石上三登志「名探偵たちのユートピア」その1:シャーロック・ホームズものについて(ネタバレあり)

・1/23に書いてるわけではないのですが「日付の空きをなくしたい」のでここにぶち込んでみます。
・第1章の「ホームズネタ」が俺的に面白かったのでつい買ってしまったのですが、「2章以下(エラリー・クイーンディクスン・カー、クリスティなど)」が俺的にあまり面白くないのでちょっと失敗したかなという本で「名探偵たちのユートピア」(石上三登志著、2007年、東京創元社)という本を持っています。
 まあ、なんで2章以下がつまらなかったかというと小生、ホームズについてはある程度作品を読んで知ってるので1章は「俺も以前から何となくそんな気はしてたんだよなあ」て感覚がある。しかし良く考えたら「俺ホームズ以外全然読んでないじゃん」てわけで2章以降からつまらなくなるわけです。
・で石上氏が1章でなんて書いてるかというと「ホームズものは本格推理の一種として扱われると思うが、本格推理でくくれないところがある」。
 まあ、これは俺も以前から何となくそうは思ってました。そう思ってる人は多いんじゃないか。
 長編小説『緋色の研究』『四つの署名』『恐怖の谷』は二部構成になっていて、「第二部(犯人が何故犯行を行ったかという動機に関係した事件が描かれる)」には一切ホームズが登場しません。内容は冒険小説的というか、ハードボイルド的というか、ノワール的というか、何というか。本格ミステリとしてはちょっとアンバランスなわけです。
 あるいは短編にしたって、毎回毎回ホームズが名推理で見事に解決するかというとそうでもない。
 石上氏は、ある時点からドイルは「奇妙な怪事件を名探偵が名推理で解決する」という「本格ミステリ」の「不自然さ」から本格ミステリ的な作品を書くことに厭きてしまったのではないかとしています。
 何が不自然か。例えば「ディクスン・カーの密室殺人」。
 「自殺や病死に見せかけて密室で殺す」のなら「密室だから自殺や病死だね」で片付くことによるメリットがある。
 しかし「撲殺や刺殺」といった「明らかな他殺」を密室でやって犯人に何の利益があるのか。娯楽小説として面白いですが、現実性は皆無です。
 例えば「クリスティのABC殺人事件」。あれはトリックとしては斬新で面白い。しかし名張毒葡萄酒事件や和歌山毒カレー事件のように「同時に複数殺人(本当に殺したい人間以外もあえて殺す)」ならともかく「動機を隠すために連続殺人」なんて普通しない。あんなトリックは『逮捕の危険性は高くなる』わ『逮捕された場合は確実に死刑』だわ、『本当は一人だけ殺せばいいのに複数殺人(それも連続殺人)なんて効率が悪いわ』で現実性皆無です。
 あるいは「クリスティの『そして誰もいなくなった』」。現場の状況(残された手記など)からは死んだ人間たちの中に犯人はいない「はず」なのに、「現場から立ち去った第三者の痕跡が見られない(つまり殺された人間の中に実は犯人が居て、犯人の巧妙な偽装工作がある?→実際その通りですが)」つう設定は面白い。
 しかし「何のためにそんなことをするのか」と言う話です。実際、原作においても犯人は「そういう奇妙な犯罪をやってみたかった、そして世間を驚かせたかった」というある意味「気が違ってる」としか言いようが無い動機しか語りません。
 あるいは「名探偵が名推理で事件を解決する」なんて設定は「犯人が被害者の周辺にいる」という場合のみにあり得る話です。
 グリコ森永事件、三億円事件なんかわかりやすい例ですが「犯人が被害者の周囲に居ない場合」は名探偵の推理でどうにかなる話では無い。警察の組織的捜査で解決するしかない話です。
 その結果、意図的にドイルは「本格的じゃ無い作品を書くようになった」(そもそもドイル自身が『最後の事件』でいったんはホームズをモリアーティ教授との決闘で『ライヘンバッハの滝に転落(ただし遺体は見つからず)』させて死亡させたものの、読者の復活希望の声の高さから『実は生きていた(滝に転落したのはモリアーティだけだが、モリアーティの残党を油断させて、根絶やしにするためにあえて死亡を偽装した)』としてホームズを再開したのも有名な話です)。
 そう言う意味ではドイルはむしろ世間的なイメージよりは「社会派ミステリの松本清張」 など「一般に本格扱いされない作家」に実はテイストは近い。
 またドイルで今や一番有名なのは「ホームズ物」ですが、

