洲事変 支那事変*2 大東亜戦争*3

貴様らの代りは 一銭五厘で来るぞ と

どなられながら 一銭五厘は戦場をくた

くたになって歩いた へとへとになって

眠った

一銭五厘は 死んだ

一銭五厘は けがをした 片わになった

一銭五厘を べつの名で言ってみようか<庶民>

ぼくらだ 君らだ

 

あの八月十五日から

数週間 数カ月 数年

ぼくらは いつも腹をへらしながら

栄養失調で 道傍でもどこでも すぐに

しゃがみこみ 坐りこみながら

買い出し列車にぶらさがりながら

頭のほうは まるで熱に浮かされたよう

に 上ずって 昂奮していた

 

戦争は もうすんだのだ

もう ぼくらの生きているあいだには

戦争はないだろう

ぼくらは もう二度と召集されることは

ないだろう

敗けた日本は どうなるのだろう

どうなるのかしらないが

敗けて よかった

あのまま 敗けないで 戦争がつづいて

いたら

ぼくらは 死ぬまで

戦死するか

空襲で焼け死ぬか

飢えて死ぬか

とにかく死ぬまで 貴様らの代りは

一銭五厘でくる とどなられて おどお

どと暮していなければならなかった

敗けてよかった

それとも あれは幻覚だったのか

ぼくらにとって

日本にとって

あれは 幻覚の時代だったのか

あの数週間 あの数カ月 あの数年

おまわりさんは にこにこして ぼくら

を もしもし ちょっと といった

あなたはね といった

ぼくらは 主人で おまわりさんは

家来だった

役所へゆくと みんな にこにこ笑って

かしこまりました なんとかしましょう

といった

申し訳ありません だめでしたといった

ぼくらが主人で 役所は ぼくらの家来

だった

焼け跡のガラクタの上に ふわりふわり

と 七色の雲が たなびいていた

これからは 文化国家になります と

総理大臣も にこにこ笑っていた

文化国家としては まず国立劇場の立派

なのを建てることです と大臣も にこ

にこ笑っていた

電車は 窓ガラスの代りに ベニヤ板を

打ちつけて 走っていた

ぼくらは ベニヤ板がないから 窓には

いろんな紙を何枚も貼り合せた

ぼくらは主人で 大臣は ぼくらの家来

だった

そういえば なるほどあれは幻覚だった

主人が まだ壕舎に住んでいたのに

家来たちは 大きな顔をして キャバレ

ーで遊んでいた

 

いま 日本中いたるところの 倉庫や

物置きや ロッカーや 土蔵や

押入れや トランクや 金庫や 行李の

隅っこのほうに

ねじまがって すりへり 凹み 欠け

おしつぶされ ひびが入り 錆びついた

主権在民〉とか〈民主々義〉といった

言葉のかけらが

割れたフラフープや 手のとれただっこ

ちゃんなどといっしょに つっこまれた

きりになっているはずだ

(過ぎ去りし かの幻覚の日の おもい

出よ)

いつのまにか 気がついてみると

おまわりさんは 笑顔を見せなくなって

いる

おいおい とぼくらを呼び

おいこら 貴様 とどなっている

役所へゆくと みんな むつかしい顔を

して いったい何の用かね といい

そんなことを ここへ言いにきてもダメ

じゃないか と そっぽをむく

そういえば 内閣総理大臣閣下の

にこやかな笑顔を 最後に見たのは

あれは いつだったろう

もう〈文化国家〉などと たわけたこと

はいわなくなった

(たぶん 国立劇場ができたからかもし

れない)

そのかわり 高度成長とか 大国とか

GNPとか そんな言葉を やたらに

まきちらしている

物価が上って 困ります といえば

その代り 賃金も上っているではないか

といい

(まったくだ)

住宅で苦しんでいます といえば

愛し合っていたら 四帖半も天国だ と

いい

(まったくだ)

自衛隊は どんどん大きくなっているみ

たいで 気になりますといえば

みずから国をまもる気慨を持て という

(まったく かな)

どうして こんなことになったのだろう

政治がわるいのか

社会がわるいのか

マスコミがわるいのか

文部省がわるいのか

駅の改札掛がわるいのか

テレビのCMがわるいのか

となりのおっさんがわるいのか

もしも それだったら どんなに気が

らくだろう

政治や社会やマスコミや文部省や

駅の改札掛やテレビのCMや

となりのおっさんたちに

トンガリ帽子をかぶせ トラックにのせ

て 町中ひっぱりまわせば

それで気がすむというものだ

それが じっさいは どうやら そうで

ないから 困るのだ

 

書く手もにぶるが わるいのは あの

チョンマゲの野郎だ

あの野郎が ぼくの心に住んでいるのだ

(水虫みたいな奴だ)

