新刊紹介:「歴史評論」2月号

★特集:歴史科学協議会第創立50周年記念シンポジウム『天皇制・君主制をめぐる現代歴史学の諸課題』
・詳しくは歴史科学協議会のホームページ(http://www.maroon.dti.ne.jp/rekikakyo/)をご覧ください。小生なりに紹介できる内容のみ紹介します。
■「平成の終焉」と象徴天皇制(瀬畑源*1)   
(内容紹介)
 ネット上の記事紹介で代替。

http://article9.jp/wordpress/?p=9433
■澤藤統一郎の憲法日記『「平成の天皇制とは何かー制度と個人のはざまで」を読む。』
 河西*2天皇明仁)の意識を「社会の中心からこぼれ落ちる人たちをいかに救うか」にあると言う。
 しかし、天皇の行為としての「救う」とは事態を解決することではない。格差や差別を生み出す構造にメスを入れることでもない。むしろ、客観的な役割としては、その反対に社会の矛盾を糊塗し、何の解決策もないままに諦めさせること。しかも、心理的な不満を解消して、共同体に取り込み、こぼれ落ちた民衆の不満が社会や政治への抵抗運動に結びつかないようにする、「避雷針効果」が天皇の役割なのだろう。
 このような天皇の機能や役割は、天皇を権威として認める民衆の意識なくしてはあり得ない。そして、このような民衆の意識は、意図的に刷り込まれ植えつけられたもので、所与のものとして存在したわけではない。この書の中で、森暢平*3が皇太子時代の明仁伊勢湾台風被災者慰問のエピソードを紹介している。
 「ご成婚」から間もない皇太子時代の明仁は、1959年10月伊勢湾台風の被災地を慰問に訪れている。当時25歳。4月に結婚した皇太子妃美智子は妊娠中で単身での訪問だった。伊勢湾台風は59年9月26日に東海地方を襲い、暴風雨と高潮で愛知、岐阜、三重3県に甚大な被害をもたらし、死亡・行方不明は5千人、100万人以上が被災の規模におよんだ。
 中部日本新聞(のちの中日新聞)の宮岸栄次社会部長は、多くの被災者は「(ボーガス注:皇太子の慰問について)むしろ無関心でさえあった」と書いた。「いま見舞っていただいても、なんのプラスもない。被災者にとっては、救援が唯一のたのみなのだ。マッチ一箱、乾パン一袋こそが必要なのだ、という血の叫びであった」とまで断じている。皇太子の警護に人が取られ、「かえって逆効果」という新聞投書(45歳男性、「読売」1959年10月3日)もあったという。
 この皇太子の慰問には、事前の地元への問い合わせがあった。これに対して、「災害救助法発動下の非常事態であるため、皇太子の視察、地元はお見舞いなどとうてい受け入れられる態勢ではなかった」「さきに天皇ご名代として来名(名古屋来訪)される話があったときも、すでにおことわりするハラであったし、十分な準備や警備は、むろんできないばかりか、そのためにさく人手が惜しいほどだったのだ」との対応だったが、それでも宮内庁側は「重ねて来名の意向を告げてきた」という。伊勢湾台風被災地訪問は、皇太子明仁の強い意欲もあったとされるが、成功していない。
 私は、このときの水害被災者の受け止め方を真っ当なものと思う。深刻な苦悩を背負っている被訪問者が、天皇や皇太子に対して、「あなたは、いったい何をしに来たのか? あなたが私のために何ができるというのか?」と反問するのは至極当然のことではないか。
 あれから60年。人心が変化したのだろうか。それとも、宮内庁とメディアによる「情け深い皇室」の演出が巧みになってきたのだろうか。

http://nearfuture8.blog45.fc2.com/blog-entry-1712.html
■河西秀哉 編『戦後史のなかの象徴天皇制
 裕仁は戦後もずっと君主きどりだつた。
 「オザワ」と呼び捨てにされたと、小沢一郎*4の回想録にもしるされる。
(中略)
 芦田均*5は、時代錯誤の「内奏・御下問」を廃そうとしたが、つよいもとめに応じ参内、冷戦でアメリカの肩をもてと説教される。
(中略)
 1971年のヨーロッパ訪問は悲惨だった。
 デンマークでビラを、ベルギーで卵を、大好きなイギリスでコートを投げつけられた。
 植樹した苗木は引っこ抜かれた。
 オランダではついに群衆の怒りが爆発、沿道にプラカードたちならぶなか、暴徒にぶつけられた瓶で車窓にヒビがはいつた。
 ヒトラーの友人が歓迎されると期待してたなら、「KY」とは裕仁のためにあることばだ。

