高世仁に突っ込む(2021年5/2日分)

戦争遺跡になった松の木3 - 高世仁の「諸悪莫作」日記
 戦争遺跡になった松の木2 - 高世仁の「諸悪莫作」日記の続きです。(つづく)がないので今回で終わりでしょう。戦争遺跡になった松の木2 - 高世仁の「諸悪莫作」日記についてはこの記事の下の方でコメントしました。

 菅首相は「休んでいる看護師が多い」から500人の確保は可能だなどと、浮世離れした認識を披露。「こんな状態で五輪をやれるのか」との問いに、「五輪を開くのはIOCだから、ぼくは知らないよ・・」と繰り返すばかり。

 俺は基本的に「人間のくず」高世には「悪口しかしない」主義なので今日も悪口します。

◆「拉致被害者の居場所がわからない」のに「自衛隊による拉致被害者の救出は可能だ」などと、浮世離れした認識を披露
◆「拉致被害者の居場所も分からないのに救出できるのか」との問いに、「作戦を実行するのは自衛隊だから、ぼくは知らないよ・・」と繰り返すばかり。

の「特定失踪者問題調査会代表」荒木和博と長年、野合していたクズの分際で、高世も良くもふざけたことが言えたもんです。俺的には人間のクズさで言えば「高世>絶対に越えられない壁>菅」で「ナボナがお菓子のホームラン王なら、高世はクズの世界のホームラン王」ですが、たぶんそう言ったらマジギレするのが高世なんでしょう。
 さて

「五輪を開くのはIOCだから、ぼくは知らないよ・・」

ですが結局は「ババ抜きのジョーカー状態」なんでしょう。
 「国(菅首相や丸川五輪担当相など)」「小池都知事」「IOCのバッハ会長」「JOCの橋本会長」といった関係者は誰も「やめよう」とは言いたくない。
 「あの人が辞めようと言ったから辞めることにしたい」と自分一人に責任転嫁されることは避けたいからです。はっきり言って「対応のまずさでコロナを蔓延させた菅や小池の責任は重大」で「IOCJOCが最初に中止、延期論をいったからと言ってその責任は逃げられる物ではない」。
 一方で菅や小池が最初に中止、延期論を言い出したところで「コロナ予防について、まともな要望を菅や小池に何一つしなかったIOCJOC」の責任が逃れられる物でもない。
 責任の大小はともかく「連帯責任」「共同責任」ですが「自分から責任を負いたくない」と思うが故に、そして「もしかしたら開催できるんじゃねえの?」と思うが故にお互い「主催者であるIOCが辞めたいと言ってない(菅)」「開催国、都市である日本や東京が辞めたいと言ってない(バッハ)」と無責任状態になるわけです。高世はこのブログ記事では菅しか批判しませんがバッハとて立派に無責任です。
 「開催できるんじゃ?」という甘い考えから無茶苦茶な方向に行くという意味では、「もしかしたら勝てるんじゃ?」で対米戦争を開始した戦前日本政府といい勝負です。

 国内油田を再開発しようと、南方に派遣していた民間の石油技術者(帝国石油から徴用されていた技術者500人)を帰還させようとしたが、1945年4月、彼らが乗った「阿波丸」が台湾沖で米国潜水艦に撃沈されるなどして挫折した。「阿波丸」の犠牲者は2000人余りにのぼった。

 「阿波丸撃沈」については阿波丸事件 - Wikipediaを紹介しておきます。高世は「国内油田開発云々」と書きますが、阿波丸事件 - Wikipediaによれば、そういうことよりも「北朝鮮のいわゆる瀬取り的な行為」、つまり、米国が制海権を支配しており、正規の方法での日本本土への石油輸入が困難であるが故に「阿波丸に石油を秘密裏に積み込んで日本に持ち込む」という思惑が大きかったようです。

松根、松脂をめぐる空騒ぎを、上記の本の著者、石井正紀氏*1は、「いかにも日本的で、泥縄式の愚挙だった」と断じている。

 制裁すれば拉致被害者が帰ってくるという嘘八百救う会や「救う会太鼓持ち」高世などが垂れ流した「空騒ぎ」も「いかにも日本的な愚挙」といえるでしょう。高世の愚挙に比べればまだ松ヤニ騒動の方がましに見えます。
 ちなみに以前新刊紹介:「歴史評論」8月号 - bogus-simotukareのブログで紹介した

