今日の産経ニュースほか(12/10分)(追記・修正あり)

■産経【日曜に書く】急速に左旋回した朝日、共産党指導者*1を「国民的英雄」と称賛した読売…戦後の新聞に見る左傾の源流 論説委員・河村直哉
http://www.sankei.com/column/news/171210/clm1712100009-n1.html

 20年11月7日の社説では、(ボーガス注:朝日)新聞は「工場に、職場に、農山村に働く国民」のための機関であるとした。この表現には、共産主義ないし社会主義との近さを読んでよいだろう。

 いやいやこの文章のどこに「共産主義ないし社会主義との近さ」があるんでしょうか。

 こうした論調に読み取れるのは、新聞も含めて戦争を行った日本という国家の断罪と、共産思想への接近である。

 仮に「共産思想への接近」があるとしても、それは単に「無謀かつ無法な戦争に突入する日本を『個人はともかく』組織として批判したのは共産党くらいしか無かった」ことの反映でしかありません。共産主義への思い入れは率直に言ってそれほどないでしょう。
 そこで「過去をきちんと反省しよう、そうして共産党に立ち向かっていこう」ならまだしも「反省する過去などない」と産経は言い出すのだから話になりません。

21年8月1日の(ボーガス注:産経)社説にこんな一文がある。
 「戦時中極端に右に引締められていた国民が、敗戦と同時に極左に走りたがるのは自然の理ともいえるが、(略)左右両極端いずれにも走るべきではなく、ひたすら中道を誤らないよう努めなければならぬ」

 産経のどこが中道なのか。明らかに極右じゃないですか。それとも「21年当時は中道だったが今は極右」なのか。どっちにしろ極右の産経がよくもまあ「俺たちは中道」なんてふざけたことが今いえるもんです。
 つうかこの産経の昭和21年社説にははっきりと

 戦時中極端に右に引締められていた国民が、(ボーガス注:その反動で)敗戦と同時に極左に走りたがるのは自然の理

と書いているのですが自分で引用しながら、産経記者・河村はそこはなんとも思わないようです。


■産経『「日本会議兵庫」神戸支部が設立総会 湊川神社宮司支部長に』
http://www.sankei.com/west/news/171210/wst1712100020-n1.html

 日本会議兵庫神戸支部の設立総会が9日、同市中央区湊川神社で開かれた。県内8番目の支部で同神社宮司の垣田宗彦氏(60)が支部長に就任。事務局も同神社に置かれる。

 何で神社関係者って、右翼活動することに躊躇が無いんでしょうか。氏子が全員右翼だとでも思ってるのか(いや実際どうか知りませんが)。湊川神社なんて祭神は楠木正成ですからねえ。これで「楠木正成評価は戦前美化じゃない!」云々といっても「寝言も大概にしろ。湊川神社宮司が極右じゃん」で何の説得力もありません。しかし仮に支部長になることを是認*2するとしても「事務局は神社内とは別に置く」程度の配慮もしないってのが酷いですね。日本会議湊川神社が一心同体だとでも思ってるのか。
 これでは「湊川神社はウヨの巣窟だ」「湊川神社の氏子をやることは右翼活動への協力だ」と非難されても何ら文句は言えません。
 まあ、これは「神社本庁の極右どものせいで、明治以降の国家神道の残滓が今も」つう話であってさすがに「神社本庁大嫌いな」俺も「神社は奈良平安の昔から異常な極右思想で、とっくの昔に滅びた方がいい思想だった」とまではいいません。
 そういう「神道全否定」の物言いは「イスラム過激派がテロするからイスラム教はだめ→創始者ムハンマド時代からだめだった」「キリスト教原理主義が中絶病院をテロったりするからキリスト教はだめ→創始者イエス・キリスト(以下略)」レベルの極論、暴論でしょうからね。
 しかし、これでは神社に魅力なんか感じない人が多くても仕方が無いでしょう。少なくとも俺には魅力は無い。
 葬式仏教つう言葉がありますが今の神社なんてもう完全に「初詣神道」「地鎮祭神道」「おみくじ神道」でしょうね。結婚や葬式を神道式でやる人間は少ないだろうし。今の神社なんて「まともな思想性なんかかけらもない」てことです。こんな非常識な右翼活動を「神道の思想です」なんて神社本庁あたりにいわれても迷惑だし。
 

■今日の東京新聞『安倍改憲を許さない 神社本庁と対立する宮司たち』
http://a-tabikarasu.hatenadiary.com/entry/2017/11/27/082931

 改憲運動をけん引する神社本庁側と真っ向から対立する宮司が存在する。軍隊保持や天皇の元首化などの方針に同調せず、「改憲は許されない」「戦前の全体主義に戻してはいけない」と持論を展開する。先月の衆院選で大勝した安倍晋三首相が2020年の新憲法施行を目指す中、神社界はどうあるべきなのか。異端の宮司たちを訪ねた。(池田悌一)
■宮田さん「一人の人間。政治的な考えまで同調せず」
 三重県伊賀市の山あいにある神明神社
(中略)
 神社本庁改憲姿勢に異を唱えるのが、宮田茂一宮司(72)である。
「(中略)安寧が乱された戦前に回帰するかのような今の神社界には怒りしかない」
 もともと中学の教師をしていた宮田さんが、先代の父を継いで宮司になったのは約20年前だ。
 春は豊作を祈願し、秋は収穫に感謝する。そんな穏やかな環境を一変させたのが、2014年7月、安倍内閣閣議決定した集団的自衛権の行使容認だった。
 憲法9条の解釈を変えて他国を武力で守れるようにする衝撃ー。宮田さんは、戦中世代の氏子らから「この地域も戦争で多くが死んだ」「うちの兄貴は戦地で殺された」と聞かされていた。何よりも胸を締めつけたのが、教え子たちへの思いだった。
 「あの子たちを戦場に送ったら絶対にいかん」。
 知人らに声を掛けて市民団体を結成し、閣議決定を批判するとともに護憲を訴えた。
 宮田さんは、あくまでも「個人として」デモや集会への参加を募った。宮司として市民運動に関われば氏子らに迷惑がかかるかもしれないからだ。しかし神社本庁の地元組織には、右翼団体から「神主が安倍政権を批判するとは何事だ」と抗議が相次いだ。
 というのも、神社本庁改憲への意欲は強い。傘下の政治団体神道政治連盟(神政連)は15年6月、改憲パンフレット「誇りある日本をめざして」を発行し、「連合国軍総司令部GHQ)が自ら、わずか1週間で、我が国の大日本帝国憲法を抜本的に書き改め、日本側にその受け入れを迫って作られた」と現憲法の「押しつけ論」を主張する。
(中略)
 宮田さんは、神社本庁周辺から幾度も市民運動への懸念を伝えられ、神政連ヘの加入も求められたが、その都度「何が悪い。神政連に入るくらいなら宮司を辞める」と突っぱねてきた。
 なぜあらがうのか。
「私も一人の人間だ。政治的な考えまで神社界に合わせる必要がどこにあるのか。安倍政権と神社本庁が一体となって立憲主義を壊しにかかっている中、何もしないまま死にたくはない」

 まあただこういう人は少数派でしょうね。だから記事になってしまう。

*1:産経によれば野坂参三のこと

*2:俺は是認しませんが。