今日の中国ニュース(2020年3月9日分)

日経『春秋』(2020/3/10)

 きょうは東京大空襲の日である。のちに作家・山田風太郎となる青年は75年前、日記に痛憤を書き記した。
「こうまでしたか、奴ら!」。
 新型コロナウイルスのせいで今年の追悼式は中止になったが、日本人は忘れてならない日だろう。世界的にも広く記憶されていい。

 やれやれですね。
 「日本が米国相手に無謀な戦争をしたこと(そんなことをしなければ東京大空襲などなかったこと)」「天皇が保身から降伏を遅らせたこと(サイパン陥落など敗北確実となった時点で降伏してれば東京大空襲などなかったこと)」「日本軍が南京事件731部隊などの無法をしたこと」を無視して、この日経記事のように米国ばかりを非難することには全く同意できませんね。
 この日経記事の筆者は

『ヒロシマというとき』
ヒロシマ〉というとき
〈ああ ヒロシマ〉とやさしくこたえてくれるだろうか
ヒロシマ〉といえば〈パール・ハーバー
ヒロシマ〉といえば〈南京虐殺
ヒロシマ〉といえば 女や子供を壕のなかにとじこめガソリンをかけて焼いたマニラの火刑
ヒロシマ〉といえば血と炎のこだまが 返って来るのだ
ヒロシマ〉といえば
〈ああヒロシマ〉とやさしいこたえがかえって来るためには
わたしたちはわたしたちの汚れた手をきよめねばならない

を熟読すべきでしょう。広島原爆でアレ、東京大空襲でアレ、日本の加害を無視して、被害ばかり言い立てたところで相手の反発を買うだけです。

▼多くのチベット人に深い悲しみを呼び起こす日でもある。61年前、中国共産党への反発からラサで騒乱が起き、ダライ・ラマ14世が亡命を余儀なくされたのである。
「決定を下さねばならなかったのは、私であった。しかし、世俗的な事柄に関して、何の経験も持たなかった私にとって、それは容易なことではなかった」
▼脱出を決意したときの困難な心境をダライ・ラマは自叙伝でこう振り返っている(木村肥佐生訳)。当時はまだ20代前半で、精進につとめる若者だった。その存在感がいまや世界的なのは周知の通りである。茶目っ気のある笑顔とわかりやすい英語で愛と平和、慈悲を説き、チベット語を理解できない人をも魅了してきた。
▼深刻な政治問題であるチベットのあり方について「中道」を唱え、記者会見などでは当意即妙のユーモアを披露する。「世俗的な事柄」でも精進を積んだのである。先月22日は即位80周年という記念すべき日だったが、やはり新型コロナウイルスのため公の行事を控えているのが実情である。故国*1に帰還できるのはいつか。

 「どこのチベットキチガイだよ?」「どこのI浜Y子だよ?」という酷い「ダライラマ万歳の駄文」ですね。呆れて二の句が継げません。
 ダライのどこが「存在感がいまや世界的」「チベット語を理解できない人をも魅了してきた」なのか。俺は「オウム麻原から1億円もらって謝罪一つしない」不道徳なダライには「憎悪と軽蔑、怒り」しかありませんが。日本人でありながら「オウム犯罪を助長したダライ」に対する怒りや憎悪、軽蔑を感じない人間は理解ができません。
 日中友好のためにも、一日も早い「反中国」ダライ集団(チベット亡命政府)の政治的滅亡を願ってやみません。
 むしろ世界に冠たる経済大国「中国」に政治的に圧倒され、なすすべがないのがダライでしょう。そして「チベットファン&反中国極右分子」を除く世界のほとんどの人間はダライになどかけらも興味関心はないでしょう。
 今の状態では何年経とうとチベットに帰還することはできないでしょうね。まあ、「オウム麻原から1億円もらって謝罪一つしない」無能で不道徳なダライ一味*2の自業自得ですが。「ダライ一味はこのまま政治的に滅亡して終了」、それが一番あり得る「ダライ一味の未来」であり、それで一向にかまわないと俺は思っています。


◆I浜Y子ツイート

I濱Y子
 あれだけうるさく授業回数を30回やれと言い続けていた文科省がオリンピックのためには授業減らしていいといい、いまやコロナのために授業開始日未定でもいいといってきた。まさか夏休み召し上げたりしないだろうな。したら怒るで。