 終戦が迫っていた昭和20年4月。ニ号研究による原爆開発で起死回生を狙う陸軍は、福島県石川町の山間で、旧制私立石川中(現石川高)の3年生約60人を学徒動員し、ウランの採掘を開始した。
 陸軍将校から「君たちが掘っている石がマッチ箱1個分もあれば、ニューヨークを吹き飛ばす爆弾が作れる」と言われた。「お国のために頑張らなくては」と精を出した。
 原爆開発に必要なウランは当時、日本ではほとんど産出しなかった。陸軍はドイツや朝鮮半島から秘密裏に運ぼうとしたが、いずれも失敗。戦前から微量のウランを含む「ペグマタイト」という鉱石を少量産出することで知られる石川町に、望みをつないだのだ。
 ニ号研究は6月に中止されたが、町には情報が伝わらず、採掘は終戦当日まで続いた。学徒による採掘量は1トン近くともいわれるが、どこに運ばれたかは不明で、何の役にも立たなかった。
 前田邦輝さん(85)は「自分たちが掘っていたものが何だったのか、戦後数十年たって初めて知って驚いた」。結局、ウランは採れなかったが、それでよかったと思っている。
(中略)
 核開発史に詳しい山崎正*2東京工業大名誉教授(70)は「こんな状況で、日本は初めから原爆など開発できるはずがなかった。予想通りの結果に終わった」と話す。

{日米同盟と原発}第1回「幻の原爆製造」 (5)少年らに「マッチ箱一つ」<東京新聞> - 東京時事日記
 陸軍は、ペグマタイトの岩石から、天然ウランを含む鉱石サマルスカイトを3トン掘り出し、計500キロの酸化ウランを得る皮算用だった。気の遠くなるような無謀な計画だが、有賀によると、勲章を着けた軍人がこうハッパを掛けたという。
 「君たちの掘っている石がマッチ箱一つくらいあれば、ニューヨークなどいっぺんに吹き飛んでしまうんだ。がんばってほしい」
(中略)
 採掘を初めてから2カ月余り後の6月13日。陸軍の委託を受けていた石川山工業所が「石川山で採掘したサマルスカイトが750キログラムに達し た」と報告した。しかし、このころ、理化学研究所仁科芳雄が進めていた「ニ号研究」は既に中止を決めていた。ウランを調達したところで、使う見込みはない。が、少年らは、その事を知らされなかった。

という「原爆開発騒動」も松ヤニ騒動並みに愚劣な話だと思います。そもそも日本の国力では「原爆開発」等、最初から到底無理でしょう。

 ところで、「ブックレット」を読んでいたら、知っている人の名前があった。
 「ヤマンバの会」は、1993年、上田市の地元の人に愛された、「ヤマンバの木」という愛称のある老松が枯死し、「お別れ会」が催されたのが結成のきっかけだそうだ。「お別れ会」の会場には《200人以上が集まり、シンガーソングライターの黒坂正文さん*3と園児たちによって「風になれヤマンバの木」が歌われました》とある。
 私が早稲田大学に入学したとき、黒坂さんは第二文学部*4の4年だったはず*5。黒坂さん所属の「早大合唱団」が活発に活動していたころで、そこには知り合いがたくさんいた。
 黒坂さんと個人的に親しかったわけではないが、私が入学する前年、♪でっかい広場と 青い空と 僕らの夢をください・・(「広場とぼくらと青空と」)を作った人として知られていた。この歌は私もよく歌ったものだ。

 黒坂氏については黒坂黒太郎 - Wikipedia(コカリナ演奏者としての黒坂氏の芸名。黒坂正文が本名&シンガーソングライターとしての芸名らしい)やコカリナの世界へようこそ(黒坂氏のホームページ)を紹介しておきます。


戦争遺跡になった松の木2 - 高世仁の「諸悪莫作」日記
 戦争遺跡になった松の木 - 高世仁の「諸悪莫作」日記の続きです。戦争遺跡になった松の木 - 高世仁の「諸悪莫作」日記についてはこの記事の下の方でコメントしました。

