「反党分子」松竹伸幸に今日も悪口する(2023年5/31日分)

共産党綱領と政権共闘論・3 | 松竹伸幸オフィシャルブログ「超左翼おじさんの挑戦」Powered by Ameba

 1994年の第20回党大会で、それまで(ボーガス注:九条)改憲の可能性を残しておいた共産党は、そこにキッパリと別れを告げ、将来にわたって九条護憲の立場を明確にする。しかし、なぜ改憲が必要かと考えていたかというと、安保条約を廃棄して独立の道を進もうとすると、アメリカが抵抗して日本を侵略するかもしれないからだった。だから軍隊が必要となり、改憲も必要になるということだった。共産党アメリカ帝国主義論である。

 「米国帝国主義理解」と「九条評価(昔の共産党軽武装中立だが、今はかなり非武装中立的見解*1に近いとみられる)」は全く別物なので「はあ?」ですね。
 松竹の珍理解では「非武装中立社会党(今の共産党の「九条を含む憲法の全条項擁護」に近いと思われる)は「ベトナム反戦運動を支持しながら米国を帝国主義と認識してなかった」という「はあ?」な理解になりますがそんなことはあるわけもないでしょう。
 「ピノチェトクーデター(1973年、ニクソン政権)」「グレナダ侵攻(1983年、レーガン政権)」「タリバン政権転覆(アフガン戦争:2001年、ブッシュ子政権)」「フセイン政権転覆(イラク戦争:2003年、ブッシュ子政権)」等でも分かるようにいざとなれば武力や謀略による政権転覆も辞さない*2のが米国帝国主義というのは常識の範疇でしょう。その程度のことは志位執行部も分かってるに決まってる(ブッシュ子政権の行為は勿論「1994年の共産党の方針変更以後の事件」です)。松竹のような理解で「九条評価」を改めたわけではないことは明白です。
 「それが九条評価変更の理由、原因」の「全て」とは言いませんが一つ考えられることは「1994年の自社さ連立政権誕生」です。
 この時「社会党に失望した社会党支持層」の多くが「共産支持に鞍替えしたこと」は明らかですが、その際に「共産支持に鞍替えした旧社会党支持層(多くは非武装中立論、九条護憲論に親和的とみられる)の影響」で九条評価が変わったのかもしれない。
 そもそも「九条完全実現を目指す」としても、共産党の方針は「国民世論の支持があり、実現可能ならば」と言う条件付きなのだから「米国帝国主義の侵略の危険があれば完全実施しない」と言う話でしょうし。
 なお、以上は松竹記事に投稿しますが掲載拒否でしょう。「自由な言論」と言う松竹の嘘には心底呆れます。だからこそ松竹ブログもコメント者は「数が少ない」上に「完全に固定メンバー」で先細りですが。
 なお、共産党の「米国帝国主義」理解を云々する前に「松竹はどうなのか?」ですね。「日米安保堅持」と言い出すこの右翼分子には恐らく「米国帝国主義」と言う「米国の侵略性に対する批判精神」はないのでしょうが。
 およそ党員どころか左翼とすら呼べない代物が松竹です。いや「右翼分子」松竹は左翼どころか「リベラル保守」とすら呼べるかどうか?
 離党して「どこぞのウヨ政党(自民、維新、国民民主など)」に移籍すべきだし、離党しないなら除名されるのは当然でしょう。


共産党綱領と政権共闘論・2 | 松竹伸幸オフィシャルブログ「超左翼おじさんの挑戦」Powered by Ameba

 共産党1994年、九条護憲の立場に変わった。

 「1994年」という時期までは知りませんが「すっかり忘れてたが、そういえば、そうだった」ですね。
 共産党は「九条に基づく非武装(昔の社会党)」は非現実的であり、「軽武装は必要*3」だが「自衛隊違憲」であり「自衛隊を正当化するには九条改憲が必要(しかし、自民党政権下で九条改憲すると右翼国家、軍事国家化しかねない)」「自由主義、民主主義、平和主義的な軍隊として、自衛隊が生まれ変わる事が可能な時期に九条改憲(それまでは九条護憲)」と言う立場でした。
 また「天皇制」についても「廃止→そのために改憲」でありその意味で「社会党の護憲とは我々は違う」「我々共産の立場は護憲ではなく『憲法の平和主義的、自由主義的、民主主義的条項の堅持』。全条項を守るわけではない(だから民主主義、自由主義に反する天皇制条項は改憲する)」としていました。
 しかし今では

現行憲法への政党の主張 日本共産党 - みんなとわたしの憲法 NHK
 日本国憲法の前文*4を含む全条項をまもり、とくに平和的民主的諸条項の完全実施を目指す。

ということで「以前批判していたはずの護憲」にかなり近い立場の訳です。
 なお、これは単に「事実の指摘」にすぎず、こうした変化を俺が「天皇制容認の右傾化」等と批判し「護憲ではなく以前の『憲法の平和主義的、自由主義的、民主主義的条項の堅持』に戻せ」と主張してるわけでもなければ、「現実化」と好意的な評価をしてるわけでもないことは指摘しておきます。またそうした変化をどう評価するにせよ「松竹の政治的主張の評価(俺は評価しませんが)」「松竹除名の評価(俺は当然の除名だと思いますが)」とは全く関係ないでしょう。
 ちなみに1994年には以下の出来事がありました。

1994年 - Wikipedia1994年の日本 - Wikipedia
◆2月12日〜27日
 ノルウェーリレハンメルで冬季五輪開催
◆4月7日
 ルワンダで集団虐殺(ジェノサイド)が開始
◆4月8日
 細川護熙首相が辞任を表明
◆4月28日
 羽田*5内閣発足。しかし在任64日間の短命政権
◆5月10日
 マンデラ南アフリカ初の黒人大統領に就任
◆6月16日
 カーター元米国大統領が訪朝し、北朝鮮金日成国家主席と会談
◆6月17日
 サッカーワールド杯アメリカ大会開幕
◆6月27日
 オウム真理教による松本サリン事件発生
◆6月30日
 村山内閣発足
◆7月8日
 北朝鮮金日成国家主席が死去
◆10月13日
 大江健三郎ノーベル文学賞受賞
◆10月21日
 軽水炉を提供することなどを条件として、北朝鮮が核開発を放棄することに合意(米朝枠組み合意)
◆11月13日
 スウェーデン国民投票EU加盟を承認

*1:但し、当面は国民世論に配慮し、自衛隊廃止はしないとして妥協していますが。

*2:勿論あくまでも「いざとなれば」であって、いつでもどこでもそうするわけではないですが。

*3:これについては憲法制定議会での野坂参三の九条批判演説も有名です。

*4:ここは前文ではなく「天皇制条項」と書いた方が適切でしょう。

*5:中曽根、竹下内閣農水相、宮沢内閣蔵相、新生党党首、細川内閣副総理・外相等を経て首相