今日もid:noharra先生に突っ込んでみましょう。
『あらゆる差別に反対、は無理だろう』
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20130929#p1
まあ、確かに現実には無理かも知れないですね。差別意識ってのは当事者以外なかなか意識しづらいですから。なお、これは差別を人権侵害とか別の言葉に置き換えても同じ事です。
男性の小生は「女性の感覚」は理解できない。日本人の小生は「外国人の感覚」は理解できない。
チベット人が何で焼身自殺したがる*1のかさっぱり理解できない。
健常者の小生は「障がい者の感覚」は理解できない。こう言うのは他にもいくらでもある。
結果「彼らが差別だと思ってること」が彼ら以外には「彼らが差別だと声を上げるまでわからない」「声を上げた後でも何が差別だかわからない」ってことはあるでしょう。
たとえば「外国人に地方参政権がないなんておかしいんじゃないか」とか「小学校の健康診断で色盲検査をやる必要はない、色盲への偏見を生むだけだ(ウィキペ「色覚異常」によれば、こうした声に配慮して2003年で健康診断での色盲検査は文科省通達によって義務的調査項目からは外されています)」とか当事者に言われなきゃそういう問題意識すら部外者は持てないわけです(少なくとも小生はそうです)。
でもそれは「あらゆる差別に反対、は無理だろう」とドヤ顔して「差別問題の難しさを理由に自分の差別性に居直ること」とイコールではない。
こういう恥ずかしいことを言ってid:noharra先生は恥ずかしくないんですかね。
「あらゆる差別に反対しよう」という理念は大事な物だと思いますよ。それだけ言って「差別をなくすための具体論」がないんじゃ空虚ですし、理念として当たり前すぎて書いてて恥ずかしいですけど。
なお、id:noharra先生エントリの「内ゲバ」って表現は明らかに不適切だと思いますね。批判したら内ゲバなのか?。「『革マル対中核』のような殺し合い」が起こってるかのような表現を使う必要はどこにもないでしょう。
*1:もちろんしない人もいますけど