新刊紹介:「歴史評論」12月号(その2:パラケルスス、ゲーテ、ホムンクルス)

http://d.hatena.ne.jp/bogus-simotukare/20181121/5210278609の続き。
パラケルススゲーテホムンクルス(村瀬天出夫(むらせあまでお))
(内容紹介)
 ネット上の記事紹介で代替。

パラケルスス(1493〜1541年:ウィキペディア参照)
ホムンクルス(人造人間)の製造に成功したとの伝説がある医師、化学者、錬金術師、神秘思想家。バーゼル大学で医学を講じた1年間を例外に、生涯のほとんどを放浪して過ごした。
錬金術の研究から、これまでの医学に化学を導入し、酸化鉄や水銀(梅毒の治療に使ったという)、アンチモン、鉛、銅、ヒ素などの金属の化合物を初めて医薬品に採用した。この業績から「医化学の祖」と呼ばれることがある。
パラケルススを賞賛する人たちからは「医学界のルター」と呼ばれたが、カトリックパラケルススは「私をあんな下らない異端者と一緒にするな。」と言い放ったと言われる。
錬金術師として高名であり、さまざまな伝承があるため、創作物でしばしば取り上げられている。
 パラケルススが生成したと言われる「ホムンクルス」の伝説は後にドイツの作家ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ*1に影響を与え、1833年に発表された『ファウスト』(邦訳:講談社文芸文庫集英社文庫新潮文庫)にも主人公の弟子ヴァーグナーが「ホムンクルス」の生成に成功する描写がある。
 イギリスの詩人ロバート・ブラウニングは1835年にパラケルススを題材にした『パラケルスス』と言う長い詩を書いている。
 オーストリアの小説家アルトゥル・シュニッツラー*2は1899年にパラケルススを題材にした『パラケルスス』と言う詩を書いている。
 1943年ドイツで、パラケルススバーゼル時代を扱った映画『パラケルスス』 が公開された(監督ゲオルク・ヴィルヘルム・パープスト、主演ヴェルナー・クラウス)。
 アルゼンチンの作家ホルヘ・ルイス・ボルヘス*3パラケルススを主人公にした短編小説『パラケルススのバラ』と言う小説を書いている。
 荒川弘の漫画『鋼の錬金術師*4に登場する主人公エドワード・エルリックの父親であるヴァン・ホーエンハイムは、パラケルススの本名「ファン・ホーエンハイム」が由来である。

