今日の朝鮮・韓国ニュース(2021年4月5日分)

近畿大短期大学部、新入生に拉致問題授業 - 産経ニュース
 人権教育の名目で「ウヨ大学のウヨ教員(近畿大准教授の頭師暢秀(ずし・のぶひで)」が「ウヨ政治活動」をやるだけのくだらない話でしょう。
 そもそもこの頭師はググったところ神戸新聞NEXT|衆院選2014|立候補者一覧(頭師が2014年衆院選挙で自民公認で兵庫11区から出馬したが、民主党(当時、現在は自民党*1)の松本剛明*2に敗北)なんて記事がヒットする御仁です。
 そして近畿大と言えば「世耕一族がオーナー(現在の世耕家の当主は世耕弘成*3)」であり、どう見ても「政治家として不遇の頭師を世耕が食わせてる(またいずれ自民から選挙に出るのか、諦めたのか知りませんが)」と言う構図でしかない。頭師のような輩を学者というのは「真面目な学者」に対して本当に失礼です。
 それにしても「日本軍がやらかした拉致行為(慰安婦朝鮮人、中国人強制連行)」「ウヨ連中(在特会など)の在日朝鮮人差別」などをどう思うのか、頭師に聞きたいところです(予想は付きますが)。
 「話が脱線しますが」ちなみに頭師といえば俺が連想するのは頭師孝雄・佳孝兄弟ですね。いや「名前が珍しいから知ってる」だけで彼らの演技を見たことはないのですが。頭師兄弟は大阪出身だし、近畿大も大阪の大学だし、大阪に多い苗字なんでしょう。

【参考:頭師兄弟】

頭師孝雄 - Wikipedia
 1946~2005年。5人兄弟の三男として生まれる。長男を除いた4人が子役となったが、次男の正明と四男の満はそれぞれ高校、中学で俳優を辞め、最終的に大人になっても俳優を続けたのは孝雄と末弟の佳孝の2人となった。
 1956年(昭和31年)、小学校4年の時に宝塚映画『鞍馬天狗・御用盗異変』でデビュー。1958年(昭和33年)の映画『草笛の丘』より宝塚映画専属だったが、1967年(昭和42年)にフリーとなる(1965年(昭和40年)に高校を卒業)。以後、名脇役として多数のドラマ、映画に出演した。
 2005年(平成17年)4月1日、膵臓癌のため都内の病院で死去。58歳没。

頭師佳孝 - Wikipedia
 1955年生まれ。1963年、新藤兼人の『母』に出演。『母』の試写を『赤ひげ』(1965年公開)の子役選びに難渋していたスタッフが偶然見ており、黒澤明に推薦し、面接した黒澤もいたく気に入り、生活力旺盛な子どもの長次役として出演。その神童ぶりは三船敏郎をして「こりゃシャンシャンシャンだ」と言わしめたという。1970年には黒澤映画『どですかでん』で主役に抜擢。このほか、黒澤映画では『乱』(1985年)、『夢』(1990年)、『まあだだよ』(1993年)に出演している(『乱』、『まあだだよ』には兄の頭師孝雄も出演している)。
 1972年には日本テレビ『飛び出せ!青春』に太陽学園高校サッカー部の柴田良吉役としてレギュラー出演し、同じく子役出身である保積ぺぺ*4演じる山本大作との悪戯好きの軽妙洒脱なコンビぶりでお茶の間の人気を得た。

【参考終わり】


拉致解決署名85万筆 加藤長官「好機逃さず全力で」 UAゼンセン提出 - 産経ニュース
 こんな署名には拉致解決という意味では何の意味も無いので馬鹿馬鹿しい限りです。「一応、労組」のUAゼンセンもこんなくだらないことをやってる暇があったら賃金アップなど労働者の権利向上のために働いたらどうなのか。

*1:松本のような「民主から自民へ移った輩」は他にも長島昭久(野田内閣で防衛副大臣)、細野豪志(元民主党幹事長)、増子輝彦菅直人内閣で経産副大臣)、鷲尾英一郎(野田内閣で農水大臣政務官菅義偉内閣で外務副大臣)など色々いますが、こういう点が俺が「民主党の流れをくむ立憲民主党や国民民主党」を評価しない「大きな理由の一つ(立民幹事長・福山哲郎や国民民主代表代行の前原なんぞいつ自民入りしてもおかしくないとみている)」です。

*2:民主党政調会長(前原、小沢代表時代)、菅内閣外相など歴任

*3:第一次安倍内閣首相補佐官(広報担当)、第二次安倍、第三次安倍内閣官房副長官、第四次安倍内閣経産相などを経て現在、自民党参院幹事長

*4:1958年生まれ。2013年以降は芸能界から引退状態となっている。(保積ぺぺ - Wikipedia参照)