三浦小太郎に突っ込む(2020年6月3日分)(追記あり)

1968年、ボストンの暴動を止めたジェームズ・ブラウン | 三浦小太郎BLOG Blue Moon
 いつもながら「三浦もゲスだな」としか言いようがない。
 小生も暴力がいいとは言いません。
 しかし「差別や不正に対する怒りから発生した政治的暴力」については「暴力は駄目だが、政治的不正も駄目だ」「今回の場合、暴力の原因となっている黒人男性の死亡事件について政府は徹底調査し、批判派の言うような『人種差別を背景とした白人警官の不当な暴力による死亡(傷害致死または殺人)』であるならば、政府は謝罪した上で責任者を処罰し、再発防止策を講じるべきだ」と言わなければ「政治的不正の容認」になりかねないでしょう。
 実際、三浦らウヨは「香港デモでの暴力行為」「ウイグルでのテロ行為」などについては「中国政府にも問題がある」といって暴力デモやテロ行為を一方的には非難してないわけです。
 あるいはチベット焼身自殺についても「とにかく自殺は辞めろ」とは言わないで「中国政府にも問題がある」と言う。
 自分の大好きなトランプ政権に対する暴力行為については「暴力は辞めろ」と言い、暴力デモを助長しているトランプ政権の黒人差別的言動などについては批判は何一つしない。
 一方、自分の大嫌いな中国政府に対する暴力行為(香港デモやウイグルテロ)については「中国にも問題がある」という。それ、ただのご都合主義でしかないでしょう。
 ついでにいえば、米国デモにおいて、一部が暴徒化してるとは言え、デモ参加者全てが暴徒化してるわけではありません。
 そして、「香港デモ問題」当事者の中国の発言なので当然割り引く必要がありますが

外交部、米側のやり方は典型的な「世界に名を馳せるダブルスタンダード」--人民網日本語版--人民日報
 なぜ米側は香港地区の「香港独立」分子と黒色暴力分子を英雄や闘士と美化する一方で、米国内で人種差別に抗議する民衆を暴徒と呼ぶのか?なぜ米側は香港警察の自制的で丁寧な法執行をむやみに非難するのに、国内の抗議者には発砲すると脅し、州兵を投入しまでするのか?

シンガポール首相夫人がSNSで「米国式ダブルスタンダード」に「つっこみ」--人民網日本語版--人民日報
 シンガポールのリー・シェンロン首相の夫人であるホー・チン氏は1日夜、SNSの個人アカウントである漫画を転載して、「米国式ダブルスタンダード」に「つっこみ」を入れた。環球網が伝えた。
 この漫画では、トランプ大統領に似た外見の男が、香港地区とミネソタ州の同様の暴動に対して全く相反する態度を示している。

と言う人民日報の指摘は全く正論でしょう。
 「とにかく暴力は辞めろ(そして政府批判は何もしない)」という態度を米国国内のデモにとるなら、香港デモにも同じ態度をとるべきだし、「暴力は駄目だが、暴力を助長している政府の対応も批判しないとフェアじゃない」という態度を香港デモにとるなら、米国デモにも同じ態度をとるべきです。
 繰り返しますが、三浦のような「米国デモでは暴力反対としか言わないが、香港デモでは、政府批判する」なんてのはげすなだけです。
 なお、俺のような指摘(デモ隊の暴力は問題だがトランプにも問題がある)とする指摘は探せばいくらでもあるでしょうがここでは

リベラル21 黒人殺害の白人警官を非難しないトランプ大統領坂井定雄(龍谷大学名誉教授)
 米国中西部ミネソタ州で5月15日、白人警官が黒人市民のジョージ・フロイドの首を押さえつけたまま離さず、殺した事件。全米で激しい抗議デモが広がり続けている。トランプ大統領は、警官の行為を一切非難せず、デモを鎮圧するために州兵出動を権限のある知事に要請。それが実現しないため、大統領権限のある米軍の出動命令を考慮しているという。
 この事件について、米国内の政治動向や世論の影響を受けない、世界でもっとも信頼されているのは、英BBC国際版だと思う。日本時間3日朝のBBC国際版米国発の見出しは「ジョージ・フロイドの死亡は殺人。検死当局が宣言(ボーガス注:後に米黒人男性の死は「殺人」と、正式な検視結果で 死因は「首の圧迫による心停止」 - BBCニュースという日本語版の記事も出ています)」。以下にその報道の冒頭部だけ、そのまま和訳して紹介した。
『全米に広がった抗議活動を引き起こした、ジョージ・フロイドの死は殺人だった、とミネアポリスの公的検死結果報告で宣言された。
 同報告によると、ミネアポリスの警察官に拘束された46歳のフロイドは心臓病を患っていた。
 フロイドの死因は、警察官によるこの心臓病患者の拘束、首部の圧迫であるーと明記している。
 一方、トランプ大統領は、不穏情勢を終らせるために軍の出動を言明した。
 一部テレビは、白人警官が、フロイドが呼吸できないと訴えるのに、首を膝の上に抑え続けているビデオ映像を放映した。警官が黒人アメリカ人を殺したことに、心底からの怒りが、全米に広がっている。』

