新刊紹介:「歴史評論」10月号

 詳しくは歴史科学協議会のホームページをご覧ください。小生がなんとか紹介できるもののみ紹介していきます。正直、俺にとって内容が十分には理解できず、いい加減な紹介しか出来ない部分が多いですが。
特集「奴隷制の歴史的考察」
◆共和政期ローマにおけるラティフンディウム神話(鷲田睦朗)
(内容紹介)
 ここでの「ラティフンディウム神話」とは

ラティフンディウム - Wikipedia
 ラティフンディウムによって安価な食糧生産が可能になり、ローマに富が蓄積した。
 一方で、ポエニ戦争で疲弊していた中小農民の没落に拍車をかけた。奴隷無しの家族経営、あるいは1人か2人の奴隷を使っての自作農は、安価な奴隷を大量に使役するラティフンディウムに対して、経営コスト的に太刀打ちができなくなった。彼らの多くは土地を失い、無産市民としてローマに流入し、大きな社会問題となった。
 グラックス兄弟はこの問題に対処すべく、貴族による国有地の借り受けに制限を加え、多くの市民に配分する事を中心とした改革を実行しようとするが、元老院の反発によって挫折する。後にガイウス・マリウスは、無産市民を軍隊に吸収する事(マリウスの軍制改革を参照)によって解決した。さらにガイウス・ユリウス・カエサルは「ユリウス農地法」によって救済する。
 とはいえ、大貴族と一般市民の不平等の解消については、いわゆる「パンとサーカス」による所も大きい。これによりローマ市民は、ラティフンディウムによる収益の分け前を受け取る事となり、古代ローマの社会全体として奴隷の労働がローマ市民の生活を支える構造が生まれた。
ラティフンディウムのその後
 奴隷を労働力に頼ったラティフンディウムは、征服地の減少に伴う奴隷供給の低下とともに経営が行き詰まった。従来、安価な奴隷を使い捨てのように酷使して多大な収益を上げてきたのだが、奴隷が高価になると使い捨てる事が不可能になったのである。
 そのため、奴隷の代わりに没落農民を労働力とする「コロナートゥス」の制度が代わって属州で進行する。これがやがて中世における農奴制へとつながっていく。

というウィキペディアラティフンディウム」のような記載への批判です。「ラティフンディウム(ラティフンディア)」という存在にそこまで「歴史的意義があると評価できるかは疑問だ」という指摘ですが、詳細については小生の無能のため紹介は省略します。
 なお、「ラティフンディウム」でググっても筆者の言う「ラティフンディウム神話」しか残念ながらヒットしません。


◆中世イベリア半島におけるイスラーム教徒・異教徒の奴隷(阿部俊大*1
(内容紹介)
 中世イベリア半島におけるイスラーム教徒・異教徒の奴隷が初期と後期にわけて説明されています。
◆初期
 イスラム勢力がイベリア半島に侵入し、キリスト教勢力と戦闘していた時期。この時期の奴隷は「戦闘に敗れたイスラム教徒の捕虜」がほとんどです。
◆後期
 キリスト教勢力が完全に支配権を確立し、イスラム勢力との戦争が終結した時期。この時期は「捕虜」が存在し得ないが、奴隷は必要とされ、「金銭による奴隷売買」が行われるようになる。但しその場合でも、奴隷は「原則として非キリスト教徒」から調達された。なお、非キリスト教徒の奴隷が後にキリスト教に改宗しても、当然に奴隷身分から解放されはしなかった。
 

◆中世末期イタリア都市の奴隷(濱野敦史)
(内容紹介)
・資料上は中世末期イタリア都市の奴隷はほとんどが女性である。ここからは奴隷の使用目的がもっぱら「家事労働」だったことがうかがえる。
 また資料上は奴隷の民族はほとんどロシア・東欧系である。
・1)「本妻側のバイアス」が当然、入っていること
 2)全ての女性奴隷が男性主人と性的関係を持ったわけでは勿論無いこと、に留意する必要があるが、資料として残っている「側室となり、主人の容認の下に勝手気ままな態度をとる女性奴隷への本妻の不満」からは、女性奴隷の中には、「主人との性的関係」によって事実上、奴隷身分から脱する者がいたことがうかがえる。


