今日のMSN産経ニュース(10/29分)(追記・訂正あり)

■【甘口辛口】田中真紀子文科相の“無神経”発言
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/121029/stt12102906460004-n1.htm

小泉元首相のことをかつて「煮干しの出がらしみたいな顔」と言ったのには、うまいと笑えても、今回は笑えない。

 で、石原を「暴走老人」よばわりはいじめだというサンスポ・今村記者ですが逆じゃないんですかね。
 むしろ小泉氏の顔のことをどうこう言う方が「いじめに当たる可能性」が高いと思いますが。顔なんて整形でもしない限りどうしようもないんだから。大体何で「老害の都政放り出し」なんか産経は評価できるんでしょうか。そして石原の過去の暴言はいじめではないんでしょうか?

【追記】
ウィキペ「田中真紀子」によれば「煮干しの出がらし発言」は全文引用するとこうなるらしい。

「小泉さんが、煮干しの出がらしみたいな顔して『俺は靖国行く』っていうから(注:日中・日韓関係が)おかしくなった。あの人はホントにタチが悪い」

ということで本筋は「靖国参拝なんておかしいわよ」という話であって「煮干しのでがらし」云々は「真紀子外相(当時)が反対した靖国参拝を強行した小泉への悪口雑言」にすぎないのだが今村記者的には本筋はどうでもいいのだろうか?


■【産経抄】10月29日
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/121029/crm12102903260000-n1.htm

 今回の産経抄は詐欺で有罪判決(ただし控訴中で確定判決ではない)が出て、ほとんどのマスコミが特にそれを批判していない事件について「本当に詐欺なのか、冤罪ではないのか」としています。珍しい。
 根拠は

同僚の石塚健司記者が先月出した『四〇〇万企業が哭(な)いている』(講談社

だそうで「何だ、仲間ほめか」と思いますがそれでも珍しい。
ちなみに石塚本の副題は「ドキュメント検察が会社を踏み潰した日」で要するに不当捜査で会社がつぶれたってことでしょう。不当であれ、正当であれ、会社に家宅捜索が入ったり、社長が逮捕されたりすれば最悪会社はつぶれるでしょう。一時、経営危機に陥ったライブドアとか西武鉄道とかはいい例です。
 もちろん「不当捜査」というのは、あくまでも被告人と被告人を支持する側の立場*1では、ですが。起訴した検察や有罪判決を出した裁判所に話を聞けば「いや違法捜査、不当判決なんかするわけないでしょ、会社が倒産したのはお前のせいだっていいがかりもたいがいにしてほしい」というでしょうが。まあ、俺には真偽はわかりません。最近の「村木局長冤罪」「東電女子社員殺人冤罪」を見れば「検察や裁判所が100%間違いないとまでは信用できない」のは確かですので、本当に冤罪かもしれない。
石塚氏には他に『特捜崩壊』(講談社文庫)なんて本もあるそうです。例の村木局長冤罪とか取り上げてるんでしょうか?
それはともかく何で俺が「珍しい」と思うかと言えば「有罪判決どころか、逮捕や起訴段階ですら犯罪者扱いする」
「それどころか、合法な行為さえ『対馬が危ない』『水源地が危ない』と犯罪扱いする」のがいつもの産経、産経抄ですので。どうしたんでしょうか?
まあ、この石塚本が正しいかどうか知りません。抄子の文章を読んでも「抄子が読んだ石塚本が冤罪*2だと思ってる」と言うこと以外は何が何だかさっぱりわかりません。「会社がつぶれてかわいそう」ってのは、同情はしますが、冤罪の根拠にはなりません。
もしかしたら、石塚氏はまともな記者で本の内容も正しいのかもしれません。出版元は産経でなく外部の講談社だし(元は産経連載の記事かもしれませんが。産経連載の記事だとしたら何かかわいそうだな、産経とは思います。司馬遼太郎の小説もそうだけど、産経は営業力がないからか、産経連載でも普通に他社からでます)。
ただ石塚氏はともかく抄子はいつもめちゃくちゃな文章を書いているので「それを棚に上げて人道主義者ぶるんじゃねえよ」と言いたくなる。もちろん産経抄は「持ち回り」ですので、今日はわりとまともな記者が書いているのかもしれませんが。
まあ、石塚本が正しければ俺としては疋田桂一郎氏を思い出しますね。あれは事件捜査の問題と言うより、捜査報道の問題ですが。

