高世仁に突っ込む(2020年1月16日分)

香港―抵抗と暴力 - 高世仁の「諸悪莫作」日記

 日本郵政グループが圧力をかけてNHKに続編の放送を延期させた。

 政権幹部である菅官房長官が「元総務相」であることを考えると「菅との間に親密な関係をつくった総務省日本郵政グループの所轄官庁)」が菅に圧力をかけることを依頼し、菅がそれに応じたという構図はすぐに思い浮かびます。
 正直、菅レベルの大物のバックでもなければ、日本郵政サイドもそうそう無茶は出来ないでしょう。

13日、東京外大で『香港危機に終わりはあるのか?』というシンポジウムがあり取材してきた。

 「終わりはある」でしょうねえ。
 どんな出来事でも終わりはあります。いつどんな終わり方をするかはともかく。

 香港から周庭さんがスカイプで会場と対話するなど

 と言う時点でシンポの性格は丸わかりですね。「ああ、公正中立、客観的な学術シンポではなく周庭(デモ隊の中堅幹部(広報担当)の一人)寄りの政治集会なのか」「デモ隊の宣伝行為みたいな代物か」と。
 と言うことはデモ隊の暴力を容認するのかと思ったら

伯川星矢さんが、周庭さんを補足する。
「人々の声に耳を傾けようとしない政府には、いくら100万人超が集まっても平和的な運動では効き目がない。条例改正を撤回したのは、空港を2回占拠した結果だった。つまり実力行使が効果があった。暴力ではなく抵抗だといいたい」。
 ゲストスピーカーの伊勢崎賢治さんは、アフガンで武装解除の任にあたったことで知られるが、香港区議選に民主派から監視委員として招聘された。
 伊勢崎さんの話は「抵抗と暴力」。パレスチナインティファーダを例にとって、こう問いかけた。
パレスチナ人の子どもが、イスラエルの戦車に向けて石を投げた。これは暴力ですか」。
 伊勢崎さんによれば、これは暴力ではない。
 「私は子どもが手榴弾を投げても暴力ではないと思う」。
 いったい暴力とは何だろうか。

ということで「高世の説明を信じる限り」暴力デモを正当化している。
 俺の考えを述べれば「暴力を安易に正当化していいのか」ですね(特にチベット運動を「非暴力運動だ、すばらしい」と言ってきた高世は)。
 道義的是非は置くとしても、政治的に有効なのか。
 「暴力デモがあったから条例案を撤回したのではないか」といったところで、それは香港当局や中国政府が、1)条例案撤回ぐらいなら妥協していいと思ったから、2)条例案撤回で暴力デモが沈静化すると思ったからにすぎません。
 条例案撤回後も暴力デモが収まらず「行政長官の辞任」「行政長官の直接選挙」などをさらに追加要求する現状において香港当局、中国政府ともに「これ以上の妥協はしない」との態度をとり続けてる中、暴力行為に意義があるのか。
 暴力の応酬を始めたら、強いのは中国の方ですよね。何せ、人民解放軍を投入されたら、デモ隊に勝ち目はありません。
 だからこそデモ隊側も「暴力発動」といっても、「どんどんエスカレートすること」が出来ない。
 「人民解放軍投入を中国が決断するレベルの暴力発動」ができない。「警察も悪いのだからこの程度の暴力なら大目に見ろ」と「国際社会や香港住民」に言い訳が出来る*1と『デモ隊が考える』程度の暴力しか出来ない。
 もちろん暴力デモが現実にやってる「商店などの破壊行為」は迷惑千万です。しかし

1972年:岡本公三らのテルアビブ空港乱射事件
2015年:パリ同時多発テロ事件
ウィキペディア「テロ事件の一覧」参照)

のような殺人行為にまでは彼らも打って出ることが出来ない。無差別殺人はもちろん警官や行政機関職員相手にすら殺人が出来ない。
 「北海道庁爆破事件(1976年、道庁職員2名が死亡。大森勝久被告に死刑判決)」のような爆弾テロを「行政職員が死んでもかまわない」と香港行政庁にしたりはしない。
 「土田警視総監邸爆破事件(1971年、土田邸に届けられた小包爆弾により土田警視総監の妻が死亡。犯人として起訴された人物には無罪判決が下り未解決に終わった)」のような爆弾テロや、「国松警察庁長官狙撃事件(1995年)」のような狙撃を香港行政庁幹部にしたりしない。
 今後も多分しないでしょうし、仮にしたら、さすがに「今香港デモの暴力を容認してる連中」も爆弾テロ、銃撃まで正当化はしないでしょう。正当化したら呆れるだけですが。
 ということは中国からすれば「暴力が一定のレベル内であること」は「人民解放軍を投入して一気に鎮圧できない」と言う意味でいらいらするでしょうが、一方で「治安が今以上に極端に悪化し、収拾がつかなくなること」も幸いにして「ない」と言うことです。
 であるのなら暴力デモを急いで鎮圧する必要もない。急いで鎮圧する必要もないから妥協する必要も乏しいわけです。デモ隊だけでなく、中国ももはや長期戦、我慢比べを覚悟してるでしょう。
 そもそも香港デモが「米国トランプ政権」に過剰な期待をしていることにも注意が必要です。彼らは明らかに「我々を支援してほしい」とトランプにアピールし、トランプが米中貿易摩擦で中国に厳しい態度をとってることを「トランプが我々を支持している」と宣伝している。
 つまりは彼らデモ隊には「デモ隊の独力で事態を打開するすべがない」「トランプが中国と融和的な態度に出たら運動の展望が大きく失われる」ということです。そう言う状況を考えれば「暴力を美化、正当化すること」が適切とは俺は思いません。

パレスチナ人の子どもが、イスラエルの戦車に向けて石を投げた。これは暴力ですか」。
 伊勢崎さんによれば、これは暴力ではない。
 「私は子どもが手榴弾を投げても暴力ではないと思う」。

 石を投げることも手榴弾を投げることも暴力です。価値観によってその暴力が「正当性のある抵抗」と評価される、つうこともあるだけです。
 基本的に「安重根の伊藤暗殺」のような「当時としてはやむを得なかった行為」以外は俺は暴力を正当化する気はあありません。

*1:俺個人はそんな言い訳を認める気はありませんが。