 「文科省(文科官僚)ガー」とはいっても「安倍政権ガー」といわない辺り「教科書不合格」についてのつくる会並の滑稽さです。
 安倍を批判できない理由でもあるのか。

I濱Y子
 3月10日は、(ボーガス注:ダライラマがインドに亡命した)チベット人蜂起記念日61周年です。

 I浜先生らしいですが我々日本人的にはやはり「3月10日は東京大空襲75周年」ですね。


◆I浜記事『『パンと牢獄』とコロナ』
 リンク張ると、はてなに「強制プライベートモード請求する人」がI浜なのでリンクは張りません。

 今現在中国共産党は国の威信をかけて私権を制限して武漢肺炎の封じ込めを行っている。賭けてもいいけど、これが成功したら、「[政府批判を抑圧する] 独裁こそが経済にとっても防疫にとってもベストな選択である」とか国内外で宣伝を始めるだろう。そして不安にさいなまれている人の中からはそれに騙される人もでてくるだろう。
 しかし、今回のコロナ肺炎については現場でコロナ肺炎の発生をつげた医師を当局が拘束するなど言論統制したことが初動をおくらせる原因になっている

 「I浜って本当に民主主義理解がおかしいよな」ですね。
 民主主義とは「独裁に比べていい結果が出るからやるもん」ではありません。
 そうではなく「たとえ悪い結果が出たとしても、皆で決めることの方が適切だ」と言う話です。
 したがって仮に「独裁の方が防疫や経済発展に有効」だとしても「だから独裁の方がいい」と言う話ではない。
 なお、I浜先生が「インフル特措法改正」で安倍が「私権の制限をもくろんでること」や、既に安倍が「ダイヤモンドプリンセス乗客の上陸一時停止」「小中高校の全校休校要請やパーティーの自粛要請」「国立博物館、美術館、劇場の一時閉鎖」「中国人、韓国人観光客の入国制限」などで「私権を制限していること」をどう理解しているのか聞きたいところです。

 今回の件で中国共産党が手柄を誇ったらマジで国際社会は怒った方がいい。

 そう言う中国への悪口よりまず「どうやって日本でコロナを封じ込めるか」でも議論したらどうなのか。
 「お前の頭の中には、中国に悪口することしかないのか?」と説教したくなります。とかいうとid:Mukkeなんかは弟子として「I浜先生に対し無礼だ」などというんでしょうけど。

 個人的には、これを契機に中国人観光客のオーバーツーリズムがなくなることを祈りたい。

 おいおいですね。そもそも「オーバーツーリズムなんかあるのか」「あるとして原因が全て中国人観光客なのか」つう話ですよねえ。
 むしろマスコミ報道によれば

初の新型コロナ破産…愛知・蒲郡の旅館「冨士見荘」40室ほどんど中国人客だった : スポーツ報知
 冨士見荘は、1956年創業の蒲郡市南部・西浦温泉の一角にある老舗旅館。三河湾を望む全室オーシャンビューの客室と展望大浴場がウリで、食事には三河湾の海の幸が提供されていた。東京商工リサーチなどによると、2000年代半ばに経営悪化が見られたが、近年は中国から毎月40~50組の団体を受け入れ、40室の客室はほとんどが中国人で満室だったという。
 だが、新型コロナの拡大に伴い、中国は1月27日から海外への団体ツアー旅行を禁止。宿泊客にキャンセルが相次いで需要が確保できなくなり、先行きの見通しが立たなくなったことから事業継続を断念した。

新型肺炎の煽りで「老舗旅館」廃業判明に“二度”驚きの声が上がった理由 | Asagei Biz-アサ芸ビズ
 2月25日、新型コロナウイルスの感染拡大による中国人団体客のキャンセルが相次いだことで、愛知県蒲郡市の老舗旅館「冨士見荘」が今月中旬に廃業していたことが分かった。
東京商工リサーチによれば、三河湾を望む景観と新鮮な魚介類を売りに1956年に創業した冨士見荘は、2013年には不渡りを出すなど業績不振に陥ったことから、近年は中国人のツアー客をメインに毎月40〜50の団体を受け入れていたそうです。しかし、今年1月に中国で急拡大した新型コロナウイルスの影響で団体客のキャンセルが相次いだことから、先行きの見通しが立たなくなり、事業継続を断念したといいます」(社会部記者)

中国団体客激減、温泉旅館閉館へ 伊豆の国「華の湯」(@S[アットエス] by 静岡新聞SBS) - Yahoo!ニュース
 新型コロナウイルスの感染拡大による観光客減少の影響で、伊豆の国市長岡の旅館「伊豆長岡温泉 華の湯」が3月末で閉館することが8日、分かった。
 施設関係者によると、普段は中国人観光客の団体を連日受け入れていた。しかし1月末に中国政府が海外への団体旅行を停止する措置を発動して以降、4月末までの予約が全てキャンセルになってしまったという。施設関係者は取材に対し「経営が立ち回らなくなってしまった」と話した。