【参考:疋田桂一郎氏について】

http://www.toonippo.co.jp/shasetsu/sha2004/sha20040822.html
足で書く―記者のバイブル
 新聞人にとって永遠の重要テーマの一つは、人権保護と言って、決して過言ではない。どんな事情があれ、人権を守るべき報道の人権侵害は本末転倒である。新聞人としてこの原則をひと時も忘れることはできない。言論の自由を享受する報道は、自由と一体の重大な責務をも負っている。
 現場記者による報道の在り方のしっかりした確認、日々の着実な実践へ、願いと祈りを込めて、具体的問題提起をしたい。紹介するのは事件報道の原点を考える上で欠かせない実話である。話は二十九年前にさかのぼる。

 一九七五年初夏、東京都世田谷区。出産を控えた妻の入院中、三歳弱の知的障害のある娘が死んだ。支店長への栄転が決まっていた一流銀行員の父親が警察に逮捕された。餓死させた容疑だった。
 新聞やテレビは一斉に、冷血で残酷な父親像を報道した。被告行員は九カ月後、執行猶予付きの有罪判決を下される。銀行員が電車に飛び込み自殺をしたのは、その夜のことだった


 事件報道の在り方を考える草分け「支店長はなぜ死んだか」(上前淳一郎氏著、文芸春秋一九七七年一月号)。元全国紙*3論説委員編集委員の故疋田桂一郎氏の検証報告を読んで、衝撃を受けたジャーナリスト上前氏が紹介した一文である。
 「夫は警察の取り調べとマスコミ報道のひどさを訴えていた」−妻の証言から、事件の真相と報道の在り方に疑問を抱いた疋田氏は、警察の取り調べ内容や公判記録を洗い直した。そしてまとめたのが異色リポート「ある事件記事の間違い」(三十一頁)だ。

 父親が娘を計画的に餓死させた事実はない。まして鬼のようだったわけでも全くない。彼を死に追いやったのは報道のセンセーショナリズムである


 この報告も、それを補足した上前氏の論文も、当時の新聞報道を厳しく指弾した。
 その上で、再発防止の指針として「警察発表を必ず一度は疑ってみる」(疋田氏)「記事中、ここからここまでは警察発表と明示する」(上前氏)よう具体的に提案、多くの共感を得ている。
 「事件報道が人を何人殺したことか、と思う」。疋田報告には自戒を込めた記述まである。いわば新聞内部からの新聞報道告発。新聞に限らず、報道に従事する者は両報告にあふれた良心の叫び、計り知れない重さを片時も忘れてはならない。
 事件、事故を取り扱う警察は日進月歩で進む最新科学技術を次々取り入れ、科学化を図っている。だが、いくら科学警察といえども、結局は人間集団である。人間には間違いが付きまとう。人間が過誤から免れることは永遠に不可能と言うほかない。
 だからこそ、記者は発表をうのみにしてはいけないのである。情報はすべて自分の足で確認し、記事化する。昔からのこの鉄則を厳守しなければならない。「記事は足で書く」のである。
 しかし、「松本サリン事件」を筆頭に、警察発表をうのみにしたマスコミ報道がその後も各地で頻発している。現状を見る限り、事件記者には今なお、両報告をジャーナリストのバイブルとして思い起こしてほしい、と言わざるを得ない。
 人権を保護すべき報道にあるまじき人権蹂躪(じゅうりん)封殺のためにも「記事は足で書く」のである。
 「発表を疑ってかかる」「情報確認を繰り返す」。記者たる者、この原則を断じて逸脱すまい。この多忙な現代、真実の報道は大変な労苦を伴う。だが、その汗は言論の自由を守り、知る権利にこたえる、かけがいのない、貴重な汗なのである。

http://bokuen.net/archives/750
 『ある事件記事の間違い』は、下手な推理小説よりも読みごたえがありました。
 銀行の支店長が、心身障害のある娘を餓死させた容疑で逮捕される。警察の調書と新聞は、こう書く:
イ.ベビーベッドに十日間も閉じ込め
ロ.水も食事もあたえず
ハ.腹を空かせて皮が破れるほどチューチュー指を吸っても心を鬼にして放置し、
餓死させた。残酷な娘殺しをイメージさせる記述だが、疋田さんがあらためて公判記録を読み返すと、これがまちがいだったとわかる。


イ.娘は先天性精神薄弱児でベビーベッドは日常の住居空間だった
ロ.拒食症だった
ハ.指しゃぶりは癖だった


 事件が捏造された理由はシステム的なものだった。
警察は、事実を自分たちの望むシナリオに無理やり押しこめる乱暴な調書をとり、点数かせぎのため事件が大きく扱われるように新聞記者に告げる。記者は、限られた情報量ときびしいスケジュールのなかデスクを通るように事件のつじつまを合わせ、ベタ記事→三段記事→トップ記事へと上りつめるように、また他社より注目を集めるように、スキャンダラスに書く。
このような警察と記者のなれあいで「残虐な娘殺し」に仕立てあげられた男性は、電車に飛びこんで自殺した。