http://sekibang.blogspot.com/2014/08/blog-post_25.html
パラケルスス文書とパラケルスス主義者
 先日、学習院女子大で開かれたJARS(Japanese Association for Renaissance Studies ジャースと読むらしい)主催の研究会「ボッティチェッリからスピノザまで」に参加した。懇親会を含めて賑やかな会で、大変楽しい時間を過ごさせていただいたのだが、なかでもとくに村瀬天出夫さんの 「ルネサンス期ドイツにおける終末論とパラケルスス主義」という発表は、個人的に惹かれるものが多々あった。15世紀末からさまざまな終末を語る予言書が出版され、それらが広く読まれていた、という史実にもとより興味があり、その関連でメランヒトン*5の終末論なども気になっていたのだが、村瀬さんの発表で、ルター派の終末論とパラケルスス主義者の終末論の比較がおこなわれていたのが印象に残った。
 パラケルススに関しては、昨年末出版された『パラケルススと魔術的ルネサンス*6に詳しいが、15世紀末に生まれ、不遇の人生を送りながらヨーロッパを遍歴した極めて変人的な医師・錬金術師、と乱暴に紹介しておこう。村瀬さんの概算によれば、現代のハードカバーにして30巻ほどになるという膨大な量の原稿を書き残したが、そのほとんどが生前出版されなかったことからも彼の不遇っぷりが垣間見える。そうした原稿は現在「パラケルスス文書」と呼ばれ、彼の死後20年ほど経った頃に、ドイツの医師たちがパラケルスス医学を広めるために、これらを出版していこう! という動きを起こしたことで脚光を浴びることとなる。
 ときは16世紀。ヨーロッパのあちこちで宗教戦争が起こりまくっており、末法マッポー)めいたヴァイブスが充満しているなかである。同時期にルター派が「ローマにいるアイツらは偽学者だ! 終末は近い!!」、「ルターは預言者エリヤの再臨だった! 終末は近い!!」とか言っているのに似て、パラケルスス主義者たちは「アリストテレスとかガレノスとか異教的な学問をやっているのは堕落だ!」とメインストリームの医学を攻撃し、その終末論的言説もかなり共有されていた。わたしが面白いと思ったのは、この似たようなふたつの運動の共有部分ではなく、相違点である。この相違点が、パラケルスス主義者たちの奇妙さを際立たせているように思う。
 まず、パラケルスス主義者たちは直接にパラケルススを知らなかったことが面白い。ルター派はルターの生前から彼本人を中心とした教団的活動がおこなわれていたはずで、よりどころになるカリスマの死後もその影響力が継続している。しかし、パラケルスス主義者は中心にいるべきカリスマが最初から不在でありながら、その不在のカリスマを信奉しているのである。この不在の者を信奉している感じは、隠れイマームを信仰している熱狂的な方々にも通ずるものがあるように思われ、なにより、カルトっぽさがある。
 本人不在のカルト集団(ものすごく乱暴な表現だが)という性格上、パラケルスス文書の研究にもその問題が影を落としている、という。なにしろ、本人の死後に出版活動がおこなわれているので、偽文書が作り放題である(ルター派であれば、偽文書が作られてもすぐに『アレは偽文書だ!』というチェックが働き、後世に残らない)。しかも、めんどうくさいことに「たぶん偽文書だが、パラケルスス本人の思想が入っていないわけではない」みたいな微妙な文書もたくさんある。テクストの真正性に関する研究はまだまだこれからだそうで、いまようやく文書の収集に目処がつきそうな感じであるらしい。
 なお、パラケルスス自身による手稿は一切現存していない。そもそも遍歴の人生を歩んできた人が膨大な手稿を持ち運んで移動できるはずがなく、その原稿は散逸してたり、死蔵されていた。パラケルスス主義者の運動は、そういう原稿を発掘する運動でもある。では、パラケルススに直接あったこともなかった人たちが、なぜ、そんな大変そうな仕事に取り組むことになったのか。これが第2の面白ポイントである。しかも、パラケルスス自身は生涯に一度も改宗しなかったカトリック信徒であるのに、パラケルスス主義者はプロテスタントだったというではないか。
 この点に関しては、当日会場からも質問がでていた。不遇であったはずのパラケルススがどうしてそのようなムーヴメントを生めたのか、と。村瀬さん曰く「パラケルスス医学は、完全に無視されていたわけではなく、当時も知っている人は知っている存在であったハズ。そこで従来の医療方法では改善しなかった病気に対して、パラケルスス医学を試してみたら、症状が劇的に改善! これはスゴい!! 的なことがあったのでは?」ということであった。この転向への契機もまたカルトっぽさがあるのだが、当時としてもパラケルススアウトサイダー・アート的な受容をされたのではないか、とも思われる。なんにせよ、パラケルススというトピックの面白さに改めて気づかされる発表だった。

