黒坂真に突っ込む(2020年8月23日分)

黒坂真
 (ボーガス注:佐藤*1内閣の日韓国交正常化交渉について)「韓国との会談を粉砕しろ!」ですからね。日本共産党は元祖嫌韓論者ですよ。

 日本共産党の「嫌韓国右翼批判(慰安婦問題、徴用工問題、靖国問題、あるいはホワイト国除外やフッ化水素水輸出規制などでの安倍批判など)」への黒坂の因縁つけです。内容的には【野党ウオッチ】共産党の「韓国ラブ」がすごい「南朝鮮」呼称の時代とは - 産経ニュースなど過去にもあったウヨの因縁つけとほとんど同じですが、色々な意味で「おいおい」ですね。
 第一に、佐藤内閣の日韓国交正常化交渉当時と今とでは政治状況が全然違い単純比較できません。例えば朴正熙と「今の文在寅*2」では「朴を批判する民主派勢力の流れ=文在寅」のわけです。
 大体そんなことを言うなら、安倍*3の所属する自民党、特に台湾ロビーの多かった自民党清和会(安倍の祖父・岸信介*4が創設者で、安倍の父・晋太郎*5が会長を務めたこともある)だって、長年「日中国交樹立反対」だったのですが、田中*6内閣の国交回復(1972年)から48年、福田*7内閣の日中平和友好条約締結(1978年)から42年も経過した今や、さすがにそんなこと(中国との断交&台湾との復交)は安倍も自民党自民党清和会も言いません。日本ウヨですらよほどの極右で無いとそこまでは言わない。
 第二に、そもそも当時の韓国においても「朴正熙を批判する民主化勢力」からは「朴独裁反対→日本の経済支援により朴の政権基盤を強化する日韓国交正常化反対」「戦争責任問題がなおざりにされている(実際そのことが後の徴用工問題や慰安婦問題の一因になります)」など様々な形での国交正常化反対論がありました。まあ、黒坂はそれを「反日親北朝鮮呼ばわり」して片付けるのでしょうが勿論そんな単純な話ではありません。
 第三に日本共産党など左派(他にも社会党、総評など)の反対理由の主な物は「韓国は軍事独裁」「日韓基本条約北朝鮮を不当にも政府として認めてない」でしたが、それらの理由はその後の「韓国民主化」「南北朝鮮国連同時加盟(日韓基本条約北朝鮮を正当な国家扱いせず、日朝間にも南北朝鮮間にも未だ国交が無いが国際社会は南北朝鮮両国の統治権を事実上どちらも正当な物と認めた)」によって「事実上消えた」わけです。
 なお、ついでにいえばウヨ方面にすら国交正常化それ自体には反対しない物の『今後の交渉課題として棚上げにされた竹島問題やいわゆる李承晩ライン(漁業権問題)』を理由に『佐藤政権の日韓基本条約』の「条約内容」には反対する主張は、少数ながらもありました。
 それはともかく、「日本共産党の主張した条約反対理由がその後の状況変化で事実上消えた」からこそ、今や韓国側もよほどの反共極右でない限り日本共産党を敵視などしない。
 それどころか、韓国側と日本共産党の関係は「韓国民主化による反共意識の弱まり」「靖国参拝・小泉*8首相、河野談話否定極右・安倍首相などへの韓国側の危機感」などで

『いま、日本共産党』/志位和夫委員長の著書 韓国で初出版/韓国人ジャーナリストが翻訳
 日本共産党志位和夫委員長の著書『日本共産党とはどんな党か』の韓国語版が20日に韓国で出版されます。日本共産党の書籍が韓国語に訳されて韓国で出版されるのは初めてのことです。

新たな友好の一歩に/笠井氏 韓国与野党幹部と懇談/国交正常化来年50周年
 日本共産党笠井亮衆院議員は16日から18日にかけてソウルの韓国国会で、与野党の幹部らと懇談しました。

『新たな躍進の時代をめざして』 志位和夫委員長の著書/韓国で2冊目を出版
 日本共産党志位和夫委員長の2冊目となる韓国語の著書『新たな躍進の時代をめざして』がこのほど、同国のMSDメディア社から出版されました。昨年春に刊行された『いま、日本共産党』(イマジン出版社刊)に続くものです。

