「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2022年5/9日分:荒木和博の巻)

尹錫悦新政権と日本(R4.5.10): 荒木和博BLOG

 日本は原則論を曲げないようにすべきだと思います。

 7分程度の動画です。説明文だけで見る気が失せます。「原則論」とは何なのか?
 といえば、極右「歴史修正主義」(徴用工や慰安婦の違法性否定など)の荒木のことなので「歴史認識問題で自民党の言い分を韓国が全て飲まない限り、ホワイト国除外を解除するな」などという暴論であることは動画を見なくても予想がつきます。
 実際、その通りですので、心底呆れます。
 第一にそんなことは荒木がこの動画で「行うはずの建前」である「拉致解決」と何の関係があるのか。何の関係もない。
 第二にこうした主張はまさに「ネオナチのホロコースト否定論」などと同じデマでしかない。どこまで恥知らずでクズなのかと心底呆れます。
 いずれにせよ荒木らウヨが期待するようなことにはならないでしょう。何故そう思うか。
 第一に「尹錫悦は僅差での大統領選勝利」であり「少数与党(議会多数派は野党の『共に民主党』)」です。第二に「歴史認識問題」において韓国では右派ですら「荒木ら日本ウヨの言うことを丸呑みしろ」なんて「日本ウヨの幇間」はさすがにほとんどない。
 第三に過去の右派政権ですらそんな「日本ウヨの幇間」ではない。
 藤尾正行文相が「韓国併合正当化発言」で韓国政府に抗議され、中曽根首相が辞任を求めたにもかかわらず藤尾が「絶対に辞めない」と居直ったため、首相権限で更迭したとき*1全斗煥政権でした。
 従軍慰安婦についてのいわゆる加藤官房長官談話(金泳三政権時の河野談話でバージョンアップしたのでウヨは河野談話を批判しても、もはや加藤談話に言及しませんが、河野談話が出るまでは加藤談話が悪口雑言されていました)が出たときは盧泰愚政権でした。
 ウヨ連中が「親日派扱いする全や盧(金大中盧武鉉文在寅とは対立する立場)」ですら「本人の意思」か「国民世論を無視できなかった(あるいはこうした行為で独裁への批判をなだめようとした)」のかはともかく「歴史認識問題(韓国併合慰安婦)」で日本批判しました。荒木ら日本ウヨの評価基準では全や盧ですら「反日」になるでしょう。
 なお、「藤尾更迭」を招いた「韓国政府の抗議」を理由に全を「反日」と荒木は罵倒してもおかしくないのですが、奴はそんなことは勿論しません。「全を褒め称える上」で、都合が悪いので「なかったことにして無視するだけ」です(荒木和博も、朴正煕や全斗煥をそんなに高く評価するのなら、拓殖大学の紀要や極右雑誌でないまともな学術誌に彼らの時代制約もふくめて論じる論文でも投稿したらどうか - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)参照)。
 ちなみにウィキペディアに寄れば荒木が褒め称える朴正熙政権(1961年のクーデターで実権を握り、1979年に暗殺されるまで約18年間、朴は政府トップ)ですら、

李奉昌 - Wikipedia
 桜田門事件(昭和天皇暗殺未遂)で1932年に死刑執行。1962年、韓国政府(朴正煕政権)は彼に建国勲章大統領章(2等級)を追叙
尹奉吉 - Wikipedia
 上海天長節爆弾事件上海派遣軍司令官・白川義則*2を殺害し、第三艦隊司令長官・野村吉三郎*3、第9師団長・植田謙吉*4、上海総領事・村井倉松*5、上海公使・重光葵*6らを負傷させ、1932年に死刑執行。1962年、韓国政府(朴正煕政権)は彼に建国勲章大韓民国章(1等級)を追叙