http://www.geocities.jp/bhermes001/paracelsuslounge1.html
■日本語で何が読めるのか?
A テクストの翻訳
 日本語へのパラケルススのテクストの翻訳は、ほとんど進んでいません。主なものは、2冊です。戦前に作られたズートホフ版からのアンソロジー(テーマ別抜粋集)であるJ.ヤコビ編 『自然の光』(人文書院1984年)。それから、パラケルススの最初期のテクストである Volumen paramirum の全訳 『奇蹟の医書』(大槻真一郎*7工作舎、1980年)。
(中略)
 さらに、1993年には、岡部雄三氏*8による幾つかのパラケルススのテクストの翻訳が出されています。「聖ヨハネ草について」、「磁石の力について」、「魔術について」、そして、「神と人の合一について」で、『キリスト教神秘主義著作集 16: 近代の自然神秘思想』 (教文館、1993年)に所収されています。
 工作舎から、11月中旬にパラケルススの『パラグラヌム』 Paragranum の待望の邦訳が『奇蹟の医の糧』というタイトルで出版されることになったという報せを受けました。(後略)(2004年11月4日記す)
B 研究
 翻訳よりはずっと多いと思いますが、この方面は、僕はあまり詳しく知りません。古い順に良く知られているものを挙げると以下のようになります。
1.オリジナル
・小川政修、『パラツェルズス伝』(築地書店、1944年)。こりゃ、古すぎる。
・大橋博司*9、『パラケルススの思想と生涯』(思索社、1976年)。
種村季弘*10、『パラケルススの世界』(青土社、1976年)。近年新装版が出されています。
・木村雄吉*11、「パラケルススの医学術思想」 雑誌 『自然』(1978年5月号、6月号、7月号掲載)。
・岡部雄三、「自然の黙示録−パラケルススの伝承空間−」、『ドイツ文学』、第86号(1991年)、35‐46頁。
・金子務*12、「パラケルスス再評価と17世紀科学革命論への視座」 、『パラケルススからニュートンへ』(平凡社、1999年)、210-234頁。
・岡部雄三、「天のしるしと神のことば−パラケルススにおける予言と預言について−」、樺山紘一*13他著 『ノストラダムスルネサンス』、岩波書店、2000年、207-234頁。
・菊地原洋平、「パラケルススの物質観:四元素と三原基の構造関係について」、『科学史研究』、第40巻(2001年)、24-34頁。
・菊地原洋平、「パラケルススの植物観にみる形態と象徴」、『モルフォロギア』、第24号(2002年)、47-67頁。
・菊地原洋平、「あるいは彼自身困難な存在 パラケルススの「癒し」をめぐって」、『アロマトピア』、第53号(2002年)、35-39頁。
2.翻訳
・J. M. Stillman 『パラケルスス』(創元社、1943年)。
・E. Kaiser 『パラケルススの生涯』(東京図書、1977年)。
 原著は、1969年公刊の158ページの小品ですね。
・A. Koyre 『パラケルススとその周辺』(風の薔薇、1987年)。
 パラケルススに関する章は1つだけで、その原論文は1933年にでたものです。
・K. Goldammer 『パラケルスス : 自然と啓示』(みすず書房、1986年)。
 原著は、1953年出版されたもので、W.パーゲルが多いに刺激されたと語っているものですが、原著自体が比較的レア・アイテムであることと、まだ他のメジャー学術言語に翻訳されていないことからとても便利な翻訳です。

 パラケルススへのアプローチとして『哲学(というか神秘思想?)(例:岡部雄三氏)』、『科学史(例:金子務氏)』、『ゲーテなどに影響を与えた幻想文学(例:種村季弘氏)』といった多様なアプローチがあるらしいことが分かります。
 なお、ウィキペディア種村季弘』は

錬金術や魔術、神秘学研究で知られる。これに関連して、吸血鬼や怪物、人形、自動機械、詐欺師や奇人など、歴史上のいかがわしくも魅力的な事象を多数紹介。他方、幸田露伴岡本綺堂泉鏡花谷崎潤一郎をはじめとする日本文学にも深く精通し、晩年は江戸文化や食文化、温泉文化などの薀蓄をユニークなエッセーに取り上げている。
・仏文学者で評論家の澁澤龍彦との交流でも知られ、澁澤とともに日本における「幻想文学」ジャンルの確立に貢献した。
澁澤龍彦*14唐十郎*15らと共に1960年〜1970年代の、アングラ文化を代表する存在となる。

と記述しています。なお、村瀬氏は日本においては種村、渋澤といったメンツの影響で『幻想文学的アプローチ』によるパラケルスス認識が一番大きいのではないかとしています。まあ、そうでしょう。下世話なこと言えば、それが「一般大衆的には一番面白い」んじゃないですかね。要するに幻想文学って「ほら話」のわけですから。
 しかもパラケルススの場合「資料が散逸するわ、死後、偽造文書が大量に作られるわ」で真実の確定が難しいからなおさらです。
 『幻想文学的アプローチ』が受けるのは、水戸黄門忠臣蔵、「遠山の金さん」、「樅の木は残った」といった時代劇やフジテレビドラマ「裸の大将放浪記*16」、漫画「ベルサイユのばら」なんかが受けるのと話は変わりません。

