ちょっと子安宣邦氏をdisってみようか(9/24分)

永井(注:隆)は己れの贖罪の言葉をもって長崎をも語ってしまったのだ。長崎を贖罪の色で塗り込めてしまったのだ。文学的言語の恐るべき越権。原爆・原発問題に文学者が関与するとは何か、それが問われているのだ。常に名を連ねる良心面の文学者どもによって、文学的に塗り込められて来た戦後の運動を見よ。(子安のツイッター

 前も「ある日本人・中国研究者を批判」→「日本の中国研究全体を批判」という非論理的なアクロバット芸展開してたがまたかよ、この爺。
 今度は「永井隆を批判」→「日本人文学者による核兵器反対運動、原発批判運動全体を批判」だ。こんなバカでも、専門分野(日本近世思想史?)の能力さえあれば大阪大学名誉教授になれるんですね(毒)

九条の会〉は平和ボケの国民を、一層平和ボケにしているだけのように思われた。(子安のツイッター

思う根拠を出しましょうね。そもそも本当の「平和ぼけ」は「九条の価値をそもそも認めていなかった」り、「九条改正の危険性を感じていなかった」りする人間だろうから「九条の会」に参加などしないだろうに(もちろん俺も「九条の会」に何ら欠点がないとまで言う気はないが)。そしてそこまで言うあんたは、平和運動にどんな貢献をしてるのか?
既存の平和運動に批判をするだけの簡単なお仕事なら誰でも出来るが?(何の欠点もない運動というのはあり得ないので)

国から県へ、県から市へ、市から区へと行政単位毎に〈九条の会〉は作られた。(子安のツイッター

九条の会がない市町村だって確かあるし、ある自治体だって全てが全て自治体住民の多数派をしめるような強大な組織ではないと思うけどね。そう言う理解がないんだろうな、この爺。

人びとは反テロ世界戦争への日本の加担を平然と許してきた。(子安のツイッター

九条の会」に限らず日本の平和運動が「反テロ世界戦争への日本の加担」を阻止できなかったことは確かに問題だろうが、それは「〈九条の会〉は平和ボケの国民を、一層平和ボケにしている」という話じゃないだろう。
大体、日本社会(日本政府)は「朝鮮戦争」にも「ベトナム戦争」にも「湾岸戦争」にも荷担してきたのに何を今さらだよな、この爺。
この爺が大好きらしい「べ平連」だって「ベトナム戦争への日本の荷担」の阻止なんてできてないが?