静岡 伊豆の国 温泉旅館閉館へ 中国客キャンセル相次ぎ経営難 | NHKニュース
 新型コロナウイルスの感染拡大で中国からの団体客のキャンセルが相次いだ影響で、静岡県にある伊豆長岡温泉の旅館が経営難に陥り、今月末で閉館することになりました。
 閉館するのは、静岡県伊豆の国市にある伊豆長岡温泉の旅館、「湯宿 華の湯」です。
 関係者によりますと、この旅館ではインバウンドの需要を見込んで、去年春から中国の旅行会社と契約を結び、団体客の中国人が連日、30人ほど宿泊していましたが、新型コロナウイルスの感染拡大でことしに入って予約のキャンセルが相次いだということです。
 キャンセルは来月末までの3か月ほどの予約で90団体、合わせて3000人に上り、およそ1500万円の売り上げが見込めなくなったということです。
 旅館では、こうした状況に加えいつ事態が終息し経営が安定するか先行きが不透明だとして、今月末で閉館することになりました。
 おかみの松島典子さん(54)は「中国の団体客が来てくれていたので経営できていましたが、こうした状況になれば続けられません。とても残念ですが、最後まで精いっぱいのおもてなしをします」と話していました。
 地元の旅館協同組合によりますと、伊豆長岡温泉の宿泊施設の予約のキャンセル数は今月6日時点で合わせて3万7000人に上り、過去に例がない状況だということです。
 閉館を決めた「湯宿 華の湯」では、おかみの松島典子さんの2人の孫娘が残り20日ほどとなった営業に協力しています。
 孫娘の北岸愛里さんは、今月に入ってからツイッターで、まもなく閉館することや旅館のPRをして、これまでに100件ほどの宿泊予約が確保できたということです。
 妹で中学生の輝里さんも休校のため旅館の仕事を手伝っていて「閉館は寂しいですが、少しでもおばあちゃんの力になりたい」と話していました。
 ツイッターを見て訪れた神奈川県の女性は「感じのいい旅館でした。閉館するのは残念ですが、もし営業が受け継がれることがあれば、また来てみたいです」と話していました。

などということで「客の6割以上が中国人観光客なので経営の見込みが立たなくなった→廃業」なんて観光ホテルも出てきたというのによくもこんなふざけたことが言えたもんです。「あなたの勤務するW大学は倒産の可能性はないし、あなたも非常勤講師などではなく、教授なので首切りの可能性はなさそうで良かったですね。そうですよね。上流階級のあなたに、コロナ騒動で旅館を廃業した人間の気持ちなんか分かりませんよね。インドに亡命したダライの気持ちだけは何故か分かるようですが」と悪口雑言したくもなります。
 I浜ももはや「反中国共産党」ではなく「中国人差別」というとんでもない方向に行ってしまったようです。
 I浜を見ているとチベット仏教信心が「人格の向上」と言う意味で何の役にもたたないことがよく分かります。まあ、ダライ・ラマ自体がオウム麻原から1億円もらったことでおべっかをほざき、「麻原の犯罪を助長した馬鹿者」ですが。
 ダライの馬鹿さについては例えば真相:ナチスやオウム真理教とダライとの関係大量殺人の方針は上海で決定…? オウムと中国の「知られざる絆」(安田 峰俊) | 現代ビジネス | 講談社(2/5)を紹介しておきます。

