新刊紹介:「歴史評論」6月号

★特集『第49回大会報告特集号』
・なお、詳しくは歴史科学協議会のホームページ(http://www.maroon.dti.ne.jp/rekikakyo/)をご覧ください。興味のあるモノ、「俺なりに内容をそれなりに理解し、要約できたモノ」のみ紹介する。
■「戦後70年の民主主義」(山口二郎*1
(内容紹介)
 安倍批判には賛同するが「民進党に対する甘い評価」「共産党に対する冷淡な態度」などこの方には俺的に賛同できないところが多すぎる。つうことで特に紹介はしない。
 よく考えたらこの人の本を全然読んでないことに今気付いた。たぶん今後もほとんど読まないだろう。ぶっちゃけ共感するところの多い五十嵐仁氏*2http://igajin.blog.so-net.ne.jp/)などに比べ俺的には共感するところが少なく、読む価値を感じない。
【2016年5/31追記】

http://igajin.blog.so-net.ne.jp/2016-05-27
 私も、先日の総会で全国革新懇の代表世話人に選出されました。

 全国革新懇

http://www.kakushinkon.org/sewanin.htm
小池晃
 日本共産党書記局長、参院議員
志位和夫
 日本共産党委員長衆院議員
・矢野裕
 前狛江市長

という代表世話人の顔ぶれで分かるように比較的、共産党に友好的な組織です。共産支持者の小生としてはその著書を愛読してる五十嵐氏の代表世話人就任を素直に喜びたいと思います。
【追記終わり】 

 特にこの人が2007年都知事選で共産党に不当な非難を加えたことや、西松事件のとき、小沢を詭弁で擁護*3し、共産党を罵倒したこと、未だにそれを公式には1度もわびてないことは今でも恨んでる。僕はそういう狭量な人間です。もちろん共産党が「寛大な精神」で小沢やこの方と反安倍で共闘することを非難する気は毛頭ありません。
 正直最近の山口氏の文章は「アホか」といいたくなる物が俺的に多すぎです。

http://yamaguchijiro.com/?eid=1347
 日本の野党に必要なのは、「そんなのおかしい」という素朴な感情を、原発事故の真相究明と責任追及や、企業収益蓄積の反面で広がる貧困問題に向けるための言葉を打ち出すことである。いままでの野党は行儀が良すぎた。

 「野党」ではなくて「山口氏が大好きな民進党は」でしょう。貧困問題や原発事故追及なら社民党共産党は「充分かどうかはともかく」それなりにやってるでしょう。
 単に「第二自民党」といっていいほど自民党的な政治家(前原*4元代表、野田元総理など)がウヨウヨいる民進党はそうではないと言うだけの話です。当然それは「民進党は行儀がいい」つう話ではない。

http://yamaguchijiro.com/?eid=1349
 大富豪のドナルド・トランプと、「民主社会主義者バーニー・サンダースがそれぞれ庶民感情を利用して戦っている。
(中略)
 一部ではトランプ支持層とサンダース支持層が重なっているという新聞記事を読んで、アメリカ社会に鬱積する政治的不満の現状を思い知らされた。
 民主政治においては、庶民感情は否定できない。それが憎悪や差別という破壊的なエネルギーではなく、格差縮小や人間の尊厳を守るための改革という建設的なエネルギーとなるためには、リーダーシップが必要である。共和党の中にそのようなリーダーがいないことが明らかになった今、ヒラリー・クリントンに期待するしかないという現状だろう。

 おいおいですね。サンダースをトランプの同類扱いしてると誤読されかねない文章をどうして平然と書けるのか(それとも誤読ではなくて事実そういう酷い扱いなのか)。少しは「何故サンダースが善戦してクリントンが苦戦してるのか」考えたらどうなのか。さすが「民進党に甘く共産党に冷たい人間」だけのことはあります。

