三浦小太郎に突っ込む(2020年9月3日分)

ラグタイムララバイ(三浦小太郎)のアマゾンレビュー『マスカルの花嫁:幻のエチオピア王子妃』(山田一*1、1998年、朝日新聞社

・1933年、当時のエチオピアの若き王子アラヤ殿下が、お妃としてぜひ日本婦人を招きたいという望みがあり(アラヤ殿下は1931年訪日、日本に深い共感を抱いていましたし、イタリアの侵略にさらされているエチオピアが日本からの支援を望んでいた面もあったでしょう)それに多数の女性が応募してきていました。本書はその中で、一時はお妃として選ばれた一人の女性と時代をめぐるドラマを見事に描いています。
・多数の応募者の中からえらばれたのが、黒田廣志子爵の次女、黒田雅子氏でした。華族の娘がエチオピア王家に嫁ぐ、というのは当時の大ニュースとなりました。
・しかし、事態はこの後、イタリアのエチオピア侵略開始、そして「某国の干渉」によってこの結婚は破綻します。私はこの「干渉」が当然イタリア、もしかしたらドイツも絡んでいたのかなと勝手に考えていたのですが、本書によればそれは勘違いのようでした。実際に反対した、というか少なくとも干渉したのはフランスで、当時エチオピアとの関係を深めていたフランスは日本の影響がこの国で強くなるのを嫌ったようです。
 いずれにしても、独立を失う危機に瀕し、ハイレ・セラシェ皇帝も一時英国に亡命せざるを得なかった事態を迎えたエチオピアには、この婚礼を進めるような状況にはなく、日本側も外務省の一部などは、民間主導のこの婚礼に極めて冷ややかだったようです。
 歴史は流れ、黒田雅子氏は、一時は失望から不安定な日々を送ったものの、後に海軍軍人米倉冬彦と結婚。戦後は町会議員も務め、子供たちを育てる充実した生活を送りました。アラヤ殿下もこの結婚の破棄には心から悲しんでいたようですが、エチオピアの女性と結婚、クーデターで帝政が倒されたのちは、アメリカに亡命、静かな晩年を過ごされたようです。

 まあ「面白ニュース」ではあるもののそれ以上のもんでは無いですね。
 結婚が破談になったのはお互いにとってむしろ幸いだったでしょう。

*1:著書『飢餓高原:エチオピア飢えの構造』(1985年、講談社)、『アベベを覚えてますか』(1992年、ちくま文庫