今日のMSN産経ニュース(2/8分)

■与謝野大臣「DV被害、しょっちゅう」 パープルダイヤル設置で優香さん表敬

 配偶者暴力と性暴力の被害者に対する相談電話「パープルダイヤル」の8日の開始にあたり、与謝野馨男女共同参画担当相は同日夕、内閣府の大臣室でタレント、優香さんの表敬訪問を受けた。与謝野担当相は、男性のDV被害の状況について聞かれると「しょっちゅう(受けている)」と答えるなど、終始和やかな雰囲気だった。
 優香さんはパープルダイヤルの趣旨に賛同し、広報活動に協力しており、今後についても「力になれれば」と決意を話していた。

『「しょっちゅう(受けている)」と答えるなど、終始和やかな雰囲気』
 発言の意味がよく分からないんですが?。「しょっちゅう」と言うほど、DV被害者の男性が日本に多いとも思えないし、マジでそんなに多かったら「和やかな雰囲気」どころか「寒い空気が流れる」と思うんですが。
 「いやあ、僕も家内に「甲斐性無し」とか言葉の暴力というDVをしょっちゅう受けてるんですよ、わっはっは」(自虐ギャグ)とか、飲み屋で中年親父が言いそうなそういうことを与謝野さんが言って、「オヤジギャグつまんない」とか「不謹慎」とか言ってその場をしらけさせるわけにもいかないので、周囲も調子を合わせて笑ってあげたとかそういうこと?
 更迭に値する失言とまでは思いませんが、もしこの予想が正しければ、問題がDVという深刻な問題だけにネタかますのは発言としてまずくないか?
 そこは真面目に「男性のDV被害はデータによるとですね」と答えた方が良かった気がするが。それと他の新聞はこういう事書いてないようなんだが?。産経も無理矢理、「与謝野さんのナイスジョークで和やかな雰囲気」みたいなほのぼのニュースにしようとするなよ(苦笑)


■「永田洋子の死」 執拗で転倒した「正義の体系」

「自己顕示欲が旺盛で、感情的な性格とともに強い猜疑(さいぎ)心、嫉妬心を有し、これに女性特有の執拗(しつよう)さ、底意地の悪さ、冷酷な加虐趣味が加わり…」


 昭和57年6月、東京地裁連合赤軍リーダー、永田洋子に死刑を言い渡した際、裁判長が指摘した永田の「性格」である。「女性特有」以下のくだりは、いかにも差別的であり、一般女性からも顰蹙を買った。

 産経記者ですら女性差別的という酷い地裁判決(苦笑)

 (注:事件の原因説明で)いちばん手っ取り早いのが、地裁判決のように永田と森恒夫の「資質」の問題に帰してしまうことだ。
 だが当時、現場で取材した筆者としては、それで済まされる事件だとは、とても思えなかった。

 確かに「国家犯罪(ナチスとか文革とか)」であれ「ブラック企業」であれ「カルト」であれ指導者個人の責任もあるでしょうが、それオンリーにしたら良くないよなと思います。
 書き出しはまともですがただし後で酷くなります。

この事件をもっとも鋭く分析したのは、アメリカの女性社会学者、パトリシア・スタインホフの『死へのイデオロギー』(注:邦訳は岩波現代文庫)である。

 これについては、児童小銃「パトリシア・スタインホフ『死へのイデオロギー』」(http://d.hatena.ne.jp/rna/20060903/p1)を紹介しておきます。

森や永田は共産主義社会を建設するためには、「革命戦士の共産主義化」が至上命令であると叱咤(しった)した。戦士はブルジョア趣味を排除し、それを克服できないものは徹底的に自己批判をしなければならない。

 こういう理論(?)が森や永田の個性よりもむしろ問題だとされるべきというのであれば異論はないです。
 まあ、「目的達成のためには我慢しろ」とか「難行苦行で人間的成長(滝に打たれるとか)」とかいうのは日本では体育会系で良くありがちな話ですよね。集団による徹底的な自己批判(と言うかつるし上げ?)というのもカルトの洗脳テクニックやブラック企業の新人研修で良く聞く話です。
 社会変革を唱えた森や永田たちの運動論が「とても日本的な体育会系の価値観」「カルトの洗脳テクニックやブラック企業の新人研修そっくり」というのは皮肉なんですが。
 そういう意味では森や永田の方法論は決して「過去のものではない」と思います。さすがに永田たちのように殺人にまで暴走するケースは稀でしょうが。
 まあサヨ叩き大好きなウヨさんはそうは思わないんでしょうが(それにウヨさんのように永田たちをサヨの代表扱いされても困ります)。

イデオロギーが恐ろしい側面を持つのは、この「正義」のためなら、何をしてもよいという方向に転倒していくからである。

 『「正義」のためなら、何をしてもよい』
 「はいはい、サヨ叩き乙」。
 「戦前、戦後の右翼テロ(犬養毅首相暗殺、浅沼稲次郎社会党委員長暗殺など)なんかそうじゃないのか」
 「日中戦争や太平洋戦争も「お国のためなら、何をしてもよい」じゃなかったのか」
 「大企業の犯罪なんかも「会社のためなら何をしても良い」じゃないのか」とウヨの産経に小一時間(以下略)
 それはともかく、イデオロギーや正義それ自体を否定するのはもちろん間違いです。
 「正しい目的なら何をしても良い」という価値観が間違ってるだけの話、「方法や手段の正しさも大事」と言うだけの話です。

永田は同志殺しを「誤り」だと認めたが、自らの闘争が誤りだとは最後まで認めた気配はない。

 筆者の言う「永田の闘争が誤り」とはどういう意味でしょう。
 人を殺した以上、彼女も自分の闘争に誤りがあったことは嫌でも認めざるを得ないでしょう。
 ただ、「左翼運動それ自体が間違い」と言われたらそりゃ彼女も反発するでしょう。
 それに同志殺しは極左の専売特許じゃありませんし(極右なんかでもそう言うことはある)。