参考

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-03-21/2007032104_03_0.html
赤旗週刊金曜日』「政治時評」への反論:誰を知事にするかは都民が決める』(日本共産党広報部長・植木俊雄)
 雑誌『週刊金曜日』三月九日号に掲載された「山口二郎の政治時評」は、東京都知事選挙について、日本共産党の態度を名指しで批判したものでした。日本共産党中央委員会の植木俊雄広報部長は十六日、これにたいする植木氏の反論(「政治時評」と同分量)を同誌編集部に持参し、その掲載を求めました。編集部は、この反論をおよそ半分に縮めた文章を、「投書」欄に掲載するとしています。日本共産党に質問や意見が寄せられていますので、植木氏の反論の全文を掲載します。

 本誌三月九日号の「山口二郎の政治時評」は、東京都知事選挙を論じています。
 山口氏は、今度の都知事選の「最大目的」は、「数々の悪行」を重ねてきた「人間失格の独裁者」である「石原を引きずりおろすこと」であり、「民主主義を愛し、人間の尊厳を貴ぶ市民は…幅広く市民の支持を得られる候補にまとまることが必要」で、その候補者は、「改革派」で「既成政党に乗らない」浅野氏である、共産党もこれに協力すべきであるといいます。
 しかし、選挙で誰が幅広い支持を得るかは、山口氏ではなく、有権者である都民が決めることです。また、現在の都政や浅野氏についての評価は、あまりにも浅薄です。
 都知事選で石原氏に問われるのは、(1)福祉施策を「贅沢(ぜいたく)」と決めつけて削りに削りつつ、巨大開発に多額の税金を投入するというその基本施策であり、加えて、(2)日本国憲法と民主主義を破壊する暴政、(3)政治の私物化――などです。
 この都政は、小泉・安倍と続く自民党政治の特徴を、先取りしているかのようであり、それができたのは、自民、公明だけでなく民主もくわわる「オール与党」体制が、これを賛美し、支え、励ましてきたからです。「日の丸・君が代」問題で教員処分をけしかけたのが民主党だったことは、端的な一例です。知事の「悪行」や「独裁者」的言動は、単なる個性ではなく、「オール与党」体制と不可分のものです。
 都知事選の焦点は、この都政を変えることです。それを実行しようとする候補者には、それにふさわしい政策的立場とともに、「オール与党」体制とはっきりと決別できる確固とした政治的立脚点が求められています。
 日本共産党は、石原知事と「オール与党」が進める悪政に一貫して正面からたちむかってきました。メディアをむしばんできた石原タブーを打破する上で、日本共産党が果たした役割は、山口氏も否定していません。その結果、都政の実態が、「オール与党」体制の問題を含めて都民に知られるようになり、都政を変える展望が生まれました。吉田氏*5は、その展望を担って活動してきました。
 浅野氏は、選挙の直前になって名乗りを上げました。氏は、三期十二年の宮城県知事としての任期中に、巨大開発を進め福祉を削りに削ったという点で、石原都知事とうり二つです。しかも、氏は、選挙ではどの党の推薦も受けなかったものの、議会では「オール与党」の支持を得て、こうした自民党型政治を実行してきたのです。氏は、一期目の石原氏は「仰ぎ見るような存在だった」といい、石原都政を「だいたい継承すべきもの」とものべています。
