新刊紹介:「経済」5月号

「経済」5月号の詳細については以下のサイトをご覧ください。興味のある記事だけ紹介してみます。
http://www.shinnihon-net.co.jp/magazine/keizai/
■巻頭言「『資本論』と野呂栄太郎
(内容要約)
・巻頭言子曰く、今年(2013年)は小林多喜二没後80年であり、来年(2014年)は野呂栄太郎没後80年だそうだ。
・小林が享年29歳、野呂が享年33歳。彼らを死に至らしめた当時の国家権力への怒りを改めて覚えるとともに「早熟の天才」である彼らには尊敬の念を感じる。


特集「マルクス経済学のすすめ」
■「『賃金・価格・利潤』を読む」(金子ハルオ*1
(内容要約)
資本論の入門編として『賃金・価格・利潤』または『賃労働と資本』をおすすめしたいという話。
 金子氏は、特に発表時期がより遅く、マルクスの研究が進展している『賃金・価格・利潤』の方を推薦している(『賃労働と資本』は1849年発表に対し、『賃金・価格・利潤』は1865年発表)
・使用する本は何でも構わないと思うが『賃金・価格・利潤』と『賃労働と資本』が一冊になった『賃労働と資本/賃金、価格および利潤』(1999年、新日本出版社)がいいのではないかとしている。


■「メガ編集・刊行の現状と課題:第Ⅱ部門(『資本論』とその準備草稿)の完成に寄せて」(大谷禎之介*2
(内容要約)
メガというのは「マルクス・エンゲルス全集」の略であり、現在編集されているメガを俗に「新メガ」という(スターリン時代に編さんされた者物を「旧メガ」と呼ぶ)。メガ編集においては第1部門(資本論以外の著作)、第2部門(資本論)、第3部門(書簡:マルクスエンゲルスが書いた書簡だけでなく彼らに送られた書簡を含む)、第4部門(メモ書き)に分類して編集作業が行われ、第2部門は完結したが第1,3,4部門は完結しておらず、なかなか苦しい状況にあるようだ(政府が全面的バックアップをしていた旧ソ連時代と違いそこまで手厚い支援はない)。


シリーズ「原発ゼロの日本を作る」(2)
■「再生可能エネルギーと中小企業」(藤田信好)
(内容要約)
 オーストリア・ギュッシングや、岡山県真庭市などでの再生可能エネルギーの取り組みを紹介。こうした取り組みには地域の中小企業もコミットできるのではないか、地域振興につながるのではないかとしている。

参考
資源エネルギー庁真庭市地産エネルギーパーク』
http://www.enecho.meti.go.jp/saiene/park/p19.html
バイオマスタウン真庭』
http://www.city.maniwa.lg.jp/html/biomass/


■「原発利益共同体と独占大企業」(鈴木健
(内容要約)
 原発企業として、原子炉メーカー大手三社(日立製作所三菱重工業東芝*3を上げ、こうした「原発利益共同体」*4の存在が日本の政官財界が「脱原発できない理由」と指摘。


■「アベノミクスの落とし穴」(今宮謙二*5
(内容要約)
アベノミクスのうち「大規模な金融緩和」について批判。
民主党政権時代においても、一定の金融緩和は行われており、にもかかわらず成果は乏しい事を考えると金融緩和の効果は小さいと見ざるを得ない。安倍政権は「過去の金融緩和は小規模」とするが「大規模にすれば成功する」と言う保障はどこにもない。
・また、金融緩和のために無制限の国債等購入を行うことは赤字財政をさらに悪化させかねない。
・仮に金融緩和で景気が回復したとしてもそれが「給与などの形で労働者に還元されない」のでは「実感なき景気回復」であり意義は乏しい。
 安倍政権の政策に「格差是正」「賃金上昇」などといったものが見られない点は批判せざるを得ない。


■研究余話5「戦前の日本は立憲君主制だったか」(岩井忠熊*6
(内容要約)
・「戦前の日本は立憲君主制だったか」どうかは、「立憲君主制の定義」にもよるだろう。「憲法があれば立憲君主制」なら立憲君主制だし、「イギリスのようなある程度の自由主義がなければ立憲君主制とは言えない」なら立憲君主制とは言えないだろう。
・筆者は「少なくとも、一部の見解のようにイギリスのような自由主義的な立憲君主制と同視することは出来ない」としている。ま、俺も同感だし、それが通説でもあるだろう。
 筆者が批判する「一部の見解」というのが誰を指すのかが今ひとつわからないのだが伊藤之雄あたりだろうか?