志位委員長の著書『戦争か平和か』/韓国の建国大学が出版
 日本共産党志位和夫委員長の著書『戦争か平和か―歴史の岐路と日本共産党』(2014年10月、新日本出版社)が韓国の建国大学出版部により韓国語に翻訳編集され、『戦争か平和か―戦後70年の東北アジア平和』とのタイトルで今月10日、刊行されました。
 同大学中国研究院の金容民(キム・ヨンミン)研究専任助教授は「解題」で(中略)日本共産党が提唱している「日本の政治がとるべき五つの基本姿勢」について、「これは日本共産党が、我々韓国人にとって『旧友』として、協力すべき日本の良心勢力であるという事実を一番よく表している」と評価しています。
 志位氏の著書が韓国で出版されるのは、『今、日本共産党』(日本語版タイトルは『日本共産党とはどんな党か』)、『新たな躍進の時代をめざして』に続いて3冊目となります。

赤旗編『日本の侵略と植民地支配』/韓国で出版、複数メディア紹介/「日本の言論人の良心告白」
 赤旗編集局編『語り継ぐ日本の侵略と植民地支配』(新日本出版社、2016年3月発行)が韓国で出版され、複数の韓国メディアが紹介しています。
 「韓国経済」はコラムで「日本の中の義人(=正義を重んじる人)たちと手を握って連帯を広げていくことが、日本を真の反省と謝罪に導く道だ」とのべ、「東亜日報」は「日本の政治家の妄言に憤怒しても、植民地支配を心から反省し軍国主義を警戒する良心的な日本人が少なくないことを忘れてはいけない」、「国際新聞」は「日帝の侵略の現場を追跡、日本の言論人らの良心の告白」と見出しで紹介しています。

赤旗編集局編『戦争の真実』 韓国で出版/友好と平和へ“日本の良心”ここに/建国大学 院長が推薦
 赤旗編集局編『戦争の真実―証言が示す改憲勢力の歴史偽造』が、三・一独立運動100年に合わせて、韓国で翻訳出版されることになりました。
 韓国の総合大学、建国大学KU中国研究院の翻訳学術叢書(そうしょ)として出版されるもので、赤旗編集局の本は『語り継ぐ日本の侵略と植民地支配』(2016年発行)に次いで2冊目となります。
 本書の出版にあたり、同研究院の韓仁熙院長が「推薦のことば」を寄せ、小木曽陽司・赤旗編集局長が「ふたたび韓国の読者のみなさんへ」との「まえがき」を書いています。
(以下略)

などということにもなるわけです。
 一方、今の嫌韓国連中の「韓国との断交」という暴論は「慰安婦も徴用工も日本に問題は無い、A級戦犯が合祀されていようが靖国参拝して何が悪い」などという戦前美化ですが、日本共産党は党創立時からそうした「戦前日本の植民地支配、侵略」を批判する立場です。今の嫌韓国ウヨとは全然違う。 
 むしろ皮肉なことに
1)佐藤内閣当時に「韓国は唯一の正統政府(日韓基本条約の立場)」「朴正熙軍事独裁」を理由に日韓国交正常化に反対していた日本共産党が、現在において「戦前美化の立場からの逆ギレ=嫌韓国ウヨの断交論」を非難する一方
2)今「韓国との断交」を叫ぶ嫌韓国ウヨ連中こそが「佐藤内閣の日韓国交正常化」を「反共、反北朝鮮」や「日本企業の韓国進出」の観点から支持し、朴正熙を「親日政治家」と持ち上げたわけです。
 黒坂は「日本共産党は佐藤内閣当時は国交正常化に反対云々」と因縁を付けるのなら、嫌韓国ウヨ連中にも「佐藤内閣当時、韓国を親日国家として持ち上げ、国交正常化も支持したあなた方が何故、今断交を叫ぶのか?」と突っ込むべきでしょう。
 まあ、嫌韓国ウヨ連中は「朴正熙文在寅は違う」、「親日だった韓国が反日になった」、つまり「昔と今では違う」と言いだし、黒坂も「嫌韓国ウヨ連中の類友」としてそれを容認するのでしょうが、だったら日本共産党だって全く同じ話です。
 「朴正熙文在寅は違う」から朴時代は国交樹立に反対した日本共産党も今では断交論を否定するだけの話です。