 浅野氏の政策的立場も政治的立脚点も、石原氏よりましといえるものではけっしてありません。石原氏と浅野氏の「対立」は、都民の批判がきびしくなる中で「オール与党」が二つに割れただけです。「オール与党」陣営の二人に対抗して、日本共産党と吉田氏が都政の転換を掲げているのです。
 選挙のなかでこそ、石原都政の問題点、改革の方向、それを担える候補者を、大いに多面的に議論すべきです。それが選挙です。その選択肢を最初から、しかも「民主主義」の名で排除しようなどというのは、「民主主義」を語る資格が根本から問われるでしょう。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik09/2009-04-09/2009040904_01_0.html
赤旗『疑惑にフタをせよというのか、山口二郎氏の的外れな共産党非難』
 西松建設の違法献金事件にからみ、政治学者の山口二郎氏(北海道大学教授*6)が、東京新聞五日付コラムで「『正義の味方』の愚かさ」と題して日本共産党を不当に非難しています。
 山口氏は、民主党小沢一郎*7代表らの西松疑惑が議論されたテレビ朝日系「朝まで生テレビ」(三月二十八日)で、「唯一失望したのは共産党議員の発言だった。彼は、検察の立件が百パーセント正しいという前提をみじんも疑わず、小沢の金権腐敗を糾弾していた。それが官憲の弾圧と闘った輝かしい伝統を持つ共産党の議員が言うことかと、私は呆(あき)れ、がっかりした」と書いています。事実はどうでしょうか。
 今回の事件の核心は、「西松」という特定の建設業者から小沢氏個人の資金管理団体への巨額の献金が、長期にわたって国民の目から覆い隠されてきたという問題です。同番組に出席した日本共産党山下芳生参院議員は、この事実を指摘して、政治腐敗を防止するため、政治資金の流れを公開し不断に国民の批判と監視のもとに置くという政治資金規正法の目的からいっても「重い中身だ」「民主政治に反する」と述べたのです。
 そして、検察の起訴事実とともに「しんぶん赤旗」の独自調査も示し、西松が見返りを期待しての献金であり、わいろ性が問われると強調しました。
 疑惑の真相解明と政治腐敗の根絶を求める山下氏の発言は、国民の願いに立てば当たり前の主張ではないでしょうか。
 山口氏が、このような主張に「失望」するのは、むしろ山口氏の特異な立場に理由があります。同氏は番組中、「僕は小沢さんに総理になってほしいと思ってこの三、四年一生懸命応援してきた」「民主党はこの選挙(総選挙)に絶対勝たなければいけない」と民主党応援団の立場を公然と表明。なんの根拠も示さず、事件を一部検察の暴走による“でっちあげ”であるかのようにいい、民主党が「検察に弾圧され」ていると述べています。その検察のシナリオを「鵜呑(うの)み」にしているというのです。
 しかし、日本共産党は検察が立件しようがしまいが、与党であれ野党であれ、問題は問題として追及するという立場です。現に「赤旗」は、西松建設がダミー団体を通じて小沢氏や自民党政治家に献金してきたことを検察の捜査以前から報じ、国会では自民党二階俊博*8経済産業相*9の疑惑を、小沢氏と同質の疑惑として追及してきました。
 これに対して、山口氏の議論は、現にある疑惑を見ずに、すべてを“検察の弾圧”と根拠もなく決め付けることで、真相解明を求める世論に冷や水を浴びせ、疑惑政治家・政党の責任を不問に付すものにほかなりません。
 ちなみに、侵略戦争反対、民主主義を掲げた日本共産党に対する戦前の弾圧と、金権腐敗の摘発とを同列に置く感覚も、見識を欠くものです。(佐久間亮)