しています。
 荒木らはウヨは安重根(元韓国統監・伊藤博文を暗殺)を「テロリスト」呼ばわりし、彼を顕彰する文在寅政権に「テロリストを美化するのか」などと悪口雑言してましたがその理屈なら、朴正熙のこうした行為も「テロリストを美化するのか」と悪口すべきでしょう。しかし、「朴本人の意思(朴自身が李奉昌らを本心から敬愛している)」か「李奉昌らを敬愛する国民世論を無視できなかった(あるいはこうした行為でクーデターや独裁への批判をなだめようとした)」のかはともかく朴を称える荒木らウヨにとってこうした行為は「都合が悪い」ので朴非難など勿論せず「なかったことにして無視するだけ」ですが。


藤田隆司さんの著書まもなく出版【調査会NEWS3601】(R4.5.9): 荒木和博BLOG
 どこから本が出たのかと思ったら

【刊行年順(刊行年が同じ場合は著者名順)】
◆青柳武彦『日本人を精神的武装解除するためにアメリカがねじ曲げた日本の歴史』(2017年)
◆落合道夫『黒幕はスターリンだった:大東亜戦争にみるコミンテルンの大謀略』(2018年)
◆佐々木類『静かなる日本侵略:中国・韓国・北朝鮮の日本支配はここまで進んでいる』(2018年)
◆佐々木類『日本が消える日:ここまで進んだ中国の日本侵略』(2019年)
◆佐々木類『日本復喝!:中国の「静かなる侵略」を撃退せよ』(2020年)
林房雄神武天皇実在論』(2020年:復刻版)
◆佐々木類『チャイニーズ・ジャパン:秒読みに入った中国の日本侵略』(2021年)
◆高田純『脱原発中共の罠』(2021年)
◆落合道夫『誰も書かなかったリベラルの正体:日本と世界を惑わす共産主義の“変異株”』(2022年)
◆関野通夫『WGIP・日本人を狂わせた洗脳工作:今なおはびこるGHQの罠』(2022年)

の版元「ハート出版(常軌を逸したデマ右翼出版社)」というから吹き出しました。自費出版の方がまだましでしょう。
 やはり「特定失踪者」などという明らかなデマを著書として刊行してくれるところは「ほとんどない」のでしょう。
 なお、今回の「ハート出版」以外では

草思社
◆荒木『山本美保さん失踪事件の謎を追う:拉致問題の闇』(2012年)
草思社は他にも西岡力『増補新版・よくわかる慰安婦問題』(慰安婦違法性否定論)、『でっちあげの徴用工問題』(徴用工違法性否定論)などのトンデモ本を刊行
【高木書房】
◆特定失踪者家族会『「ただいま」も言えない「おかえり」も言えない』(2020年)
→高木書房は他にも諸橋茂一『日本が世界の植民地を解放した』(大東亜戦争聖戦論)などのトンデモ本を刊行
展転社
◆荒木『北朝鮮拉致と「特定失踪者」』(2015年)
展転社は他にも安濃豊『アジアを解放した大東亜戦争』(大東亜戦争聖戦論)、冨士信夫『「南京大虐殺」はこうしてつくられた』(南京事件否定論)、的場光昭アイヌ民族って本当にいるの?』、『捏造と反日の館〝ウポポイ〟を斬る』(アイヌ民族否定論)などのトンデモ本を刊行
【毎日ワンズ】
特定失踪者問題調査会『消えた277人』(2007年)

が「特定失踪者」というデマを著書として刊行しています。
 しかし

 著者藤田隆司さんは残念ながら現在病床にあり、ゲラのチェックなどは私がやりました。基本的には原文のままですが私が巻末に解説を書いていますし、了解を得て私の判断で一部加筆もしましたので、内容についての責任は私が負います。