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51863
■現代ビジネス『なぜ日本人はこれほどまでに天皇を「尊敬」しているのか:昭和は「無感情」が一番多かったが…』河西秀哉
 昨年8月の明仁天皇による「おことば」の発表以来、天皇制に関する関心は以前にも増して高まっている。とはいえ、天皇制が存在感を高めてきたのは、この10数年の一貫した傾向であると思われる。
 それはNHKが5年ごとに行っている「日本人の意識」調査から、知ることができる。この調査は同じ質問、同じ方法で世論調査を行っており、まさに「日本人の意識」を定点観測的に理解できるデータである。
 1970〜80年代、天皇制は「地盤沈下」の時期を迎えていた(渡辺治*6『戦後政治史の中の天皇制』青木書店、1990年)。日本社会は「政治の季節」から「経済の季節」へと転換しており、企業を中心とした社会が成立し、それに基づく経済問題が社会の中心的な関心にあった。
 そうした状況のなかでは、天皇制の存在価値も低く、注目度もそれほど高くはなかったのである。
 1950〜60年代は明仁皇太子や美智子皇太子妃の個人的人気(例えば、ミッチー・ブーム)などに支えられ、マスメディアでも多数の報道がなされたために人々の天皇制への関心は高かった。
 しかし、それは長くは続かず「飽き」が生じ、天皇制は急速に人々の関心を失っていくのである(河西秀哉『明仁天皇と戦後日本』洋泉社新書、2016年)。
 しかもこの時期、天皇の地位を「象徴」から「元首」にしようとする自由民主党憲法改正の動きも、基本的にはなくなって象徴天皇制は定着する。こうして、政治上の中心的な関心からも天皇制はこぼれ落ちることとなった。
 だからこそ、この時期の「日本人の意識」調査では「無感情」が最も多かったのである。人々は天皇制よりも、経済や消費などの活動に傾注していく。
 この時期の調査で「無感情」に次いで「尊敬」が多いのは、象徴天皇制への意識というだけではなく、昭和天皇個人への人々の感情とも見ることができる。70〜80代となった天皇は即位から50年ほどを経、その存在感が人々に認識されていたのではないか。
 また昭和の時期も調査を経るにしたがって、次第に「尊敬」が減少している(33%→28%)。戦前から戦中の間に教育を受けた世代が次第に減少し、「象徴」としての天皇しか知らない若い世代が増加したことがその要因かと思われる。
 そしてこうした層が「無感情」と答えたのではないだろうか。
 ところが平成に入ると、この数値に変化があらわれる。
 平成も5年が経過した1993年の調査では、「好感」が急に43%と数値を伸ばし、「無感情」が34%とそれまでよりも減少したため、人々の天皇に対する感情で最も多いのは「好感」になり、その順位が逆転したのである。
 これは、1989年の天皇即位にあたって天皇が「国民とともに」という文言の入った「お言葉」を口語体の「です・ます」調で発表し、それが人々に語りかけるような態度で、時代は変わったと受けとめられて新しい天皇制を予感させたからであろう。
 マスメディアはこれを大きく取りあげていく。また、明仁天皇美智子皇后は即位後、積極的に全国を旅して人々と接触していった。
 昭和末期は、昭和天皇の体調の関係もあり、こうした活動は控えられていたことから、平成の皇室の動向に対して報道も過熱化し、それが人々に受容されていったのであろう。
 これは「開かれた皇室」とも呼ばれ、新しい天皇制のあり方として好意的に報道されていった。それゆえ、「無感情」が減って「好感」が増えたのである。