◆近世地中海の白人奴隷(金澤周作*2
(内容紹介)
 歴史学会はともかく*3、日本では奴隷というと「欧米での白人奴隷」がもっぱらイメージされるが、「近世地中海の白人奴隷」にもっと着目する必要があるのでは無いかとしています。
 もちろん「歴史の多様な視点」と言う話であって「白人奴隷によって黒人奴隷の犯罪性を相殺しよう」という「どっちもどっち論」ではありません。

参考

第171号 『奴隷になったイギリス人の物語 イスラムに囚われた100万人の白人奴隷』 - 読書とかいろいろ日記
 奴隷といえば、アフリカから新大陸に運ばれた黒人奴隷。
 と、条件反射のように連想しがちだけれど、白人も奴隷にされていた。
 17世紀から18世紀にかけて。イスラムの海賊船に襲われた西欧の船の乗員乗客、あるいは海岸の村が襲われて住民が連れ去られることも珍しくなかったという。
 本書では、11歳で奴隷となり、なんども脱走を試みて、ついに23年後に故郷の村に帰りついたトマス・ペローというイギリス人に焦点を当てて、白人奴隷たちの悲惨な境遇が書き連ねられる。
 白人も奴隷にされていたからと言って、白人が黒人を奴隷にした罪が相殺されるわけではない。それはそれ、これはこれとして、歴史の一断面を知るというスタンスでお読みいただきたい。

奴隷になったイギリス人の物語
 欧州各地からモロッコに連れ去られ、奴隷となった人々の記録。黒人奴隷の影に隠れた歴史の盲点。100万という数字や記述の正確さは判断できないが、この事実を抜きにしては、当時の白人のイスラム観というか、ムーア人観は理解できないのだろう。
 著者はあまり問題視していないが、自国民の奴隷は必死に取り戻そうと外交交渉を行い、大枚をはたいて買い戻そうとする一方、国を挙げて黒人奴隷を新大陸に送っていることは誰も疑問に思わない。あるいは白人であっても連れ去られた先で(ボーガス注:イスラム教に?)改宗してしまうと救出の対象では無くなってしまう。

【歴史】奴隷になったイギリス人トマス・ペローの奴隷生活 | 閑職人
 今回紹介するのは、17世紀にアフリカのモロッコで奴隷として、23年もの間、過酷な生活を送っていたイギリス人のトマス・ペローについてです。
 私がトマス・ペローを知ったのは、こちらの「奴隷になったイギリス人の物語」を読んだことがきっかけです。アフリカで奴隷として働かされたトマス・ペローを主人公とするノンフィクション小説です。
 正直、全く知らなかった話ですので、目から鱗と思いました。

ジャイルズ・ミルトンの「奴隷になったイギリス人の物語」を読みました! | がんばる地上の星たち!高知と松山のまんなか・仁淀川町
 奴隷と言えば、かつて、白人がアフリカなどの黒人に対して行った黒人奴隷だろうか。
 ヨーロッパやアメリカの白人たちが行ったことはこれまでも本や映画にもなったことであるが。
 しかし!
 実は17~18世紀、その前後の年代において、300年以上にもわたって、数万人規模、毎年何千人もヨーロッパ等の白人たちがアフリカのイスラム民族国家の支配者たちによって奴隷とされた歴史があったという。
 信じられないような気がするが実話である。

最近読んだ本のこと。 | 五味太郎の最近のいろいろ(公式ブログ)
今回紹介した本
「奴隷になったイギリス人の物語」
 先日、アルゼンチンを旅行中に読んでいた本は、実に面白かった。
 オレの友達の編集者・西田君がつくった本。
 イギリス人の奴隷の話。
 普通、"奴隷"っていったら"黒人奴隷"のことだよね。でも驚くことにこれは後の歴史。実はこの歴史の前に、白人奴隷がいっぱい使われていた時代があったということなんだ。
 時は大航海時代の末期。ヨーロッパ諸国もイスラム諸国も領土や富を求めて争っていた。そして、国の力は人の力、人の数だといわんばかりに、どんどん人々をさらっていったんだね。それがイギリスの場合、イスラムの船に海岸の村ごと襲われて、村の人口ごと奪われていったというからすごい。しかも、その数がハンパじゃない。とにかくすごい数だ。
 イギリス人奴隷の時代を考えると、実は、現代とあまり変わっていないことに気づく。つまり経済の構図だ。
 イギリス人奴隷も、当時はイスラム圏の労働力に過ぎなかったということ。つまり、安い賃金で(もしくはタダで)スルタンのために働き、王国の繁栄に寄与した。現代に置きかえれば、安い労働力を中国に依存して、モノを作っている構図とほとんど変わらない。やり方が略奪などではなく、現代風というだけ。
 本当に人さらいをしている北朝鮮は、非常に現代的じゃないけどね。