・「ベルばら(マンガであれ、宝塚であれ)が好きだから」、フランス革命について新書読むか
・「裸の大将放浪記」がお涙ちょうだいの庶民ドラマとしてよく出来てて好きだからと言って、山下清の展覧会に行くか

と言ったらそういう話では必ずしもないわけです。まあ、ほら話の方がリアルより面白いつう事は多い(もちろんそういう『面白さ』が『面白さのすべて』ではない*17し、ましてや『面白さ』が『何よりも優先される価値ではない』わけですが)。
 「ほら話の方がリアルより面白いつう事は多い」からこそ「ドキュメンタリー制作会社社長」高世仁がブログで嘆いていますが、「リアルなドキュメンタリー」は「より大衆に受ける面白い番組(バラエティやドラマなど)」によって深夜に追いやられてるわけです。
 あるいは『面白さ(話題性)』を追及するあまり、

朝日新聞の『伊藤律架空会見』事件(1950年)
ワシントンポストの『ジミーの世界』事件(1980年)
関西テレビの『発掘!あるある大事典』問題(2007年)

など「作り事が許されないドキュメントの世界」で捏造に走る、つう笑えないことにもなるわけです(まあこういった例は他にもありますが。『名誉毀損訴訟で敗訴した』阿比留を出世させる産経のような異常な会社でない限り、当然そうした問題を起こせば関係者が処分されます)。
 話がかなり脱線しましたが、それはともかく、そうした『幻想文学的アプローチ』の一例が大ヒットした*18アニメ『鋼の錬金術師』のわけです。http://www.geocities.jp/bhermes001/paracelsuslounge1.htmlで紹介された「パラケルススを取り上げた本の著者」の中で一番有名なのは種村氏でしょうしね。