を紹介しておきます。繰り返しますが「デモの引き金となった黒人男性フロイド氏の死亡(黒人差別を背景とした白人警官の不当な暴行による傷害致死または殺人の疑いが濃厚)」について何らコメントしない三浦は下劣です。
 これが『中国警察が暴行でデモ隊を死なせた』なら口を極めて警察を罵倒してるでしょうに。

 ジェームズ・ブラウンは、街に出るな、音楽を聴こう、暴挙に走るなと訴えました。

 三浦の紹介する話だけではなんとも評価できませんね。
 もちろん暴力を振るってはいけない。しかし、「街に出ること(デモを行うこと)」は必ずしも「暴挙(暴力的行為)を行うこと」ではないわけです。
 平和的デモなら暴挙とは言えない。
 そしてこれだけではブラウンが黒人差別問題についてどう思っていたのかが分からないわけです。
 彼は単に「人気歌手として功成り名を遂げ、白人にまで評価されるようになった黒人」として「保守的」になり「黒人がデモったって白人の反発を買うだけだ」「俺みたいに才能があれば黒人でも白人に評価されるんだ」としか思わない「黒人への政治的差別」に鈍感な、あえて言えば「黒人の裏切り者」にすぎなかったのかもしれません。
 少なくとも三浦の紹介する部分だけではその当たりは何も分かりません。
 こういう話は「暴力を振るうなと言ったから偉い」で済む話ではない。「暴力を振るわなければ問題が解決する」つう話ではないからです。
 暴力の原因となっている黒人差別について触れないで「暴力を振るうな」では差別の温存、助長にすらつながりかねない。

 ある日本の音楽評論家で、沖縄音楽のすぐれた解説者だった人がいました。竹中労という人で

 竹中労 - Wikipedia(1928~1991年)を見るだけでも分かることですが

◆『琉球共和国:汝、花を武器とせよ! 』(1972年、三一書房→2002年、ちくま文庫)
◆『鞍馬天狗のおじさんは:聞書アラカン一代』(1976年、白川書院)→『聞書アラカン一代:鞍馬天狗のおじさんは』(1985年、徳間文庫)→『鞍馬天狗のおじさんは』(1992年、ちくま文庫) →『鞍馬天狗のおじさんは:聞書嵐寛寿郎一代』(2016年、七つ森書館
 映画『鞍馬天狗』シリーズ(1927~1956年)で主役・鞍馬天狗(倉田典膳)を演じ、人気を博したアラカンこと俳優・嵐寛寿郎 - Wikipedia(1902~1980年)の評伝。
 なお、アラカンは元々は時代劇スターだが晩年は網走番外地 (東映) - Wikipedia(1965~1967年)、神々の深き欲望 - Wikipedia(1968年)、男はつらいよ 寅次郎と殿様 - Wikipedia(1977年)など現代劇にも出演している。
◆『決定版ルポライター事始』(1999年、ちくま文庫)
◆『断影 大杉栄』(2000年、ちくま文庫)
◆『芸能人別帳』(2001年、ちくま文庫)
◆『無頼の点鬼簿』(2007年、ちくま文庫)
 『点鬼簿』ですが『過去帳』のことだそうです。話が脱線しますが、『点鬼簿』でググったら芥川龍之介 点鬼簿がヒットしました。うがった見方をすれば、竹中は芥川『点鬼簿』の存在を知った上で芥川ファンとして題名を『無頼の点鬼簿』にしたのかもしれません。
 まあ、芥川作品としてはかなりマイナーですね。映画羅生門 (1950年の映画) - Wikipediaの原作である『藪の中』などの方が有名です。
 それにしても「小説の描写」は必ずしも事実ではなく、また「作者の本心」が必ずしも吐露されているわけでもないとは言え、『精神異常を来し病死した母』など肉親の死について書いた『点鬼簿』の発表が大正15年、自殺が昭和2年で、何というか「既にこの時期、精神的に不安定だったのだろうか?」と「複雑な気」がします。
 芥川龍之介 - Wikipediaによれば『1927年(昭和2年)1月、義兄の西川豊(次姉の夫)が自宅への放火と(自宅にかけていた火災保険の)保険金詐欺の嫌疑をかけられた精神的苦悩から鉄道自殺する。このため芥川は、西川の遺した借金や家族の面倒を見なければならなかった。』という精神的ストレスが自殺を助長したようです。