■「東京大空襲をめぐる研究と運動について」(山辺昌彦*10
(内容紹介)
 東京大空襲を巡る研究と運動についての紹介。
 たとえば近年の研究成果として水島朝穂・大前治『検証防空法:空襲下で禁じられた避難』(2014年、法律文化社)を紹介し「米国の戦争犯罪を批判することは当然の前提とした上で」、防空法に見られる戦前日本政府の人命軽視もまた批判されてしかるべきとする*11。 
 もちろんこうした人命軽視は「防空法に基づく東京大空襲の被害助長」だけではなく「沖縄の軍自決強要」「無謀なインパール作戦」など他の問題にも繋がる話であろう。

参考

http://www.asaho.com/jpn/bkno/2014/0217.html
水島朝穂*12の直言「『検証 防空法―空襲下で禁じられた避難』のこと」
 本書の特徴を一言であらわせば、東京大空襲10万をはじめとする全国で60万以上の空襲被害者のなかには、「逃げれば助かったのに、現場にあえてとどまったために亡くなった人たちがいたのではないか」という疑問を、当時の法制度の検討から構造的に明らかにしようとした点である。空襲被害者は米軍の爆撃によって生まれただけではなかった。そのなかには、国によって作られた「逃げられない仕組み」があった。それが防空法である。
(中略)
 防空法は太平洋戦争開戦を前にして、1941年11月25日に改正された。都市からの退去禁止(8条の3)と空襲時の応急消火義務(8条の5)が追加され、罰則も強化された。貴族院で法改正の説明に立った東條英機*13首相は、その10カ月前に陸軍大臣として「戦陣訓」(第八「生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ」〔なお、本書38頁では「生きて」が「死して」になっているので、ここで訂正します〕)を発した人物である。戦場の兵士だけでなく、国民に対しても「空襲から逃げるな、身を挺して消火せよ」ということを求めたのである。
(中略)
 本書が明らかにしようとしたのは、この防空法の目的はあくまでも国家体制の防護であって、国民の生命・財産の保護ではないということである。防空義務の強化により、国民は「命を賭して各自の持ち場を守る」ことを求められ、空襲から逃げることが許されない状況に置かれることになった。
(中略)
 本書は全体を通じて、空襲の犠牲者は、単に米軍の爆撃によるものだけでなく、防空法制を軸とした「政府の行為によつて」(日本国憲法前文第1段)生み出されたものだという視点を明確にしている。これまで各種の空襲訴訟で国の「戦争損害受忍論」を肯定した判決が続くなか、大阪空襲訴訟ではこれを突破すべく、「危険を生じさせる先行行為を行った者は、それによって生じた被害を賠償する責任がある」という「先行行為論」を応用して、原告は、日本政府が防空法制によって空襲被害を拡大する「先行行為」を行ったのだから、それによって生じた被害に対して国は救済する義務があり、その義務を果たさず救済立法を制定しないこと(不作為)は違法とされるべきだと主張したのである。大阪地裁は、この主張を結論的には退けたが、判決理由のなかで、被告・国の「防空法制が功を奏して被害は僅少で済んだ」という主張を排斥して、防空法体制が持っていた構造的問題性について5頁も割いて詳細に認定した。

http://www.asaho.com/jpn/bkno/1998/1214.html
水島朝穂の直言「カーチス・ルメイという男」
 東京大空襲や原爆投下の実行責任者として、これに深く関与したカーチス・ルメイ将軍。原爆投下の際、日本側に警戒態勢をとらせないため、B29の高々度の単機使用というのは彼の発案だった。
 ルメイは原爆投下から19年目の1964年、航空自衛隊育成の『功労』により、日本国天皇から勲一等旭日大綬章を受け、1990年10月、83歳で長寿を全うした。
 この死を比較的大きく報道したのは、広島の『中国新聞』だけだった。

カーチス・ルメイ(ウィキペ参照)
 1964年12月7日、勲一等旭日大綬章を授与された。理由は日本の航空自衛隊育成に協力があったためである。12月4日の第1次佐藤*14内閣の閣議で決定された。推薦は防衛庁長官小泉純也小泉純一郎*15首相の父)と外務大臣椎名悦三郎*16の連名で行われた。
 ルメイが東京大空襲や原爆投下を行った部隊の指揮官だったことから授与に対し批判も大きい。当時、社会党原水爆禁止団体、被爆者などから国民感情として納得できないという声が上がった。国会でも叙勲に対し疑問視する声があった。東京大空襲や原爆から叙勲は不適切ではないかという質問に佐藤は「今はアメリカと友好関係にあり、功績があるならば過去は過去として功に報いるのが当然、大国の民とはいつまでもとらわれず今後の関係、功績を考えて処置していくべきもの」と答えた。小泉は「功績と戦時の事情は別個に考えるもの。防衛庁の調査でも当時ルメイは原爆投下の直接部隊の責任者ではなく、原爆投下はトルーマン大統領が直接指揮したものである」と説明した。佐藤も決定を変える意思はないと表明した。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2005-03-06/15_01.html
赤旗東京大空襲 米軍は実験済みだった、いかに焼き尽くすか、砂漠に下町を再現」
 一九四五年三月十日。二時間余りの爆撃で約十万人が亡くなった東京大空襲。米軍は、これに先立ち米国・ユタ州の砂漠に日本の木造家屋を建て、焼夷(しょうい)弾の燃焼実験をくりかえしていました。「東京大空襲・戦災資料センター」(早乙女勝元*17館長)に提供された英文資料の研究などから、実験の詳細が明らかになってきました。