おまわりさんが おいこら といったと

き おいこら とは誰に向っていってい

るのだ といえばよかったのだ

それを 心の中のチョンマゲ野郎が

しきりに袖をひいて 目くばせする

(そんなことをいうと 損するぜ)

役人が そんなこといったってダメだと

いったとき お前の月給は 誰が払って

いるのだ といえばよかったのだ

それを 心の中のチョンマゲ野郎が

目くばせして とめたのだ

あれは 戦車じゃない 特車じゃ と

葉巻をくわえた総理大臣*4がいったとき

ほんとは あのとき

家来の分際で 主人をバカにするな と

いえばよかったのだ

ほんとは 言いたかった

それを チョンマゲ野郎が よせよせと

とめたのだ

そして いまごろになって

あれは 幻覚だったのか

どうして こんなことになったのか

などと 白ばくれているのだ

ザマはない

おやじも おふくろも

じいさんも ばあさんも

ひいじいさんも ひいばあさんも

そのまたじいさんも ばあさんも

先祖代々 きさまら 土ン百姓といわれ

きさまら 町人の分際で といわれ

きさまら おなごは黙っておれといわれ

きさまら 虫けら同然だ といわれ

きさまらの代りは 一銭五厘で来る と

いわれて はいつくばって暮してきた

それが 戦争で ひどい目に合ったから

といって 戦争にまけたからといって

そう変わるわけはなかったのだ

交番へ道をききに入るとき どういうわ

けか おどおどしてしまう

税務署へいくとき 税金を払うのはこっ

ちだから もっと愛想よくしたらどうだ

といいたいのに どういうわけか おど

おどして ハイ そうですか そうでし

たね などと おどおどお世辞わらいを

してしまう

タクシーにのると どういうわけか

運転手の機嫌をとり

ラーメン屋に入ると どういうわけか

おねえちゃんに お世辞をいう

みんな 先祖代々

心に住みついたチョンマゲ野郎の仕業な

のだ

言いわけをしているのではない

どうやら また ひょっとしたら

新しい幻覚の時代が はじまっている

公害さわぎだ

こんどこそは このチョンマゲ野郎を

のさばらせるわけにはいかないのだ

こんどこそ ぼくら どうしても

言いたいことを はっきり言うのだ

 

工場の廃液なら 水俣病からでも もう

ずいぶんの年月になる

ヘドロだって いまに始まったことでは

ない

自動車の排気ガスなど むしろ耳にタコ

ができるくらい 聞かされた

それが まるで 足下に火がついたみた

いに 突如として さわぎ出した

ぼくらとしては アレヨアレヨだ

まさか 光化学スモッグで 女学生バッ

タバッタ にびっくり仰天したわけでも

あるまいが それなら一体 これは ど

ういうわけだ

けっきょくは 幻覚の時代だったが

あの八月十五日からの 数週間 数カ月

数年は ぼくら心底からうれしかった

(それがチョンマゲ根性のために

もとのモクアミになってしまったが)

それにくらべて こんどの公害さわぎは

なんだか様子がちがう

どうも スッキリしない

政府が本気なら どうして 自動車の

生産を中止しないのだ

どうして いま動いている自動車の 使

用制限をしないのだ

どうして 要りもしない若者に あの手

この手で クルマを売りつけるのを

だまってみているのだ

チクロ*5を作るのをやめさせるのなら

自動車を作るのも やめさせるべきだ

いったい 人間を運ぶのに 自動車ぐら

い 効率のわるい道具はない

どうして 自動車に代わる もっと合理

的な道具を 開発しないのだ

(政府とかけて 何と解く

そば屋の釜と解く

心は言う(湯)ばかり)

 

一証券会社*6が 倒産しそうになったとき

政府は 全力を上げて これを救済した

ひとりの家族が マンション会社にだま

されたとき 政府は眉一つ動かさない

もちろん リクツは どうにでもつくし

考え方だって いく通りもある

しかし 証券会社は救わねばならぬが

一個人がどうなろうとかまわない

という式の考え方では 公害問題を処理

できるはずはない

公害をつきつめてゆくと

証券会社どころではない 倒してならな

い大企業ばかりだからだ

その大企業をどうするのだ

ぼくらは 権利ばかり主張して

なすべき義務を果さない

戦後のわるい風習だ とおっしゃる

(まったくだ)

しかし 戦前も はるか明治のはじめか

ら 戦後のいまも

必要以上に 横車を押してでも 権利を

主張しつづけ その反面 なすべき義務

を怠りっぱなしで来たのは

大企業と 歴代の政府ではないのか

 