アーサー・コナン・ドイル - Wikipedia
・SF分野では『失われた世界』『毒ガス帯』などチャレンジャー教授が活躍する作品群を、また歴史小説でも『ホワイト・カンパニー』やナポレオン戦争時代を舞台にしたジェラール准将シリーズなどを著している。
・1887年7月から1888年初めにかけて、17世紀後半の「モンマスの反乱」を描いた歴史小説『マイカ・クラーク』を執筆した。かなり評判がよく、1年の間に3版も重版を重ねている。後年ドイル自身も「この作品が自分の最初の出世作だった」と語っている。
・ドイル当人は歴史小説が自分の本分と考えており、歴史小説家として名前を残したがっていた。そのためホームズの評判が高くなりすぎると、逆にホームズを嫌うようになった。最初のホームズ連載が終わると、ホームズを離れ、17世紀フランスのカルヴァン派への弾圧と彼らのアメリカ亡命を描いた歴史小説『亡命者』の執筆を行った。それなりに売れたものの、すでにホームズ人気には及ばなかった。
 『ストランド・マガジン』はドイルに歴史小説よりホームズシリーズの続編を書いてほしいと要請し続けていた。これに対してドイルは「1,000ポンドの報酬を出すならもう12編のホームズ短編を書いてもいい」という条件を提示した。破格の報酬を条件に出すことで『ストランド・マガジン』の方から諦めさせようとしたようだが、同誌はこの条件を本当に呑んでしまったため、書くしかなくなった。こうして再び書かれた12編のホームズ短編小説は『ストランド・マガジン』1892年12月号から発表され、のちに『シャーロック・ホームズの回想』(収録作品:白銀号事件、ボール箱、黄色い顔、株式仲買店員、グロリア・スコット号事件、マスグレーヴ家の儀式、ライゲートの大地主、背中の曲がった男、入院患者、ギリシャ語通訳、海軍条約文書事件、最後の事件)として単行本化された。しかしこの連載の最後である1893年12月号の『最後の事件』ではホームズをライヘンバッハの滝に落として死んだことにしてしまったため、物議をかもした。ドイルはこの連載が始まる前の母に宛てた手紙の中で「私はホームズを最後に殺すことでこの仕事を打ち切ることを考えています。彼のために私はほかのもっと素晴らしいことを考える余裕がなくなっているからです」と漏らしていた。
 ホームズを死なせたドイルは、1894年からナポレオン戦争時代を描いた『ジェラール准将』シリーズの執筆を開始した。最初の8編は1896年に『ジェラール准将の功績』として単行本化され、続く8編は1903年に『ジェラール准将の冒険』として単行本化されている (邦訳は創元推理文庫)。ジェラール准将シリーズもかなりの人気作品になったが、世間では依然ホームズシリーズの再開を求める声が強かった。
ボーア戦争がゲリラ戦争と化して焦土作戦強制収容所などイギリス軍の残虐行為への国内外の批判が高まっていく中、1902年には『南アフリカ戦争:原因と行い』を発表して、イギリス軍の汚名を雪ぐことに尽力した。この小冊子は政府や戦争支持派から熱烈に支持され、発売から6週間で30万部を突破した。その功績で国王エドワード7世よりナイトに叙され、「サー」の称号を得た(ホームズ任期でサー称号を得たわけでは無い)。
第一次大戦前から心霊主義に関心を持っていたが、戦中の相次ぐ身内の戦死・病死により、戦後には心霊主義への傾斜をいっそう強めた。晩年の活動はほぼすべて心霊主義活動に捧げられた。1925年にはチャレンジャー教授が心霊主義に目覚める『霧の国』を発表した。『ストランド・マガジン』からの依頼でホームズ短編も執筆したが、この時期のホームズ作品はシャーロキアンからも面白くないと評価されることが多い。もはやドイルにとってホームズは、心霊主義布教をやりやすくするための資金作りと名声維持の意味しかなくなっていたため、気持ちが十分に入っていなかったと言われている。この頃に書かれたホームズ短編作品は1927年に『シャーロック・ホームズの事件簿』(収録作品:マザリンの宝石、ソア橋、這う男、サセックスの吸血鬼、三人ガリデブ、高名な依頼人、三破風館、白面の兵士、ライオンのたてがみ、隠居絵具師、覆面の下宿人、ショスコム荘)として単行本化されている。
・ドイル当人にとっては「どちらかといえば程度の低い作品」であったシャーロック・ホームズシリーズの知名度がドイル作品の中では群を抜いている。一方、ホームズ以外の作品の知名度は低いと言わざるを得ず、ドイルが自身の傑作と考えていた『ホワイト・カンパニー』や『ナイジェル卿の冒険』といった歴史小説も現在ではほとんど読まれていない。