参考

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-09-09/2006090912_01faq_0.html
赤旗
〈問い〉
 「戦前の日本は立憲君主制だったのだから天皇は戦争に反対できなかった」という意見があります。戦前の日本は絶対君主制ではなく、立憲君主制だったのでしょうか?(広島・一読者)
〈答え〉
 戦前の日本を考えるさいに大事なのは、(1)天皇制という国の仕組みと戦争とのかかわり(2)戦争の経過で天皇制と天皇が実際に果たした役割―の両面からみることです。
 国の仕組みという点からみると、1889年、天皇の命令で国民におしつけられた「大日本帝国憲法」(明治憲法)は、「大日本帝国万世一系天皇之を統治す」(第1条)、「天皇神聖にして侵すべからず」(第3条)とうたい、「神」の子孫としての天皇が日本を支配すると宣言するものでした。
 立法、行政、司法の区別なく、国を統治する権限は、すべて天皇がもちました。「帝国議会」「国務大臣」「裁判所」も設けられましたが、いずれも天皇を助ける「協賛」機関とされ、その権限はかぎられました。
 軍隊への指揮と命令、宣戦・講和・条約締結の権限はすべて天皇がにぎり、天皇の固有の権限=「天皇の大権」とされた戦争と軍事の問題には、だれも口出しできませんでした。
 「信教の自由」、「言論著作印行集会および結社の自由」などの権利をみとめるとしましたが、「法律の範囲内」という制限つきでみとめられたものばかりで、国民の人権はきびしく抑圧されていました。
 こうした体制は、「国を統治する全権限を天皇が握る専制政治(絶対主義的天皇制)」(日本共産党綱領)であって、立憲君主制とはいえません。
 次に、戦争の経過そのものが、天皇制および天皇が果たした役割を実証しています。
 「満州事変」から中国への全面侵略、太平洋戦争、敗戦という全過程の現場にすべて立ち会って、一貫した形で決定に参加してきた人物というのは、昭和天皇以外にいません。あとは、首相、陸海軍の責任者など、どの指導的役職をとっても、人が変わります。
 たとえば、1931年9月の中国東北部への侵略(「満州事変」)を、出先の関東軍が引き起こしたのにたいし、特別の「勅語」で、侵略を「自衛」の行動として正当化したうえで、“急速に相手の大軍を破って勝利したのは大変立派だ。今後さらにがんばって、朕の信頼に応えよ”と、ほめたたえたのが昭和天皇でした。真珠湾攻撃のときの首相は、A級戦犯として死刑になった東条英機でしたが、連合艦隊がハワイにひそかに出発した段階でも、東条首相には、そのことが知らされず、閣僚たちが知るのは攻撃が終わってでした。
 天皇と軍部が全権をにぎり、侵略戦争を開始・拡大していった節目節目でそれを行使したというのが歴史の事実です。(喜)

*1:著書『サービス論研究』(1998年、創風社)

*2:著書『図解社会経済学:資本主義とはどのような社会システムか』(2001年、桜井書店)、『マルクスに拠ってマルクスを編む:久留間鮫造と「マルクス経済学レキシコン」』(2003年、大月書店)、『マルクスのアソシエーション論』(2011年、桜井書店)

*3:もちろん原子炉メーカー以外にも原発企業はある

*4:小松公生『原発にしがみつく人びとの群れ:原発利益共同体の秘密に迫る』(2012年、新日本出版社)など参照

*5:著書『投機マネー』(2000年、新日本新書)、『動乱時代の経済と金融』(2005年、新日本出版社

*6:著書『天皇制と歴史学』(1990年、かもがわ出版)、『明治天皇:「大帝」伝説』(1997年、三省堂)、『近代天皇制のイデオロギー』 (1998年、文理閣