さて ぼくらは もう一度

倉庫や 物置きや 机の引出しの隅から

おしまげられたり ねじれたりして

錆びついている〈民主々義〉を 探しだ

してきて 錆びをおとし 部品を集め

しっかり 組みたてる

民主々義の〈民〉は 庶民の民だ

ぼくらの暮しを なによりも第一にする

ということだ

ぼくらの暮しと 企業の利益とが ぶつ

かったら 企業を倒す ということだ

ぼくらの暮しと 政府の考え方が ぶつ

かったら 政府を倒す ということだ

それが ほんとうの〈民主々義〉だ

政府が 本当であろうとなかろうと

今度また ぼくらが うじゃじゃけて

見ているだけだったら

七十年代も また〈幻覚の時代〉になっ

てしまう

そうなったら 今度はもう おしまいだ

 

今度は どんなことがあっても

ぼくらは言う

困まることを はっきり言う

人間が 集まって暮すための ぎりぎり

の限界というものがある

ぼくらは 最近それを越えてしまった

それは テレビができた頃からか

新幹線が できた頃からか

電車をやめて 歩道橋をつけた頃からか

とにかく 限界をこえてしまった

ひとまず その限界まで戻ろう

戻らなければ 人間全体が おしまいだ

企業よ そんなにゼニをもうけて

どうしようというのだ

なんのために 生きているのだ

 

今度こそ ぼくらは言う

困まることを 困まるとはっきり言う

葉書だ 七円だ

ぼくらの代りは 一銭五厘のハガキで

来るのだそうだ

よろしい 一銭五厘が今は七円だ

七円のハガキに 困まることをはっきり

書いて出す 何通でも じぶんの言葉で

はっきり書く

お仕着せの言葉を 口うつしにくり返し

て ゾロゾロ歩くのは もうけっこう

ぼくらは 下手でも まずい字でも

じぶんの言葉で 困まります やめて下

さい とはっきり書く

七円のハガキに 何通でも書く

 

ぽくらは ぼくらの旗を立てる

ぼくらの旗は 借りてきた旗ではない

ぼくらの旗のいろは

赤ではない 黒ではない もちろん

白ではない 黄でも緑でも青でもない

ぼくらの旗は こじき旗だ

ぼろ布端布(はぎれ)をつなぎ合せた 暮しの旗だ

ぼくらは 家ごとに その旗を 物干し

台や屋根に立てる

見よ

世界ではじめての ぼくら庶民の旗だ

ぼくら こんどは後(あと)へひかない

花森のような「反骨の編集者」の列に加わったつもりかもしれない。警視庁公安部などが作成したとみられる国際テロ捜査関連の文書が、インターネット上に流出した問題で、第三書館という出版社が、データをそっくり収録した本を出版した。
 ▼出版社の社長は、「そもそも警察がテロリストを疑って個人情報を集め、違法捜査をしていることを明らかにしたかった」と語っている。「反骨」はわかったけれど、「ぼくらの暮し」はどうなっているのだろう。
 ▼本には、警察官や在日のイスラム系外国人らの名前や住所などがそのまま掲載されている。彼らのプライバシーは徹底的に踏みにじられた。そもそも今回の流出は、海上保安庁からの映像流出とは比べものにならないほど深刻な事件だ。情報拡散に加わるのは、テロ活動に加担するに等しいと思う。

 「問題行為」という批判には同感です。テロ活動への荷担とはさすがに思いませんが。
 「そもそも警察がテロリストを疑って個人情報を集め、違法捜査をしていることを明らかにしたかった」だけなのなら、せめて個人情報の部分(最低限、氏名や住所)はプライバシー保護の観点から伏字や黒塗りにすべきです。あるいは事前に「警察官や在日のイスラム系外国人ら」に了承を得るとか(得てないようですが)。
 ただし、数々のデマ報道やプライバシー侵害報道で他人に迷惑をかけている産経にそんなことを言う資格があるとは思いませんが。
(参考:「ウィキペディア産経新聞の注目を集めた報道」」(http://d.hatena.ne.jp/bogus-simotukare/20100812/1281565523))

官房長官は、自衛隊を「暴力装置」と呼んではばからない。

 未だにデマの垂れ流し。

治安の乱れは、現政権の「性向」と無関係とは思えない。

 関係ないだろ。大体、情報流出って治安の乱れか?

おとといの小紙は、警視庁の騎馬隊員が、暴れ出した馬から落ちながらも、周りに危害が及ばないように手綱を離さなかったために重傷を負った、と報じていた。

 既に指摘してる人がいますがそう言う立派な警官がいることと、今回のような警察不祥事は何ら関係ありません。
 大体、そんなこと言うなら、抄子が目の敵にしてる共産党にだってどこにだって立派な人はいくらでもいます。「立派な人がいること」と「その組織の評価」は一応、別物です。

*1:ストライキのこと

*2:今は日中戦争と普通言う

*3:今は太平洋戦争と呼ぶことが多い。人によっては15年戦争やアジア太平洋戦争と呼ぶこともある。

*4:吉田茂

*5:体に有害と言うことで今は製造が禁止された人工甘味料

*6:山一証券のこと