http://www.geocities.jp/bhermes001/paracelsuslounge101.html
パラケルスス 『奇蹟の医の糧』 (工作舎、2004年)
図書新聞』 (2005年2月19日2714号5面) 誌への書評(平井浩)
 パラケルスス(1493-1541)ほど誤解されている人物も、医学の歴史上そう多くはないだろう。いや、医学だけではなく、西欧ルネサンス期の思想や文化一般に彼が占める位置を正しく理解している歴史家など、世界でも多くないのが現実だ。
 これ程までに彼が誤解されている理由は幾つもあるが、最も大きなものは、彼の著作をしっかり読んで判断した人が非常に少なかったということだろう。これは、彼の影響力が最も大きかった16-17世紀の西欧でも、今日の世界の歴史学でも変らない傾向である。あまりの毒舌、権威を省みず高慢ともとれる態度、後世に幾つもの用語辞典が作られたくらいの造語癖、一見矛盾にあふれた言説、どれをとってもアカデミズムの世界で評価を高めるために役に立つものではない。
 そういう型破りな彼も、初めは大学で教えることを良しとした。しかし、当時の学問の常識を覆して、ラテン語ではなく世俗語のドイツ語だけで講義をするなど、あまりにも革命的であった彼は、多くの敵を作った。大学教授職を追われた彼は、既成の学問世界からは距離を取り、アウトロー的な生涯を送った。
 パラケルススの教えを信奉し、手稿を収集・編纂・出版したパラケルスス主義者と呼ばれる一群の人物が現れたのは、彼の死後20年以上が経ってからである。彼らは、パラケルススが酷評した古代人アリストテレス*19やガレノス*20の教えを正統とする大学よりも、王侯君主が先鋭的な知性を集めた知的サークルに活躍の場を求めた。西欧各地に生まれた諸サークルの活動が近代科学の形成に大きなインパクトを与えたことは、今日の研究が明らかにしている。早く生まれ過ぎた才能は世に理解されず、日の目を見るのは死後になってからという典型的なストーリーがここにある。
 天涯孤独、放浪の志、攻撃的な言動。このあまりにロマネスクな人物像は、ゲーテをはじめ多くの作家を魅了し、小説や演劇の題材となり、脚色され、はては第二次世界大戦下ドイツで映画にさえなった。癒し師、魔術師、錬金術師、妖術使いなどと呼ばれた社会のマージナルな人々と交わり、奇妙な呪文めいた言葉を操り、秘薬を調合し、奇跡的な治療で民衆を助け、大学医師や貴族ら金持ちを懲らしめるヒーロー像が、パラケルススとは切っても切れないものとなった。そして、彼に対する誤解は連綿と続いたのである。
 しかし、近年の研究の進展により、パラケルスス主義者達の近代文化に対する貢献が徐々に知られ始め、その原点となったパラケルスス自身の思想を理解しなければならないという機運が高まっている。研究を促進する鍵となるのは、テクストの普及であろう。パラケルススは、全てドイツ語で著作を書いた。確固とした近代的な文法が定まっておらず、語彙も乏しかった時代のドイツ語である。ルネサンス文化を専門とするドイツ人学者にとってさえ、彼のテクストを読むことは「チャレンジだ」と言われたことがある。奇妙な言葉の交錯する造語癖の問題はもちろんのこと、パラケルススのテクストの難しさを決定的なものとしているのは、繰り返しや脱線、論理の飛躍・未整理の多さだろう。これは、彼が細心の注意を払って推敲を重ねる論理的な文章家ではなく、勢いに任せて情熱的に繰り出す言葉を付き人に口述筆記させた説教家であるところから来ている。
 また、最も注意を払わなければいけないのは、パラケルススに帰される偽書が多く作られ、それらが彼の標準的な著作集にも綯い交ぜに含まれているという点だろう。正真作と偽作を慎重に見分けなければならないのである。
 今回新たに刊行された『奇蹟の医の糧』は、パラケルススバーゼル大学を追われ失意の底にいた時期に書かれた代表作『パラグラヌム』(1530年執筆) の全訳である。パラケルススの著作活動中期に当たる1530年代前半は彼の短い生涯において最も生産的で、有名な硫黄・水銀・塩の名を冠した事物の三原質の理論を軸にキリスト者のための新しい医学理論を作り上げただけではなく、聖書注解にも力を注いだ時期である。その時期の幕開けを告げる本書は、彼の理論の詳細を体系だって説明するものではなく、むしろ序論であり、権威的な大学医学を手厳しく批判し、真の医学とは何であるのか、医師とはどうあるべきなのか、医師とは何を学ぶべきなのかを熱く語るマニフェストである。それは、パラケルスス医学の根幹となる宇宙・自然観を凝縮させた結晶であるとも言える。
 これに先立って邦訳された『奇蹟の医書』が、円熟期の教えとは必ずしも整合性を持たない、幾分にも若書きの作品であるとすれば、本書はその後に展開された彼の真の思想のまたとない入門編と捉えることが出来る。ここからパラケルススの世界に触れるのが、正しい道なのかも知れない。大槻・澤元両氏の訳文は、原文自体の難解さを勘案すれば、クリアで分かりやすいと思う。

http://www.geocities.jp/bhermes001/paracelsuslounge6.html
■映画 『パラケルスス』 (ドイツ、1943年)を見た!
 いや〜。ついに見ました、映画 『パラケルスス』 (ドイツ、1943年)。良かったです。制作年代的にかなり白黒サイレント映画に近いものを想像していたのですが、1950〜60年代モノなのでは?と思えるくらい生き生きとしています。特殊効果の原型と言えるようなものもかなり用いられています。お話は、パラケルススバーゼル時代を扱ったものです。あらましは、大体こんな感じです。大学の医師達がさじを投げるような足の病に苦しむ大出版業者フローベンの足を直す事が出来たパラケルススは、大学当局の反対にあいながらも民衆や学生達の支持により大学で教える事を許可されます。何とかパラケルススを追い出そうとする大学の医学教授達は、あの手この手で彼の邪魔をしようとしますが、パラケルススの弟子となったヨハネス(オポリヌスの事でしょう)が、功を焦り勇み足で、パラケルススに無断で持ち出した製作途中の万能秘薬『エリクシール』を勝手に処方して、病気の再発したフローベンを死なせてしまうことから、パラケルススは批判を受け、逮捕状が出されます。街を逃亡せざるを得なくなった彼は、仲間の機転でまんまと城門を通過、無事去って行く事が出来ます。最後には、田舎に引っ込み奇跡的な力で多数の民衆を治療するパラケルススの医術の評判を聞きつけた神聖ローマ帝国皇帝の使者が、彼を宮廷医としてスカウトしに来ますが、パラケルススは、民衆を治療する事を選び、皇帝のオファーを辞退して感動の大団円と。ま、こんなところです。完全なフィクションの一般向け物語映画なのですが、結構、史実を尊重していたり、パラケルススの人となりを良く表現できていると思います。主演の Wener Krauss も、はまり役だと思います。僕は、映画史のことはそれほど詳しくありませんが、監督の Georg Wilhelm Pabst は、ドイツ映画史上において結構重要な監督みたいですね。