【参考】

「韓国」「北朝鮮」と呼ぶわけは?
〈問い〉
 日本共産党は以前、南朝鮮北朝鮮と呼んでいたのに、最近は韓国、北朝鮮と呼んでいるのはどういう理由からですか。(新潟・一読者)
〈答え〉 
 南北の両政権は、長い間、自国が朝鮮全体を代表すると主張し、両国の呼称の問題も、どちらを代表とみるかという立場と関連してとらえられてきました。
 この時期、日本共産党は、朝鮮民族の悲願である統一をあくまで支持しつつも、一方の政権だけを朝鮮全体の代表と扱うことは現実にも反し、統一の課題にも背くと指摘してきました。日本では南北を含める場合、朝鮮と呼ぶのが普通なので、両国の略称も、どちらかが全体を代表するという響きがなく、また分断国家への一般的表現にしたがった「南朝鮮」「北朝鮮」という呼称を用いていました。
 しかし一九九一年に、南北の国連同時加盟が実現しました。これは国際社会が、どちらか一方が朝鮮全体を代表するというのでなく、朝鮮の南北それぞれの部分を代表する政権として双方を認めたことを意味します。この結果、たとえば「韓国」と呼ぶことが南を「唯一・合法政府」とする立場ととられることなどは、なくなってきました。
 他方、長い分断の間に、北では「朝鮮」、南では「韓国」の呼称が定着しました。南では「朝鮮」を用いることも少なくなり、南の政権をもっぱら「南朝鮮」と呼ぶと北側の立場に立っているかのように誤解される危険性も生まれてきました。
 これらの点をふまえ、日本共産党は一九九七年から、南の社会や政権そのものを呼ぶときは「韓国」を略称としています。

主張/日韓国交50年/真の和解と友好への転機に
 50年前、両国では国民から条約署名に反対の声が上がっていました。日本共産党も、条約が戦前の日本による植民地支配への反省と賠償を欠いていること、韓国を「朝鮮にある唯一の合法的政府」と規定していること(ボーガス注:北朝鮮を合法的政府として認めていないこと)などを批判しました。当時の韓国が軍事独裁政権だったという問題もありました。
 しかしその後の両国関係は、とくに80年代後半から、歴史的な変化が起こりました。韓国では国民の大きな運動で軍事政権が倒され、民主化が実現。91年には北朝鮮とともに国連に同時加盟し、韓国が朝鮮半島の「唯一合法政府」との規定は事実上否定されました。
 98年には当時の小渕恵三*9首相と韓国の金大中(キムデジュン)大統領が、共同宣言「21世紀に向けた新たな日韓パートナーシップ」に署名しました。そこでは「(日本が)韓国国民に対し植民地支配により多大の損害と苦痛を与えたという歴史的事実を謙虚に受け止め、これに対し、痛切な反省と心からのお詫(わ)びを述べた」と明記されました。
 これは、日韓基本条約が1910年の「韓国併合」を「もはや無効」とのべるだけで、日本側の責任や反省になんら触れていないのとくらべ、大きな進歩でした。

*1:運輸次官から政界入り。吉田内閣郵政相、建設相、岸内閣蔵相、自民党総務会長(岸総裁時代)、池田内閣通産相科学技術庁長官などを経て首相

*2:盧武鉉政権大統領秘書室長、「共に民主党」代表を経て大統領

*3:自民党幹事長(小泉総裁時代)、小泉内閣官房長官を経て首相

*4:戦前、満州国総務庁次長、商工次官、東条内閣商工相を歴任。戦後、日本民主党幹事長、自民党幹事長(鳩山総裁時代)、石橋内閣外相を経て首相

*5:三木内閣農林相、福田内閣官房長官自民党政調会長(大平総裁時代)、鈴木内閣通産相、中曽根内閣外相、自民党総務会長(中曽根総裁時代)、幹事長(竹下総裁時代)など歴任

*6:岸内閣郵政相、池田内閣蔵相、佐藤内閣通産相自民党政調会長(池田総裁時代)、幹事長(佐藤総裁時代)などを経て首相

*7:大蔵省主計局長から政界入り。岸内閣農林相、自民党政調会長(池田総裁時代)、幹事長(佐藤総裁時代)、佐藤内閣蔵相、外相、田中内閣行政管理庁長官、蔵相、三木内閣副総理・経済企画庁長官などを経て首相

*8:宮沢内閣郵政相、橋本内閣厚生相を経て首相

*9:竹下内閣官房長官自民党副総裁(河野総裁時代)、橋本内閣外相などを経て首相