■「歴史資料の保全・活用と地域社会―福島県での歴史資料保全活動を通じて―」(阿部浩*18
(内容紹介)
 阿部氏が関与している「ふくしま史料ネット(ふくしま歴史資料保存ネットワーク:http://www.geocities.jp/f_shiryounet/)」の活動紹介。

 
■「戦後日本における在日朝鮮人の生活困窮問題と「地域」」(金耿昊*19
(内容紹介)
 戦後日本に置いて在日朝鮮・韓国人貧困者は民族差別、排外主義により「日本人貧困者」よりも厳しい立場におかれたことが指摘される。
 その中で在日からは二つの流れが登場する。一つは帰国事業に応じて新天地を外に求めようとする動きであり、もう一つは国内での生活改善運動の動きである。
 戦後の在日朝鮮・韓国人運動については「貧困からの脱出」「差別からの解放」という視点抜きでは論じられないことが改めて指摘される。


■「国際武器移転メカニズムと「イスラム国」」(佐原徹哉*20
(内容紹介)
 イスラム国のような存在を規制する重要な方策として「国際的な武器輸出規制」が指摘される。
 しかしそうした規制を阻む最大のガンとして米国帝国主義が批判される。佐原氏の米国への強い怒りが感じ取れる報告ではあった(なお、ヨーロッパや中国、ロシアの「武器輸出」「外交」「テロ対策」などについての佐原氏の認識は今ひとつ分かりづらい)
 ただし佐原氏は会場での
1)ロシアのシリア介入をどう評価するか
2)上海協力機構によるイスラムテロ封じ込めの動きをどう評価するか
という質問に対し「手放しでは評価しない」と断りつつも「基本的にはテロを封じ込める正しい動きとして、評価したい。欧米の否定的評価には与しない*21」としたそうなので、id:Mukke閣下*22にとっては佐原氏は罵倒の対象でしかないだろう。下手すると彼を報告者に選んだ歴史科学協議会も罵倒の対象かも知れない。

参考

http://j.people.com.cn/n3/2016/0411/c94474-9042577.html
■人民日報『上海協力機構加盟国が国境守備合同行動「団結2016」を実施へ』
 ウズベキスタン外務省によると、上海協力機構地域テロ対策機構理事会第28回会議が現地時間8日に同国の首都タシケントで行われた。会議は上海協力機構加盟国国境守備合同行動「団結2016」を今年実施することを決定した。中国新聞網が伝えた。
 今回の会議はカザフスタンが主催し、中国、ウズベキスタンカザフスタンキルギスタジキスタン、ロシアおよび地域テロ対策機構執行委員会の代表が出席した。
 会議は、現在地域のテロ対策機関が講じている行動はテロリズム、分裂主義、過激主義の取り締りが直面する脅威や試練に対応したものであるとの認識を表明。さらに、自爆テロ防止、国際テロ組織の脅威対処への協力強化などについて話し合った。
 会議は、今年上海協力機構の全加盟国が専門家と国境守備機関の関係者を派遣して、カザフスタン国内で国境守備合同行動「団結2016」を実施することを決定した。


■「「歴史認識」問題のなかで:ソウル便り・第3回」 (池享*23
(内容紹介)
 池氏曰く「竹島問題についてなんか聞かれたらどうしよう」とややびびり気味で韓国へ日本史教師として着任したが全然そんな質問はないそうです。つまりは「日本がワーワー言ったって俺達実効支配してるし」「今の安倍政権とそれを支持する日本人は不快だけど、あんなに極右ってんの安倍だけだろ。あいつが辞めたら日韓関係も改善するよ」的な感覚が強いんでしょう。
 独島体験館にも日曜に行ってみたが、小学生の体験授業ばかりで家族連れなんか全然いないと。まあ、娯楽施設じゃないですからね。日本だってその種の施設にドンだけ客がいるかどうか。
 むしろ池氏の認識では「日韓慰安婦合意」に対する「朴クネが日本(安倍政権)に屈服した、慰安婦を、韓国民を裏切った」という批判の方が強いんじゃないかと。
 ただその場合も慰安婦支援者も吉見義明氏などの存在は知ってるわけで「日本人極右派と良識的日本人」の区別はされてるわけです。