*1:著書『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』(邦訳:岩波文庫)、『ヘルマンとドロテーア』(邦訳:岩波文庫新潮文庫)、『若きウェルテルの悩み』(邦訳:岩波文庫新潮文庫)、『色彩論』(邦訳:岩波文庫ちくま学芸文庫

*2:著書『夢奇譚』(邦訳:文春文庫)、『花・死人に口なし他7篇』、『夢小説・闇への逃走 他一篇』(以上、邦訳:岩波文庫

*3:著書『七つの夜』(邦訳:岩波文庫)、『幻獣辞典』、『ボルヘス怪奇譚集』(以上、邦訳:河出文庫)、『砂の本』(邦訳:集英社文庫)、『永遠の歴史』(邦訳:ちくま学芸文庫)、『エル・アレフ』(邦訳:平凡社ライブラリー)など

*4:月刊少年ガンガン』(スクウェア・エニックス)で、2001年8月号から2010年7月号まで連載。全108話。

*5:ルター派神学者

*6:菊地原洋平、2013年、勁草書房

*7:1926年〜2016年。明治薬科大学名誉教授。著書『新錬金術入門』(2008年、産調出版)など(ウィキペディア『大槻真一郎』参照)

*8:著書『ヤコブベーメと神智学の展開』(2010年、岩波書店)、『ドイツ神秘思想の水脈』(2011年、知泉書館

*9:1923〜1986年。京都大学名誉教授、精神科医ウィキペディア『大橋博司』参照)

*10:1933〜2004年。独文学者、評論家。光文社『女性自身』編集部、駒澤大学専任講師、東京都立大学助教授等を経て國學院大学教授。著書『吸血鬼幻想』(1983年、河出文庫)、『食物漫遊記』(1985年、ちくま文庫)、『書物漫遊記』(1986年、ちくま文庫)、『贋物漫遊記』(1989年、ちくま文庫)、『迷信博覧会』(1991年、ちくま文庫)、『好物漫遊記』(1992年、ちくま文庫)、『ナンセンス詩人の肖像』(1992年、ちくま学芸文庫)、『薔薇十字の魔法』(1993年、河出文庫)、『偽書作家列伝』(2001年、学研M文庫)、『渋沢さん家で午後五時にお茶を』(2003年、学研M文庫)、『詐欺師の楽園』、『ぺてん師列伝:あるいは制服の研究』、『山師カリオストロの大冒険』(2003年、岩波現代文庫)、『ザッヘル=マゾッホの世界』(2004年、平凡社ライブラリー)、『江戸東京《奇想》徘徊記』(2006年、朝日文庫)、『徘徊老人の夏』(2008年、ちくま文庫)、『雨の日はソファで散歩』(2010年、ちくま文庫)、『魔術的リアリズム:メランコリーの芸術』(2010年、ちくま学芸文庫)、『書国探検記』(2012年、ちくま学芸文庫)など

*11:1909〜1989年、東京大学名誉教授。著書『ギリシアの生化学:生命の科学の思想的源流』(1975年、中央公論社)(ウィキペディア『木村雄吉』参照)

*12:大阪市立大学名誉教授。著書『アインシュタイン・ショック(1)(2)』(2005年、岩波現代文庫)、『江戸人物科学史』(2005年、中公新書)、『オルデンバーグ:十七世紀科学・情報革命の演出者』(2005年、中公叢書)、『街角の科学誌』(2007年、中公新書ラクレ)、『宇宙像の変遷:古代神話からヒッグス粒子まで』(2013年、放送大学叢書)など(ウィキペディア『金子務』参照)