 「The Textiles of India – 児島善三郎が愛したインドの布と兒嶋画廊コレクション」で、インド更紗(さらさ)の世界にひたってきた。

 児島善三郎については児島善三郎 - Wikipediaを紹介しておきます。

 戦争末期、日本全国で、燃料にする目的で松根油や松脂を採取する大キャンペーンが行われていた。それが歴史に埋もれてきたのはなぜか。
 きのう紹介した長野県の上田小県(ちいさがた)近現代史研究会のブックレットから引用しよう。
《アジア太平洋戦争末期、上田小県の多くの村々で松の根が掘り起こされ、松の幹に傷をつけて松脂が採取されたことは、本書が明らかにしたとおりです。それは、当時では日本各地にありふれた光景として見られました。しかし、それだけ日常的にどこでもおこなわれていた作業であったにもかかわらず、今日その実態を伝える文書類などは、ほとんど見あたりません。なぜでしょう。それは、国の指示を受けて出された町村等戦時書類緊急処置に関する長野県当局の指示(1945年8月18日)が出されたからです。そこには、「焼却スベキ文書」として「林務関係、松根隊、製炭隊関係名簿」が挙げられています。中には「焼却ノ予定ナルモ一応保存セラレ度シ」として「非常伐採関係書類」などの通達もあったのですが、ほとんどすべて焼却されてしまったのです》(「おわりに」より)
 戦争関係文書の焼却は、いわゆる慰安婦問題を含め、歴史の検証に困難をきたす原因になっている。それは全国の小さな自治体にまで徹底していたのだ。

 「慰安婦」「南京事件」「731部隊」などのような「戦犯裁判で訴追されかねない話」で「文書焼却(犯罪の証拠隠滅)」するのはよくわかりますが「松ヤニ採取なんか文書焼却する必要があるのか?」と首をかしげます。
 何らかの理由で「松ヤニ関係もヤバイ文書」と判断したのか、それとも「何がヤバイかやばくないか判断が難しいから、基本的に戦争関係の文書は全部焼却する」つう話なのか。そして「松ヤニ関係もヤバイ文書」ともし判断したなら何故そう判断したのか知りたいところです。

 さて、そもそもこんなキャンペーンがなぜはじまったのか、その背景を知ると、当時の日本の政府・軍部がいかに合理性を欠いた政策立案を行っていたのかが分かり、怒りさえわいてくる。
(つづく)

 「経済制裁すれば拉致が解決する」という「合理性を欠いた主張(反北朝鮮キャンペーン)」を行ったあげく、「小泉訪朝後、18年に及ぶ拉致敗戦」「拉致をネタとした高世の商売の行き詰まりによるジンネット倒産」など、都合が悪くなるや、「拉致についての言及を辞めてトンズラした男」高世がよくもいったもんです。高世のクズぶりには「軽蔑」「怒り」「憎悪」といった負の感情しかわいてきません。
 「当時の日本の政府・軍部」は「自ら追及では無く、GHQ(米国)による追及」「米国の政治的思惑により天皇の戦争責任が追及されなかった」など「不十分な点がある」とはいえ「東京裁判東条英機元首相が絞首刑」など、一定の責任を取ったことを考えれば「そうした責任を何一つとってないトンズラ野郎」高世よりは「まだマシ」ではないか。
 まあ、「拉致敗戦」を考えれば我々日本人は「当時の日本の政府・軍部がいかに合理性を欠いた政策立案を行っていたのか」などと「上から目線」で非難できる立場では全くありません。
 「当時の日本の政府・軍部」は「ドイツがフランスを降伏させた、いずれ英国やソ連もドイツに降伏するだろう。そうなれば連合国で日本が戦う相手は米国だけだ。逆に米国は一国だけで日本とドイツを相手にしないといけない」「日露戦争の時は戦争長期化で、ロシアでは反政府デモ(血の日曜日事件など)が起こって戦争継続が難しくなった。米国でも同じ事が期待できる」「真珠湾攻撃とマレー攻撃で大勝した。米英恐れるに足りず」など、「根拠に欠ける異常な楽観主義(ドイツや日本の軍事力の過大評価&英米の軍事力の過小評価)」とはいえ「それなりの合理性」はありました。
 「経済制裁すれば拉致が解決する」なんてのは「当時の日本の政府・軍部」と比べても「論理性のかけらもない馬鹿げた主張」です。