参考

http://japanese.joins.com/article/696/212696.html
中央日報「少女像は迫害の象徴物…どこに置くかは韓国人が判断すること」
「30年の学者生活の最後のページをソウル大で書くことになり光栄でした。日本人として韓国の歴史懸案に声を上げるのは容易なことではありませんでした。選択の決定基準はひとえに客観的な『学者の良心』によるものでした」。
 先月29日、ソウル大で開かれた2016年教授定年式。歴史教育科の池享教授は淡々とした表情で所感を述べた。1987年、一橋大学で日本経済史を教えながら教授生活を始めた池教授は、異国の地である韓国で定年を迎えた。
 池教授は90年中盤からソウル大人文大の教授らとの学術交流と通じて韓日両国の歴史問題に関心を持つようになった。
 そうこうするうちに2014年9月、ソウル大歴史教育科の教授として赴任し、学生たちを教えることになった。2年にならない短い時間だったが、池教授は主要な歴史的懸案に苦言を拒まず自ら参加もした。
 昨年10月、歴史教科書国定化に反対するソウル大教授382人の名簿に名前を入れた。池教授は「国籍を離れて国民が教科書を自由に選択する権利を失くそうとする姿を黙って見過ごすことはできなかった」と述べた。
 昨年末に発表された韓日政府間の慰安婦合意文に対しては「被害者に配慮しなかった合意は不適切」と批判した。少女像の移転を要求する日本政府と政界には「迫害の象徴物をどこに置くかは韓国国民が判断すること」としながら厳しい忠告を与えたりもした。
 池教授は退任後も8月まで訪問教授という形でソウル大で学生たちを指導する予定だ。池教授は「韓日両国が発展的な関係を継続させていくには互いに歴史に対する理解が必須」とし「講壇を離れても両国の共生のための学者の役目は忘れないでいたい」と話した。

http://japanese.joins.com/article/972/158972.html
中央日報『ソウルの真ん中に韓国内初の独島体験館*24…14日オープン』
 独島(ドクト、日本名・竹島)領有権をめぐる日本の挑発が続く中、ソウルの真ん中に独島体験館が初めてオープンする。鬱陵島ウルルンド)に民間が設立した独島博物館があるが、政府が予算23億ウォン(約1億6000万円)を投じて独島体験館を設置したのは初めて。
 東北アジア歴史財団と外交通商部によると、独島に行かなくても独島を五感で感じられる体験館が14日にオープンする。体験館はソウル中区義州路にある警察庁の隣のイムグァンビル地下1階。
 体験館は歴史未来館・自然館・4D映像館の3つに分かれている。歴史未来館は統一新羅時代から現在まで、『三国史記』 『高麗史』 『世宗実録地理志』など独島に関する1500年の歴史記録が集大成されている。大韓帝国が独島を自国の領土として統治していたことを表す勅令と官報は、日本の論理に反論する貴重な史料だ。さらに日本の江戸時代に鳥取藩が「鬱陵島と独島は日本の領土でないことを確認する」として送ってきた答弁書、1877年に「鬱陵島と独島が日本の領土でないことを銘記すべき」という日本の渡海禁止令が彫られた木版(複製本)も展示する。
 自然館では天然記念物336号の独島を120分の1で縮小した模型に会える。先端情報技術(IT)を応用したプロジェクトビームで東海(トンヘ、日本名・日本海)が独島を囲む姿を実感できるように具現している。独島だけに見られる火山岩に触れることもできる。
 4D映像館ではヘリコプターと潜水艇に乗った状況を仮定し、揺れる椅子に座った姿勢で独島を11分間遊覧できる。韓国海洋研究院が撮影した画面で、あたかもジェットコースターに乗ったように独島周囲を飛び回るような印象を与える。
 独島研究所のチョン・ヨンミ研究委員は「異斯夫学会・VANK・独島義勇守備隊・韓国学中央研究院・国土地理情報院など、政府と民間が参加して体験館を設立した」とし「外国人でも45分間ほど見回れば独島がなぜ韓国の領土なのかを自然に共感できるように力を注いだ」と説明した。