ねえ。
 「了解を得て加筆」つうのはもはや「藤田の著書」といえるのか。特に「どこを加筆したのか全く分からない」だの「全体の分量の4割加筆した」だのであれば「荒木の著書じゃないのか?」という疑念が出てきます。
 そして本当に荒木は「内容についての責任は私が負います」と断言するほどの「責任を負う気がある」のか。
 都合が悪くなったら「文責は藤田さんにある。私は手伝っただけだ」と本当に逃げないのか?。
 そもそも「藤田がいつ死んでもおかしくない重病」なら「まともに原稿確認ができる」とも思えず「刊行していいのか」と思いますね。
 一方で藤田の病気が「治癒の見込みがある」のならば治ってから「まともに確認して刊行」すればいい。
 どっちにしろ「藤田が病気」という状況で「果たして刊行していいのか」つう疑念は感じます。「うがった見方」をすれば、実は「書いてはみた物の、できが良くないと思い、本として刊行しない(あるいは刊行する場合も大幅に書き直そう)」と思っていた藤田が「病気になった」のをいいことに「荒木が出版をごり押ししたのでは?」とも疑えます。

*1:普通、こういう場合は自分から辞任しますので「首相権限での更迭」はほとんど例がありません。辞任要求を突っぱねれば確実に干されるからです(実際、中曽根政権下において藤尾はこの後、大した役職に就いてない)。「首相と大臣の対立理由が深刻なもの(例:反吉田の立場から、野党の提出した吉田首相懲罰動議採決に欠席した吉田内閣の広川弘禅農林相)で大臣を自分から辞めても干されることに違いはない」「大臣を辞めないことであえて首相に嫌がらせをする」などと言う場合でもない限りそんな自分にとって利益のない「バカなこと」は誰もしない。特に藤尾は中曽根派で「中曽根の引きで政調会長や大臣(中曽根内閣文相)になった」ので「親分の命令に従って、自分から辞めるだろう」と当初は思われていました。藤尾の方は「首相権限での更迭はできない」「ここで中曽根の要求を拒否すれば、ウヨ仲間内での自分の株が上がる」と甘く考えていたのかもしれませんが。なお「首相の大臣罷免」は「吉田内閣の広川農林相」「中曽根内閣の藤尾文相」以外では「片山内閣の平野力三農林相(西尾末広官房長官との対立で、片山が平野ではなく西尾を選んだ)」「小泉内閣島村宜伸農林相(郵政解散閣議決定への署名拒否)」「鳩山由紀夫内閣福島瑞穂少子化等担当相(普天間基地移設問題での対立)」があります(罷免 - Wikipedia参照)

*2:関東軍司令官、田中内閣陸軍大臣上海派遣軍司令官など歴任。死後、天皇から勲一等旭日桐花大綬章並びに功二級金鵄勲章に叙され、男爵を追贈された(警官が殉職したときの二階級特進みたいなもんです)。田中内閣陸軍大臣時代に「河本大作(張作霖暗殺実行犯)の処分」に反対し、昭和天皇の叱責による「田中義一首相の辞任」を招いたことで知られる。なお、山田朗昭和天皇の軍事思想と戦略』(2002年、校倉書房)は「田中内閣陸軍大臣辞任後も白川が予備役編入されず、上海派遣軍司令官という要職に就任していること」から天皇の「田中叱責理由」は「田中の食言行為(当初、河本を処分すると報告しながら結局反故にした)」であって「河本への処分が軽かったことではない」と見なしている。

*3:軍令部次長、呉鎮守府司令長官、横須賀鎮守府司令長官、第三艦隊司令長官、阿部内閣外相、駐米大使など歴任

*4:支那駐屯軍司令官、第9師団長、参謀次長、朝鮮軍司令官、関東軍司令官など歴任

*5:戦前、上海総領事、シドニー総領事、シャム(タイ)公使など歴任。戦後は八戸市長に就任し、在任中に病死

*6:戦前、東條、小磯内閣外相。戦後、戦犯として禁固7年の刑に服し、公職追放もされるが、いわゆる逆コースで公職追放が解除され政界に復帰。改進党総裁、日本民主党副総裁(総裁は鳩山一郎)、鳩山内閣外相など歴任