 どういうわけか、こと事件報道に関するかぎり、警察からの取材だけで書いた一方的な記事がまかり通っている。通念になっていて、記者もデスクも疑わない。
(略)
警察につかまるのは悪人にきまっている。悪人については何を書いても構わない、とでもいうのだろうか。
このような事件報道が、人を何人殺してきたか、と思う。

そこで急遽(きゅうきょ)「朝倉亨さん*4を支援する会」が結成された。ホームページ上で、嘆願書の署名と支援金の振り込み*5を10月いっぱい呼びかけている。支援金はすべて、事件で被害を受けた、金融機関への弁済に充てられるという。

ちなみに会の呼びかけ人には勘の鋭い方は、いや鋭くない方でも予想できたかもしれませんが石塚記者と「石塚本の担当編集者(講談社社員)・唐沢氏*6」がいます。意外な人間として亀井静香*7が呼びかけ人にいます。
 しかし呼びかけの期限は後、3日しかないじゃん。ちなみに支援の呼びかけは会のホームページ(http://asakura.matrix.jp/shien.html)で見られます。
一応紹介はしますが、積極的支持はしません。よくわからんのでね。個々の判断でお願いします。「尖閣募金と同じ、産経のいつもの愛国詐欺だった、お前のせいで損した」とか言わないように。まあ、「腐っても国会議員・元大臣」亀井氏が関わってるのならそういうことはさすがにないのかなとは思いますが。もしこの募金に問題があったとしても恨むのなら俺ではなく亀井先生のような名士を恨んで欲しい。
 ちなみに支援金は「詐欺被害金額(もちろん詐欺というのは検察側の主張ですが)の弁済」に使われるんだそうです。「詐欺被害金額の弁済」というのがよくわからない。一般論で言えば「詐欺被害金額の弁済」は「反省の意思の表れ」として裁判での罪を軽くする可能性を高めるでしょう(絶対に軽くなるわけではないが)。
 しかしこれ「おそらく無罪を主張している」わけですからね(ただし嘆願書は無罪主張してるわけではなく、「事実を認めた上で寛大な処分を求めてる」とも読める曖昧な文章)。無罪主張と被害金額弁済は矛盾するでしょう。
 善意に考えれば「詐欺ではないがいろいろな人に迷惑をかけたことは事実だから弁済する」とか「理想論を唱えても罪が重くなるだけ、それなら妥協するしかないだろう」とか言うことなんでしょうが。


【追記】
 石塚本の担当編集者(講談社社員)にして、「朝倉亨さんを支援する会」呼びかけ人の唐沢氏が自ブログ「からまる日記」で今日の産経抄に対して感謝の弁を述べてるので紹介しておきましょう。産経抄が極右以外から「非極右的な理由」でほめられるなんて本当に珍しい。

http://karamaru.com/2012/10/post-777.html
産経抄」が石塚健司さんの『四〇〇万企業が哭いている』について「読者からも義憤の声が上がり始めた」と。
 こんにちは、からまるです。
 お知らせするのが遅くなってしまいました。昨日10月29日の産経新聞1面のコラム「産経抄」に、石塚健司さんの先輩記者さんが、石塚さんの著書『四〇〇万企業が哭いている ドキュメント検察が会社を踏み潰した日』と、この本がきっかけで生まれた「朝倉亨さんを救う会」のことを書いていただいていました。一部を引用しますと、

 「不祥事をきっかけに生まれ変わったはずの特捜部が、巨悪に立ち向かわず、なぜ弱い者いじめをするのか。ベテラン記者は怒り、絶望と闘い続ける2人の男を見守っている。読者からも義憤の声が上がり始めた」


 石塚さんの行動を借りた形になっているとはいえ、産経新聞の有名コラムが検察批判をするのは、検察取材にあたる現場の司法記者の立場を考えれば、それなりに覚悟のいることだと思います。どうもありがとうございました<(_ _)>
 この記事の反響で、一時的にアマゾンで本が品切れになっています。

*1:もちろん石塚記者もその立場

*2:この場合の冤罪というのが「真っ白」なのか「厳密に言えば黒だが裁判で厳罰にするほどじゃない、子どものスーパーの万引きを警官が親を呼んで『もう2度とやるなよ』と言うレベルの代物に過ぎない」と言ってるのかもよくわかりません

*3:はっきり朝日と書けばいいのに

*4:もちろんこの『詐欺事件』の被告人。当人が冤罪主張しているのでカギ括弧を就けました。詐欺かどうか俺は意見保留って意味です。

*5:署名だけするのも可

*6:唐沢氏のブログ「からまる日記」(http://karamaru.com/)を一応紹介しておく

*7:村山内閣運輸相、橋本内閣建設相、鳩山、菅内閣金融担当相を歴任。元国民新党代表