■独島博物館(ウィキペ参照:公式サイトhttp://www.dokdomuseum.go.kr/jpn/
・独島(日本名:竹島)の韓国領有をアピールする博物館。鬱陵島にある。
・1995年、光復50周年に独島博物館設置が決まり、鬱陵郡が土地を提供、サムスン文化財団が施設を建設し、初代館長イ・チョンハクが30年余りの間国内外で収集した資料を中心に独島義勇守備隊同志会の資料などを加えて、1997年8月8日韓国内唯一の領土博物館として開館した。

http://japanese.joins.com/article/372/212372.html
中央日報「言葉だけで『独島は韓国の領土』と叫ばず根拠を教えるべき」
 独島(ドクト、日本名:竹島)が韓国の領土だということを知らせるために全財産を投じて博物館を建てた元教師がいる。江原道寧越(カンウォンド・ヨンウォル)のホヤ地理博物館のヤン・ジェリョン館長(69)だ。
 日本の島根県が定めた「竹島の日」(22日)を前に博物館を訪ねた記者に、ヤン館長は「独島が韓国の領土である明確な根拠が何か知っているか」と尋ねた。
 返事を明確にできないでいると彼は「韓国の人々の大部分は、独島が韓国の領土である根拠を尋ねてもまともに答えられない」として「なぜ韓国のものなのか明らかな根拠を持って教えることをおろそかにしているから」と語った。彼が独島関連の博物館を建てた理由でもある。
 ヤン館長は1971年京畿道華城市(キョンギド・ファソンシ)の南陽(ナムヤン)高等学校に地理教師として赴任した。2007年2月に退職するまで36年間、全国の骨董店を回って独島関連の資料を集めた。授業に活用するためだった。
 退職3カ月後には寧越郡水周面武陵里(ヨンウォルグン・スジュミョン・ムルンニ)周辺の土地(1914平方メートル)とカフェの建物を買って博物館にした。退職金・融資を合わせて8億ウォン(約7900万円)かかった。寧越は地形が多様で、地理学者の間では踏査1番地に選ばれる所だ。
 彼が集めた独島関連の資料は100点余り。そのほか世界各国の地図300点余り、地理の書籍1000点余り、地球儀・岩石など3000点余りが博物館に展示されている。
 ヤン館長は、お金がなくて“つけ”で地図を手に入れたこともある。
 2007年7月に忠清北道忠州市(チュンチョンブクド・チュンジュシ)のある骨董店から連絡が来た時だ。独島関連の古地図が入ってきたという店の主人の連絡を受けて駆けつけた彼は驚いた。
 1895年に日本軍が描いた地図には、独島と鬱陵島が韓国の国境線中に明確に描かれていた。
 重要な資料であることを直感した彼は、主人をしばらく説得した挙げ句、お金を後で払うことにして地図を譲ってもらった。「日清韓軍用精図」として現在の独島が韓国の領土であることを示す重要な資料として活用されている。
 ヤン館長は「今年から日本の中学校に配布される歴史教科書8種すべてに『竹島は日本の領土』という表現が入る」として「独島が日本の領土ではない理由を、地図・文書のような明確な根拠を基に教えるなどの独島教育を強化しなければならない」と話した。


■新刊:刑部芳則*25三条実美:孤独の宰相とその一族』(2016年、吉川弘文館
(内容紹介)
太政大臣内大臣、首相という要職を務めながら何故か「岩倉具視*26」「大久保利通*27」「西郷隆盛*28」「木戸孝允*29」などに比べ知名度が低い三条の伝記。 

*1:個人サイト(http://yamaguchijiro.com/)。最近の著書に『若者のための政治マニュアル』(2008年、講談社現代新書)、『政治のしくみがわかる本』(2009年、岩波ジュニア新書)、『ポピュリズムへの反撃:現代民主主義復活の条件』(2010年、角川oneテーマ21)、『政権交代とは何だったのか』(2012年、岩波新書)、『いまを生きるための政治学』(2013年、岩波現代全書)、『民主主義をどうしますか。』(2016年、七つ森書館)など