 一方、「尊敬」は21%と昭和の時から減少している。(ボーガス注:元国家元首として?)カリスマ的権威を身につけていた昭和天皇とは異なり、明仁天皇にはそうした権威が感じられないために「尊敬」は減少したが、「開かれた皇室」への人々からの好感が高かったために「好感」が増えたと思われる(吉田裕*7『現代歴史学軍事史研究』校倉書房、2012年に収録)。平成は身近な天皇制だと人々に実感されていたのである。
 この調査、1998年には「無感情」が44%「好感」が35%と、再びその順位が逆転した。おそらく、即位後の報道が落ち着きを見せたことがその要因であった。
 その次の調査からは、「無感情」と「好感」が1回ごとに逆転する結果となっている。とはいえ、「好感」が昭和の時の約20%よりも、34〜43%と数値が高いことが平成の特徴である。やはり、平成は「開かれた皇室」として、人々には身近な存在として「好感」される天皇制と認識されていた。
 ところが、「日本人の意識」調査は近年、そうした傾向から変化してきた。
 昭和の時代から平成の最初には減少傾向であった「尊敬」が、2003年の調査くらいからじわじわと上がり始めた。
 1999年には北海道南西沖地震の被災地、2001年には阪神・淡路大震災被災地の復興状況を視察するなど、被災地を気にかける天皇の印象が強くなってきたからだろうか。
 2013年には「尊敬」が34%になって、最も多い「好感」の35%に迫る勢いを見せたのである。
 2013年の「尊敬」の数値は、調査以来最も高い数字であり、昭和の時よりも現在の方が天皇のことを「尊敬」と感じる人々が増えているのである。また、昭和の時代には40%台後半もあった「無感情」が28%に減少していることも重要であろう。
 おそらく、これまで「無感情」であった人が、「尊敬」もしくは「好感」に流れているのである。
 なぜこのような数値に変化したのだろうか。
 これは2011年の東日本大震災後の明仁天皇美智子皇后の行動や思想が影響しているように思われる。
 大震災後、天皇はすぐに被災者へのメッセージを発したほか、皇后とともに被災者へのお見舞いのためにいち早く被災地へ赴き、その後もそれを繰り返している。それまでの地震災害以上に熱心であり、その様子がメディアを通じて伝えられたからだろう。
 そこで展開される光景は、体育館の床に座っている被災者に対して、床に膝をついて同じ目線で話を聞く天皇・皇后の姿である。80歳を越えた天皇・皇后のそのような取り組みは、マスメディアを通じてさかんに人々へ伝えられた。
 近世天皇制を研究している藤田覚*8は、そうした天皇・皇后の光景を「私には、どこか『ありがたい』というようなやわらかな雰囲気に見えた。天皇・皇后は、困難や苦難のなかにいる人びとを『慰撫』する力をもっている、といえるのではないかと思った」と記している(「天皇 変わるものと変わらないもの」『思想』第1049号、2011年)。
 こうした「ありがたい」という感情が、「日本人の意識」調査の「尊敬」へとつながったのではないか。
(中略)
 とはいえ、これを単純に昭和の時代に回帰したと見るのは早計であろう。
 前述したように、昭和の時代の調査で「尊敬」と答えたのは、戦前から戦中の間に教育を受けた世代である。その世代は、昭和天皇に対する強烈な印象、天皇制に対する意識を持っていた。
 今回の「尊敬」はこれを同じであろうか。そうではない。
 現在の天皇・皇后の振る舞いに対し、「どこか『ありがたい』」と述べた藤田の言葉が象徴的であるが、まさに「どこか」そう感じる、というのが現在の感情である。その意味では、共感に近い「尊敬」なのかもしれない。