戦争遺跡になった松の木 - 高世仁の「諸悪莫作」日記

 午後、畑にナスとトマトを植えた。
 きょうの主な収穫はサヤエンドウ。
 先月ジャガイモの種イモを植えたが、もうたくさんの葉を出し、花をつけていた。
 最近の楽しみは、自転車で近くの史跡を巡ることだ。
 十日ほど前の晴れた日、(ボーガス注:東京都日野市にある)高幡不動尊金剛寺に行った。
 ここに来た目的は、松脂(まつやに)の採取跡を見るため。戦時中、不足するガソリンの代わりの燃料*6を作るべく採取されたのだという。増田康夫『多摩の戦争遺跡』(新日本出版社、2017)で知った。
 松の幹にたくさんのV字型の切れ目が矢羽根状についている。
 この写真をFB(フェイスブック)に上げたら、長野県に住む旧友の郷土史家、桂木恵さん*7が、自ら出版に関わった『戦争遺跡 松の木は語る』(ヤマンバの会、上田小県近現代史研究会、2016)というブックレットを送ってくれた。
 このブックレットで初めて知ったのだが、実は、民衆を動員して松から油を採取した戦時中の出来事は、ながく歴史に埋もれていたのだという。それを、彼の住む上田市の市民でつくる「ヤマンバの会」が掘り起こしたのだそうだ。そして、こうした松の木を「戦跡」として調査し記録する活動が全国に広がっていったのだった。
 その上田市民たちの活動がなければ、『多摩の戦争遺跡』に高幡不動の松が載ることもなく、私が自転車をこいで、それを見学に行くこともなかったわけだ。
 では、それが歴史に埋もれてきたのはなぜか。
(つづく)

 ジンネット倒産後の高世はもはや「ジャーナリストとはいえないこと」がよくわかります。
 何せやってることが「趣味の家庭菜園に、同じく趣味のサイクリング」ですから。「定年退職後のサラリーマンのセカンドライフ」と何も変わらない。

 つうことは高世さんは
【園芸番組:ググってヒットした物を紹介】
趣味の園芸 やさいの時間 - NHK
NHK菜園ライフ
BS朝日 - 家庭de菜園
【サイクリング番組:ググってヒットした物を紹介】
にっぽん縦断 こころ旅 - NHK火野正平のサイクリング番組)
チャリダー★快汗!サイクルクリニック - NHK
BS-TBS 毎週火曜日22時O.A. 自転車つれづれ旅日和
チャリ通 | BS朝日
とかよく見てるんですか?。最近、中高年層に人気らしいですね、こういう番組。

【園芸関係の書籍:ググってヒットした物を紹介】
◆加藤義松『野菜づくり名人の知恵袋:農家直伝のコツのコツ』(2004年、講談社+α新書)
◆ホームライフ取材班『「野菜づくり」の裏ワザ・便利ワザ』(2015年、青春新書プレイブックス)
◆加藤義松監修『マンガと絵でわかる! おいしい野菜づくり入門』(2017年、西東社
【サイクリング関係の書籍:ググってヒットした物を紹介】
◆白鳥和也 『素晴らしき自転車の旅:サイクルツーリングのすすめ』(2004年、平凡社新書)
◆白鳥和也『スローサイクリング:自転車散歩と小さな旅のすすめ』(2005年、平凡社新書)
河村健吉*8『自転車入門:晴れた日はスポーツバイクに乗って』(2007年、中公新書)
中村博司、丹羽隆志*9『大人のための自転車入門』(2012年、日経ビジネス人文庫)
西加南子『より速く、より遠くへ! ロードバイク完全レッスン 現役トップアスリートが教える市民サイクリストのトレーニング法』(2012年、SB新書)
◆野澤伸吾『アラフォーからのロードバイク:初心者以上マニア未満の<マル秘>自転車講座』(2013年、SB新書)
火野正平NHKチーム「こころ旅」『人生下り坂最高!』(2015年、ポプラ社NHK番組の書籍化)
◆堂城賢『自転車の教科書』(2016年、小学館文庫)
とか読んでるんですか?

と聞きたくなります。
 それにしても「ガソリンの代わりに松ヤニ」てもはや「そんなんで米国に勝てるのか」つう話ですね。
 真珠湾攻撃前は「インドネシアなど東南アジアの石油地帯を分捕るから、石油不足の心配は無い」「むしろ今のままでは米国の対日石油禁輸(当時、中東の石油はまだ開発されておらず、最大の石油産出国は米国)で日本から石油がなくなり、戦争したくても米国と戦争できなくなる。早く戦争すべきだ(いわゆる「石油じり貧論」)」と「都合のいい想定」をしていたところ、もちろん米国が「そんなことを手をこまねいて見ている」わけもなく、米国が制海権、制空権を支配することによって、日本は分捕った石油地帯から日本本土に石油を遅れず、石油不足になるわけです。
 「太平洋戦争における石油の問題」というのは重要でググる

三輪宗弘『太平洋戦争と石油』(2006年、日本経済評論社
◆岩間敏*10『石油で読み解く「完敗の太平洋戦争」』(2007年、朝日新書)
◆岩間敏『日米開戦と人造石油』(2016年、朝日新書)
◆岩間敏『アジア・太平洋戦争と石油』(2018年、吉川弘文館