アラブ人の奴隷貿易 - Wikipedia
 アラブ人はヨーロッパ人も奴隷にした。Robert Davis によれば、16世紀から19世紀の間に100万人から125万人のヨーロッパ人が、オスマン帝国配下のバルバリア海賊によって捕らえられ、奴隷として売られた。

バルバリア海賊 - Wikipedia
 バルバリア海賊の脅威によって、アメリカは1794年3月にアメリカ海軍を創設することになった。アメリカは和平協定を結ぶことには成功したが、攻撃から保護される代償として上納金の支払いを強制された。バーバリ諸国に対する身代金や上納金の支払額が、1800年にはアメリカの国家予算の20%にもなった。1801年の第一次バーバリ戦争と1815年の第二次バーバリ戦争によって、上納金の支払いを終わらせ、より有利な条約締結に結び付けた。
◆大衆文化の中で
 バルバリア海賊はダニエル・デフォーの『ロビンソン・クルーソー』、大デュマの『モンテ・クリスト伯』など多くの有名な小説に登場している。

 「バーバリ戦争なんて聞いたことねえぜ」ですね。まあ、小生は自分のことを「一般的な歴史知識はある」と思ってますので大抵の一般人はバーバリ戦争なんて知らないんじゃ無いか。まあ、「アメリカが強大国」になるにつれて「バーバリ諸国に対する身代金や上納金」なんて話は「アメリカ人にとって忘れ去りたい黒歴史」化していったんですかね。


奴隷貿易禁止とアフリカ分割への道(布留川正博*4
(内容紹介)
 「奴隷貿易の禁止」それ自体は何ら悪いことではないし、「奴隷貿易の禁止」がストレートに「欧米列強のアフリカ分割(アフリカ植民地化)」につながってるわけでもないのですが、筆者の見解では「奴隷貿易の禁止」によって、アフリカは「奴隷の供給地」から「資源の供給地」へと変わっていき、それは「植民地化」を助長することになります。
 また「奴隷貿易を禁止するにはアフリカ現地で奴隷商人を欧米列強自ら取り締まる必要がある→アフリカ現地への欧米列強による軍の投入」と言う形でも「奴隷貿易の禁止」は「植民地化」を助長することになります。
 筆者の見方が適切かどうか素人の俺にはなんとも判断つきませんが、当然ながら筆者は「奴隷貿易禁止主張」を「アフリカ植民地化の口実だ」として全否定しているわけではありません。ここで問題になっているのは「その主張が主張者の意図を離れて客観的に果たした役割」と言う話です。
 たとえば、蓮池透氏らの「帰国した拉致被害者5人(蓮池薫氏ら)を北朝鮮に一時帰国させることに反対」というのは「蓮池透氏らにとっては単に家族愛の表明」でしょうが、それは客観的には「彼ら家族会を利用した安倍(官房副長官から自民党幹事長、官房長官を経て首相)、中山恭子福田内閣で拉致担当相)ら拉致右翼の出世」をもたらしました。一時帰国反対が無ければおそらく安倍も中山も出世しなかったでしょう。
 「家族会が一時帰国に反対したことで安倍や中山が出世した」と指摘すること(事実だと思いますが)は別に「安倍や中山を出世させたいから家族会は一時帰国に反対した」と言う意味ではもちろん無い(中にはそう言う奴もいたかもしれませんが。次世代から議員選挙に出馬した過去がある極右の増元照明なんかそうかもしれない)。
 また「一時帰国反対それ自体が間違ってる」という意味でも「必ずしも」ない(ただし、俺個人は「一時帰国反対自体が間違っていた、いったん帰国させるべきだった」という考えですが。まあそう言うとは蓮池透氏は激怒するのでしょうが、俺はそう言う価値観です)。
 ここで筆者がしている指摘「奴隷貿易の禁止は植民地化を助長した」はそう言う話です。
 なお、話が脱線しますし、「時代状況がまるで違うので単純比較できません」が、「人道主義を口実とした軍投入」という意味では「奴隷貿易を禁止するにはアフリカ現地で奴隷商人を欧米列強自ら取り締まる必要がある→アフリカ現地への欧米列強による軍の投入」という主張は巣くう会辺りの「自衛隊拉致被害者救出」を連想させます。