 この現代ビジネスの河西論文は内容的には
■新刊紹介:「歴史評論」8月号(その1:特集「日本の敗戦から70年」)
http://d.hatena.ne.jp/bogus-simotukare/20150720/5210275409
で紹介した
■「戦後社会と象徴天皇制明仁天皇美智子皇后に焦点をあてて」(河西秀哉)
と内容的にかぶるので本来
■新刊紹介:「歴史評論」8月号(その1:特集「日本の敗戦から70年」)
http://d.hatena.ne.jp/bogus-simotukare/20150720/5210275409
で紹介すべきですが、当時はその存在に気づかなかった上、今となってはちょっと分量的に書き込めそうにないのでこちらに書いておきます。


小特集『吉見裁判運動を振り返って』
■吉見*9裁判とは何か(加藤圭木*10
■歴史科学運動としての吉見裁判(高田雅士)
■「他者化」しない姿を模索する:日本軍「慰安婦」問題解決運動と吉見裁判(永山聡子)
(内容紹介)
 うまく要約できないので、いくつか指摘しておく。
1)詭弁で桜内の名誉毀損行為を免罪した最高裁は「桜内と同様の歴史認識を持つ極右首相・安倍晋三」に忖度したと言っていいであろう。安倍から裁判所に対しはっきりとした恫喝があったのかどうかはともかく、裁判所は自らの権威をドブに捨てたと言っても過言ではあるまい。
 なお、裁判所は詭弁で「桜内は名誉毀損行為をしてない」としたもののそれは「河野談話否定論が正しい」だの「吉見氏の研究成果が間違っている」だのという意味ではないことに注意が必要だろう。この意味で桜内らウヨが「裁判で河野談話や吉見氏の間違いが認められた」とするのはデマも甚だしい。
2)各論文が吉見氏を誹謗した維新の桜内や、「詭弁で桜内の名誉毀損行為を免罪した裁判所」、植村隆氏を誹謗した産経などを批判しているのは当然だが、一方で「桜内らと違い一見、中立的装いをしているからか」、朴裕河『帝国の慰安婦』(2014年、朝日新聞出版)がいわゆる「左派やリベラル派と見なされてきた人間*11」からすらあまり批判されていないこと、それどころか時に評価すらされていること*12を「誤った認識」「慰安婦制度の免罪という意味では朴と極右に違いは無い」として厳しく批判している。
 朴に対する批判として例えば鄭栄桓*13『忘却のための「和解」:『帝国の慰安婦』と日本の責任』(2016年、世織書房)があげられている。
3)吉見訴訟での不当判決など、日本国内での状況は深刻であるが、一方で「それでも日本国内において吉見訴訟を支援するなどの動きがあること」、サンフランシスコ市の慰安婦記念碑など国際的にはむしろ日本批判の動きが強まっているとみられることは一つの希望であろう。

【ネット上の朴裕河批判:今後増える可能性あり】
■誰かの妄想・はてなブログ版『朴裕河「帝国の慰安婦」関連の記事』
http://scopedog.hatenablog.com/entry/20151129/1448812588
 id:scopedog氏のこのエントリで紹介されてる記事は以下で小生が紹介する記事とかなりダブりますがその点はご容赦ください。


日朝国交「正常化」と植民地支配責任(鄭栄桓)
朴裕河『帝国の慰安婦』の「方法」について
http://kscykscy.exblog.jp/22813455/
朴裕河『帝国の慰安婦』の「方法」について(2)
http://kscykscy.exblog.jp/23946973/
朴裕河『帝国の慰安婦』の「方法」について(3)
http://kscykscy.exblog.jp/23960512/
朴裕河『帝国の慰安婦』の「方法」について(4)
http://kscykscy.exblog.jp/23976255/
朴裕河『帝国の慰安婦』の「方法」について(5)
http://kscykscy.exblog.jp/23984796/
朴裕河『帝国の慰安婦』の「方法」について(6)
http://kscykscy.exblog.jp/24019015/
朴裕河『帝国の慰安婦』の「方法」について(7)
http://kscykscy.exblog.jp/24177389/
朴裕河氏の「反論」について
http://kscykscy.exblog.jp/24309230/
朴裕河の「反論」を検証する――再論・『帝国の慰安婦』の「方法」について(1)
http://kscykscy.exblog.jp/24899547/
朴裕河の「反論」を検証する――再論・『帝国の慰安婦』の「方法」について(2)
http://kscykscy.exblog.jp/24906085/
朴裕河の「反論」を検証する――再論・『帝国の慰安婦』の「方法」について(3)
http://kscykscy.exblog.jp/24909033/
朴裕河の「反論」を検証する――再論・『帝国の慰安婦』の「方法」について(4)
http://kscykscy.exblog.jp/24934155/
朴裕河の「反論」を検証する――再論・『帝国の慰安婦』の「方法」について(5)
http://kscykscy.exblog.jp/24971155/
朴裕河の「反論」を検証する――再論・『帝国の慰安婦』の「方法」について(6・終)
http://kscykscy.exblog.jp/24971493/
朴裕河『帝国の慰安婦』の「第27回アジア・太平洋賞」特別賞受賞について
http://kscykscy.exblog.jp/24967736/
■なぜ朴裕河『帝国の慰安婦』は右派に受け入れられるのか
http://kscykscy.exblog.jp/25031090/