でわかるようにドイルの作品はそもそもミステリだけでは無い。皮肉にもドイルには本格ミステリにもホームズにもそれほどの思い入れは無かったというのが石上氏の理解です。
 ただしホームズ物以外は未翻訳作品が多く、『ササッサ谷の怪:コナン・ドイル未紹介作品集1』、『真夜中の客:コナン・ドイル未紹介作品集2』、『最後の手段:コナン・ドイル未紹介作品集3』(以上、中央公論社)、『ドイル傑作集II:海洋奇談編』、『ドイル傑作集III:怪奇編』、『ドイル傑作集IV:冒険編』、『ドイル傑作集Ⅴ:恐怖編』、『ドイル傑作集VI:海賊編』、『ドイル傑作集Ⅶ:クルンバの悲劇』、『ドイル傑作集VIII:ボクシング編』(以上、新潮文庫)、『勇将ジェラールの回想』、『勇将ジェラールの冒険』、『北極星号の船長:ドイル傑作集2』、『クルンバーの謎:ドイル傑作集3』、『陸の海賊:ドイル傑作集4』、『ラッフルズ・ホーの奇蹟:ドイル傑作集5』 (以上、創元推理文庫)など、翻訳された作品も知名度は低い。ホームズ物以外で最も有名なのは『失われた世界』(光文社古典新訳文庫、創元SF文庫、ハヤカワSF文庫)、『毒ガス帯』(創元SF文庫、ハヤカワSF文庫)のチャレンジャー教授物ですがそれすらホームズ物に比べれば知名度が低いです。
 いくつか「本格的で無い作品」の例を挙げてみましょう(手元に本があるわけではなく完全なうろ覚えですが。順番は適当です)。
・『覆面の下宿人』
 ある完全犯罪を成し遂げた人物がホームズにその犯罪の真相を語るという構成になっています。全然推理らしい推理なんか出てきません。
・『ボヘミアの醜聞
 ホームズが最終的には完全に相手側に出し抜かれてしまうので面子丸つぶれです。
・『ウィスタリア荘』
 ホームズも推理はしますし、事件は解決するのですが、「事件をほぼ解決する」のはホームズではなく「地元警察の切れ者刑事」というのだから、あまりホームズの見せ場がありません。
・『黄色い顔』
 ホームズが見事に推理に失敗します。「探偵の失敗話」というのはあまりない気がします。
・『技師の親指』
 推理らしい推理は何もなく内容のメインは「犯罪事件に巻き込まれた技師の回想」です。犯人は逮捕されず親指を切断され「酷い目にあった」とぼやく技師にホームズが「いい経験をされました、何事も経験ですよ」と慰めて(?)終わりです。名推理を期待して読んだこっちは「え、これで終わり?」とちょっと拍子抜けです。
・『犯人は二人』
 ウィキペの採用してるタイトルですが「恐喝王ミルバートン」なんてタイトルの場合もあります。
 ウィキペのあらすじを紹介してみましょう。

 ロンドン一の恐喝王ミルヴァートンとシャーロック・ホームズとの対決を描く。
 結婚を控えたとある令嬢から依頼を受けたホームズは、令嬢が昔田舎の貧乏貴族に書き送ったというラブレターをネタに、高額での書簡買取を要求して来た恐喝王ミルヴァートンと交渉する。令嬢に支払い可能な金額でと提案するホームズに対し、ミルヴァートンは支払わなかった結果その人物がどうなったか、という「前例」が次の仕事の成功につながるのだと主張し、全く埒が明かない。決心したホームズはワトスンを連れて、夜闇に紛れてミルヴァートン邸に忍び込み、恐喝の材料となる手紙を盗み出そうとするのであった。
 ミルヴァートン邸に侵入することに成功したホームズとワトスンだったが、計算外だったことは、この夜中にミルヴァートンが人と会う約束をしていたため起きていたことだった。ホームズとワトスンは咄嗟にカーテンの陰に隠れ、ミルヴァートンと彼を訪ねて来た女性とのやりとりを傍観する。女性はかつてミルヴァートンに恐喝を受け、破滅させられた人物で復讐に来たのだ。女性はミルヴァートンに銃を向けついに殺害してしまう。
 一部始終を目撃した2人は女性が去った後、金庫の中にしまい込まれていた様々な書簡や書類が再び世に出て人を苦しめることがないよう、次々にそれらを火中に投げ込み処分した上で屋敷を後にするが、異変に気づいた屋敷の者が逃げる2人に追いすがる。