◆歴史の眼「朝鮮人労務動員研究とその課題」(外村大*5
・初期の研究として朴慶植朝鮮人強制連行の記録』(1965年、未来社)が紹介されている。
 最近の研究としては

◆山田昭次*6、古庄正*7、樋口雄一*8朝鮮人戦時労働動員』(2005年、岩波書店
◆外村大『朝鮮人強制連行』(2012年、岩波新書
◆竹内康人*9『調査・朝鮮人強制労働(全3巻)』(2013年、社会評論社

が紹介されている。
・なお、筆者は朝鮮人労務動員については「横田めぐみ拉致」のような「むき出しの暴力」ケースもある反面、「有本恵子拉致」のような「だましのケース」もあることを指摘。韓国側では「全てが暴力的ケースである」かのように議論がされる傾向が(学会はともかく、少なくとも市民団体、政治団体などでは)強い反面、産経など日本ウヨ側では逆に「暴力的ケース」が無視された上、「だましケース」について「了解があるから問題ない」と強弁される傾向があるとして双方とも適切で無いとしている。
 また、「太平洋戦争時の朝鮮人労務動員」に着目する余り、それ以前の「日本での朝鮮人労働」に問題が無かったかのように理解することも適切で無いとしている。


◆書評:宮下和幸『加賀藩明治維新』(評者・天野真志*10
(内容紹介)
 明治維新研究というのは今更言うまでも無いことですが
1)明治新政府の中心となった薩長土肥(特に薩長)や「桜田門外の変」の水戸藩など尊王攘夷派、倒幕派
2)奥羽越列藩同盟の中心となり薩長と激しく対立した会津藩など
といった「目立つ藩ばかり」が注目されてきたわけですが、「それだけでいいのか」という反省によって例えば本書のような「加賀藩研究」がされるわけです。書評内容の詳しい紹介について小生の無能のため省略します。

*1:同志社大学准教授。著書『レコンキスタと国家形成:アラゴン連合王国における王権と教会』(2016年、九州大学出版会)

*2:京都大学教授。著書『チャリティとイギリス近代』(2008年、京都大学学術出版会)

*3:とはいえ、筆者に寄れば「黒人奴隷研究」に比べれば学会においても「白人奴隷研究」の蓄積は「まだまだ」だそうですが。

*4:同志社大学名誉教授。著書『奴隷船の世界史』(2019年、岩波新書)、『イギリスにおける奴隷貿易奴隷制の廃止』(2020年、有斐閣

*5:東京大学教授。著書『在日朝鮮人社会の歴史学的研究』(2009年、緑蔭書房)、『朝鮮人強制連行』(2012年、岩波新書

*6:立教大学名誉教授。著書『関東大震災時の朝鮮人虐殺』(2003年、創史社)、『関東大震災時の朝鮮人虐殺とその後』(2011年、創史社)、『関東大震災時の朝鮮人迫害』(2014年、創史社)など

*7:著書『足尾銅山朝鮮人強制連行と戦後処理』(2013年、創史社)

*8:著書『戦時下朝鮮の農民生活誌:1939~1945』(1998年、社会評論社)、『戦時下朝鮮の民衆と徴兵』(2001年、総和社)、『日本の朝鮮・韓国人』(2002年、同成社)、『日本の植民地支配と朝鮮農民』(2010年、同成社)、『戦時下朝鮮民衆の生活』(2010年、緑蔭書房)、『金天海:在日朝鮮人社会運動家の生涯』(2014年、社会評論社)、『植民地支配下の朝鮮農民』(2020年、社会評論社

*9:著書『韓国徴用工裁判とは何か』(2020年、岩波ブックレット

*10:著書『記憶が歴史資料になるとき:遠藤家文書と歴史資料保全』(2016年、蕃山房)