などの著書がある竹中は勿論「音楽評論家」ではありません。
 アラカン大杉栄も「音楽家」ではない。
 竹中労 - Wikipediaの記述や『決定版ルポライター事始』でわかるように「彼の自己認識」「世間の彼への評価」は「ルポライター」でしょう。なんで三浦が「音楽評論家」などというデタラメを言うのか意味不明です。
 確かに、竹中には

◆『美空ひばり』(1982年、朝日文庫)→『完本 美空ひばり』(2005年、ちくま文庫)
◆『たまの本』(1990年、小学館

という音楽関係の著書もありますが、音楽に関係ない著書もあるわけで「音楽評論家呼ばわり」は明らかにおかしい。
 ならば

◆『歌屋 都はるみ』(1997年、文春文庫)
◆『私の家は山の向こう:テレサ・テン十年目の真実』(2007年、文春文庫)

という著書がある有田芳生氏を「音楽評論家」と言うのかと言えば言わないわけです。
 有田氏には

◆『統一教会とは何か』(1992年、教育史料出版会
◆『闇の男上祐史浩:終らないオウム真理教』(1999年、同時代社)
◆『ヘイトスピーチとたたかう!:日本版排外主義批判』(2013年、岩波書店

などの著書もあり音楽評論をメインの仕事としているわけではないからです。竹中にしても話は同じです。
 なお、竹中労 - Wikipediaによれば竹中については

鈴木義昭*1『風のアナキスト 竹中労』(1994年、現代書館
木村聖哉竹中労・無頼の哀しみ』(1999年、現代書館
鈴木邦男*2竹中労 左右を越境するアナーキスト』(2011年、河出書房新社

という評伝があります。

【追記】
白人至上主義団体が「アンティファ」名乗り扇動、ツイッターがアカウント削除 - CNN.co.jp

 米ツイッターは1日、国内左派の反ファシズム運動「アンティファ*3」を名乗る偽アカウントを削除したと発表した。白人至上主義団体がアカウントを作り、暴力を扇動していたという。
 ツイッターの報道担当者によれば、削除対象となったのは白人至上主義の交流団体に関係するアカウント。偽アカウントの作成を禁止する規定に違反し、暴力扇動のツイートを発信していた。
 偽アカウントが名乗っていた「アンティファ」について、トランプ大統領は5月31日、テロ組織に指定するとツイートしていた。同氏は黒人男性死亡事件への抗議デモを左翼勢力があおっているとの主張を強めている。
 偽アカウントのフォロワーは数百人だったものの、31日のツイートでは「いよいよ今夜だ」「住宅地に入る」などと呼び掛けていた。
 ツイッターはこのほかにも、同じ団体に関連する複数の偽アカウントを削除したとしている。報道担当者によれば、白人至上主義団体など右派勢力がアンティファ名義の偽アカウントを作って削除された例は、抗議デモ以前にもあったという。

 もちろん「暴力行為の全てが、こうした極右による謀略」と見なしたらデマになるでしょうが、こうした事実が本当にあるのなら、今回の暴力事件は、三浦など「一部のウヨ」が「極左暴力」と悪口するほど、話は単純ではないわけです。

*1:著書『夢を吐く絵師・竹中英太郎』(2006年、弦書房)、『日活ロマンポルノ異聞:国家を嫉妬させた映画監督・山口清一郎』(2008年、社会評論社)、『若松孝二:性と暴力の革命』(2010年、現代書館)、『「世界のクロサワ」をプロデュースした男 本木荘二郎』(2016年、山川出版社)、『仁義なき戦いの「真実」:美能幸三 遺した言葉』(2017年、サイゾー)、『乙女たちが愛した抒情画家 蕗谷虹児』(2018年、新評論)など

*2:著書『公安警察の手口』(2004年、ちくま新書)、『愛国者は信用できるか』(2006年、講談社現代新書)、『愛国と米国:日本人はアメリカを愛せるのか』(2009年、平凡社新書)、『愛国と憂国売国』(2011年、集英社新書)、『〈愛国心〉に気をつけろ!』(2016年、岩波ブックレット)、『憲法が危ない!』(2017年、祥伝社新書)など

*3:アンチファシズムの略でしょう