 ウィキペはここまでしか書いてないですが「俺のうろ覚え」で続きを説明すると
1)なんとかトンズラするホームズとワトソン。しかし屋敷の人間は「ミルバートン殺害犯は男性二人組」と理解するのだった
2)翌日警察がホームズに「ミルバートン殺害犯の捜査」を依頼するが勿論「多忙だから無理」の口実で拒否。
「ところでどんな二人組なのかね(ホームズ)」
「のっぽのやせと、小太りのコンビですね、なんというかホームズさんとワトソンさんのような感じです(警察)」
という落ちはまあ面白いかも知れませんがま、これまた、本格推理とか謎解きとかではないですね。

【追記】
 コメ欄で指摘されてる「グロリア・スコット号事件」も「グロリア・スコット号事件そのもの」はホームズの推理ではなく「関係者の告白」によって明らかになるので本格推理とは言えないでしょう。

【参考】

最後の事件 - Wikipedia
◆反響
 『ストランド・マガジン』に「最後の事件」が発表されると、世間は大騒ぎとなった。ホームズの死を悼んで外出の際に喪章を着けた人々がいたこと、20000人以上の読者が『ストランド・マガジン』の予約購読を取り消したこと、ドイルに対して抗議や非難・中傷の手紙が多数送られたことなどが知られている。ドイルは後に、自分が現実で殺人を犯した場合でも、これほど多数の悪意に満ちた手紙を受け取ることはなかったはずだと記している。
「最後の事件」発表後、ドイルは読者や出版社からホームズを復活させるよう幾度となく要望されることになる。しかし、ドイルは長期間にわたりこの要望を拒絶し続けた。やがて様々な要因からドイルはシリーズの執筆を再開することになるが、ホームズが再登場した1901年の長編『バスカヴィル家の犬』は、「最後の事件」より前に発生した事件だった(横溝正史における『悪霊島』のような話です→横溝が最後に発表した『悪霊島』は、事件の発生時期自体は『病院坂の首縊りの家』事件より前です)。ホームズが「実は生きていた」として本当に「復活」するのは1903年の短編「空き家の冒険」で、「最後の事件」の発表から9年と10ヵ月が経過していた。
◆ワトスンは健忘症?
 『最後の事件』において、ホームズからモリアーティ教授について尋ねられたワトスンは、「聞いたこともない」と答えた。一方、長編『恐怖の谷』は『最後の事件』より前に発生した出来事だが、この長編でのワトスンは既にモリアーティ教授の存在を「犯罪組織の首領」としてホームズから知らされている。
 延原謙(ホームズ作品の翻訳者)は『恐怖の谷』の解説で、『最後の事件』が1893年、『恐怖の谷』が1915年の発表であることから生まれたミスであり、こうした指摘は揚げ足取りであるとしている。
 この矛盾に対して、シャーロキアンにより『「最後の事件』は実は『恐怖の谷』より先に起きていたとする』など、様々な説が提示されている。
◆モリアーティ謀殺説
 この短編はモリアーティ教授によるホームズの追跡劇が大部分を占めているが、実際は教授がホームズを追跡していたのではなく、ホームズが教授を誘い出していたのだとする説がある。この説では、ワトスンを複雑な経路で駅へ向かわせたり、ホームズが変装したり、途中下車で行先を変更したりしたのは、誘い出す罠だと教授に見抜かれないための偽装である。ホームズは他にわざと手がかりを残し、教授が自らを追跡するよう仕向けたのだった。 ウォルター・P・アームストロング二世は、警察の能力では教授を逮捕するのが不可能であること、かといってイギリス国内で教授を殺してしまうわけにもいかないことから、ホームズが自らを囮として国外の人目のつかない場所へ教授を誘い出し、ライヘンバッハの滝で教授を滝壺に転落させ殺害することで決着をつけたのだとしている。