河野談話を守る会のブログ
■検証・朴裕河 『帝国の慰安婦』① 本当に吉見義明の著作を読んでいるか?
https://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/64910832.html
■検証・朴裕河 『帝国の慰安婦』 ②先行研究の無視
https://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/64911556.html
■とんだハンナ・アーレントがあったもんだ!化けの皮がはがされて行く朴裕河
https://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/64914253.html
■能川元一氏の『帝国の慰安婦』批判について
https://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/64904466.html


思いつきのメモ帳
■『帝国の慰安婦』(朴裕河)でひっかかった点2
http://d.hatena.ne.jp/yasugoro_2012/20150222/1424584279
■日本政府は『帝国の慰安婦』における明らかな間違いに訂正を申し入れたりはしないのかな?
http://d.hatena.ne.jp/yasugoro_2012/20150328/1427565738
■『帝国の慰安婦』(朴裕河)の中で記述を改めてほしいと個人的に思う箇所
http://d.hatena.ne.jp/yasugoro_2012/20150225/1424879830


法華狼の日記
朴裕河氏が慰安婦支援団体と衝突した一因として、ことわりなくNHK記者をつれていった問題があることがわかった
http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20160203/1454542890
■少女が被害者であったという観念を『帝国の慰安婦』が批判するのはいいのだが、慰安婦募集広告の検証が見つからないので困っている
http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20160611/1465747070
■「『帝国の慰安婦』著者批判に熱中する日本の正義オタク」という記事によると、「引用や取材の甘さを持ち出して糾弾するのは、あまりにオタクな対応」だという
http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20160625/1467117530

*1:著書『戦後史のなかの象徴天皇制』(共著、2013年、吉田書店)、『平成の天皇制とは何か』(共著、2017年、岩波書店)など

*2:著書『「象徴天皇」の戦後史』(2010年、講談社選書メチエ)、『皇居の近現代史:開かれた皇室像の誕生』(2015年、吉川弘文館)、『明仁天皇と戦後日本』(2016年、洋泉社歴史新書y)、『天皇制と民主主義の昭和史』(2018年2月刊行予定、人文書院)など

*3:著書『天皇家の財布』(2003年、新潮新書)など

*4:中曽根内閣自治相・国家公安委員長自民党幹事長(海部総裁時代)、新生党代表幹事、新進党党首、民主党幹事長などを経て自由党代表

*5:幣原内閣厚生相、片山内閣副総理・外相などを経て首相

*6:天皇制関係の著書に『日本の大国化とネオ・ナショナリズムの形成:天皇ナショナリズムの模索と隘路』(2001年、桜井書店)

*7:天皇制関係の著書に『昭和天皇終戦史』(1992年、岩波新書

*8:著書『近世政治史と天皇』(1999年、吉川弘文館)、『近世天皇論』(2011年、清文堂出版)、『幕末の天皇』(2013年、講談社学術文庫)など

*9:著書『従軍慰安婦』(1995年、岩波新書)、『毒ガス戦と日本軍』(2004年、岩波書店)、『日本軍「慰安婦」制度とは何か』(2010年、岩波ブックレット)、『焼跡からのデモクラシー:草の根の占領期体験(上)(下)』(2014年、岩波現代全書)など

*10:著書『植民地期朝鮮の地域変容:日本の大陸進出と咸鏡北道』(2017年、吉川弘文館

*11:ウィキペディア朴裕河』によれば上野千鶴子大江健三郎鎌田慧河野洋平村山富市氏などがそれにあたる。三論文でもこうした人士が批判されている(特に世間一般にはフェミニズム学者扱いされている上野への批判が強い)。

*12:朴本は第15回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞(早稲田大学)、「第27回アジア・太平洋賞」特別賞(毎日新聞社)を受賞している。

*13:著書『朝鮮独立への隘路:在日朝鮮人の解放五年史』(2013年、法政大学出版局