*13:東京大学名誉教授。『ローマは一日にしてならず:世界史のことば』(1985年、岩波ジュニア新書)、『西洋学事始』(1987年、中公文庫)、『カタロニアへの眼』(1990年、中公文庫)、『エロイカの世紀:近代をつくった英雄たち』(2002年、講談社現代新書)、『地中海』(2006年、岩波新書)、『ルネサンスと地中海』(2008年、中公文庫)、『歴史のなかのからだ』(2008年、岩波現代文庫)、『世界史への扉』(2011年、講談社学術文庫)など(ウィキペディア樺山紘一』参照)

*14:1928〜1987年。仏文学者、評論家。著書『世界悪女物語』(1982年、河出文庫→2003年、文春文庫)、『東西不思議物語』(1982年、河出文庫)、『悪魔のいる文学史』(1982年、中公文庫)、『幻想博物誌』(1983年、河出文庫)、『黒魔術の手帖』(1983年、河出文庫→2004年、文春文庫)、『サド侯爵の生涯』(1983年、中公文庫)、『毒薬の手帖』、『秘密結社の手帖』(以上、1984年、河出文庫)、『エロス的人間』(1984年、中公文庫)、『思考の紋章学』(1985年、河出文庫)、『少女コレクション序説』(1985年、中公文庫)、『幻想の肖像』(1986年、河出文庫)、『犬狼都市(キュノポリス)』(1986年、福武文庫)、『ヨーロッパの乳房』(1987年、河出文庫)、『幻想の彼方へ』(1988年、河出文庫)、『サド侯爵の手紙』(1988年、ちくま文庫)、『高丘親王航海記』(1990年、文春文庫)、『玩物草紙』(1993年、朝日文芸文庫)、『快楽主義の哲学』(1996年、文春文庫)、『フローラ逍遥』(1996年、平凡社ライブラリー)、『偏愛的作家論』(1997年、河出文庫)、『悪魔の中世』、『幻想の画廊から』(以上、2001年、河出文庫)、『うつろ舟』(2002年、河出文庫)、『サド侯爵 あるいは城と牢獄』(2004年、河出文庫)、『太陽王と月の王』、『夢の宇宙誌』(2006年、河出文庫)、『世紀末画廊』(2007年、河出文庫)、『私の少年時代』、『私の戦後追想』(2012年、河出文庫)、『夢のある部屋』(2013年、河出文庫)、『プリニウスと怪物たち』(2014年、河出文庫)、『貝殻と頭蓋骨』(2017年、平凡社ライブラリー)、『極楽鳥とカタツムリ』、『バビロンの架空園』(以上、2017年、河出文庫)、『ドラコニアの夢』(2018年、角川文庫) など

*15:劇団『状況劇場』(1963〜1988年)、『唐組』(1988年〜)主宰。『天井桟敷』の寺山修司、『早稲田小劇場』の鈴木忠志、『黒テント』の佐藤信と共に唐は『アングラ演劇四天王』と呼ばれ、1960〜1970年代のアングラ演劇の旗手の一人ととみなされた。1983年、『佐川君からの手紙』で芥川賞を受賞(ウィキペディア唐十郎』参照)。

*16:このドラマは、山下清という実在の人物をモデルにしたフィクションであり、ドラマ化に際し、実在の山下とは異なるオリジナルの設定が多数ある。例えば、ドラマでは毎回、清が旅先で貼り絵を作成することが決まりごとになっているが、実際の山下清は放浪する際、画材道具やスケッチブックは持参しておらず、八幡学園に帰ってきた時に、旅して見てきた風景を思い出して描いていた。また、その貼り絵も自発的に作成するのではなく、施設のスタッフ(当時は「指導員」)に促されてからしか作業しなかったと言う(ウィキペディア裸の大将放浪記」参照)。

*17:「知的好奇心」という意味での「面白さ(学問やドキュメンタリーなんかはそうでしょう)」つうのはそういう「ほら話の面白さ」とはまた違います。

*18:とはいえ小生は正直、あのアニメに興味があまりないのでよく知らないのですが

*19:古代ギリシャの哲学者。著書『アテナイ人の国制』、『形而上学』、『政治学』、『動物誌』、『ニコマコス倫理学』、『弁論術』(邦訳:岩波文庫)など

*20:ローマ帝国時代のギリシアの医学者