等色々と本もヒットします。
 まあ、それはともかく、「東南アジアの石油地帯を分捕っても米国が手をこまねいてみているわけがないこと」は「開戦前」から誰でも予想できることです。
 しかし、ここで「そう言う想定」を考えたら「石油不足で戦争に行き詰まる→戦争すべきでない」となって戦争が出来ないわけです。しかし「中国蒋介石政権打倒を諦めろ」「仏印から撤退しろ」と要求するハルノートを受諾したくない日本政府としては「対米戦争、この道しかない(自民のアベノミクス宣伝ポスター風に)」。
 だから「そういう都合の悪いことは考えない」。既にこの時点で「敗戦確定」でしょう。
 「横田めぐみ死亡の可能性」なんかもそうですが、「あり得る可能性」を「都合が悪いから考えない(考えるのは間違った敗北主義、悲観主義だ)」、そして「東南アジアの石油地帯を分捕れば日本にとって美味しい」などと都合のいいことしか考えないというのはお話になりません。個人や企業ならまだしも「国家(大日本帝国)」がそれというのはあまりにも酷すぎます。
 それはともかく、もちろん「石油のかわりに松ヤニ」の時点で「敗戦不可避」ですし、だからこそ近衛元首相はいわゆる「近衛上奏文(1945年2月)」で「早期降伏」を訴えた。しかし「天皇制護持」「自分の身の安全(戦後の戦犯裁判で死刑になどならないこと)」にこだわる昭和天皇は「このまま負け続けで降伏するわけには行かない、一回、反撃しないといけない」として近衛の上奏を退けます(天皇東条英機元首相など陸軍強硬派の楽観論を鵜呑みにしていたとも言われる)。その反撃作戦の一つが「沖縄の地上戦(1945年6月)」だったわけです(もちろんすさまじい犠牲を沖縄県民に出しただけで失敗しますが)。
 それに対し、近衛が「日本の国力で米国相手にそんな反撃の機会があるでしょうか?(実際そんな機会は無かった)」と疑問を呈したことは有名な話です。つまりは「遅すぎた聖断」ですね。
 遅くても近衛上奏文の時点で降伏していれば「東京大空襲(1945年3月)」「沖縄戦(1945年6月)」「広島、長崎の原爆(1945年8月)」などの悲劇はありませんでした(もちろんそもそも1941年12月の真珠湾攻撃自体が無謀でしたが)。
 なお、確かに「松ヤニ」の話は最近まで「あまり知られてない」かもしれませんが似たような「そんなんで戦争できるのか」つう話では例えば有名な「金属供出」がありますね。横溝正史の『獄門島』で金属供出の話が出てくるのでご存じの方も多いかと思います。

*1:著書『技術中将の日米戦争:陸軍の俊才テクノクラート秋山徳三郎』(2006年、光人社NF文庫)、『石油技術者たちの太平洋戦争』(2008年、光人社NF文庫)、『陸軍燃料廠:太平洋戦争を支えた石油技術者たちの戦い』(2013年、光人社NF文庫)、『陸軍員外学生:東京帝国大学に学んだ陸軍のエリートたち』(2014年、光人社NF文庫)

*2:著書『原爆はこうして開発された(増補)』(共著、1997年、青木書店)、『日本の核開発:1939~1955』(2011年、績文堂出版)

*3:著書『野の花たちとピースボイス』(1989年、大月書店)、『コカリナは風に乗って:フォークシンガーの学校探訪』(1998年、三友社出版)、『コカリナ?:森の精が宿る笛』(黒坂黒太郎名義、2003年、講談社)、『まま母狂想曲(カプリッチオ)』(黒坂黒太郎名義、共著、2004年、講談社

*4:早稲田大学に2016年まで設置されていた夜間学部。 (早稲田大学第二文学部 - Wikipedia参照)

*5:ウィキペディアに寄れば黒坂氏が1949年生まれ、高世が1953年生まれです。

*6:ちなみに「石炭から人造ガソリンつくる」つう研究も当時やってたらしいですが「松ヤニ云々」ですから、もちろん成功していません(石炭液化 - Wikipedia参照)。

*7:著書『軍事郵便は語る:戦場で綴られた日露戦争とその時代』(2021年、信毎選書)

*8:著書『企業年金危機』(1999年、中公新書)、『娘に語る年金の話』(2001年、中公新書)、『影の銀行:もう一つの戦後日本金融史』(2010年、中公新書)など

*9:著書『中高年のための楽しいサイクリング生活入門』(2006年、NHK趣味悠々』テキスト)

*10:著書『世界がわかる石油戦略』(2014年、ちくま新書