参考

真相:ナチスやオウム真理教とダライとの関係
 オウム真理教の起こした一連の凶悪事件は世界に衝撃を与えた。1995年3月、日本の地下鉄で起こったサリン事件では12人が死亡し、5千人余りが負傷した。2004年2月27日、東京地方裁判所は13の罪名で教祖の麻原彰晃に死刑を言い渡した。2006年9月、最高裁の抗告棄却によって死刑が確定した。
 地下鉄サリン事件の発生後、平和を愛する世界中の人々が怒りの矛先を麻原彰晃オウム真理教に向けていた頃、ダライは共同通信を通じて、「オウム真理教は仏教の教義を広める宗教であり、麻原彰晃は自らの友人である」との意見を発表し、大きな反響を呼んだ。ダライはなぜこのような意見を発表したのか。それは、麻原彰晃という邪教の指導者が実のところダライの「生徒」だったからだ。ダライのこのような汚れた過去に対し、良心を失ったメディアは見て見ぬふりをし、二人の関係をなかったもののようにしている。
 ダライはこれまで12回にわたって日本を訪れている。1984年の訪問では当時29歳の麻原と会ったという情報もある。麻原は1986年、インドを訪れた後にオウム真理教を正式に設立。翌1987年、麻原は再びインドを訪れ、ダライと会っている。この時、ダライは麻原に対し、「親愛なる友人よ、日本の仏教はすでに退廃してしまった。このまま行けば、仏教は日本で消えてしまうだろう。あなたは故郷で本当の仏教を伝えなければならない。仏の境地を知るあなたは最良の人選だ。あなたが日本で布教することを私はとても嬉しい。そうすることは私の仕事を助けることでもある」との内容の発言を行った。この会見時、ダライは麻原に祝福を与え、「師弟関係」を結んだといわれる。
 ダライは自らの「生徒」の働きにとても満足していた。1995年の事件が発生するまでの8年間、二人は5回にわたって顔を合わせ、手紙のやりとりをしばしば行っていた。1989年、麻原は10万ドルをダライに寄付し、ダライは証書と推薦状をもってこれに返答した。ダライは東京の関連部門にあてた推薦状の中で、「麻原彰晃は能力のある宗教的指導者であり、オウム真理教大乗仏教を広め公共の善を促す宗教だ」とし、「オウム真理教への免税を許可するべきだ」とまで書いている。オウム真理教はこの証明書と推薦状によって、日本政府が正式に承認する宗教団体となった。その後、大量の資金を蓄積してサリンの研究と生産を行ったのは周知の通りだ。
 麻原は日本で合法的な地位を得た後、ダライに感謝状を送り、「私たちの希望はチベットができるだけ早くチベット人の手に帰ることです。私たちはそのためにできるだけの援助をしていきます」と述べている。麻原はダライの指示を受け、チベット地域に2回にわたってもぐりこみ、「布教活動」を行っている。麻原はダライが自らの指導者であることを正式に認めている。オウム真理教の教義や教則なども多くがダライを由来とするものだ。
 ドイツの週刊誌「フォーカス」は、「ダライの支援がなければ、麻原彰晃が自らの宗教帝国を作ることは不可能だった。ただの治療師であり詐欺師でしかなかった麻原が数年の短期間であっという間に大教団の教祖となるのも、ダライの支援がなければこれほど簡単ではなかったはずだ」と指摘している。ダライが麻原をこれほど重用したのは、麻原からの金銭支援をあてにしていたためだけではなく、麻原を通じて日本の仏教を改革したいと考えていたためだ。ダライが麻原と結託したのは、「チベット独立」を支援する弟子たちを日本に増やしたかったからにほかならない。ダライのこの勝手な計算は邪教の崩壊という結果に終わった。自己の信徒の生命を損なう邪教が目立つ中で、ダライの高弟である麻原彰晃が作り出したオウム真理教は、教団外の罪のない人々をテロ攻撃する教団として、人々に大きな衝撃を与えた。

大量殺人の方針は上海で決定…? オウムと中国の「知られざる絆」(安田 峰俊) | 現代ビジネス | 講談社(2/5)
 オウムはインドのヨーガとチベット仏教密教)をベースに、ノストラダムスの大予言のようなオカルト陰謀論系の用語や世界観を混じえ、さらにキリスト教など他の宗教のモチーフを部分的に用いたミックス宗教だった。ただし、彼らの自己認識は「仏教」であり、チベット仏教の系譜に位置付けられていた。
 ゆえに往年、ダライ・ラマ14世を首班にいただくチベット亡命政府とオウムの関係は浅からぬものがあった。オウムは1989年に東京都から宗教法人認証を受ける際、チベット宗教・文化庁次官名の推薦状と、ダライ・ラマ法王や他の高僧の推薦状を入手していたことが明らかになっている。
 麻原は1987年2月から1992年7月までダラムサラ(インドにあるチベット亡命政府の所在地)を5回訪問し、総額およそ165万ドル(現在のレートで約1億8600万円)を寄付したとされる。
 一連のオウム事件の発覚後、チベット亡命政府はオウムとの深い関係を否定したが、チベット側が寄付金と引き換えに、教団の正体をよく知らないまま広告塔に用いられることを事実上容認していたのは確かなようだ。

*1:「(故国」て。せめて「故郷」と書いたらどうなんでしょうか?。「チベットは独立国」なんて認識は一般的な認識とは言えないでしょう。

*2:「ダライ集団」「ダライ徒党」ともいう。