*2:著書『徹底検証・政治改革神話』(1997年、労働旬報社)、『政党政治労働組合運動』(1998年、御茶の水書房)、『戦後政治の実像:舞台裏で何が決められたのか』(2003年、小学館)、『労働政策』(2008年、日本経済評論社)、『労働再規制』(2008年、ちくま新書)、『対決・安倍政権:暴走阻止のために』(2015年、学習の友社)など

*3:この講演では、小沢一郎を今どう評価するかと言う皮肉な質問が出たらしいが、あいまいにごまかしたらしい。

*4:鳩山内閣国交相菅内閣外相、野田内閣国家戦略担当相など歴任

*5:元足立区長

*6:役職は当時。現在は法政大学教授。

*7:中曽根内閣自治相・国家公安委員長自民党幹事長(海部総裁時代)、新生党代表幹事、新進党代表、自由党代表、民主党幹事長などを経て現在、生活の党代表

*8:小渕、森内閣運輸相、小泉、福田、麻生内閣経産相など歴任

*9:役職は当時。現在自民党総務会長。

*10:著書『東京大空襲:未公開写真は語る』(2012年、新潮社)

*11:ただし山辺氏は右派が防空法の弊害を矮小化したがるのに対し、逆に水島著書は「東京大空襲の被害などによって、空襲の予防が不可能であることが表面化、現実化してからは疎開論が強まり、それを政府も無視できなかったこと」について軽視している(つまり防空法の弊害を過大視している)のではないかとしている。

*12:著書『現代軍事法制の研究』(1995年、日本評論社)、『東日本大震災憲法』(2012年、早稲田大学出版部)、『戦争とたたかう:憲法学者・久田栄正のルソン戦体験』(2013年、岩波現代文庫)など

*13:関東憲兵隊司令官、関東軍参謀長、陸軍次官、近衛内閣陸軍大臣などを経て首相。戦後A級戦犯として死刑判決。

*14:吉田内閣郵政相、建設相、岸内閣蔵相、池田内閣通産相などを経て首相

*15:宮沢内閣郵政相、橋本内閣厚生相を経て首相

*16:内閣官房長官、池田、佐藤内閣外相、自民党副総裁(田中総裁時代)などを歴任

*17:著書『東京大空襲60年・母の記録:敦子よ涼子よ輝一よ』(共著、2005年、岩波ブックレット)、『新版・東京を爆撃せよ:作戦任務報告書は語る』(共著、2007年、三省堂)、『空襲被災者の一分』(2009年、本の泉社)など

*18:著書『ふくしま再生と歴史・文化遺産』(編著、2013年、山川出版社

*19:『帝国日本の再編と二つの「在日」:戦前、戦後における在日朝鮮人と沖縄人』(共著、2010年、明石書店)、『近代の日本と朝鮮』(共著、2014年、東京堂出版

*20:著書『近代バルカン都市社会史:多元主義空間における宗教とエスニシティ』(2003年、刀水書房)、『ボスニア内戦』(2008年、有志舎)、『中東民族問題の起源:オスマン帝国アルメニア人』(2014年、白水社

*21:佐原氏のプーチンロシア認識、上海協力機構認識の是非はともかく、これらへの認識は重要な問題かと思う。

*22:たぶんid:Mukke閣下は上海協力機構イスラムテロ封じ込めの動きには「中国のウイグル弾圧に荷担してる」と否定的。

*23:2014年9月〜2016年8月(予定)まで、ソウル大学校教授。著書『大名領国制の研究』(1995年、校倉書房)、『戦国・織豊期の武家天皇』(2003年、校倉書房)、『知将・毛利元就国人領主から戦国大名へ』(2009年、新日本出版社)、『戦国大名一揆』(2009年、吉川弘文館)、『戦国期の地域社会と権力』(2010年、吉川弘文館)、『日本中近世移行論』(2010年、同成社)、『東国の戦国争乱と織豊権力』(2012年、吉川弘文館)など。

*24:公式サイトhttp://www.dokdomuseumseoul.com/jp/

*25:著書『洋服・散髪・脱刀:服制の明治維新』(2010年、講談社選書メチエ)、『京都に残った公家たち:華族の近代』(2014年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)

*26:右大臣・外務卿

*27:参議、内務卿

*28:参議、陸軍大将、近衛都督

*29:参議、内務卿