松本清張ドラマの封印作品『 家紋』(日テレ火曜サスペンス劇場、1990年)(注:『家紋』のネタばらしがあります)

 未ソフト化、CSをふくむテレビ放送なしだが、封印作品ではないようなのでチャンスを待って観てみたい(篠田正浩監督作品『夜叉ヶ池』) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)でもいろいろな封印作品が紹介されていますが、松本清張原作のテレビドラマ一覧 - Wikipedia家紋 (松本清張) - Wikipediaを見ていて偶然気づきました。

家紋 (松本清張) - Wikipedia
 本作のロケは、地方のある宗派の寺を借り、本物の輪袈裟を借りて行われた。放送直後、宗派本寺から「殺人犯が着用した輪袈裟*1は当寺の紋が入っており、作法も同派を指す箇所が随所にある。当寺を特定し、その僧侶、門信徒を冒涜し、宗教活動を妨害するものとして断固抗議する」との抗議を受け、交渉の結果、今後再放送を一切行わないこと、ビデオ化などの二次使用もしないという約束をもって妥結した。

だそうです。
 別にそんなことで宗教活動の妨害にもならんだろうに?、せっかく制作したのにもったいないと個人的には思いますが。
 なお、その後

・2002年8月18日、BSジャパンの「BSミステリー」枠(21:00-23:24)にて「松本清張没後10年特別企画・家紋」として放映。

だそうなので2002年作品はその当たりに配慮して問題を回避したのでしょう。

参考

実話を元にした怖さ 松本清張『家紋』を市原悦子朗読で | 本と映画と食事とあひる - 楽天ブログ
 この松本清張の小説は明治39年2月に起きた通称「青ゲット殺人事件」を元にして書かれた短篇です。
 雪の降る寒い晩、若い夫婦と赤ん坊のいる家庭に「本家から来た」と名乗る顔を隠した、怪しい風体の男が訪ねてきます。
 「本家で臥せっている病人が会いたいと言っているから、、、、」と家族を一人一人誘い出して殺害した、という凄惨な事件です。
 都市伝説「赤マント」の元になった事件として有名です。

青ゲットの殺人事件 - Wikipedia
 1906年明治39年)に発生した未解決殺人事件である。
◆犯行
 1906年2月12日午前5時頃、当時は防犯カメラも無かった為、容姿はよく分かっていないが、青いゲット(毛布)をかぶった35歳くらいの男が問屋を訪ね、番頭の加賀村吉(30歳)に「近所の叔母が病気になったので来てくれ」と言った。
 その後、同様の手口で村吉の自宅から母・キク(59歳)や妻・ツオ(25歳)も連れ出した。男は村吉の次女(2歳)も連れ出そうとしたが、妻が連れ出される前に隣家の女性に留守番と子守りを頼んでおり、男との応対をした女性が次女の連行を拒否。そのため次女は助かった。長女は子守りとして他家に居たために留守であった。
◆遺体発見
 青ゲットの男に連れ出された3人は、その後いつまでたっても戻らず、調べると新保村の親戚には誰も病人などなく、使いの者を頼んだ事実もないことが分かった。
 三国警察署に置かれた捜査本部は、九頭竜川一帯の大掛かりな捜索を行い、妻ツオ、母キクの遺体を発見した。
 しかし、村吉の遺体はその後の捜索でもついに発見することは出来なかった。
◆その後
 村吉の遺体が発見されなかったことから、村吉犯人説が捜査本部の中でも取りざたされたが、結局、村吉も殺害され遺棄されたという判断になった。
 捜査本部は男が一家を次々に連れ出して、残忍に殺害していることから、村吉に強い恨みを抱いた者が犯人の可能性があると推理した。しかし村吉は真面目で酒も飲まず、良く働き若くして番頭に取り立てられるなど大変評判は良かった。結局村吉を恨んでいる者は見つけることが出来ないまま、捜査は暗礁に乗り上げた。
 そのまま捜査は進展することなく、1921年にはついに時効を迎え、迷宮入りとなってしまった。ところが、事件から20年過ぎた1926年12月12日、京都府警に窃盗の罪で逮捕されていた谷本仁三郎という男が、「自分がこの事件の真犯人である」と告白した。
 「20年ぶりの真犯人判明」と報道されたが、殺人の前科がない窃盗犯の谷本が犯したにしては不自然な点が多い。
 まず窃盗目的ならば、このような手のかかる事をわざわざして三人も殺害する必要が無く、強盗するにしても普通に押し入れば良い。事実、犯人は金品を盗んでいない。
 また、逮捕された谷本が証言した他の事件においても、「でたらめを述べている節が二、三ある」と警察が疑問を呈していることからも、谷本の証言は怪しく、真犯人とは考えにくい。
 しかし、すでに時効を迎え捜査資料も散逸していたことから、結局真相は解明されないままに終わった。

*1:「輪袈裟着用」&「某宗教の抗議」ということでわかるでしょうが、この事件の犯人は僧侶です。