今日もid:noharra氏に突っ込む(12/30分)(追記・訂正あり)

 よーし、きょうもおじさん、大嫌いな「珍右翼」id:noharra先生を批判しちゃうぞ。最近どんなつまらないことでも野原に突っ込む俺。

【その1】

@nomurakami 1780年にパンチェン3世が熱河(承徳)を訪問した際,乾輶帝や官僚達が叩頭を行っていた>叩頭はこっけいに見えるかも知れないが、チベット仏教チベット文化を破壊しつづける事が正義であるかのような行動を取りつづけてきた現在の中国の方が野蛮!(id:noharraツイッター

この野原ツイッターではnomurakami(むらかみのぶあき氏)氏が「清朝時代、叩頭をパンチェンにやらせていたから現代中国の方がましだ*1」と書いて野原に批判されてるような印象を受けるが、ではnomurakami氏はどんなツィートをしていたのか。調べてみると

①今考えているテーマは「清朝史料に書かれることと書かれないこと」。18世紀後半の清朝档案が検討対象です。18世紀後半(乾輶期),乾輶帝や清朝の官僚たちがパンチェンラマやダライラマに叩頭礼を行うとともに,この行為を档案に記さないようにしていたことを,前回の論文で明らかにしました。 
②また今年出した別の論文では,満洲語档案の場合でも,必ずしも事実が書いてあるとは限らないということを指摘しました。当然といえば当然なのですが,漢語档案にはウソが書いてあり,本当のことは満洲語档案に書いてある,と思われがちなので,とりあえず言っておきます。
③いま関心があるのは,档案に書かれていない事柄について,当事者以外の人がどれだけ知っていたのか?ということ。例えば1780年にパンチェン3世が熱河(承徳)を訪問した際,乾輶帝や官僚達が叩頭を行っていたことをどこまでの人が知っていたのか?です。これは一部の人しか知らなかったのか?
④それとも,こうしたことは官僚層や知識人の間ではよく知られていることだったのか?なんと言っても,記録を残してはいかんと言われている以上,一般の官僚・知識人もこのことを文字記録として残さないわけで,いったい彼らがどこまでのことを知っていたのか,実に興味深いです。
⑤この問題は,別にチベット問題に限ったことではありません。東南アジアや欧州から清朝に宛てた文書も,広州で「漢文調」に翻訳され,皇帝に届けられました。例えばタイからの国書ではタイ国王は清朝皇帝を対等の存在を位置づけていますが,翻訳された漢文国書では皇帝の家臣とされています。
⑥これは清朝の常套手段なので珍しくはないのですが,私の興味は,タイ国王が清朝皇帝を対等の存在と位置づけていたことを,清朝のどの範囲までの人間が認識していたのかということです。広州の翻訳担当者は当然知っていたはず。しかし国書を上奏する両広総督(注:広東省・広西省*2の総督)は?それを受け取る礼部(注:外交を担当する部署)は?皇帝は?
⑦また直接この仕事に携わらない官僚や知識人はどの程度まで認識していたのか?清朝の基本方針は「漢文のほうの形式が整っていれば問題視しない」だったわけですが,彼らがタイ国王の認識を理解していたなら,それは当時の官僚・知識人が「華夷秩序」なるものを相対化して見ていたことを意味します。
⑧こうしたことは,史料上に明確な記録としてあらわれないので,ある程度の状況証拠から類推するしかないところがあります。ともあれ,史料に残されている記録はあくまで「一部」(しかも捏造・曲解などの可能性あり)であり,その背後にある見えない事実にも注意を払うことが歴史研究には必要です。
 最後に一言。清朝档案は現代で言えば中国の政府文書。なので档案使って清代チベット問題を研究することは現代の中国政府文書を使って研究するようなもの。その記録を字面どおりに解釈するのは清朝の思惑に嵌るようなもの。ましてやそこから思想を読み取るのは極めて困難(政策の論理は読み取れるが)。

 
ということで、nomurakami氏は単に「清朝の公文書に書いてない事って当事者以外はどれほど知ってたのかなってことに今は研究の関心があります、たとえばパンチェン3世に対し乾輶帝が叩頭したことは清朝外交官僚と、チベット外交官僚以外の人間、たとえば外交官以外の官僚とか、清朝支配下の一般民衆(チベット民衆を含む)は知ってたんでしょうか」と書いたわけだ。
これに対し、「知ってたと思います。なぜなら〜」とか「档案に書かれていない事柄について,当事者以外の人がどれだけ知っていたのか?、ってことに何故関心があるのですか」とかツィートするならともかくああいうツィートをする野原の頭の構造が理解できない。

【追記】
「nomurakami氏(むらかみのぶあき氏)」は「むらかみのぶあき」でググったら出て来た「創価大学文学部准教授・村上信明氏」だろうか?
「村上信明氏」の主要著作は大学ホームページによると

著書『清朝の蒙古旗人−その実像と帝国統治における役割』風響社.2007年
論文「パンチェンラマ三世の熱河来訪と清朝旗人官僚の対応−十八世紀後半の清朝チベット関係の−側面−」『社会と文化』21.2006年

なので「清朝が研究分野」という「nomurakami氏(むらかみのぶあき氏)」のツィートには一応矛盾しないが?


【その2】

noharra野原燐
朝日平吾。彼は大正10年9月28日安田善次郎を大磯の別邸で刺殺,その場で自殺したテロリストですが、彼の貧者への愛は本物だと文章からは読みとれます

 文章だけなら君の大嫌いな「金日成閣下」なんかも全集に格好いいこと書いてるんじゃねえの。右翼テロリストという人間の屑に随分甘いな。安田が殺害されたのは俺の理解では「朝日某と言う人間のくず」の資金要求に「支持者でもないのに金なんか出せるか」と断った事への逆恨みに過ぎない。そもそも日本の財閥では安田よりも大きい三井、三菱を何故暗殺ターゲットにしなかったかということで朝日某の人間屑ぶりが分かるだろう。筋の通らないことが嫌いで剛直な性格だったという安田と違い、三井、三菱は右翼のたかりやとのつきあいが巧かったと言うことだ。
安田講堂に名を残す安田は決して慈善事業に理解のない人間ではなかったという。


【その3】

noharra野原燐
@unamune @takashipom @t_ishin 恫喝して他人の信仰の自由を奪うのが正義なのか?

書き換えてみよう。
「無償化除外だの補助金カットだので恫喝して、朝鮮学校の教育の自由を奪うのが正義なのか?」


【その4】

じき定年(id:noharraのツィート)

えっ、そんなおっさんなの?。年下の俺が罵倒するのは失礼な気もするが、バカだと思う奴は罵倒せざるを得ないな。

*1:nomurakami氏のツイッターを見れば分かるが叩頭をやっていたのは乾輶帝のようだ。だから「档案に記さないようにしていた」のだろう。俺も清朝がパンチェンにやらせていたと当初誤読したが野原もそう誤解したのだろう。そう理解しないと野原のツィートは理解できないだろう。野原はとことん文章読解力のない奴だ。さて2011年最後になるであろう野原への俺のこの挑発に彼がどう応じるか楽しみにしよう。それとも「叩頭をやらせたパンチェン3世よりも現代中国の方が野蛮」と言う意味ですか?

*2:現在の広西チワン族自治区